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物語tips:侵食弾頭
500年前の第1次テウヘル戦役を終結に導いた連邦の兵器。
もともとはこの惑星に移民した人類のエネルギー源だったらしいが詳細は伝わっていない。驚異的な威力で、純度10%程度でも街1つを消し去ることができる。当時の皇は、「未来永劫 草木の生えない土地になる」とその使用に反対していたがとある将校の独断により弾道弾に載せられ8つのテウヘルの都市を破壊した。
再びカールスバーグ隊長とテムさんがラウワンのパブに現れたのは、闘技場の騒ぎから2週間が経ってからだった。営業時間中に現れた2人は、異様な雰囲気を漂わせ賑やかなパブをお通夜に変えた。
それでも、世渡り上手なラウワンは2人をVIPルームへと案内し、ソラとアーシャも同席するように促した。円形のソファにローテーブルが1つ、出入り口は分厚い遮光カーテンで遮られた。
「足の調子はどうだ?」
テムさんが席につくなり義務的に聞いてきた。
「痛みもないし骨も繋がりました。医者はギプスを外すなと言ったんですが、もう痛くないので外しました」
治療費はかなり高かったが、それでも報酬から払ってもまだトーンは余った。アーシャの家族に預け有効的に使ってもらうことにした。とりあえず、家族はこの1週間は重労働から解き放たれてゆっくり体を休めている。
「僕、心配なのがあれだけの騒ぎを起こして、警察とか軍警察に見つからないかということです」
「心配するな。俺は軍にツテがある。追手がかかることはない」
しかし──もっと驚きはカールスバーグ隊長の方だった。瀕死の重傷だったのに、今は豪快にジョッキ入りの炭酸酒を飲んでいる。怪訝そうにそちらを見たらテムさんが気づいた。
「アーシャ、カレシに怪我が治る仕組みを教えてなかったのか」
「むぅ、言った。巨獣化すると怪我が治る。いや、あのときは巨獣の傷が変身を解いたら治る、だった。その逆もある。巨獣化する前の傷も、変身して解くと治る」
「便利だなぁ。というかそんなに都合よく治る理屈がわからない」
「むぅ。わたしも知らない」
するとカールスバーグ隊長がガタンとジョッキをテーブルに置いた。空のジョッキにテムさんが金属樽から酒を注ぐ。
「こまけーことはいいんだ。玉がちいせーな、ソラ」
「知らないことを聞いただけ。それに僕は標準サイズ」たぶん=確かめるすべはない。「それで、この前の話ですけど、具体的に計画とかあるんですか」
「ある! 公会堂に突入し、救祖と将軍をぶん殴る」
だめだこの人/なまじ強いせいでそれが通用すると思っている。
「俺から話そう」テムさんが咳払いをすると「ソラもアーシャも、中央区についてはあまり知らないだろう。ワング=ジャイで一番広い区画で、幾重もの高い壁で囲まれている。壁、というより丘の上という方が正しいな。国家防衛局、内務省と国家親衛隊本部、産業工業省、資源管理省など官庁街がある。そのうち、巡礼のため市民が訪れる公会堂が狙い目だ。『救祖』はそこに住んでいる。ヒトの出入りが多いせいで壊れた門が修理されず空いたままだ。そして『将軍』が住む官邸はそのすぐとなりにある」
テムさんはテーブルに積もったホコリに簡単な地図を描いてくれた。もとはひとつの建物を改築して2つの役割に当てている。しかし警備というのは内側ではなく外側にあるものだ。その場所へたどり着くための戦いを考えると胃が痛んだ。
「なるほど。仲間の人数と、武器は?」
