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ブレーメンの聖剣 第2章 慟哭(どうこく) 下 (上下2巻)  作者: マグネシウム・リン


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 今日の仕事はテムさんと散歩だった。朝もやのあるうちに隠れ家を出て中央区までやってきた。出勤ラッシュでごった返する歩道を2人並んで歩く。今日のテムさんは黒い革のロングコートで、ソラはグレーのフード付きコートを頭からかぶっていた。

 他の一般人といっしょに軽作業をしたり、軍人たちと作戦立案をしたりしたかった。しかし朝 起きてから いの一番でテムさんに偵察任務に連れ出されてしまった。

「何だ、偵察と情報収集だって十分に大切な仕事だ。アーシャといっしょがよかったか? 隊長と一緒に隠れている兵士たちを探す役目だ。お前には無理だ」

「僕らに合流してくれる兵士は多いんですか」

「だいぶ、な。国家防衛局の大粛清(しゅくせい)を皆 根に持っている。転送装置を使って大失敗したのはあくまで上層部の責任なのにどうして内地勤め全員が殺されなきゃならないんだ、って」

 粛清とは聞こえがいいが、要は罪もない人々が邪魔だという理由で殺されたということだ。『将軍』に忠誠を誓う防衛局が一掃されるなんて───

「変じゃないですか。防衛局が粛清されたということは『将軍』の怒りをかったとかそういう理由じゃ」

「それも一理あるかもしらん。『将軍』の意向に反した戦略だった、とかな」

「テムさん、防衛局にツテがあるんですよね」

「残念ながら上層部とは折り合いが悪かった。カールスバーグ隊長含め、俺達は土の運搬でも十分 ヒトの役に立っていると思っている。だがタカ派の連中は本来あるべき軍人の姿に戻るべきだと息巻いていた」

「たとえば、無茶な作戦にカールスバーグ隊長が怒り、上司の顎を砕いたとか」

「ふん、察しが良いな、ソラ。連邦領内へ兵員を輸送する任務は神経をすり減らすだけでおもしろくない、と隊長が会議室で局長を殴った。おかげで隣りにいた俺も連帯責任で20ヶ月の減俸だった」

 そのときの会話が想像できたのでつい笑ってしまった。

「中央で仕事をしている、ということはかなり上の士官だったんですね」

「書類仕事のときだけさ。大抵は砂漠の駐屯地かあのダムの廃墟だ。俺が予算の見積もりや稟議書(りんぎしょ)を作り、カールスバーグ隊長がサインをする。手書きのみ、少しの誤字も許されない。紙は貴重な資源だというのに、度々提出しなきゃならない。つまらない仕事さ」

「フフ、ヨシギ・コウ隊長、僕の隊長と同じですね。書類仕事が大嫌いで禁煙の駐屯地でヒトの目を盗んでタバコを吸って。僕、よく機体を壊していたのでそのたびに嫌いな書類仕事と嫌いな上司に会って……」

 懐かしい気持ちのはずなのに、胸が詰まってそれ以上話せなかった。流したくないのに涙が止まらない。

「いい隊長だったんだな」

 テムさんも、コートのポケットに隠れている翠緑種も、おちょくることはしなかった。

「僕を拾ってくれたのも隊長でした。無知な僕を説得してくれて自分で生きる希望を見つけることができた……僕、きちんとお礼を言うべきだったのに」

 かつての仲間たちの姿が涙の粒の中に現れては、粒が地上に落ちて消えていく。もう2度と会えないなんて。ずっといっしょの仲間だと思っていたのに。

「少し、ここで待っていろ」

 テムさんは、ソラを電柱に立てかけると、急ぎ足で近くのドリンクショップからよく冷えたお茶を買ってきてくれた。礼を言ってから一口飲むと、少しだけ気分が落ち着いた。

「隊長、というのは棍棒をブンブン振り回す彼か? 君たちの部隊は要警戒と研究と分析がされていた。もちろん、勝つのはカールスバーグ隊長だ。だが、いい兵士だ。いい兵士というのは敵であると同時に敬意すべき対象でもある。いい隊長をもったな、ソラ」

「ありがとうございます。カールスバーグ隊長も、いい人です」

「ああ、そうだ。言うまでもない。あれだけ美しい女性はこの世に2人といない」

「……やっぱりそういう関係?」

 恋愛のタイプが一般人のそれとかけ離れている。

「俺が勝手にそう思っているだけだ。仕事に私情を挟むべきではない。年寄りの叶わない恋路より、君たちはどうなんだ? アーシャとはどこまで済ませたんだ。せっかくふたりのだけの個室も用意してやったのに」

