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ソラは腰をかがめると、巡空艦の小窓から広大な眼下を見渡した。巡空艦の壁際には丸い小窓が並んでいて、おおよそ自分の顔の半分ぐらいのサイズで外界の景色が切り取られて見える。地上から見れば天高くに浮かぶ薄い雲は、もはや眼下に広がり、白く灼けた砂漠と岩だらけの荒野という生命の息吹を感じない光景が広がっている。
そしてその奥=今まで見てきたどの川よりも大きな大河が大陸を切り分けるようにしてあった。対岸が見えないせいで川だと知らされなければ海だと錯覚してしまうくらい。
連邦の人々がただ“壁”とだけ呼ぶ名のない大河が、こちら側の白い砂漠と、あちら側の真っ黒な砂の砂漠とを隔てていた。
黒いインクを白い布に垂らしてしまったかのような、そんな光景。そしてこの「無」とも言える光景を作り出したのがヒトだということも、恐ろしさが湧いてくる。
「あれが唯一大陸の東側」
「うん、そう。わたし、あっちからきた。“壁”から向こう側はぜんぶ国家」
となりにいるアーシャは、藍色の肌に深い紺色の瞳だった。そして珍しい黒髪でまっすぐな髪だった。ヒトと同じ種類のはずだが、違う部分も多かった。アーシャの肩では緑色の軟体動物が揺れ、アーシャが「ポポ」と呼びかけるたびにぷるぷると揺れて反応する。
アーシャと目が合うとニコリと微笑んでくれる。そして聞いたことは必ず答えてくれる。でも相変わらず国家という概念がわからない。州じゃだめなのか。
「生き物の気配が全くない。ここに住んでいるヒトがいるの?」
「寿少佐に伝えたことで全部。国境……むぅ“壁”に駐留している兵士はいるけど、街はない。わたしたちが住んでいるのはワング=ジャイ。ただそれだけ。ここからもっと東の、大陸の真ん中にある」
アーシャもソラと並んで丸い小窓から外を眺めた。巡空艦の進路はさっきまでずっと東に向かっていたが、いましがた大河に沿って北へ進路を向けた。目的地までもうすぐ。
針小隊の5両の可変戦闘車は巡空艦──戦術輸送艦の貨物室にがっちりと固定されて乱気流で船体が揺さぶられても不気味にロープがきしむ音が聞こえるくらい。それぞれの可変戦闘車は、各隊員の専用機で外見はそれぞれ異なっているが、それにもまして個性を表すためにノーズアートが描かれていた。ソラの機体は、優美な胡蝶蘭と挑発的な黒豹のトリックアートだった。
ソラ自身で考えた意匠じゃない。財団の雇ったデザイナーたちが勝手に仕上げたものだ。最初こそ、兵器に絵を描くことに違和感があったが、今ではしっくりきている。
針小隊たちを運んでいる輸送艦は、攻撃型の巡空艦とは違いずんぐりとした体型で自衛火器程度しか積んでいない。しかし戦術輸送型とあって、かなり高価な備品の艦は第3師団が5隻しか所有していない虎の子の1隻だった。通常のプロペラ推進だけでなく、銃弾を浴びながらでも急速離脱できるよう固形燃料ロケットブースターが下向きにいくつも取り付けられている。船体は小さいがこうして小隊規模の特殊戦部隊を前線に速やかに送るのに適している。
5両のジャガーに加え、変身したアーシャが握る分厚い戦斧が2つ、ジャガーの予備部品と燃料、そして整備士たちと調整員たちも同乗した。普段は後方勤務のスタッフたちなのですでに顔が青い。
カンカンカンッ。
上の甲板の士官室から寿少佐がタラップを降りて現れた。
「さあみんな、集まって。最終ブリーフィングの時間よ」
寿少佐は、普段だったらきっちりとした軍服を身にまとい軍人というより政治家のように見える服装を好む。だが今、前線指揮とあってはそうもいかない。地味なカーキ色の戦闘服で、いつもの黒いハイヒールに変わり鉄心入りのブーツだった。ヨシギのような下士官と違う点をあげるなら、真新しい戦闘服はシミもシワも見て取れないという点だった。