「歩兵に換算して第1大隊ほど集まっている。武器は全員分あるが大半は素人だ。摘発を逃れるため、分散して待機している。小隊ごとにヒトをわけ、役割を与えている。合図があれば同時に立ち上がる。それと同時に、市民の蜂起も期待している。将軍に虐げられた精鋭兵3名、義憤に立ち上がったブレーメン。これ以上の謳い文句はない。ソラ、その刀を掲げて目を黄色に光らせてみろ。誰もがお前の言葉を信じる」
「戦え、って言うんですか」
「君は殺しを嫌うなら戦う必要はない。ただ、『将軍』と『救祖』を倒した我々を支持してくれればそれでいい。自ずと市民たちも賛同してくれる」
憮然とするソラ/テムさんのサングラスが光る。
「ソラ、君はワング=ジャイの人々が置かれた状況をわかっていない」
「貧しい暮らしをしているんでしょ」
「それだけじゃない。いびつな社会体制を変えなくてはならない。権威主義、賄賂前提の行政、事業費用の中抜きをする役人、資本家は労働者をなかば奴隷のように扱う」
しかしテムさんは咳払いをして話を止めた。小難しい話になったせいでカールスバーグ隊長とアーシャの顔が曇る。
「まあいい。ソラ、他に質問はあるか。無ければ蜂起後の動きについて伝える」
「ええと、じゃあ。『将軍』ってどんなヒトなんですか。あと『救祖』ってのも」
「ふむ、知らん」予想以上に短い言葉だった。「『将軍』は栄誉的な称号だ。連邦の皇のようなもので、すべてを統制する立場にあるが政治には直接関与しない。表舞台に立つのは省庁のトップで政治は全て彼らの合議で決まる」
「実は存在しないんじゃ」
「連邦も同じだろう」
言い返せなかった。皇は常に顔を隠していて、年始の挨拶をテレビでするくらい。それでも人々は皇への忠誠心はあったし、不敬な言動は謹んでいた。皇の娘のカミュに会えたのはほぼ奇跡と言っていい。あるいは侍従長のネネの策略という可能性もある。そういえば、財団のブレーメン複製計画をネネは承知していた気がしてならない。
「『救祖』というは、なんだアーシャ、何も教えてないんだな」
「むぅ。わたしテムさんみたいに頭がよくない」
アーシャが頬を膨らませた。
「さて、どこから話したものか。民衆の認識からがいいだろう。小さい子供に言い聞かせるような話で悪いが……ところで妙に入口が騒がしいな」
酒を飲んでいるカールスバーグ隊長を残して、すっとテムさんが立ち上がった。そして遮光カーテンから外を覗いた。つられてソラも立ち上がり外を見た。
パブの入口には黒い外套と制帽を被ったいかつい男たちが立っていた。リーダーらしい男は非武装に見えたが後ろの制服たちは腰に軍用の大型拳銃を下げていた。連邦では骨董品扱いの、かなり古いスタイルの自動拳銃だった。ラウワンはうやうやしく対応しているが、リーダーの男の表情が変わらない。
「ちっ、まずいな」
「誰なんです? 軍警察には見えませんが」
ソラは小声で訊いた。
「国家親衛隊。内務省隷下の治安部隊だ。軍警察が凶悪犯罪に対応するとすれば、彼らは法典にない罪を裁く」
「超法規組織?」
「賢いな。内務省にとって都合の悪い者を消すために働く。防衛局のあのごたごたのあと、連中は幅を利かせている」
「どうしてこのパブに? 禁制品なんて売ってないのに」いや、ちがう「テムさん、後をつけられたんじゃ」
しかしサングラス男の返事はない。
「違法闘技場であれだけの騒ぎを起こして、国家親衛隊に密告されたとか」
「ああ」
テムさんの低い声の返事がそれだけだった。
「あーあ、こうなる気がしてたんですよ、僕! 派手な真似をしてバレないわけ無いでしょ!」
「素早く行動しよう」テムさんは謝るということを知らず、「アーシャ、君の家族にも危害が加わるかもしれない。皆といっしょに“アク・マハルの館”に来てくれ」
