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「まあ、そうカッカするなって。焦ってもいいことはないぜ。仕事はくさるほどある」
昼行灯なヨシギはポータブルディスプレイの後ろに立って高らかに宣言した。空っぽの天井のない食堂の隅で針小隊が勢揃いした。
ヨシギはパルを操作して、有線接続しているディスプレイに戦闘状況を映し出した。
「作戦名『ファロン・ピンカポ』、共通語の意味は『天に登る雷』わかるか、ソラ?」
「僕に聞かれても。アヤカのほうが詳しいですよ。ブレーメンの古語ですか?」
「そう。壮大な作戦のときは何かとブレーメンの神話に乗っかるのが、ある種の軍の験担ぎみたいなもので。でその神話というのは……と話が逸れた」ヨシギがクリックすると、ブリーフィング画面が切り替わり、「作戦と言ってもそう複雑じゃない。第3師団は、第2、第1師団と歩調を合わせてワング=ジャイへ侵攻、その強権的な政治体制を打破し、無垢な人々を解放する」
アーシャの姿勢が前のめりになって鼻息も荒くなる。
「むぅ。やっとみんなを助けてくれる」
「そうだ。複数の捕虜を尋問して、アーシャの証言の裏が取れた。正々堂々、攻め込む口実ができた、というわけだ。だがこの黒い砂漠はちょいと厄介だ。水さえ補給できない不毛の大地を数日間かけて移動する。だから、連邦中から巡空艦をかき集めた。今朝からグワングワンうるさいのはそのせいだ」
空を見上げれば、地上に大きな影を落とすほどの巡空艦の大艦隊だった。小型の戦闘艦から非武装の輸送船まで上空を複数の階層に分けて列をなしている。
「とはいえ、俺たちは地上の担当だ。偵察情報によると、途中で遺跡やら廃墟やらに小規模な砲撃陣地がある。それを潰して回るのが俺たちの役目だ」
敵は巨獣だけじゃない。きっとヒトもその中に入っている──いや、だめだ。プロに徹っしなければ。となりでアーシャはそんな細かいことを気にしていないし、アヤカの頭の中にはワング=ジャイで保管されているブレーメンの伝承のことばかり。ニロとフィエフェイは、退屈な哨戒任務から開放されてのびのびしている。
「さて、仕事の開始だ。張り切っていこうぜ」
くるり、ヨシギが振り返った先で、進路を塞ぐように一様にタイトな黒い戦闘服に身を包んだ兵士が並んだ。全員が男で顔立ちは若く20代なかばといった感じだった。ヨシギに負けないくらいガタイがいい。そして戦闘服の胸には財団の記章──3対の逆三角形があった。
「なんだお前ら──ってその瞳!」
アヤカも跳ね上がるようにして立ち上がった。
「若草色の瞳! もしかして純血のブレーメン? それもこんなに」
たしかに、日陰の中で若草色の瞳に独特な虹彩模様が浮かんでいた。しかし違和感が残った。本当にブレーメンなら、こうも統率の取れた行動はしない。強さのみを信奉し己の正義のみを信じるのがブレーメンだ。そういう生き方はニケ翁からさんざん教わってきた。
「ちょ、ちょっと、通してよ。私を守れと言ったけど、そういう意味じゃないから。もう、ほんと融通が利かないんだから」
黒服のブレーメンたちを押しのけるように、その隙間から現れたのはルナだった。いつもの整備服姿じゃない、財団の記章入の黒スーツだった。革製のベレー帽をだらしなく被りドヤ顔を決めていた。
「やあ。針部隊の皆さん、お仕事お疲れ様です。いえでした。ソラ君のご指導ご支援、復興財団をあげて感謝申し上げます」
ルナはふかぶかと、あざといお辞儀をした。
「これはどういうこと、ルナさん!」
「ふふん、ソラくんを回収しに来たの。アレンブルグの財団の実験施設へ、ね♪」