「全員、気をつけ。少佐殿のご登壇である」
ヨシギ隊長はわざとらしく、そして仰々しく敬礼したが寿少佐にはとっくに見抜かれて苦笑されただけだった。
可変戦闘車を背に寿少佐が立ち、その周りを小隊メンバーが囲んだ。ニロ、フェイフェイそしてアヤカも現れた。全員が操縦士用のぴっちりとしたスーツを身につけている。それでも空の上の寒さが堪えるので、各々がマントを背中にかけたりだらしなく戦闘服を着ていたりしている。
寿少佐は、指紋認証でブリーフケースを開けると、その内部から立体映像が浮かび上がった。個人通信端末のような視差を使ったのではない、よりはっきりとした映像だった。
「もう覚えているでしょうけど、これが戦闘地域の全体図よ。フフ、どんなお馬鹿さんでも覚えられるわね」
電子スクリーン上では、地形と呼べるものが3つだけ。大河と、そのいちばん細くなっているところにかかる鉄橋。そして古い町の残骸。何百年も前に破棄された天文台基地だけだった。その他はなんの遮蔽物もない平らな砂漠だった。
「……で、これが15分前に更新された最新の戦況図。現在、第3師団の第1偵察大隊と支援隊の第4歩兵大隊が展開中。本当は威力偵察だけのはずだったのだけどもはや大火事ね。だからあなた達を呼び寄せたというわけ」
電子スクリーン上では光点が点滅し、敵味方の配置がわかった。友軍は撤退しようにも車両を破壊され、さらに巨獣に両翼から回り込まれている。歩兵たちは破壊された車両の残骸や、空中投下型の簡易バンカーに身を伏せている。そして鉄橋の上、連邦側の領域まで敷かれた4本のレールの上に作戦の攻撃対象がいた。
「あなたたちはこの後、巡空艦からの緊急低高度展開により戦域に突入、そして超長距離列車砲、通称“ズットロブ”を破壊します」
「正確に発音すれば、ズットヴであります、少佐」
アヤカが間髪入れずに声調アクセントを訂正した。眼光が鋭い。むしろ瞳に光が灯っていない。あと少しで除隊して大学院に進学だというのに、戦地に駆り出されてからずっとこの調子だった。
「その昔話は聞いたことがあるぜ」ヨシギが調子に乗ってソラの肩を掴んで「知ってるか? ズットロブはブレーメンの戦士の名前だ。誰よりもでかくて長い剣を持っていた」
「長ければ強いというわけでもないですが」
ソラは背中のベルトできつく縛ってある2振りの刀に触れた。指先がじんわりと暖かくなり、思考もクリアになる。
「まあなに、俗称なんだが。そいつの剣はデカくて長くて硬いんだ。それはつまりナニが──」
しかしみなまで言い終わる前に寿少佐が咳払いした。
「ヨシギ・コウ、仕事中にそういう下品な話はすべきでないでしょう。しかも“レディ”がこんなにいる中で」
この中に本当の淑女がいるかどうかは疑問だったが、寿少佐は電子スクリーン上を指さして説明した。
「歩兵大隊はここと、こことここ。分断されていますが我が隊は戦場をまっすぐ横切り“ズットロブ”へ向かいます。重ねて言いますが、あなたたちの作戦目標は“ズットロブ”の破壊であり友軍の救助はその後です」
きっちりと言われた命令に、ニロもフェイフェイも不安そうに顔を見合わせた。
「今は、プロに徹するんだ」ヨシギもまじめに戻って、「兵士は覚悟ができている。それが、確実に死ぬような作戦であってもあとに続く仲間の布石になるなら斃れるまで奮戦する。つらいかもしれないが、仲間の屍を乗り越えなければならない。じゃないと、もっと死体が増える」
