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物語tips:オペレーションソフト

複数のハードウェアを連携させるための基本操作ソフト。

 500年前に天才野生司(のうす)博士が考案した規格化されたオペレーションソフトウェア。戦闘において人力だった部分を可能な限り機械化し、人命の損失をへらすコンセプトで開発された。現在では改良が加えられ、軍事規格の兵器だけでなく、パルからデジタルサイネージまで幅広く活用されている。

『OS義式』の名前の由来は野生司博士が思いを寄せていたブレーメンの名から。


挿絵(By みてみん)


「あんまり敵がいないからって、ハッチを開けたままじゃ危ないよ。ロケット弾が飛んできたらすぐ変形して回避しなきゃいけないんだから」

 アーシャはソラの可変戦闘車(ジャガー)のハッチに腰掛けて、黒い砂漠を吹く乾いた風を楽しんでいた。その肩では緑の軟体生物ポポが気持ちよさそうに緑の体に風を受けて体表で波紋(はもん)が揺れている。今日はめずらしく曇り空で日差しが弱かった。

 この黒い砂漠は、大陸南部の荒野地帯と違って、細かな砂粒が風に運ばれて砂丘を作っていた。遠くから見れば小さな丘の連続だけれど、間近で見れば急斜面の小山だった。その山頂や稜線(りょうせん)にぎりぎり車体を見せないように移動し、それでいて索敵(さくてき)用のセンサーの支柱を伸ばしている。簡単なデータ解析は車内でできるし、データは中継アンテナを備えた巡空艦を経由して、作戦本部へ送られる。いわゆる最先端のデータリンク・システムだった。

 どれも、オペレーションソフト:義式というプラットフォームから成り立つものでいくら高価な機材をスタンドアローンで走らせても意味がない、などとアヤカとそれにルナも語っていたが、ソラには最初の5秒しか理解できてなかった。

「たぶん、僕はコンピューターサイエンスの才能はなさそうだな」

 簡単に諦める=ブレーメンの習性。何でもできる能力は、何でも選り好み(えりごのみ)できるという意味もあった。

 かちゃり。投影バイザーを頭につける。頭の動きが外部カメラとリンクし、視線の動きでカメラの焦点も絞られる。ヒトの視野に合わせて作られ、さらにブレーメンの網膜にも対応するよう改造してもらった。ルナの調整はばっちりで、まるで自分の体が巨大になったかのような錯覚さえあった。

「でも、どこをみても砂、砂、砂丘、砂丘。代り映えしないなぁ」

 友軍の迎撃陣地から更に東へ進んだ地域。どんな“歓迎”を受けるかと思ったけれど、結局は何もなかった。推進機はアイドリングモード=超低燃費走行。推力のほとんどは、反重力機構の偏向(スラスト)推進だけで砂丘を移動する。ゆるい斜面なら歩くよりも遅い速度だけれど登れる。

 出力スロットの横にルナの手書きメモ=「バッテリーが上がるから1500回転は維持♪」

 ばたん。ハッチが閉じられる。車内の空調も効きだして快適に。

「むぅ、ひさびさの故郷(ふるさと)の空気。うん、やっぱり臭い」

「臭い? そうかな特に臭いはないけど」

「頭悪いから、うまく言えないけど。なんていうか落ち着く感じ。連邦(コモンウェルス)に来てソリドンブルグに住んで、とても快適だったけど、でもなんだか物足りない感じ。この乾燥した風に黒い砂。生まれてからずっとこの景色を見てきた。だから、なんだか落ち着く」

「故郷、ね」

「ソラの故郷は?」

「それは、わからない。覚えてない。ゲットーにいたのだから、ヤオサン市ということになるけど。きっと懐かしいって気持ちは無いと思う」

「ごめん、変なこと聞いた。許して」

 アーシャは、長い両腕を操縦席にすわるソラの胴体に巻き付けた。

「いいよ、怒ってない。でも、なんというかアーシャのその気持ちを知ってみたいとは思う」

「じゃあ、いっしょにワング=ジャイに行く? みんなにソラのことを紹介したい。うぅ家族に」

 アーシャは固く口を閉じてしまった。その細くて長くて冷たい指に手を重ねてみた。家族の存在がどんなものか、全然知らないけれど、でもアーシャの家族を思う姿を見るとその気持ちが想像できる。