「何が実験だ。ふざけたこと抜かすな! ソラは俺達の仲間だ」
ヨシギが一歩前へでたが黒服のブレーメンたちに阻まれた。
「ふふ、ここで重大発表があるのです♪ ソラくん、君はね本物のブレーメンじゃないんだよ」
「え、急に何を言うんですか。本物じゃないって。そんなわけ」
「財団の爺婆研究者たちが長年の研究のすえ作った人造ブレーメン。君の体、炯素でできてるんだ♪ ブレーメンの三重螺旋遺伝子を炯素素体に転写した」
ぞっとする事実──皆の視線が集まる。いや、そんなわけない。この体になんの違和感もない。ブレーメンの特性だって備えている。過去の記憶だってある。作られた体だ、なんて信じられるわけがない。
「そんなわけない! 僕は僕だ。ゲットーで生まれて虐殺から生き延びて。そのあとは、ええと、そうマフィアの下請けをしながら生きてきたんだ。例えば、これも覚えてる。運び屋の仕事だ。箱の中には──」
「──箱、といっても温度管理された運搬装置でバッテリーが切れる2分前に配達が完了した。中身は甘党のボスのため特注で作らせたケーキで、子鹿の砂糖菓子が乗っているの」
「どうしてそれを。まだ誰にも言ってないのに」
「ふふ」しかしルナは、反応を楽しんでいるかのように、「私は圧縮記憶担当。専門が神経生理学だからね♪ 人格形成にはもっともらしい記憶が必要だからさ、私の好きなマフィア映画を挿入したってわけ。どう、おもしろいでしょ♪」
息が詰まる──そんなこと──信じられるわけがない。
「どう、美しいでしょ。ソラくんもこの子達も、遺伝子を転写した炯素義体。かつての人類の遺産、第1次獣人戦役が激化した要因。圧縮知育でみんなちょっとおとぼけだけどさ。せっかく造るならって見た目を私好みにしてもらったの。ま、観察員としての特権ね。爺婆たちは見た目はあまり気にしてないみたいだったから──」
ルナはほじくるように、隣りにいた黒服のブレーメンの顔を撫で回した。
「──でもまあ、正直アヤカちゃんにはひやっとさせられたよ。最初に私に聞いてきたでしょ『ソラくんは何者なの?』って。さすが聡明なブレーメンのハーフ。でも心配も杞憂に終わったよ。アヤカちゃんもすましてるわりには面食いなのね。見た目でほだされて本質に気づけてない」
「黙って! メギツネがいけしゃあしゃあと!」
アヤカに似合わない罵倒語/その背後に黒服のブレーメンが回り込む。
「ソラくんは社会実験の一環だったの。ブレーメンが社会に馴染めるか行動を観察してた。ずっとね。炯素義体にブレーメンの三重螺旋遺伝子を転写した後、圧縮知育をして街に放り出したの。なので、あなたはまだ生まれてからたった4年しか経ってないのよ、ふふふ。本当は、適当なギャングをけしかけてあなたが戦い、それを財団の息がかかった軍人がスカウトする、という予定だったの。師団本部の可変戦闘車教導隊なら財団の目も行き届きやすいし。アーシャちゃん、あなた達のせいで計画は狂ってしまったけれど、まあいいわ。終わりよければ全てよし。実際、学園祭の最中に強盗を演じてみせたけれど、ソラくんはバッチリ、正義感ある行動を見せてくれた。さすがブレーメン」
思い当たる節──学園祭の最中に売上金を盗んだ男がいた。つい体が動いて悪人を捕まえていたが、よく考えてみれば公衆の面前で金品を盗むのは馬鹿げているし、それに警察からあれ以降連絡がない。
「じゃあ、モールの誘拐騒ぎも、お前たちの策略で?」
「モール? 誘拐? ふむ、聞いてないわね。知らないわ」ルナは頬に拳を当ててわざとらしく悩んだあと、「はい、これで答え合わせ終了。まずはその腰の剣をいただくわ。武器を持ったままじゃ、私の首がいつ飛ぶかわからないもの」