「さすがね、ヨシギ・コウ。歳の功だけあるわ。“ズットロブ”は連邦まで鉄道で来ている。これが破壊できればいくらでも増援が送れるわ。ヨシギ隊長とソラ君は工兵隊謹製の梱包爆薬を左腕に装備。これを“ズットロブ”に仕掛け離脱します。テルミット爆薬だから巻き込まれるということはないですが、砲弾の誘爆には注意してください。砲身と尾栓、最低でもどちらか1つを破壊できればこちらの勝ちです」
「長射程の大砲なら、この輸送艦も危ないのでは?」
ソラが遠慮気味に手を上げた。
「安心して。高速目標には対応できないみたい。口径は3尺(1000mm)もあるのだけれど、動きは遅い。それでも陸上部隊の補給ルートをやってくるトラック部隊を叩くには十分の精度がある。そしてこれ以上鉄道が伸びれば前線基地も射程に収めるかもしれない。今ここで、倒さなければならないの」
なるほど。
「敵の情報が大雑把すぎないか? “ズットロブ”の構造情報も、超望遠で撮られたこの写真1枚じゃ」
しかもデジタル写真のせいでノイズがかかり、巨大な砲身らしき構造以外は判然としない。
「そこは、あなたお得意の出たとこ勝負で。あの夏季演習のとき『作戦は無し、出たとこ勝負だ』ってあなたが宣言したの、まだ夢に見るの」
「あーまたその話か。あのときの演習は勝ったんだから文句ないだろうが」
ヨシギは面倒くさそうに、タバコが入っているポケットを撫でた。艦内はもちろん禁煙だったせいで気が短くなっている。
「他に質問はあるかしら?」
するとソラの隣で、アーシャが細い腕を真っ直ぐ上げた。
「ソラは私の男でいいですか」
「えっと、その。アーシャちゃん?」
「もらってもいいですか」
ソラは恐怖のあまり視線をアーシャに向けられなかった。ニロもフェイフェイも、そしてアヤカも射殺せそうな鋭い眼光を、アーシャとソラに向けた。
「えへん」ヨシギが咳払いをすると、「お盛んな年頃なのはわかってる。だがすこし状況を考えたらどうだ」
「考えたよ。考えたから言ったんだよ! 大きな戦いの前に好きな人に思いを伝えるのは、ふつうでしょ」
アーシャの高らかな宣言は、轟々と煩い艦内の騒音に負けないほど大きかった。
「告白? まじで言ってるの?」真面目な仕事モードのニロが普段のスケベモードに戻る。
「つーか、死亡フラグじゃん」フェイフェイもつっけんどんに言い放つ。
「勝手にしたら。馬鹿みたい」アヤカは唇を震わせ、自身の可変戦闘車へ歩き去ってしまった。
この感じ。自分が大きな失態をしでかした時みたいな、冷たい汗と熱い血の流れを感じる。何もしていないはずなのに。これからの一挙手一投足に気を配らないと手錠をはめられて牢屋送りになりそう。
じわり。ソラは視界の端にアーシャを捉えた。
「好き!」
ど直球な言葉が、鼓膜を揺らした。文字通り、大きな声だった。むしろほぼ叫び声。ニロもフェイフェイも口笛を吹いて囃し立てる。一方でアヤカは──いま拳銃を持っていなくてよかったと安心できるぐらい気色ばんだ表情だった。
「ヨシギも、寿少佐にちゃんと『好き』って伝えるべき。このまえ言ってた『あいつは放おっておくと』……」
「だぁっ、ばか。いうんじゃねえ。これは命令だ」
命令と言われたら従わざるを得ない=アーシャの兵士たる本能。
しかし当の寿少佐は、嫌な顔をするかと思ったら余裕の笑みだった。
「いい、アーシャちゃん。大人の恋愛はね。好き好きって言うばかりが恋愛じゃないの」
どよめく一同/いらいらのヨシギは癖のようにタバコを取り出して口に加える。火気厳禁の艦内で火はつけないまま。
「えっと、これはこれは、プロポーズではもしや」ニロが色めきだつ。
「あたしたち用の男の配属はまだですかー」フェイフェイが不満げに。