「戦争が、早く終わるといいね」

「うん」

その後半日は、砂丘から砂丘へ稜線に沿って移動するだけだった。その間に1度だけ錆びた送電線が見えたが、それ以外は平穏そのものだった。

 定時連絡を本部に送り、その後昼食を摂った。といっても、高栄養ビスケットと栄養サプリ、保温ポットのお湯とフリーズドライを混ぜてスープを作る。それだけ。

 ソラもアーシャも、ビスケットのかけらをポポに分けてあげた。ポポの表情のかわりにぷるぷると体を揺らした。食べ物はすぐに消化され、緑の半透明の体に戻る。不思議な生き物である。

 日が落ちてカメラが赤外線モードに切り替わった。まだ温度の高い地面は白く、逆に空は黒く表示される。昼とは上下が反転したような映像だった。AI群が電力消費が大きくなったことを告げ、推進機の出力をわずかに上げてやった。

 後席ではアーシャとポポは一緒に静かな寝息を立てていた。

「暇なのはいいことなんだけど。サボるわけにもいかないし。というかみんなちゃんとやってるんだよね」

 AIから通知。予定の警備経路を終了=「機密保持のためデータは削除されます」

 予定ではもう、次の当番の可変戦闘車(ジャガー)が出発している頃。前線基地に戻りながら燃料の残量を確認=増槽(ぞうそう)はずっと前から“零”表示。主燃料槽も残り10%。余計な進路変更をしなかったら、たぶん大丈夫。

「ふわぁ。おはよ」

 アーシャが起きた。ポポといっしょにあくびしている。

「いま寝たら、夜 寝られなくなるよ」

「むぅ。大丈夫。とっておきの秘策、ある」

「どんな?」

「ソラを抱きまくらにする」

 それだとこちらが寝られなくなる。

「何事もなくてよかったよ。国家(ネーション)の軍団は、もうほとんど倒しちゃったんじゃない?」

「ん、たぶん。わたしが知ってる兵団も、この前ので全部」

「じゃあ反撃がこないのは?」

「わからない。でも“壁”にかかる3つ橋で、ここはワング=ジャイからいちばん遠い。すっごく遠いから増援も無理かも」

「第3師団も財団も、ずいぶん対策していたみたいだけど、なんだか連邦(コモンウェルス)のほうが殺意満々って感じがする。国家(ネーション)はもう戦う気がないんじゃない? そもそも、土を取ってくるための戦いだったんでしょ?」

「むぅ。わからない。でも早く終わるといいね」

 アーシャはソラにぐるりと腕を回すと、また寝息を立てて寝始めてしまった。

 可変戦闘車(ジャガー)は整備所に戻し、その足で待機所まで歩いて戻った。アーシャとポポは着替えもせずベッドにすぐ横になったが、ソラは眠気がやってくるのを待つため焚き火の方へ歩いた。薪はほとんど使い果たしてしまったので、財団のマークが入った赤外線ストーブを皆で囲んでいた。今、待機所にいるのはアヤカとニロ。ヨシギ隊長とフェイフェイは任務中。

「やほーおかえり」夜更かしに慣れているニロはまだまだ余裕のよう。

「お疲れ様」もうすぐにでもベッドに潜り込むという感じのアヤカは、まぶたが重そうだった。

「久々にジャガーに乗ったけど、特に何もなかった。アーシャだってずっと寝てただけだし。でも暇なのはいいことだと思う。だれも殺さなくて済むし」

「ふぅぅぅん。じゃあ、寝ているアーシャちゃんにイタズラを……」

 鼻の下を伸ばしたニロだったが、アヤカにぴしゃりと叩かれた。

「こっちの戦区も同じようなものね。放棄された陣地、焼かれた書類。そのくらい」アヤカが指折り数えて、「あとだらけてる一般兵に喝を入れたり」

「アヤカ先輩は真面目だなぁ」

「当たり前でしょ。戦争なのよ。で、あなたどうなの? ちゃんと仕事してたの?」

「もちろんですよ先輩!」ニロは得意げに「私の担当戦区、途中で油槽船(タンカー)から補給を受けるくらい北の方で。でね、なんと、狙撃用超々望遠光学レンズとデジタルズームによって、どんでもないもの見ちゃった」