その手があったな。今ここで剣を抜けば、たぶん全員に勝てる。剣のないブレーメンなんて、敵じゃない。
手を伸ばしかけたが、その手首をニロに掴まれた。
「待って。背後にも兵士がいる。電磁ライフルを持ってる。今はだめ、こらえて」
視界が350°あるニロの義眼が光る。さらに声を押し殺して、がまんして、と付け加えた。
ソラは剣を腰に留めている革紐を解くと近くにいた黒服のブレーメンに渡した。しかし黒服のブレーメンは2振りの刀の重さに顔をしかめた。
「ブレーメンなら、重さを感じないはずだよ」
軽口──黒服に睨まれる。
「炯素義体のブレーメンはまだまだ試作段階。ブレーメンの力もまだ濃淡があるの。でも大丈夫♪ みんなヒトより強いし何と言っても顔がいい」
コホン、とルナは咳払いした。隣の黒服が、アヤカ、ニロ、フェイフェイに1枚の書類を手渡した。
「契約解除ならびに報奨金一覧……って何よこれ」
ニロが書類を読み上げた。
「書いてあるとおりよ。現時刻をもって財団所属の操縦士を解任。契約にのっとり、財団都合による契約解除の場合、支払われなかった給与の1.25倍を支払うとともに、財団の奨学金貸与の優先的な……」
「金の問題じゃない! 身勝手すぎるでしょアンタたち!」
フェイフェイが叫んだ。書類をほとんど握り潰しそうである。
「んー、お姉さんにはその正義感がわかんないなぁ。混血のブレーメンは不要、ってこと。わかる? ほら、炯素とはいえ本物のブレーメンがここにいるでしょ。赤ヘル部隊も撃破できるくらいのね。アーシャちゃんは、アレンブルグの爺婆にとっては研究対象なのだけど、これからワング=ジャイで嫌ってほど実験対象が回収できるから、今は保留。あなたと、それとヨシギ・コウ隊長の身分は第3師団の所属だから。今後の処遇は上司に聞いてね♪」
「いけしゃあしゃあと言わせておけば! ふざけるなこのアマがっ!」
ヨシギは一歩前へ踏み出したが、横に並ぶ黒服のブレーメンのほうが早く動いた。あっというまにヨシギの体が宙に浮くと、地面に叩きつけられた。2人がかりで両腕をねじあげられ、床に突っ伏したまま動かない。ニロも動こうとしたが、背後で銃の気配を感じて足が動かせなかった。
「いま、彼女の言ったとおりよ。ヨシギ・コウ、おとなしく従いなさい」
「あら、ここには来ないんじゃなかったっけ? 寿少佐さん♪」
黒服が道を開けると、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、寿少佐が現れた。堅い表情のまま、ソラをまっすぐ見ている。
「ニコ! これはいったい、どういうことだ! お前、最初から知っていたんだな」
「最初、ではないわ。大尉、命令に従いなさい。これ以上命令に背けば憲兵を呼びます」
「俺のことはどうでもいい。ソラだ。やっと自分らしい生き方を見つけたんだ。それをこんなふうに。未来の夢も希望もあっさり奪ってしまうなんて。ニコ、お前はなんとも思わないのか」
ヨシギが声を荒げる。口の周りで砂埃が舞う。腕がねじ上げられヒトならすでに関節がちぎれている角度だったが、丈夫な体が耐えていた。
「お願い、従って。これが、だれも損をしない方法なの」
寿少佐は、頑なに視線をヨシギに向けなかったが、口角が震えていた。
「ふふ♪ 寿少佐がいてくれて、財団も感謝してるんですよ~。ソラがソリドンブルグ駐屯地に迷い込んじゃって。どうしようかと決めあぐねているときに白羽の矢がたったのが寿少佐さん♪ とっても財団に協力的で、資材も人材もいろいろ融通してくれて。感謝感激♪」