「すぐとなりが家族の部屋ですよ。できるわけないでしょう!」

「そうか。実はゲイだ、とか?」

「違います。もちろん、アーシャのことは大好きです」

「婚前交渉は嫌ですってか。どんだけ奥手なんだ」

 テムさんは笑って、歩きだしてしまった。飲み終えたお茶の容器は“この街”の流儀に従って道端に投げ捨てた。

「アーシャの強さの秘訣は、何だと思う?」

「性欲、ですかね。名君好色(ヴェックハオバイ)

 ブレーメンの哲学を諳んじてみたが、テムさんは首を横に振った。

「真面目な話だ」

「天才。戦いの才能があるとしか。闘争本能、判断能力、平常心、勘がいいとか。あと運も」

「覚えておけ、ソラ。天才ほど努力をしている」

「はい」

「ヒトとは、学ぶ時間は限られている。生まれ落ちてからおおよそ20年ぐらいか。ヒトはありとあらゆることを学ぶ。靴紐の結び方、知らない人間との話し方、時計を見て計画を立てたり、ヒトとの約束を守ったり。俺の家族は上流階級(アッパー)で大学も出た。カールスバーグ隊長は、経歴は知らないが士官学校を出て200年前の翠緑種適合試験の被験者だった。エリートだよ」

 話の終着点が見えないので、テムさんの話を待った。

「アーシャは、生まれてからずっと戦いしか学んでこなかった。まるでブレーメンの戦士のように。久しぶりに会ったアーシャが文字の読み書きができるようになっていて驚いた」

「教えなかったんですか?」

「教えようとしたさ。兵士にするにはあまりにも若すぎる。だが、俺が勉強を教えようとする度に嫌がって逃げるんだ。ライガやトーシャが戦闘技術を教えるときは目を輝かせるのに」

「なんとなく想像できます」

「面白い話がある。アーシャが俺たちの隊に来たのは10年ほど前だ。で、隊の慣例でカールスバーグ隊長は新人を、男だろうが女だろうが喰う(・・)

「えっ、それ犯罪でしょ」

「大丈夫だ。アーシャはまだ処女だ」テムさんは咳払いをして「アーシャは隊長をひどく拒絶してな。それで大喧嘩になった。夜に物騒な物音がして、俺達が宿舎のテントから出たら互いに巨獣(テウヘル)化してステゴロで喧嘩していた」

「その時のアーシャ、8歳ぐらいですよね」

「8歳だろうが100歳だろうが、テウヘルの大きさは同じだ。俺たちも止められず、朝になってようやく収まった。アーシャは手足をもぎ取られていた。だが隊長も片腕をもがれていた」

 ソラは面白い話とは思えず顔をしかめた。

「だが、カールスバーグ隊長は笑っていたんだ。その出来事以来、アーシャは隊長の“右腕”を務めるようになった。強い上にあの純粋さだ。上司の寝首をかく、というのは前線じゃよくある話だが、アーシャは決してそんなことをしない。純粋に戦いに興を覚えている。それ以外の楽しさを知らないんだ。ところでソラは、命乞いをする敵を殺せたか」

「命乞いをする敵も容赦するな、ですよね」

「そうじゃない。ここに来る以前の話だ」

 思いを巡らせてみれば、たぶん2種類ある。テウヘルがヒトだと知る前と知った後だ。知る前なら、彼らは荒野に現れる害獣であり倒すべき敵だった。ためらうわけがない。知った後は、ためらっていたはずだ。ニロやフェイフェイ、アヤカのように引き金は引けない。

「命乞いする兵士は、みたことがありませんけど」

「それもそうだ。一般兵はテウヘル化すると思考が鈍化する。命乞いなんざしようとも思わない。今度は逆の立場だ。連邦(コモンウェルス)の兵士が命乞いをしたとき、アーシャは容赦なく斧を振るった。──その顔、初耳って感じだな」

「アーシャは、もうそんなことはしません」

「彼女は普段はとぼけた顔をしているが戦いとなったら敵に容赦しない。それが家族のため、国家(ネーション)を守るためだと思っているからだ。それも、人生の学びのすべてを戦いに捧げてきたせいだ。アーシャはすっかり変わったよ、いい意味で。おそらく、君という存在が彼女の人生を変えたんだろう」