「狙撃兵というよりのぞき魔ね」

「ディスプレイの配線は民生品だったからさ、二股(ふたまた)配線を噛ませて、ローカルストレージに記録を保存していたわけ」

「軍規だけじゃなくて財団の規則と刑法と、まとめて破ってるんだけどそれ」

 ソラが記憶の中で規約書のページをめくった。ニロはパルを拡張ディスプレイに配線を繋いで、せっせと自分の規約違反を開陳(かいちん)しようと手を動かしている。

「私は、そうね。作戦本部でちらりと聞いた噂ばなし」代わってアヤカが話し始めて、「戦力比の事。以前はテウヘル1体につき可変戦闘車(ジャガー)10両が必要だった。一般兵ならたしかにそのくらい。でも今じゃ1体につき3両で撃退できるようになった」

「へぇ。じゃあ、国家(ネーション)が弱くなった?」

練度(れんど)が、ね。それについては憶測に過ぎないけれど、でも財団から提供のあった新式の戦闘補助AIと火器管制システムでかなりジャガーの性能が向上してるんだって。肝要(かんよう)なのは、あなたの戦闘データを元に作られてるって点。あなたの調整員(テッキー)のルナ、しょっちゅうあなたの頭と機体からデータを抜き取っていたでしょ。黙ってそんなことしてて不気味よね」

「僕は、べつにルナを悪く言うつもりはないけど」

「私もよ。だけれど、あの女、嘘を言ってはいないけど真実も言っていないの。注意して」

「わかったよ」

 約束よ、とアヤカに更に念押しされた。

「えへへ、できましたよ。回線を切っている上にダミーの通信割当番号を使ってるから100%バレない」ニロはさらりと恐ろしいことを言うと、「これ見て。私が超望遠で撮った戦闘映像。なんと、赤ヘル2体と対峙する黒塗りの可変戦闘車(ジャガー)部隊」

 砂丘の陰になって見えたり見えなかったりするが、赤くヘルメットを塗りたくった巨獣(テウヘル)兵は、両腕に湾曲した刃の剣を振るっていた。アーシャには及ばないものの、普通のテウヘルじゃないのは明らかだった。

 そしてそれに対峙するのは3両のジャガーだった。外見上は通常機体そのものだが、右腕はテリチウム合金製の短い打突武器(トンファー)、左腕は杭打ち機(パイルバンカー)だった。腕の内側には小口径の機銃を備え、ばらばらと牽制がてら薬莢をばらまいている。

「何この動き?」アヤカが食い入るように画面を覗いた。「一般兵じゃないのは明らかね。戦区からして第2師団の混血(ハーフ)部隊? ううん、俊敏すぎる。まるで本物のブレーメン。ソラみたいじゃない」

 映像の中で、機械の巨体は本物の人のように、そして戦士のように軽やかに舞い敵を翻弄した。巨獣(テウヘル)が倒れ、顔面に打突武器(トンファー)が突き刺さる。もう1体のテウヘルもすぐに武器を封じられて頭を叩き割られた。

「でね、私独自の画像処理ソフトを使うと……」

「あなたにこんな才能があるなんてね」

 画像をさらに光学ズームする。荒いピクセルが徐々に見慣れてた模様に変わる。

「財団のマークだ」

 ソラとアヤカが同時に声を上げた。黒い車両の塗装にやや色の薄い白い塗料で三対の逆三角形が描かれていた。ジャガーは財団の資金提供があるので、部品ごとにこのマークを見るが、しかし財団所属を表している戦闘車は前例がない。