ルナは寿少佐に握手を求めたが、あからさまに拒絶された。
「じゃ、行こうか、ソラくん。巡空艦を待たせてる。こんな陰気臭い砂漠からさっさとおさらばしよ」
ルナのウィンクスマイルが、すぐに殴り潰してしまいたい。
「僕の過去。虐殺の記憶も、ソリアの貧民街の暮らしも全部偽物だったってこと? どこまでが本当なの」
「うーん、偽物の定義にもよるんだけどね。20年前、ヤオサン市のゲットーで、財団は死体の山から瀕死のブレーメンの少年を保護したの。結局は助からなかったのだけど、記憶を電子記録に転写できたの。研究に研究を重ね、炯素義体にブレーメンの三重螺旋遺伝子を転写することに成功。なので、虐殺の記憶と、それとスラムで生活をしてたというストーリーのため、私の好きなマフィア映画を圧縮知育したってわけ。正直、ここまでリアルな人格が出来上がるなんて驚きなんだけどね。アレンブルグの爺婆たちに言わせれば、炯素でも炭素でも、形質が同じなら本物なんだってさ。私はさ、正直疑わしかったんだけど、ソラ君、ブレーメンの剣を扱えたよね。あれすごいよ♪ 爺婆たちも早く検体を……じゃなくてソラくんに会いたがってるの。だから協力してよ。今の炯素義体には繁殖能力が無いけれど、近い将来、本当にブレーメンが復活するかもしれない」
ルナは手を差し出すと、
「さ、おしゃべりは終わり。行こ♪ 爺婆たちは、“実験サンプル”がどんな状態でも、生きてても怪我をしてても、最悪 新鮮な死体でも、良いって言ってる。一応さ、ドライアイスと超低温冷凍庫も用意してるんだけど。ほら、痛いのはイヤでしょ♪」
「ひどい……」
「ひどいよ! ルナ、優しくない!」
しかし声を上げたのはアーシャだった。よく通る声のせいで黒服のブレーメンたちもビクリと体を動かした。アーシャは、それでもソラを救うわけでもなく、涙を流しながら食堂を出て走り去ってしまった。
「感動的ね♪ お姉さんも涙が出ちゃう。愛する人を救おうにも救えずそんな自分に苛立って……」
「もう、それ以上は、やめてください。隊長、もう僕はいいです。いいですから。あの、ルナさん、隊長を放してやってください。このままじゃ怪我してしまう」
ルナが顎で示すと、黒服たちはヨシギを開放した。両側からニロとフェイフェイが支えになってヨシギを起こしてやった。
仲間たちの視線が集まる。
「みんな、今までありがと。僕、とっても楽しかった」
ぎゅっと両手を握る。こんな唐突な別れがあっていいものなのか。膝に力が入らない。立っているだけでもやっとだ。
こんなの理不尽すぎる。すべてを破壊してしまいたい衝動も、痛そうに顔をしかめているヨシギを見ればわかる。ここにいる仲間は人質に取られている。ルナは反撃できない状況を作り出た。ブレーメンの、というより僕自身の心理を先読みして行動している。
「ソラ、私……」
「アヤカも、今までありがと。とても感謝してるよ。アヤカがブレーメンのことをいろいろ教えてくれたから、僕もブレーメンとして誇りを持てたんだ」
ぽすん、とアヤカがソラの胸に収まった。そっと抱きしめるとくぐもった泣き声が聞こえた。
「うぐっ、今の私じゃ、あなたを助けてあげられない。でも、待ってて。かならず、いつか助けに行くから」
アヤカは顔を手で覆ったまま嗚咽が漏れ出ていた。ニロが肩をそっと抱いてやったが、まだ肩を震わせて泣いていた。
「あらあらこんなになっちゃって。アヤカ先輩、ソラくんのこと好きだったから。こんな時、私、なんて言ったらいいのかな」ニロは少しバツが悪そうだったが、「私も楽しかったから」
ニロも笑ってみせたが、しかし青い義眼の目尻から涙が一筋だけ流れ出た。