軍隊調の命令に、アーシャの背筋が伸びる。
「俺は追手を撹乱する。隊長とソラは別ルートで“アク・マハルの館”に集まること」
「いやいや、ちょっとまってくださいよ、僕、全然 勝手がわかんないんですけど」
それもそうだ。ここにいる3人はもともとは同じ部隊の仲間でしかも攻勢部隊の中では最精鋭だった。
「おら、ソラ。腹くくるんだよ」大柄なカールスバーグ隊長が肩を組んで「ムカつく敵は全部倒してしまえばいいんだよ」
狂ったような笑み/酒臭い息が顔にかかる。
カールスバーグ隊長は遮光カーテンを一気に開けた。
「おい、フニャチンども。おまいらの探しているサイコーにいい女はココにいるぞ。いいのかぁ、そんな頭数で」
目が点になる、というのはこういうことだろう。国家親衛隊のリーダーは足がすくんで動けず、後ろの2人は慌てて拳銃を構えたがその時には半ば巨獣化したカールスバーグ隊長に吹き飛ばされ意識を失っていた。
「アーシャ、行け! 時間を無駄にするな。ソラ、隊長はやるときにはやる。戦闘の天才だ。君の足ならついていける」
アーシャは、「がんばってね」とすれ違いざまに耳元で囁いてキスをしてくれた。
「すみません、店長。今日で退職します。これ、少ないですが迷惑料です」
ポケットにあったトーンの小袋をラウワンに渡す。ソラは腰に下げた2振りの刀に指を触れた。とたんに思考がクリアに/世界の動きが緩慢に/手足に力がみなぎる。
カールスバーグ隊長は、もうそこにおらず、立ってたのは体長10尺(3m)ほどの小柄な巨獣だった。片手で国家親衛隊のリーダーの首を握りつぶしていた。
「ついてこい、小さいブレーメン」
「うっわ、喋れるの」
すこし、漏らしたかもしれない。
カールスバーグ隊長は予備動作もなく垂直に飛び上がった。ソラも負けじと後を追う。ソラは壁を何度か蹴り上げ、その反動を利用して背の低いアパート群の屋上へ着地した。屋上も、増築を重ねたトタン屋根の小屋が建っていて、中で寝ていた住人は突然現れた巨獣と黄色く目の光る少年を見て叫び声を上げた。
「こっちだ。直接は向かわない。まずは敵を蹴散らす」
「撹乱はテムさんの役目でしょう」
「ちょいとした肩慣らしさ」
大通りではパトランプが光る車両が集まってきた。黒い制服の国家親衛隊だが、拳銃弾を放つ自動小銃を提げている隊員も混じっている。カールスバーグ隊長/真っ黒な毛むくじゃら獣人は屋上を駆ける/軽く飛び上がると国家親衛隊の車両の中へまっすぐ墜落した。
爆発/なかば砲撃。衝撃で隊員たちの体がソフビ人形みたいに宙を舞う。ひっくり返った車両を両手で掴みゴロゴロと転がす。
「ああ、もう作戦なんてあったものじゃない」
ソラの瞳が黄色に輝いた。騒ぎの真ん中へ軟着地/刀の柄に手をかける。
逡巡:眼の前には追手の国家親衛隊/しかし敵じゃない、命令で追うようにと指示されてる公務員だ。友人や恋人がいるだろうし、家族だっているはず。
ソラは刀を鞘ごと腰から抜いた。その堅い木の鞘で手の拳銃を払いのけて重い一撃を腹に食らわせた。
後ろ/隊員が2名。1人は拳銃=すでに発射体制/ソラはあえて前へ一歩。
人差し指が引き金に触れるより早く拳銃を掴む=同時に発射音。頭のすぐ横をそれて弾丸が壁をうがつ。
弱い。ヒトの力はなんて弱いんだ。
そのままねじ伏せて盾に/もう1人の隊員は自動小銃を構えるが撃つに撃てず。
ソラは力任せにヒトの盾を押し/投げつける。そして鞘から刀を抜いた。刀というより直剣というべき短く真っ直ぐな刀身=その金属の内側から青い輝きが漏れる。輝きはソラの拍動と同調して光が増減する。