 映像はそこで終わり、ニロの「やばいやばい」という声が入っていた。

「つまり、財団の私兵ってこと?」

 ソラが首を傾げた。

「まさか。ここまで高度な武装は連邦法でも州法でも、というかどの州の法であっても違反してる」

「あれれ、アヤカ先輩、法律は専門外じゃ」

「常識的に考えて、そうでしょ」

「私は、まあ財団に恩があるしそこまでは疑えないかな」

 ニロは青い瞳の電子義眼をこめかみ(・・・・)の上からトントンと叩いた。

「僕は──もしこの人たちがブレーメンなら、会ってみたい。僕の他にブレーメンがいたんだよ!」

「わかった、わかったから。ふたりとも落ち着いて。これ以上はあまり深入りしない方がいいと思う。ニロも、その義眼を取り上げられたくなかったら特に」

 アヤカはつかれたように、立ち上がってお尻のホコリをはたいた。

「私、もう寝るから。ニロもソラも、あまり夜更かししちゃだめよ。明日も午後から警備任務なのだから」

 先輩&分隊長らしいいらえ(・・・)だけを残して、アヤカはとぼとぼと自分のベッドに向かった。

「ふたりだけになっちゃったね」ニロがいつにもましてニヨニヨして「なんだかいい感じね」

「は? いや、僕も寝るから。ヒーター、ちゃんと消すんだよ」

 すっと立ち上がると、ソラは自分のベッドへ向かった。



 翌朝、壁も天井もないので朝日のまぶしさに一度目を覚まして、そのあとうつ伏せで2度寝を満喫した。そして昼食のため、じりりと暑い南中の日光の中で起き上がった。夜通し警戒任務に当たっていたヨシギとフェイフェイはアイマスクで顔を隠し、汗をかきながら寝ている。起こさないようそろりと移動し食堂へ向かった。

 配給された食事トレイを持ってテーブルの間を移動していると、針部隊の整備士たちががやがやと食事中だった。

「よう、ブレーメンの。機体の調子はどうだった?」

 整備長が手を上げて呼んでくれた。

哨戒(しょうかい)任務でしたし、あまり推進機の出力は上げていませんが。でもやっぱり何かひっかかるというか、カクンって“息継ぎ”するんですよね。“壁”の周りじゃそんなことなかったのに」

「黒い砂漠の奥地へ行けば行くほど影響が出るのはわかってるが。整備士(うちら)じゃできることに限りがある」

「燃料、多めに積んでおくしか」

「ちげぇねぇ。部品は来ないが燃料はたんまり来るからな。他の部隊にぶんどられないうちに満タンにしといたぜ」

「ありがとうございます」

「もし他に気になることがありゃぁ、ルナに聞くんだ。今朝 ひょっこり何事もなかったかのように帰ってきた」

 なるほど、気づかなかった。

「わかりました。後で整備所へ寄っていきます」

 昼食セットはいつもと同じで美味しいともまずいとも言えない、しかし栄養面とカロリーだけはしっかりと入っていた。

 ソラは、昼食に向かう非番の兵士や財団の職員たちの流れとは逆らって整備場へ歩いた。なんとなく燃料の臭いが空気に混じっている。ちょうど、ソラの可変戦闘車(ジャガー)──胡蝶蘭と黒豹のだまし絵のエンブレムの下でルナが地面にあぐらをかいて座っている。ボサボサ頭に隠れて、背中側からじゃよく見えなかったが、腕時計型のパルに向かって話しているようだった。