「あたしも! 絶対、ぜったいに会いに行くからな!」
フェイフェイはすでに顔が真っ赤だった。
「ソラ、生まれがどうとか、関係ない。お前は、間違いなくブレーメンだ。胸を張って生きろ」
ヨシギが言葉を絞り出した。
ルナは飽きた顔で、ぱちぱちぱちと適当な拍手を送っていた。
「ルナさん、荷物、取ってきていいですか。服とかみんなの写真とか、持っていきたいので」
「あーはいはい、でも急いでね」ルナが顎で示すと、特にガタイのいい黒服が進み出た「6番発着場だから。早く来て」
「了解」
ソラは踵を返すと、宿舎の方へ向かって歩いた。鉄板を渡した通路を無視して、砂地を横切って進む。背後には拳銃を腰に下げた兵士が続く。ただならぬ雰囲気に、忙しそうにしている兵士たちもピタリと手を止めるが、財団の記章が胸に光る黒服の、しかもブレーメンの瞳の兵士に誰も関わろうとしない。
「アレンブルグって、どんなところなのかな」
つい出てきた雑談だった。しかし背後の黒服から返事がない。
「実験って、何するのかな? もしかして、僕、全身を切り刻まれて瓶詰めにされるなんて、無いよね、アハハハ」
背後の兵士はピクリとも表情を変えなかった。同じ若草色の瞳で厳格な兵士のふうだったが、彼もまた実験体なんだ。命の権利のすべてを財団に握られている。同じ境遇のはずなのに、ルナに付き従うなんて信じられない。
荷物をまとめる、といってもそう多くない。ダッフルバッグに私服を詰める。写真も入れた。みんなで撮った写真は、今時珍しい紙媒体に印刷して保存していた。学校に出す予定だった課題は、たぶん不要。もう学校には戻れないのか。楽しかったのに。学校の友達にお別れを言えないままだ。
どん。背後で物音が響いた。
「今行くから、少し待って……」
足元に、ぐにゃりとひしゃげた拳銃が滑ってきた。視線を向けると、宿舎の戸口から見張りの兵士が吹っ飛んできた。首が妙な方向にねじれている。
「ソラ、助けに来た!」
アーシャだった──が、左腕だけが巨大な巨獣に変身していた。その巨大な腕力でソラに2振りの剣を渡した。
「アーシャ、何してんの! これは一体! 殺しちゃったの?」
「私の特技。体の一部分だけ変身できる。誰にも言っていなかったけどね・でもこの剣は重かった。すごいねブレーメンは」アーシャは右側のヒトの手でソラの襟を掴んで立たせた。
「逃げるよ!」
「でも、逃げるってどこに。それに僕、もういいんだ。みんなに迷惑をかけられない」
「もう、大丈夫。ソラが勝手に逃げたんだから、針小隊のみんなには関係ない。あのムカつくルナの責任になる、うううんと、そうだな。ワング=ジャイに逃げようよ。あそこなら誰も追って来られない」
「アーシャにも迷惑がかかる。やっと信頼を得られたのに!」
しかしそれ以上の言葉は許されず、アーシャは右手でソラの頬を平手打ちした。顎が外れそうな衝撃で脳が揺さぶられたあと、深々とキスされた。
「もうまったく。逃げるよ。私のソラを殺させない」
「う、うん」
アーシャも自分の荷物をカバンにまとめると、可変戦闘車の整備エリアへ走った。幸い、大作戦前で前線基地は外部の兵士でごった返していて、その群れに紛れて誰にも見咎められなかった。
自分の機体の前に来た。砲身にぶら下がる赤い札は砲弾が装填済みだと示していた。外部電源とコードで繋がり、燃料も増槽にまで充填されていた。外装はボロボロだが、整備は行き届いている。
アーシャが先に機体に登って操縦席へのハッチを開ける。しかし、整備所の休憩室からわらわらと整備士たちが出てきた。その先頭はあの老整備長だった。
