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物語tips:ケン・ピセィディ
連邦から「赤ヘル」と呼ばれていた部隊の本来の名称。
長年に渡って第3師団を悩ませていた精鋭部隊。ヘルメットを赤く塗っていることに由来する。
しかしアーシャの亡命騒ぎで解散、隊員は他の隊へ転属となっていた。隊長のカールスバーグと副官テムはその後行方不明のままだった。
部隊名の意味は古いブレーメンの言葉で「強いとても最強」言う意味で、語学センスのないカールスバーグが語感だけで付けたもの。
時刻は、もうすぐ午前0時。ラウワンの酒場はなおも客が多かった。
酒場の照明は天井からぶら下がっている白熱電球だけで、かなり薄暗い。鉄の丸テーブルごとに電球が1つあるので、互いの顔はなんとか分かるという感じ。店内を見渡して他にどういう人物がそこに立っているのか面影をはっきりと認めることはできない。そんな隠密さ加減と店主ラウワンの人柄もあって、客足は毎日絶えなかった。その分、トラブルもいっしょに舞い込んでくる。
ソラの新しい仕事はその対処だった。ラウワンが馴染みの客と喋っている間、トラブルを持ち込んだ迷惑客を店外に「案内」する。
アーシャよりも先に仕事が見つけられた。僕には合っている気がする。偽の記憶の大半はルナの趣味のマフィア映画だが、その知識を元にいい奴と悪いやつ、悪いやつの対処をスムーズにできた。演技っぽい分、迫力があるせい。ラウワンも、手際の良さを褒めてくれた。
「僕は、給料はいらない。代わりにアーシャの家族の家賃をまけてくれ」
それが交換条件だった。それに悪い話でもなかった。昼間は家の留守番ができるし、夜から仕事に出て、店じまいのあと早朝に帰宅する。家族にも貢献できる。ほんの少し寝不足が辛いだけ。
裏稼業すれすれの、スリルある仕事と思ったし実際最初の3日くらいは楽しんでいた。でも1週間もすれば退屈な毎日の繰り返しだと思い知らされた。パブの中の喧嘩はご法度。違法薬物の売買なら痛い目を合わす。シマの外からくる売春婦/男娼はすぐに追い出す。ソラは肌の色を隠すためにずっとマントを身にまとい、店の出入り口に座って目を光らせる。そのせいでたいていのトラブルでも、詰め寄っただけで迷惑客たちは代金の金を置いて店をあとにする。なんてことはない。簡単な仕事だ。
深夜が早朝に変わる時間帯で、やっと最後の酔客が千鳥足で店を後にした。
「ソラがいてくれて大助かりだ」
ラウワンは、そうそう感謝を口にする男じゃない。そんな男が素直に世辞を口にした。
「僕は、この力を有効に使いたいだけ。この生き方が正しいって思えるから。僕なりの生き方を見つけるのが、きっと恩返しなんだと思うんで」
パブの仕事は、事あるごとにヨシギ隊長との会話を思い出させる。「お前が不憫だと思ったから」がヨシギの最初の言葉だった。最初はその意味を全然わかっていなかった。この世に最後に残されたブレーメンとして、どう生きるのか、その道筋を見つける困難さを、混血のヨシギは感づいていた。
「ほお、そうかい。さすがは聡明なブレーメン」
「う、否定はしませんけど、どこでそれを」
「クラニアが嬉しそうに話してたぞ『藍紗の旦那はブレーメンなのよ』って」
家賃を取り立てる立場なのに、結構 仲がいいんだな。
ソラは箒とチリトリを手に簡単な床掃除をした。時間がかかる仕事じゃない。この習慣のお陰で翌日の準備が楽になる。そんなちょっとした工夫だった。それ以上にゴミがうず高く積もっていると気分が悪くなる。
ラウワンはカウンターの裏で天秤に香木のトーンを積み上げて重さを測っていた。トーン1つは小指の爪の上に乗りそうなほど小さく、黒い枯木だが断面はほんのりと朱色でアルコールに混じっていい香りが漂う。
「そうだ、月末にいくらか給料をやろう」
「でも約束じゃ」
「ヒトを雇うのは初めてじゃないが、大抵は“飛ぶ”か盗むか、ろくでもない連中だった。だがソラは信用に足る。時間通りに仕事に来るし俺が黙ってても掃除をする。だからだ。俺も鬼じゃない、商人だ。対価を払わないんじゃ俺の寝付きが悪い」
「僕がブレーメンで信用できるからですか」
「関係ねぇよ。今、そうして仕事をしてる。だから対価を得る。この街じゃ基礎の基礎だぜ」
ラウワンは歯を見せてニカッと笑うと店の奥の金庫へトーンを運んだ。
トーン、か。とりあえず着替えを買おうか。連邦から持ってきた衣類はなにかと目立つ。軍用のマントをいつまでも着るわけにもいかないし。