「人目を忍んで誰かと電話を? うーん、邪魔しないほうがいいかな」

 この距離では話し声は聞こえず、そもそも声を殺して話している。時折、後頭部が前後したり開いている方の右手をくるくると回している。

 電話にしてはずいぶん長かったが、やっと会話が終わったらしい。ルナが立ち上がったとき、ソラも声をかけた。

「ソラさん、お久しぶりです」

「ひゃっ! なんだソラくんか。いつからそこに」

「電話が終わるの、待ってました。あっでも盗み聞きとかしてないですよ。あそこのオイルタンクのところにいました」

「あー、そう。まあいいわ♪ 信じる」

 ソラは傷だらけのジャガーの表面を撫でながら1周した。財団から贈られた特注の専用機。

「親族の方ですか?」

「親……というか知り合い? そんな感じ」

「ルナさんは、財団から来たんですよね」

「ええ、そうね。肩書(かたがき)はそうなってるわね」

 やっぱり、財団の幹部に親戚がいて、いろいろやり取りがあるのか。

「この黒い砂漠に対応した推進機、届きそうですか」

「その質問、なんでまた私に?」

「ルナさん、えっと知り合いにいるんでしょ、財団の幹部の」

 ルナのキョトンとした顔。そして吹き出すように笑い出した。

「あーそういうこと。アハハ、口利き(それ)は無いヨ。そもそも復興財団は、500年前の第1次戦役のあと、個人や企業が持つ資金、人材、建材を管理し公平に融通するために設立されたの。だから今もその理念は変わってない。幹部だからって、私利私欲でモノを動かせはしないよ。それに、特定の個人に権力は集まってない。だから財団は500年も巨獣(テウヘル)の被害支援を続けられたのよ」

「なるほど」

 ルナは、まるで暗記していたかのようにすらすらと持論を述べた。

「この黒い砂でしょ? 大丈夫。軍も財団も把握してる。推進機の改良にはもうちょい時間がかかるけど、回収したテウヘル軍の機材を研究してるの。とはいえさすが現場一筋40年の整備長ね。この現場改修でも十分に機能するわよ」

「機能するのは、わかってるんだけどさ。でも──」

「はいはい、細かいことはお姉さんに任せなさい♪ 今日も哨戒(しょうかい)任務があるんでしょ。ソフトもハードもチェックしとくからさ。仮眠を取ってきなよ」

 こんな環境で無理をしてまで戦う必要なんて、財団はどう思ってるのか知りたかったが、ルナはそれ以上の質問を許さなかった。追い立てられるように待機所へ戻ってきた。

 寝ぼけた顔のフェイフェイがベッドから起き上がると、ふらつく足取りで整備所へ戻っていった。一方でヨシギの姿はどこにもなかった。

「ふわぁ、おはよ。ソラ?」

「おはよう、フェイ。哨戒お疲れさま」

 フェイフェイはあくびをしながらでも、めくれ上がったTシャツや短パンの裾を定位置まで引っ張って戻した。

「ほんと、疲れた。つか退屈すぎ。なーんもやることないんだよ。仕事は仕事だし、ちゃんとやらなきゃだけどさ。ソラは、次はいつ?」

「僕は夜。日没後」

「そっか。じゃあ仮眠を取るよね。ふわぁ。お腹すいてないけど、なにか食べなくちゃ」

 ふらふらと定まらないプリン頭をそっと撫でてみた。髪が寝癖でより固まっている。それに髪の色も染め直せばいいのに、また地肌のあたりが黒いままだ。文句もいっぱいあるだろうに、黙って戦線を支えている。

「こら、ソラ! 頭を……」

「あ、ごめん、つい」

 ちょどいい高さにあったせい。

「……撫でるなら、もっとやさしく」

 フェイフェイは一瞬だけかわいい顔を見せたが、すぐてくてくと走っていって“あっかんべー”した。

「そういうのはアーシャにしてやれよナ!」

 そうしてフェイフェイは下品な指のポーズを見せたあと、しかし火照った顔を手であおぎながら食堂の方へ走り出した。

 不憫(ふびん)だ。きっとフェイフェイの姿は自分の鏡写しだった。戦いは好きだけど殺しは好きじゃない。それなのに戦いの渦中じゃ頭に血が上ってそんな倫理観なんて覚えがなくなる。気づけば、手は緑の鮮血で濡れ、それがいつかは赤い血に変わるんだろうか。

 さっと腰に下げた2振りの短剣に指を伸ばした──が、触れる直前で思いとどまった。ニケ翁は強くなるのは誰かを守るためだと、そうはっきり言っていた。戦いの中の命のやり取りを逡巡(しゅんじゅん)するなら間違いなく殴られる。それよりもむしろ、ニケ翁は1億人が死んだあの大戦争を生き抜いた戦士だ。きっと今の僕の気持ちをわかってくれない。