「あっ、えっとその、僕たちは」
どうしよう、戦うか。ルナから話が伝わっているなら、通報されかねない。
しかし、整備士たちは何も見なかった、というふうに肩をすくめると、休憩室へぞろぞろと戻っていった。
「燃料は高純度のを110%、増槽にもぎりぎりまで詰めてある。ソラ、達者でな。それとワシたちは何も聞かなかったし何も見なかった。おっかないブレーメンに脅されただけだ」
整備長は油のしみたグローブを両手に上げて“降参”のポーズを取った。
「いままで、お世話になりました!」
ソラは礼儀正しくおじぎ/同時に予備動作なしにジャガーの機体上に飛び上がる。操縦席の後ろにアーシャが収まった。変身は解いていて、その肩で緑色のポポが楽しそうに揺れている。
「ポポも、協力してくれてありがとう」
流れる手付きで発進準備を終える。推進機のタービンブレードが回転を始め、燃料と圧縮空気が混ざる。外部カメラを起動/投影バイザーを頭に装着する。外の光景が見えたが、さすがに憲兵たちが異常に気づいて右往左往し始めている。
基地の管制室から上位通達=『今すぐ発進を止めなさい』
しかし、砲身を管制室へ向けるとごそごそと人影が逃げるのが見えた。
「撃つわけないだろう」
これではっきりと分かる。すでに犯罪者扱いだ。
「むぅ、ソラ、地図を見て。ワング=ジャイへの地図がもう装備されてる」
「本当に出撃させるつもりだったんだ。財団も、軍に知らせず勝手に事態を進めている感じがする。ルナの仕事が杜撰でよかった」
操縦桿を握る。ブレーメンの剣ほどではないにしても、触れた指先からじんわりと体が熱くなる。敵の手中から逃げるんだ。楽しいなぁ。こんなに楽しいことは他にない。
補助AIが推進機の暖気が終了を告げる/同時に出力を全開。外部電源のコードを引きちぎって前線基地の外へ飛び出した。
「むぅ、できた。ほら、ソラならできるって、信じてたわたし」
「まだだ!」
直感=ソラの瞳が黄色に光る。
戦闘補助AIの通知「友軍弾接近注意」/それよりもはるかに早くソラは推進ペダルを左右踏み変えて進路を変える。機体のすぐ脇を榴弾がかすめ黒い砂丘の中腹が破裂する。機関砲弾も、機体の周りで跳ね回る。
「追撃だ。やらなきゃやられる」
後方の戦闘カメラに真っ黒い塗装の可変戦闘車が映る。さっきのブレーメン兵の機体が2両、やってきた。彼我の速度差が大きい。推進機が最新型か?
1両は長砲身のライフル砲を装備し、もう一両は片腕が機関砲もう片腕が杭打機だった。中距離型と近接型のツーマンセル。しかし中はブレーメンもどきが乗っている。あなどれない。
「ソラ、わたしも出る」
「でも、武器が無いよ」
「もう私を信じて。取っ組み合いでも、負けたことがない。それに武器なしならもっと速く動ける」
「相手はブレーメン」
しかしアーシャは聞く耳を持たず、ソラが振り返ったときは開け放たれたハッチが残っていた。
「ほんと、もう! みんな勝手すぎる!」
緊急反転/操舵ペダルを左右逆に踏み込む。推進スロットルをアイドリングに/操縦桿を引き抜いて格闘姿勢へ。
元・友軍から砲弾が放たれる/その進路を完璧に読む/砲弾はすぐ脇をそれて砂漠に大穴を開けた。
「火器管制AIに頼ってる。友軍誤射ができないんだ」
ソラ機は転進/となりでアーシャ=巨獣が走る。いつもより数段 足が速い。あっという間に近接型の敵車両に取り付く。
AIの警告表示=「友軍誤射注意」。わずらわしい=警告を強制解除。
彼奴の自動装填装置はアヤカ機と同様。もう次弾の装填が終わり、装薬を詰めている頃か。
ソラはためらうことなく、背中に背負った迫撃砲を敵車両に向ける。弾種:榴弾。徹甲弾が撃てないのが悔やまれる。