「フフ。あなた達を1つの部隊にまとめて正解だったわ。さて、もう予定時間を過ぎている。各員、速やかに搭乗を。ただ、もうひとつだけ私から。本来、こんな危険な任務は大人だけですべきもの。それをあなた達に押し付けてしまった。だからお願い。無事に帰ってきて。勝手なお願いばかりだとわかっているけれど、この作戦が唯一大陸における最後の戦争。ヨシギ・コウ、頼んだわよ」
「ああ、わかってる」
渋みを増した大人のいらえ。
小隊員は三々五々、自分の機体へブーツ底を鳴らして歩いた。入れ替わるように最終調整をしていた調整員たちともすれ違う。
「お疲れ様♪ 突然の告白劇にお姉さん、どきどきしちゃったよ」
ソラの可変戦闘車専属の調整員ルナがニコニコスマイルを振りまいた。この寒い貨物室にありながら、整備服の半分を脱いで腰に結んでいる。両腕と側頭部には計測機器が配線をぶら下げたまま巻き付いている。
「むぅ。ソラはわたしのだから」
アーシャは、ソラを胸の中へ引き寄せた。身長はアーシャのほうが高い分、本当に人形のように扱っている。
「あちゃー。そのお乳なら負けても仕方ないか。あはは♪」
ルナはあっけらかんと笑っていたが、ソラは深刻そうで、
「いや、ちが。僕はまだ何も!」
「はいはい。お姉さん、わかってますから♪ 可変戦闘車の方はばっちり調整済み。ま、わかっていると思うけどこの増槽に被弾することは避けてね」
ルナがスパナでこつこつと巨大なタンクを叩いた。ジャガーの推進機は、全速力の加速なら10分で内蔵燃料を燃やし尽くしてしまう。なので、戦闘区域外から急速接近する際は増加燃料槽を積んで走り、会敵の直前にパージする。
「当たったら、やっぱり月まで吹き飛びますか」
「んー。ゆーて暖房用の灯油と同じような成分だからなぁ。突然爆発はしないけど、火だるまにはなるかな。スペック上では装甲の耐熱温度以下だけど断熱性能はさほど優秀じゃないから」
そんなのごめんだ。
「気をつけるべきはむしろあっちのほう」そう言ってルナは指差すと「アーシャちゃん用の斧、それと敵味方識別マント。これが曲者でね。これを巻いたまま走行して、操縦にどう影響が出るかなんてもちろんデータがない。操縦補助AIの介入はあえて停止して、ソラくんの腕と勘次第って感じ。ちなみの今日の風は南風で強風。気をつけてね」
「はい、了解しました」
変身したアーシャのためのマント──というより駐屯地の倉庫にあった青い横断幕をそのまま持ってきた。姿かたちの似ている巨獣と誤射しないように、というアイデアだった。
訓練と同じ通り、ソラは狭い操縦席に収まった。その後席では、操縦教練のとき指導者が座る仮の座席がアーシャのために用意されていた。彼女の肩ではポポも嬉しそうに揺れている。
「電源、よし。OS起動、よし」
電子スクリーンに『義式』とOSの名称が堅苦しいフォントで浮かび上がる──にわかに記憶が思い出される。義式はニケ翁の名前の一部だ。なにか関係があるのか……今度聞いてみよう。
通信担当のニロ機からのデータリンク開始/偵察機からの情報を受信/戦場の地図、各機の現在位置が位相電波で最適化される。
いよいよ戦いのとき。腰に下げた2振りの刀に触れると、血が沸き立ち指の先まで熱がこもるのに頭は冴えきた。戦場のどこまでもを見通せ、敵のどんな動きも見逃すことはない。
ぎゅっ。
後席に座るアーシャがソラの体に腕を回した。藍色の肌に触れてみたが、細くて冷たい。ソラは声をかけようと口を開きかけたが、それはブザー音でかき消された。
作戦開始。頭に投影バイザーをつけると、頭の動きに連動して車外カメラも連動して動く。輸送艦のハッチが開き、高度がぐんぐんと下がる。遠くに見えていた地平線が消え、荒涼とした砂漠が近づく。貨物甲板では赤い回転灯が点滅し作業員が撤収する。ジャガーを拘束していたベルトが解かれる。