 アーシャは、まだ壁の上でじっと座っていた。ソラも予備動作なしに垂直に飛び上がって隣に並んだ。肩に乗ったポポはつぶらな2つの黒い点でソラを見た。それでもアーシャは地平線から視線を動かさない。

「家族のこと?」

 ソラは訊いてみたが、返事は返ってこない。手持ち無沙汰なので、さっきフェイフェイにやってあげたように頭を撫でると、つややかな長い髪がサラサラと風に流れた。猫のようにアーシャの頭が手にひっついてくる。ひととおり撫で終えると、やっと返事が返ってきた。

「今は、元の仲間のこと。カールスバーグ隊長もテムさんも、今頃何してるのかなって」

「心配?」

「むぅ。ふたりとも強いから。でも、うんちょっとだけ、ううん、ふたりのことだけじゃない」

「戦争、嫌だね」

 アーシャはいつもの、胸の前で両手を組んで頭を垂れた。

「あまねくすべての人は安らかな極地(きょくち)へ迎えられますように」

 祈り──それを宗教(しゅうきょう)だ、とアーシャは説明していた。不安定な国家(ネーション)の暮らしにおいては、明日への確証なんてなく、できることはただ願うことなのだと。

「そういえば、ヨシギ隊長を見なかった?」

「むぅ。えっと、あっちにいった。兵士たちが隠れてタバコを吸う所」

 アーシャが指を差す先は、大河に突き出た砂州で、ボード小屋のような半分水没した遺跡が流れの緩やかな(よど)みに遺されている。健康志向な財団職員の目を盗むように不健康優良児な兵士たちはそこで隠れてタバコを吸っていた。禁制品の薬物や酒類は、時折タバコを吸いに現れる寿少佐のような士官の眼が光るので──たぶんそれはそれで別の巣窟がある。

「何を話すんだっけか。黒い砂、暇な哨戒任務、代わり映えしない食事。あと、ええと、赤ヘル部隊(ケン・ピセィディ)のカールスバーグ隊長とかいう、強い兵士。ああ、それとワング=ジャイへの出発日も聞かなきゃ。アーシャの家族に会いたいな」

 ソラは指を折りながら話題を考えていた。任務はシフト制だし、ヨシギ隊長は司令部に行ったり来たりで、顔を合わす機会がめっきり減ってしまった。込み入った話も、財団や憲兵の目があるなかではしにくい。

 川べりの喫煙所へは、たくさんの足跡が黒い砂漠の上に残されてちょっとした小道だった。夜には風に吹かれて消えてしまうそれも、朝になれば新しい道が出来上がる。

 乾いた風の匂い、水の匂い、そしてあの桂皮(けいひ)の混じったタバコの煙。

「ヨシギ隊長がいるみたい──」

「だから、俺の聞いてくれ、ニコ」

 ヨシギの声。誰かと話している? ニコ……その名前を聞いたことがあるようなないような。

「珍しいわね。あなたから。しかもそんな真面目に」

 カチカチとライターを点ける音に混じって、寿(ことぶき)少佐の声もあった。寿ニコ、そう少佐の名前だ。

「俺は、戦争が終わったら軍を抜ける。だから、俺と──」

 プロポーズだ! とんでもないことを聞いてしまった。声を出さないよう口を抑えて息もなるべく少なくした。足音が聞かれそうなので立ち去ることもできない。

「相変わらず、調子がいいのね。結婚しないと言ったのはあなたのほうでしょ」

「それは5年前の話だ。あれから俺なりに考えてみた。もっと普通の人生で普通の幸せを見つけてもいいんじゃないか、って思ったんだ。俺とお前じゃ、時間の重さが違う。それがわかった。だから!」