振り抜いた刀は自動小銃の機関部を2つに斬り裂く。スプリングの勢いで部品がばらばらと散らばる/金色に鈍く光る銃弾が地面に転がる。
隊員×2は怯えた表情で/しかし伝説のブレーメンとその刀の威光にまばたきを忘れて、輝きに目を奪われていた。
ここで斬り捨てることもできる。ニケ翁ならたぶん、ためらわない。あの人は根っからの戦士だ。でも僕は、違う。元可変戦闘車の操縦士で、元パブの用心棒、今は、平和を愛する反逆者。
追手の国家親衛隊はあらかた片付いた。この暗さでは、地面に転がっているのが生きているか死んでいるか、わからない。巨大な野獣はソラに気を配ることもなく垂直に、アパート群の屋上へ飛び上がった。
「僕は、ブレーメンだ。だから! えっと、だから、邪魔するなら斬るゾ! あと僕たちは正しいことをしているんだ。正しいことをしたいなら、えっと、仲間に加わってほしい。連絡先とか知らないけど。じゃあそういうことで」
怯える隊員たちを前に言葉が出てこない。植え付けられた記憶では、この場面に合う言葉は紡げなかった。
ソラは青く輝く刀身を片手に垂直に飛び上がった。夜に紛れる黒い野獣の姿は、ブレーメンの視力を駆使して捉えることができた。ワング=ジャイの街は街灯が少ない。カールスバーグ隊長はあえて街灯のない区画を選び闇に紛れて歩をすすめた。
もといた東区から南東の区画へ移動する。しかし地図を思い出す暇もなく、カールスバーグ隊長は屋上へ飛び上がったと思ったら今度はハイウェイのアンダーパスへ降りた。すでに使われなくなって久しく、ゴミだけがうず高く積もっている。街中にはホームレスが溢れているのに、この地下道はヒトの姿が見えない。
「なかなかやるじゃねぇか、ブレーメン。だが敵を殺すのはためらうな。あたいの下で働くなら、それが鉄則だ」
「す、すみません」
つい謝ってしまった。血の気の多い女性だが、しかし言葉の一つ一つは職業軍人の経験から発せられるのだと直感でわかった。
カールスバーグ隊長はすでにヒトの姿に戻っていた。一糸まとわぬ姿だが、張りに張った筋肉が前衛的な彫刻を思わせた。
「ん、なんだ? あたいの乳を見ても面白くないだろ。■■をかくならアーシャの長乳をおかずにしな」
「かいてませんから! そういう状況じゃないでしょ!」
カールスバーグ隊長は、しかし笑っていた。これまでのニタニタした笑みじゃない、声を出して笑っていた。人間らしい一面があるんだな。
豪快な笑いは、突如として止まり胸を抑えてうずくまってしまった。背中からは緑色の軟体動物の相棒が染み出るように分離した。黒い2つの点からは好戦的な視線を感じたが、しかし形を保てず扁平に伸びていた。
「隊長、気分が悪いんですか」
この人を隊長、と呼ぶのは気が引けた。僕にとっての隊長はあの人だけなのだから。
「どーってことない。いつものことだ。歳とってると、こういうこともあるんだ」
「歳って、まだ30か40くらいでしょ」
「何歳だったかなぁ。200歳ぐらいまではちゃんと数えてたと思うんだが」
いやまさか=アーシャが言っていた。普通の寿命が50年。兵士は多少伸びて80歳ぐらいだと。
「肌艶とか、そんな歳に見えないのに」
「おいおい、連邦じゃレディーに歳を聞くのかいな」
どん、と肩をどつかれる。カールスバーグ隊長は呼吸が落ち着き、壁のそばのごみを押しのける。
「この奥に地下道への通路がある。探すのを手伝え。さっさとしないと都市生物に食われちまうぜ」
「都市生物?」
ソラは素直に尋ねた/車のシャフトを持ち上げながら。
「知らねぇのかよ。元はオーランドの話だろう」
首都のことか。ついぞ行く機会がなくなってしまった。