『各機、反重力機構 始動』
ヨシギ隊長からの合図。青い光を帯びて重厚な車体がぐわりと浮かぶ。推進機も予備始動/タービンブレードが回転し始める。
輸送艦は地上スレスレを飛行=艦尾をわずかに下げ貨物甲板が傾く。それと同時に赤い回転灯が緑に切り替わる=作戦開始。
まずはヨシギの機体が前後逆で滑り出す。続いてアヤカ機、そしてソラの機体の番が来た。がちゃり──足元で金属質な重い音が響き同時にマイナス方向への加速度が襲いかかる。瞬く間に空中へ躍り出て軽い衝撃で体が揺さぶられる。
「エンジン始動。出力最大!」
推進機のタービンブレードが超高速で空気を圧縮、燃料と混合し爆発的な推進力を得る。AIの診断で各部異常なし/目視でもアナログ計器を確認=増槽からの燃料供給は問題なし。
輸送艦から吐き出されるように、ニロ機とフェイフェイ機も地上へ落下。同時に輸送機はロケットモーターに点火=急速上昇で戦場からみるみるうちに離脱した。
その時、艦体を赤く光る曳光弾がかすめる。予定では敵の射程圏外に着地するはずだったのに。
そしてにわかに空気が割れ、超音速の砲弾が艦体をかすめて飛び去った。薄い一筋の雲を割って輸送艦が上昇する。
「あれが列車砲! ぜんぜん狙えてるじゃないか」
そして砲弾は空中で炸裂した。輸送艦に影響の出ない距離だったが、閃光に遅れて爆豪が届く。
『各機へ。編隊走行を』ヨシギ機からだった。『事前情報と全く違う。“ズットロブ”は巡空艦も狙い撃てるし時限信管まで付いている。そう当たるとも思えないが、あの分だと近接信管も持ってそうだ。急ぐぞ。各機、出力最大』
小隊はヨシギ機を先頭に魚鱗の陣で真っ平らな砂漠を突っ切った。投影バイザーに表示された情報で速度がぐんぐんと上がり、変わって燃料の残量値も目にも止まらない速さで減っていく。推進機の後部から青い炎が伸び、5機の可変戦闘車が通った後には真っ直ぐな砂埃が舞う。
はるか前方では細い煙が青空へ幾筋も伸びていた。あの煙の下では命のやり取りが行われている。戦争とはそういう唯一かけがえのないモノの奪い合いだ。そう思うと恐怖心にとらわれてて足がすくんでしまう。
戦いは楽しい。でも楽しさの側面は力で奪い奪われる。そして奪うからこそ、楽しい。
この状況でアーシャはいつもより気丈だった。
「大丈夫、緊張しないで。ソラは私が守る」
「でも!」
言い返そうと振り向いたが、アーシャは揺れる車内ですでに服を半分ほど脱いでいた。
「ふふふ。ソラ、顔が真っ赤」
「脱ぐなら脱ぐってそう言ってよ」
「言ったよ 脱がないと変身するときに服が破けちゃう。私のパンツ、すごい高いやつなの」
わかってるけどさ。
ソラは正面を向いて操縦桿を握りなおす。ルナがいった通り、機体に巻き付いている布のせいで舵取りが安定しない。急な横風なら補助AIが緩和してくれるが突風が逆向きに吹くと逆操舵で調整しなくてはいけない。
「ね、さっきの話だけど」
体──へそのあたりにアーシャの腕がまとわりつく。すでにポポと融合して準備ができている。
「つまり、僕にどうしろと」
「こ・い・び・と。私の恋人になって。それでね私、こどもがたくさん欲しい」
「やっぱり、もっと落ち着いた時に言うべきじゃないかな。そういうのって」
「もう。死んじゃうかもしれないんだよ。思いを伝えないと後悔しながら死ぬんだよ。ヒトはいつ死ぬかわからない。だから毎日、好きな人には好きって伝えなきゃだめなの。わかるでしょ」
語気が強い上に喧嘩口調。
「でも、子供がほしいって、僕はブレーメンだからヒトとは子供が作れない」
「確かに。考えてなかった。でも別にいい。ソラ、もう拒否する理由がないよね。恋人になるよね。私はいい女だから」