「私の残り30年の寿命と、あなたの60年の寿命と、釣り合わないんじゃなかったかしら」

「それはお前を失うのが怖かったからだ。一人になってしまうくらいなら初めから一人がいいと思っていた。だけど、そうじゃないと気づいた」

 沈黙。川の淀みを流れる水の音と、乾いた風が砂を運ぶ音だけ。寿少佐は何も話そうとしない。

「5年よ。それだけ時間があれば、ヒトは変わるの。状況もね。私は、もうあなたの知っている私じゃない。もう私のことは忘れてちょうだい」

 寿少佐の捨て台詞。そして近づいてくる足音。

 ソラは忍び足で壁の日陰に身を潜めた。すぐそばを寿少佐がいかり肩で離れていく──心なしか目尻に涙を浮かべている。

さてどうしよう。壁の向こう側ではヨシギの苛立った鼻息が聞こえる。それとライターをカチカチと何度も打ち付ける音が聞こえ、静かになってから甘い煙の匂いが漂った。「そこにいるんだろ」

 心臓が飛び上がった! 文字通り口からポロリと落ちてきそう。

「す、すみません、隊長。盗み聞きするつもりはなかったんです」

「けっ、本当にいたのか。かま(・・)かけただけだったんだが。ダサいところを見られちまった」

 ヨシギはすぃーと細く煙を吐いた。

「僕、その今聞いたことは絶対、ぜったい誰にも言いませんから!」

「かまいやしねぇって」

 しかしヨシギはソラと目を合わそうとせず、タバコを一気に吸い込むと水を張ったバケツに吸い殻を投げ捨てた。

「そういや、俺になにか用でもあったのか?」

「え、いや、あったような無かったような」

 さっきまで色々考えていたことは覚えているが今しがたの出来事のせいで吹っ飛んでしまった。それに単なる雑談をしにきただけ。ヨシギの手間を取らせるようなことはない。

「お前、将来したいこととかあるのか? 正式に軍に入るか、大学に行くか。南の山岳地帯でブレーメンらしく修行するとか」

「さすがに辺境の地でひとりで生きるのは無理ですよ。でもまだ決めきれなくて」

「お前なら、何でもできるさ」

「よく言われます」

 するとヨシギは1枚の封筒を見せた。分厚く膨らんでいる。

「これはお前の推薦状だ。師団本部に出すつもりで書いた。で、寿に預かってもらうつもりだったんだが、まあさっきのアレで渡しそびれた。だが考えてみると勝手にこういうことをするとお前に迷惑がかかるんじゃないかって気がしてきた」

「迷惑?」

「別に好きで可変戦闘車(ジャガー)に乗ってるわけじゃないだろ。わかってる。押しに弱いお前のことだ。こう推薦されたら断らないだろ? 推薦状を出す前にお前の気持ちを知っておきたいと思った。正直なことをいえば、このまま士官候補課程に進んで、任官。それで針小隊を俺の代わりに率いてほしい」

「そ、そんな僕には無理ですよ」

「無理かどうかは自分の戦績を見てから言えよ」ヨシギは笑って「俺はもういい歳だ。体は若いが気が追いついていかない。そろそろ次の世代に託すべきだと思った」

「隠居するんですか」

「それも悪くないかもな。田舎で牛を飼って、近所のガキに柔術でも教えて。日がな楽器を弾いて過ごす」

「んー、いまいち想像できません」

「ハハっ、ちげぇねぇ。この推薦状はしばらく出さないでおく。もしお前が、本気で軍でやっていきたいと思うんならまた教えてくれ。戦争は始まったばかりだ。血なまぐさい戦いのあとじゃ、また気が変わるかもしれない」

 ヨシギははにかむ(・・・・)と先に宿舎へ歩き出した。すれ違いざま、とんと肩を叩かれた。

物語tips:財団

 正式名は「復興財団」。

 しかし連邦(コモンウェルス)の共通語ではやたら長い綴りのため単に”財団”と呼ばれることが多い。

 個人や団体、企業に投資を行い、その利益や寄付を元に再び出資を行う。本来は500年前の第1次テウヘル戦役後、戦災再興のため、企業や個人が隠し持つ資産や資材を強制徴収し適切に分配する当時の(おう)が主導した組織。

 現在では州政府に影響力を与えるほど肥大し、オーランド連邦政府も危機感を抱いている。実態は、結成当初の信念を継続しているもののそのやり方が功利主義(こうりしゅぎ)的な一面もある。

 三対の逆三角形、という意匠のマークがあり、これみよがしにあちこちにこのマークが入っている。

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