「それは知ってますけど。子供だましの話でしょ? 夜に出歩くと都市生物に食べられちゃう、っていう」
バキン。カールスバーグ隊長はその怪力で錆びた鉄格子を持ち上げた。
「こっちだ。集合地点はこの先だ」
地下トンネルはずっと下の方向へ続いていた。広い空間に出たと思ったらひどく臭う淀みの水路だった。汚らしい場所だったがカールスバーグ隊長はためらわず裸足で歩を進めた。ブレーメンの視力でも明暗を掴むのがやっとなのに、周りが見えているのか。
「なんだろうこの臭い。腐敗臭? でも他に何かが混じってる。どこかで嗅いだことがある」
「死んだ命の臭いさ」
カールスバーグ隊長が鼻をすする。
「そんな臭い、無いでしょ」
「ヒトを殺したときに嗅がなかったか? 命が尽きるとき、こんな臭いが漂う」
不意に植え付けられた記憶が蘇って顔をしかめた。名前も知らないブレーメンの少年の、最期の記憶だ。慣れない刀を片手に襲ってくる暴徒を斬って回った。むせるような血と臓器の臭い。そして死んだ命の臭いが肺から鼻腔を通って外気と交じる。
「おしゃべりはそこまでだ。急ぐぞ」
「追手が?」
「もっと厄介だ。都市生物が来る」
「でもそれおとぎ話じゃ……」
耳を澄ます=淀んだ水の中で転がるゴミ、カールスバーグ隊長の荒い呼吸、パイプから漏れて滴る汚水。
ピタピタピタ
「今! 足音が! 4時方向、3分くらいの距離」
「しっ! 静かに。だが急くな。距離が1分まで縮まったら言ってくれ。絶対に振り向くなよ」
心音がかつてないほど跳ね上がる。ピタピタピピピタ。足音が増えた。3つか4つくらい。急くなと言われると心が焦るのが心情というもの。
距離は、2分くらい。横からもテンポの良い足音が暗い坑道に響く。カールスバーグ隊長にも聞こえているはず。
ピピピピピピタピタピタピタピピタピタピタピタ
足音が近づいてくる。群れだ。早い足音、遅い足音。何かが下に落ちて盛大に水しぶきが上がる音が聞こえる。
「カールスバーグ、隊長?」
「焦るな。我慢しろ」
ピピピピピピタピタピタピタピピタピタピタピタピピピピピピタピタピタピタピピタピタピタピタピピピピピピタピタピタピタピピタピタピタピタピピピピピピタピタピタピタ
「隊長!」
「走れ!」
カールスバーグ隊長はバネ仕掛けのように駆け出した。暗闇でソラの瞳が黄色に輝いた。カールスバーグ隊長の姿を見失わないように狭い通路を右へ左へ曲がる。坑道は次第に狭く、天井や壁を穴の空いたパイプが走っている。
背後の足音は駆け足に変わった。視界の横で黒い影が踊る/横から出てきたソレと後ろを追うソレがぶつかって盛大なおしくらまんじゅう。だが絶対に振り返らずまっすぐカールスバーグ隊長の背中だけを見た。
「ここだ! 入れ!」
カールスバーグ隊長は球技のような足さばきで横の通路に入った。ソラも飛び込む。
バタン/カールスバーグ隊長が丈夫な鉄製の扉を閉める。
「おい! 床にキスしてないで手伝え!」
鉄製の内開きの扉はその向こうからバタバタバタと押されるたびに開閉する。わずかに開いた扉から黒く焼きただれたような手が伸びる。4本の指でヒトとは思えないほど鋭い爪が伸びている。
ソラは飛び出して扉に体当りした。2人分の人外な力が加わり、扉は定位置に収まる。すかさずカールスバーグ隊長が閂を通す。
扉の向こうではしきりに扉を叩いている。けたたましい音に混じってくぐもった獣のようなうめき声も聞こえる。
足元──さっきまでこちら側に伸びていた黒くただれた腕が、前腕だけちぎれて床に転がっていた。それはみるみるうちにすぼんでいき、コンクリートの床の汚れと見分けがつかなくなった。
「こんなの聞いてない! 何なんですかあれ!」