標的の移動速度/自車両の慣性を読んで手動で微調整。そして発射した。鈍い爆発音といっしょに榴弾が標的に吸い込まれるようにして命中/大爆発を起こした。
「やった!」
もうもうと黒煙が立ち上る。ブレーメンの兵士といえど所詮はこんなものか。
アーシャの方を見た。巨大な黒い獣が杭打機の攻撃をかいくぐりぬるりと背中に取り付く──あれは僕でも対応できそうにない。そういえば、アーシャは暇を見つけては体術の教官に柔術を習っていた。負けなしのアグレッサー。
アーシャ/巨獣は巨大な4本の爪で操縦席のハッチを引き裂く/するするとヒトに戻ったアーシャは、黒い獣の腕で中の操縦士を引き出す/上半身だけが引きずり出された。
衝撃。真正面から。砲弾は装甲を引き裂き半可塑性炯素の人工筋肉を貫通した。
煙の中から、潰したと思った敵が現れた。格闘姿勢に変形している。
「くそ、爆発反応装甲か」
ソラは操縦桿の“頭”を長押しして副武装の短剣を両機械手に握る。この距離じゃ迫撃砲はスキが大きすぎて危ない。
敵も、背中の長砲身ライフルと弾薬箱を爆砕ボルトで切り離した。身軽になったあと、右腕の内側から剣が伸び、左腕の装甲は盾に変わった。
「これは、知っている。これは基本の基本だ」
ニケ翁に教わった義式剣術/右腕の主刀を敵の右目に、左腕の隠し刀を体側に逆手で構える。
左へステップ/増槽が重いが逃げるためには捨てるわけにも行かず。
敵が先に動いた。盾を前に前進/隙間から剣を突き刺す。
主刀で剣先をいなし、体側で押しのけて隠し刀で払い除ける。分かってはいたが、生身の巨獣兵だからこそ有効な短剣だから、装甲を身にまとった可変戦闘車相手では分が悪い。
「大丈夫。お互い可変戦闘車なんだ。手の内はわかっている」
敵が距離を取った/慣性ですぐには動けない。その真正面に迫撃砲の砲身を向け、榴弾を放った=命中。左腕の盾を破壊した。
「ニケ先生も銃と剣を使い分けていたし、これも義式剣術だ」
格闘姿勢では可変戦闘車の索敵カメラが全方位を睨んでいる。今の攻撃で半分は破壊できたはず。機体を敵の右側へ回り込むようにスライド/やはり追随が鈍い。戦闘の勘ではなく機械に頼りすぎてる。
隠し刀を収納し、敵の背後につかみかかる。格闘姿勢の唯一の弱点=むき出しの推進機、その燃料供給ホースを主刀の横薙ぎで引きちぎる。
途端に推進力を失う敵機/溢れ出す燃料に引火してたちまち高温の炎に包まれた。
炎の中から操縦士が逃げ出そうと車外へ出た。しかしすぐに炎に包まれた。真っ黒に炭化して、生き物が燃えているのか燃料が燃えているのかすぐわからなくなった。
「ソラ! やったね!」
空いたままのハッチからアーシャが滑り込んできた。急いで変身したせいで全裸だった。
「うん、そうだね。アーシャが味方で安心したよ」
「むぅ、それどういう意味」
アーシャは荷物の中からパンツだけを引っ張り出して、太く長い脚をその間に通した。着替えの最中はポポはソラの頭に飛び乗った。
「強いアーシャのことが大好きってこと」
「そう、わたし、つよい。だから安心して、ソラ」
アーシャがぐるりと、ソラに腕を絡ませた。
物語tips:ルナ
財団から派遣されたソラの可変戦闘車専属の調整員
その正体は、実験体──ブレーメンの三重螺旋遺伝子を炯素素体に転写した社会行動実験──の観察員。ソラの神経データや神経記録をせっせと財団の研究所へ送っていた。本人も神経生理学の博士号を驚きの若さで修めているため財団内部でもそこそこの地位にいる。
重度の面食いで、すべての実験体はルナ好みの顔に作ってある。