「う……そこまで言うならわかったよ。こちらこそ、よろしくおねがいします」
──途端に音割れするほどの音量で僚機から囃し立てるような野次と口笛が届く。しまった/作戦中はレーザー通信が起動中。
『いいねぇいいねぇ、面白くなってきた』
フェイだった。
『あーあ。私もいっしょに可変戦闘車に乗ってくれる男、ほしいな。揺れる乳を抑えてくれる役目。揺れて痛いんだよね』
ニロだった。
『おめらーな。仕事中は集中しろよ』
昼行灯なヨシギも、さすがに沸騰寸前。
『だって。戦争だか政治だか、あたしはよーくわかんないけど、一足早い夏休みにたくさんのお金に、わくわくするっしょ』
フェイフェイの返信──確かに、荷物の中には1ヶ月分の夏休みの宿題が入っている。
『うへ、フェイ、容赦ないなぁ。一応、相手はヒトだよ』
ニロがすかさず返事した。
『でもでも、テウヘル化してたらもうヒトじゃないよね。遠慮なし。機関砲弾でずたずたにするのみ』
『私はフェイと違って一撃必殺。人道的でしょ?』
殺し方に差異はないはず。
「私は斧で叩き割る。わくわくしてきた」
アーシャも対抗心むき出しで前のめりになった。
「僕は、なるべく痛みの無い方がいいな。痛み、感じるんだよね?」
「うん。ちょっと。でも一般兵はわからない。足から血、流したまま歩いてたし」
殺気立つ一同に、ヨシギも無言を貫いていた。
前方を走るアヤカ機=菫のノーズアートが操縦席あたりの装甲板に描かれているのが見えた。優等生らしく安定した操縦、通信に軽口を挟まず。背中に背負う滑空砲はまっすぐ巨獣の群れに向いていた。
『会敵―20。各機増槽をパージ』
ヨシギ機からの通信=ソラは座席の左右にあるレバーを思い切り引っ張った。機械的な動作音がカチカチと聞こえ、燃料タンクが投棄される/機体が軽くなってぐわりと前へ揺れる。
『戦場に突入する。どこも混戦だ。僚機を見失うなよ。散開!』
まずはニロ機が編隊走行を離脱/廃墟の天文台にウィンチを射出して登る。車体がにわかに変形し、4本足のアウトリガーが天文台の屋上に突き刺さる。そして速射砲で戦場をにらみつつ光学観測を開始。
ツーマンセル+1/第1小隊のヨシギ機とソラ機&アーシャが先行。
ツーマンセル/第2小隊のアヤカ機とフェイフェイ機が左翼へ展開。
砂漠の戦場は、あちこちで巨獣の緑の鮮血で染まっていた。歩兵部隊は簡易な遮蔽物から集団で長大な電磁加速ライフルを構えて一斉射で巨獣を狙い撃ち、倒していく。しかし、黒焦げにそして潰された陣地もあちこちにあった。
先頭を行くヨシギ機とソラ機/それを機関砲で狙う巨獣=しかし即座に側頭部が弾け飛んだ。
『こちらニロ。“ズットロブ”の観測データを送ります。AIちゃんが精査したところによると、自衛用に速射砲が正面に4門、側面に2門あります。気をつけて』
続けて4発の狙撃/砲撃の到来=ニロは再装填に入る。
作戦開始。
ヨシギ機が変形=格闘姿勢に移行してテリチウム製の棍棒を5本の機械手で握る。即座にすれ違いざまにテウヘルの上半身を吹き飛ばす/まるでヤンキーのアイスホッケー。
ソラ機=まだ走行姿勢のまま/アーシャの斧を背負ったままでは格闘姿勢へ移行できない。重迫撃砲が敵を追尾=榴弾を発射/再装填。テウヘルの突撃部隊を鈍らせて友軍陣地を援護。
ちらりと足元を見ると、友軍陣地を通り過ぎならが皆に歓迎されていた。命が救えた/同時に命を奪うことで。
『正面、“ズットロブ”だ。クソでかいな。距離感が狂うぜ』
確かに──その映像を見ているアーシャもだんまりのままだった。
列車砲というからには、ディーゼル機関車に大砲が生えているというイメージだった。しかし目の前の鋼鉄の巨大構造物は、巨大砲を列車で無理矢理に引っ張っているだけという印象を受けた。