「へっ、言っただろ? 都市生物に襲われるって」
「そんな……あんなのまるで化け物じゃないですか」
「細かいこと気にするなよ、タマが小さいブレーメン。ほら急ぐぞ。他の通路から襲ってくるかもしれない」
カールスバーグ隊長はさっきより細い通路を進んだ。もうどの方角に進んでいるか見当もつかない。壁やパイプに目印があるわけでもなく、しかし迷いなく歩を進める。
「街の外のクレーターを見たかい?」
「ええ。アーシャに案内されて」
「500年前、第一次獣人戦役の最後、オーランド政府が持っていた最後の切り札、侵食弾頭のその着弾地点だ。大気圏外から降ってきたんだと。あたいらの先祖は戦後にワング=ジャイに来た。街の半分は無事だったがそこにいた数十万の獣人は生き物の形をしていなかったそうだ。それが、さっき見たアレだ」
ソラは言葉を失ってぽかんと口を開いた。生き物の形をしていない、というのは無惨な死体、という意味ではなかったのか。通路に満ちた腐敗臭はやや収まり湿気とカビの臭いでいっぱいだった。
「じゃあ、500年も、地下に? 化け物に変わったのは侵食弾頭のせい?」
「あれの正体は知らんよ。テムにでも聞いておくれ。ただ1つ言えることは、お前の大好きなオーランド政府も“腹に一物を抱えているよ”。お前だって、自分が作り物ブレーメンだって自覚してなかったんだろう? 文明の回帰だか人類の須臾の繁栄だとかいって、連中はヒト1人の命なんざへとも思っちゃねぇ」
つい思い浮かべたのは皇の娘のカミュと侍従長のネネだった。王宮の役職任命してくれるとか、そういう話をしたのが懐かしい。もしあのとき話を受けていたら暗く薄暗い地下道をさまようこともなかったんだろうな。
誠実で親切そうな2人──でも国家の惨状や怪物を生み出した遠因は彼らにある。つい指が伸びてニケ翁の刀に触れてみた。しかし彼の幻影は現れなかった。
地下道の足元に転がっているのは、最初は空き缶かなにかと思った。しかしそれらは駐屯地の資料室で見覚えがあった。
「対人地雷?」
「そうだ。都市生物が近づかないようにな。だいぶ昔に使ったものだから安心しろ」
カールスバーグ隊長は少しだけ振り向いて、少しだけ微笑んだ。
「カールスバーグ隊長、普通に話せるんですね。パブとか闘技場とかで、まともに話ができない人かと思ってました」
すると豪快な笑い声が地下道に響いた。
「そうかい、あたいを奇人変人と思っていたのかい? 根っからの軍人で兵士で、国家で最強の部隊を率いていた。そんなあたいがキチガイなわけないだろう」
「それは、そうですが。でも言動は変ですよ」
「いいか、ブレーメンの少年。人生ってのは短いんだ。だからとことん楽しむ。酒も性交も戦いも。いい子ちゃんぶっていたら、気づいたときには棺桶さ」
「戦いも、ですか」
「あたいは、そうだな。価値ある死がほしいんだ。もう200年以上も生きてきた。正直いうと疲れたよ。軍の任務は土を持ち帰ること、連邦の脅威を排除すること。それだけだ。戦いは興奮する。楽しい。生きている実感が得られる。そして生の終わりは、誰かのために戦って死ねるなら、それ以上の幸せは願えない」
「わかりました。でも、死ぬのはだめだ」
「どうしてだい? この間はあたいを殺そうとしたのに」
「あなたは、変だけどいい人だ。いい人は、大切な人に囲まれて亡くなるべきだ」
「何だそれ? おめーは理屈っぽいな」カールスバーグ隊長はわしわしとソラの頭を撫でて「なるほど、アーシャが惚れ込むわけだ。強いだけじゃねぇ。タマは小せぇが気概はでけぇ」
「小さく、ないですから」