「テムさん、けっこう気遣いするんですね」

「いまさらそれをいうか? 確かに俺が言う資格はないかもしれない。あの子を大事にしてやってくれ」

「ええ、わかっていますよ」

「とりあえず、今晩は5回はするんだな」

 そんな体力、あるわけがない。

「そんな話のために歩いているんですか」

「たまにはいいだろう? 下品な話も」テムさんは笑っていたが「冗談だ。敵地の観察に来た。あっちは、この前行ったよな。国家防衛局がある。今日はその反対側だ。こっちは『将軍』と『救祖』の関連施設がある」

 同じ中央区だったが、背の高い近代的なビルは無く、古い石造りの建物が多かった。古代ブレーメン時代のものらしいが、白く輝く石材は丁寧な補修が繰り返されている。建物の出口付近では、白装飾の僧侶たちが胸の前で手を組んで祈りを捧げていた。

 テムさんは、建設中のビルに侵入し、壁のない階段を上へ上へと登った。

「さて、我々 (あお)い肌の民が愛してやまないものは、何だと思う?」

(トーン)、きれいな水、土」

「まったく、君の単純さはアーシャ顔負けだな」

 テムさんと彼の翠緑種は一緒に鼻で笑った。

「ソラ、あの塔が見えるか。壁と大きな門があるだろう。その向こうだ。『救祖』のおわす公会堂(こうかいどう)があって、その正面が礼拝(れいはい)広場だ。公会堂の後ろが『将軍』の住む、いわゆる官邸だ」

 建築途中のビルから遠くを眺めると建物の配置がよくわかった。壁、といっても軍事的なものじゃない。爆薬ひとつひとですぐに壊れそうな石積みの壁だった。丸いドーム天井の建物が隣り合って並び、その1つから尖塔が天へ伸びている。

 巡回している警備兵は数名だけ。礼装に袖を通して、儀礼的な兵士だ。門の前では礼拝へ向かう白いローブの信者たちが入場時間になるまで待っている。確かに鋼鉄製の巨大な門は半分だけ開いたまま壊れている。

「白い服の、すごい数ですね」

「あれは巡礼者だ。月に1度はこうして礼拝に訪れる。そういう習わしだ。仕事で毎日働いている一般庶民は、そんな暇 無いがな。ここ最近は『救祖』が「願いの極地」の到来は近いと喧伝(けんでん)しているせいで巡礼者でごったがえしている。ソラも「願いの極地」については聞いただろう? どういう意味だと思う」

「んー、信者を集めてお布施(ふせ)をせびるのかと」

「はっ、いいね。その程度だとありがたいんだが」

 ソラは目を凝らして建物を観察した。遠くに集中すると瞳が黄色に輝く。侵入はそう難しくなさそうだった。国家親衛隊が対処に来ても、施設は丘の上だから地の利がある。あの尖塔の上から遠くを監視をすることも──しかしソラはとっさに目をそらした。

「気づいたか」

「あの、塔です。小窓があって布がかけられているんですけど。布が風ではためいて、その下のモノが見えたんです。肉塊? ぶよぶよした蠕動(ぜんどう)する生き物だけれど、ヒトの手のようなものが伸びていて“おいでおいで”しているみたいに。あれが『救祖』ですか」

 鳥肌が収まらない。本能で嫌悪感を覚えた。

「ふっ、まさか。あれは“解放”に導いてくれる象徴だ。この世のものとは思えないが、だが皆はあの塔に向かって願っている」

「願いの極地(きょくち)、解放も。実際は何があるんです?」

「苦しみに満ちた現在=現し世で願いを続ければ『救祖』が我々を極地へ導いてくれる。それを解放、と皆が呼んでいて、巡礼者たちはその時の到来(とうらい)を待ち望んでいる。連邦の語感で近い言葉は、そうだな解放(moksha)といったところか」

 やはりよくわからない/綴り(スペル)さえ。言葉の由来はブレーメンの古語だろう。アヤカから借りた本にそういう事が書いてあった。(ア・メン)の導きによる──具体的な現象に言及がなかった。そんなの曖昧な言葉の羅列で信者を煙に巻いているだけだ。

「現実的に言えば、苦しい生活でもまじめに暮らせばいつかは救われる。そういう心の拠り所、という心理的な効果がある。どうだ? すこしはわかったか」

 テムさんは用意していた言葉を詰まることなく、話してみせた。

「うーん、虚構(きょこう)?」

「それを宗教、という。ブレーメンも(ア・メン)を信仰していただろう。同じだ。かつて獣人(テウヘル)はブレーメンの文化研究を熱心にしていた。その当時の資料は戦火でほとんど散逸(さんいつ)してしまったわけだが。連邦(コモンウェルス)の共通語では、ふむ、宗教(リリジョン)だったか」