4本のレールにまたがって台座があり、上空を向く巨大な砲身は、斜めに傾いた漆黒の塔を思わせた。テウヘルが装填のために動き回っていたが、砲台の巨大さ故にほんの小人のようだった。
「発光?」
ソラは、ブレーメン持ち前の反応速度と勘でスロットルを微調整/わずかに機体を右へしかし車体の向きは左へ=敵に進行方向を錯覚させる小技。
たちまち小さな爆発がソラ機の周囲で勃発し車体が砂をかぶる。嵐のような速射砲に襲われる。何発か食らったが装甲板で止めることができた。
「ハッチ開けて。私がやる!」
ソラの後席にいたアーシャが、ぐいっと体をねじ込ませて勝手に計器を操作──そのうちのハッチ開閉ボタンを押し込む。そして慣れた手付きでAIの警告表示を無視。
「待って! まだ敵の砲火が激しいから」
しかしソラの声は風切り音にかき消され、猫のような身軽さで全裸のアーシャが車上に立った。同時にAIの警告表示=「重量過多」
胡蝶蘭と黒豹のだまし絵のノーズアート、その真上で巨大な巨獣が立っていた。両手には分厚い戦斧があり、首周りに敵味方識別用の青いマントが翻った。細い下半身とは裏腹に、逆三角形の上半身は強烈に張った筋肉が震えている。
テウヘル/アーシャは赤い瞳で真正面にそびえる敵を見据えた。飛来する砲弾も銃弾もひょいとかわしたり、分厚い戦斧でいなしている。
テウヘル/アーシャが飛んだ──着地と同時に3匹のテウヘルを相手に余裕の立ち回りだった。あっけなく切り結んだ後、小隊を追いかけるように走ったがジャガーの速度に追いつくまでだった。
ソラ機も変形機構がこれで動作可能/格闘姿勢に移行しつつ、立ちふさがる巨獣を短剣で斬り伏せ、重迫撃砲の散弾を食らわせる。
「第2フェーズ。“ズットロブ”に取り付く』
『了解。こちらアヤカ。援護開始』
左翼に展開していた第2小隊──アヤカ機とフェイフェイ機が前へ出た。有視界距離での滑空砲攻撃は、テウヘルの機関砲兵を陣地ごと吹き飛ばした。
『どけどけっ♪ いい巨獣は死んだ巨獣だ』
フェイフェイ機の苛烈な機関砲掃射。“ズットロブ”の速射砲攻撃をものともしない/被弾も爆発反応装甲で堪える。テウヘルの集団を一瞬で撃ち倒してしまった。テールスライド気味に曲がりながら、盾持ちのテウヘルの背後へ機敏に曲がり打ち倒す/5秒間の掃射で弾倉が空/再装填に入る。
『こちらニロ。“ズットロブ”が射撃体勢に入りました』
『ちくしょう。寿たちはさっさと退避したんだろうな』
にわかに爆豪。
もうもうと砂埃が立ち込める。戦闘補助AIがカメラを赤外線探知へ切り替える。たちまち視界が白とグレーの世界に。まだ敵の守備隊は健在だったが、その間を縫って影が素早く移動する。アーシャの被るマントは赤外線を反射する素材を貼り付けてあるのでよく見えた。
『ソラ、俺たちも行くぞ』
「りょ、了解です」
操舵ペダルを一気に踏み込む=全速力で前進。
ニロ機のようなワイヤー射出機能はないせいで、どう登ろうか思案したが、ヨシギが巨獣兵用のはしごを見つける。機械手で手すりの両端を器用に持つと、反重力機構の出力を上げするすると登っていく。
『援護射撃』
「わかってますよ」
散弾を連続発射。砲台の上で火花を上げて散弾が跳弾しまくる=ヨシギ機に気づいたテウヘルを牽制。一方のアーシャは身軽に砲台の台車に飛び乗り、ややあって速射砲が根本の回転機構ごと引っこ抜かれて落ちてきた。
『ソラ、いい援護だった。台車の敵は片付けた。残りの兵士はアーシャが対処している』
「わかりました。すぐ向かいます」