30分ほど、何度か分岐しながら通路を歩いた。耳を澄ませてももう化け物の足音はなかった。時々現れる鉄製の扉は4辺が溶接されさらに鉄骨で塞がれている。上下左右の壁と天井には弾痕が残っていた。
「もしかして、ここも水路ですか」
「正解だブレーメン。1000年前 テウヘルどもが作った水路で、今から行くアク・マハルの館につながっている。ワング=ジャイの南にあるダムだ。もちろん、水はもう無い。あたいの部隊が作戦を練ったり訓練に使っていた」
「追手が来るんじゃ」
「国家親衛隊は、軍とは仲が悪い。つゆほども知らないさ。それに防衛局が無い今、あたいらがどこを本拠地にしていたかなんて誰も知らない」
「防衛局って、連邦でいう軍務省ですよね。無いってどういうことですか」
「ああ。連邦への侵攻が大失敗して大半が粛清された。上から下まで。連邦軍が迫っているっていうのに何を考えているんやら」
「どうして」
「さあね。そういう頭を使う仕事はテムの役目だ」
筋肉担当は隊長ですね、とは流石に言えなかった。
通路はぶ厚い鉄の扉で行き止まりだった。防爆ドアのように筋交いが左右斜めに走っている。銃口を差し込む銃眼の蓋が、錆もなく取り付けてある。その扉を、カールスバーグ隊長が豪快に叩いた。
「あたいだ! さっさと開けろ。撃つなよ、都市生物は来てない」
扉の向こうで閂が引き抜かれる音がした。銃眼がちらりと空いて光が漏れている。その向こうで紫色の瞳がちらちら揺れた。
「隊長の到着を心より歓迎します」
2名の兵士がライフルを脇に構えて最敬礼の姿勢を取った。視線はソラを捉えていて珍しい肌の色と黄色に光る瞳を凝視した。
「世辞はいい。さっさと扉をしめろ。ソラはこっちだ。もう皆 集まっている時間だろう」
「僕はどうってことないけど。でも高齢な隊長のために安全な経路があるならそっちのほうが良かった」
「いいねぇ、そういうの。ブレーメン仕草だろ。伝説のブレーメンといっしょなんざ、いつ死んでも後悔しない」
コンクリート製の無機質な階段を踏んで真上へ移動する。黒い砂漠の砂が角に積もっている。獣人が作った施設──壁に記された数字や文字は、やや旧字体が混ざるが連邦の共通語と同じだった。
階段を登った先は、ダムの制御室だった。窓の向こうは黒い砂に埋れた発電棟、その反対側はかつての人工湖を埋め尽くす砂丘でダムの半分ぐらいまでを黒い砂が埋もれている。ダムは、砂漠に直立する壁のようだった。
「ソラ! よかった! 無事だったんだね。むぅ、でも臭い」
視界いっぱいにアーシャの長い髪が揺れる。後ろにはクラニアさんとバコーンさん、そして5人の子どもたちといっしょだった。それぞれがカバンを抱えている。せまい家の少ない私物をまとめるには十分の大きさだった。
子どもたちは地下から姿を表した巨体のカールスバーグ隊長に目を丸くした。すでにテムさんにシーツを掛けられているが、まるでアニメのヒーローのように筋骨隆々だった。
「あたいのせいで迷惑をかけちまったな。だが心配はいらない。あたいらは新しい世界を作る強いとても最強。協力してくれれば相応の報酬がある。メシも金もそうだが、一番は栄誉だ」
カールスバーグ隊長はよく舌が回った。となりのテムさんは──あいかわらず表情が読めない。しかしその場の全員の表情が明るくなった。
物語tips:皇
連邦の統合の象徴。
かつて人類種の存続のため銀河中へ離散民となった人類のアイデンティティを保持する生体機関で、過去全ての皇の記憶へアクセスすることができる。皇はすべて女性で次代は無性生殖で生まれる。
基本的に回帰主義という、自然な文明発展のためかつての人類の叡智は捨て去るべきだという立場に立っている。