「形のないものを信じること。信じるからモノが存在する、という因果が逆転した──やっぱり虚構ですよ」

「我らが『将軍』と『救祖』は現し世(うつしよ)の苦しみからの解放を約束している。願いの極地の到着はもう間近だ、とも。そこら中の看板に書いてあるのを見ただろう」

 よくわからない。うんうん唸っていると、テムさんも満足そうだった。

「と語って見せては見たが俺も実のところよくわからない。カールスバーグ隊長は、恨みを込めて1発殴ると言っている。俺は、殴りはしないが話をしてみたい。『将軍』と『救祖』は何を考えているのか。本当に、虚構を振りかざす宗教であるならそれでもいい。しかし宗教を隠れ蓑に良からぬ企みがあるなら、俺は全力でそれを止める」

 話はそこまでだった。ビルの建設作業員たちが増え、怪しまれる前に敷地から出た。通勤ラッシュも終わり、歩道を歩く人はまばらだった。白装束の巡礼者たちが尖塔に向かって祈りを捧げながら歩く。ソラとテムさんは薄暗い路地に引っ込んで集団をやり過ごした。

「『将軍』と『救祖』はどんなヒトなんです? 写真とか」

「無い」

「じゃあ逃げられたら……じゃなくて、本人かどうかわからないじゃないですか」

 拍子抜けしてしまった。いや僕以外は皆そのことを承知だったのか。

「会ったことはないが、フジ・カゼ将軍を見たヒトに会ったことならある。俺がまだガキのときだ。ヒトどころか生き物とは思えない姿だったそうだ」

 その名前に聞き覚えがあった。ネネとニケ翁の思い出ばなしの中ではいつも憎たらしく語られる存在だ。

「500年前、第1次テウヘル戦役が終了した後、無理に東征を強行した青年将校ですよ、それ。当時の皇や側近のブレーメンたちは、厄介払いできたと安心したそうですが。今に続く禍根(かこん)の元凶です」

「ほう、反逆の徒花(あだばな)が反逆で倒されるとはおもしろい」

「まだ、生きていると思いますか」

 生き物ではない姿、と聞くと地下で見た都市生物を思い出してしまった。あるいは翠緑種に不適合だった死なない死体。

「生きていてほしいな。できれば『将軍』の継承者ではなく直接本人に真意を問いただしたい」

「僕が聞いた話では、青年将校フジ・カゼと科学者フラン・ランは、反回帰主義という、オーランド政府の主導する文明の回帰(リセット)に反対していたそうです。あの転送装置も──旧人類の知識を利用してフラン・ランが作った」

 テムさんの考え込む姿は珍しかった。

「そうか、フラン・ラン、たしかそういう名前だったか」

「会ったことがあるんですか」

「そう()くな。この藍い肌は救祖の「祝福」であり黒い砂漠の大地でも生きることができる。現代じゃ皆がそう思っている。だが俺がガキの頃、200年以上前の話だ。そのときはまだ曖昧な話じゃなかった。「祝福」を授けてくれた者の名前がフラン・ランだったはずだ。俺のばあさんはフラン・ランを見たことがあると」

「じゃあ、救祖とはフラン・ランのことでは?」

「いや、どうだろう。今じゃ名前すら聞かない。500年も前のことだし、さすがに死んでいて称号だけが継承されている、はずだ。たぶんな。今の今まで、君が言うまでその名を忘れていた。さすが、聡明なブレーメンだ。連れてきて正解だった」

 頭の良いテムさんに褒められると悪い気がしない。

「では『将軍』と『救祖』を探し出して、そしてワング=ジャイのみんなの前で真実を語らせましょう。僕、ちょっとやる気が出てきました」

物語tips:願いの宗教

 国家(ネーション)の一般市民の生活に確実というものはない。怪我や病気があれば満足な医療が受けられず些細(ささい)なきっかけで死んだりする。

 その結果より強靭な国民へと選別されたが、そんな社会だからこそ祈り願う宗教が生まれた。それは儚い現世の拠り所であり、短い生涯を終えたあと苦楽のない常世(願いの極地)へ行けるのだ、と自然発生した民間信仰。

 天守に御座す救祖(きゅうそ)と呼ばれる教祖が存在し、いつかこの苦難に満ちた現し世を変えてくれるらしい。

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