ソラもヨシギと同じ要領で台車に登った。台車の後ろ半分は弾薬庫で、前半分が砲身の後退を抑えるショックアブソーバーだった。どれも巨獣が運用するだけあって巨大だった。弾薬を運ぶトロッコのレール脇には、3尺(1000mm)の砲弾と白いマシュマロのような装薬が散らかっている。
ヨシギ機は巨獣の砲兵の頭を棍棒で叩き割ると、なかば空いたままの尾栓にテルミット爆薬を詰めるところだった。
一方のアーシャは、砲身の真下で手を組んで、こちらに来るようにと合図を送っている。無線機が使えないが、その意図ははっきりとわかった。
「可変戦闘車はそういうふうに作らえていないんだけどな」
しかし迷っている暇はなかった。
加速開始。そしてタイミングよく反重力機構の出力を最大に。
テウヘル/アーシャは、組んだ手でソラ機を真上へ押し上げた。重力を相殺中/剛腕なアーシャの力が相まって、ソラのジャガーがふわりと宙へ躍り出る。
画面に流れるAI群の警告文=「機体を壊したら承知しない」
ソラ機は砲身の上に立っていた。太い根本から先端へ細くなるその段差部分。足元を見れば地上ははるか下に位置し、目もくらむような高さだった。
操縦桿の左の副武装のスイッチを長押し/短剣のかわりにヒトほどの大きさの梱包爆薬が左の機械手で自動に握られる。慎重にかがむと、砲身に密着させる。電磁石が起動したことを確認して手を離す。メインモニターにはカウントダウン表示。
『ソラ、撤収するぞ』
「こちらも今 終わりました! 追いつきます」
一度 台車へ落下し、アーシャの後を追って砂漠へ降り立った。斧を振り回して切り結びながら進むアーシャの後ろを付いて走る。先を行くヨシギ機は止まる気配がない。
『各機へ。砲台が積んでいた装薬が思ったより多い。撤収だ距離を取れ。ジャガーでも耐えられないかもしれない』
カウントダウン=零。時間を開けて、背後で盛大な火花が上がった。AIがカメラの光感度を下げるほどの強烈な光と火花と煙が立ち上る。
にわかに、巨大な鉄の構造物の内部から爆発が起きた。閃光がほとばしり大気が割れた。光が見えたコンマ数秒後に爆豪と衝撃波が機体を襲った。
対ショック姿勢。機体を走行状態に変形/反重力機構を緊急停止し接地する。ソラ機の陰にアーシャも避難した。
爆轟で外部カメラがオフラインに。機体の外では硬いものと柔らかいものが高速でぶつかる音が聞こえる。それは横向きから下向きに変わり、爆縮のせいで逆方向へ機体が引っ張られる。収まるまでかなり長い時間が経った。
「いてて。頭をぶつけた」
ソラは耳の横を抑えながら、望遠鏡から外を確認した。さっきまで巨大砲のあった位置には燃えている鉄くずとひしゃげた線路が残るばかりだった。その向こう側の鉄橋は、橋桁とトラス構造を残して、障害物がきれいに吹き飛んでいた。
ぐるりと反対側へ視線を移す。そこには赤い瞳があって少し驚いた。
「アーシャ! 無事かい?」
ハッチを開けてソラは外へ出た。機体の表面は素手で触るにはまだ熱く熱せられたままだった。のそりと起き上がる黒い巨体。青いマントを肩にかけ巨大な戦斧を持つ巨獣。体のあちこちに切り傷や銃弾のうがった跡があり緑の鮮血がどくどくと流れ出ている。しかし戦意は衰えていなかった。
『もしもしーニロですが』通信が回復すると『作戦本部より、作戦は成功とのこと。敵兵団は“壁”の向こう側まで撤退した模様。私たちは撤収しろとのことです。あ、そうそう、隊長、寿少佐は無事ですって』
『ったく、言わなくてもわかってるって。この俺が、あいつを? 心配する? んなわけないだろ。死んでも死なないやつだ、あいつは』
仲がいいんだな、ふたりは。
アーシャに告白されてしまったが、あのふたりだったらプロポーズになるのだろうか。戦いのあと、どちらから話を切り出すか、どちらから話をしてもおもしろそうだ。
物語tips:敬礼の所作