ガシャン。ゴミ袋をまとめていたとき、入口のシャッターが開いた。まだ鍵をかけていなかったか。戸口に立っているのは、長身のがっしりた体つきの男で夜だというのにサングラスをかけたまま読めない視線をソラに向けた。国家では非常に高価な革のジャケットを着て、その下は白シャツに黒ネクタイを締めている。さながら葬儀屋の正装だった。しかし葬儀屋ならもう少し穏やかな風貌のはず。刈り揃えた丸坊主に太い首筋は、一般人じゃない。
「すみません、もう店じまいなんですが。明日また来てください」
いかつい風貌に、見覚えがない=初見の客。なるべく丁寧に接客する。ラウワンに言われたわけじゃない。自分なりにそう考えている。
サングラスの男は微動だにしない。
「お前は、ブレーメンだな」
「おもしろい。僕がブレーメンなら、あなたはどの“役”ですか」
ブレーメンの昔話はみんな知っている。その昔話の“役”はこどもっぽいごっこ遊びだ。
「俺は、そうだな。敵役だ。巨獣、だなんて呼ばれているからな」
男の肩口に緑色の軟体動物が揺れた。ポポと同じ、しかし2つの黒い点/目はどこか偉そうにふんぞり返っている。
「国家の兵士!」
まさか追手が。いやしかし、兵士の部隊が近づく気配はしなかった。大人数ならブレーメンの聴覚はごまかせない。
「元・兵士だ……隊長、問題ありません」
男は後ろの暗闇に語りかけ、そして一歩脇へ身を引いた。
暗闇から現れたのは、見上げるぐらいの巨体の筋肉の塊だった。わざと筋肉を見せつけるかのように身につけているのはブラトップのみ。凹凸のある筋肉が濃い影を作っていた。ボトムは白いジーンズだがはちきれんばかりに大腿四頭筋が浮き出ている。
「よう、ちいさいブレーメン」
声を聞いて確信=女か。筋肉が喋っているようだったがわずかに女声の声音があった。そしてニタニタと口角を上げる笑みは、どこかで見た記憶がある。
「すみません、もう閉店時間です」
「そう硬いこと言うなよ。クククッククク。せっかく伝説のブレーメンと再会できたんだ」
「僕は、あなたがたに会った覚えはありません」
「かなしぃねぇ。あたいらは会いたくて会いたくて、ブレーメンに会ったときに言う言葉をさんざんかんがえていたのにねぇ。この場合、祝杯の一杯でも挙げて救祖様に感謝しないと。な、テム?」
「ええ、まったく。そのとおりです隊長」
男=テムが慇懃に答えた。テム? たしかアーシャの話の中にあった。
「ケン・ピセィディ……」
「そう強いとても最強。嬉しいねぇ。ブレーメンがあたいらの名前を覚えている。ワクワクするねぇ。ブレーメンと潰し合うのは」
まずいまずい=精鋭の赤ヘルの兵士たちだ。どうしてここに? こんなときにラウワンは──店の裏に隠れて出てこない。
「なにが、目的です?」
「は? ハハハハハ。ボケてんのかてめぇ。まずは再会を祝していっぱい飲もうぜ、な?」
「再会? 何度も言わせないでください。知りません」
テムが少しだけ顔をこちらに向けてサングラスが光った。しかし目の前の筋肉女はニタニタ笑ったままだった。
「あたいの部下の頭にナイフを突き刺したろ? あの可変戦闘車に乗ってたの、おめーだよな。いいねぇ、ぞくぞくした」
口の中がカラカラに乾いている。言葉を選ばないとすぐに殺される。ぴりぴりとした緊張感が深夜の店内に満ちた。
「そのでかい態度。あなたの名前は────」
「カールスバーーーーーーグ!」
怒声。怒髪天を衝く形相で風のようにアーシャが飛び込んだ。その勢いに乗せて右ストレートが大女の顔面に吸い込まれた。
銃声のような衝撃音が1つ/アーシャの黒くて長い髪が残像を残して舞う/立ちふさがる大女=カールスバーグは、なおも笑っていた。笑う口角から抜けた歯がぼろぼろと床に転がる。赤い血が流れるのに、笑っている。その後ろでテムは、呆れたように天を仰いだ。
それに、あのアーシャのパンチを顔面に受けておきながら体が微動だにしていない。首の筋肉に血管が浮いた、その程度。まるで挨拶のハイタッチのように余裕の構えだった。
「いいねぇ、アーシャ。こんなところにいたのかい」
余裕がないのはその後ろのテムだった。さっとカールスバーグの前に立ちアーシャを押しのける。ソラはその体を受け止めた。
「ここは俺が話そう。勝手に任せていたら殺し合いが始まってしまう」
アーシャはテムをも殴ろうと喚いたがソラが力ずくで抑えた。テムはなおも低い声で話す。
「アーシャも、落ち着け。軍の命令で来たわけじゃない。むしろ、今はもう兵士を辞め、俺達も親衛隊に見つかった面倒な立場だ」
「でも、僕らの味方というわけじゃないですよね」
「それは今後の状況次第で決まる、ブレーメンの。だが、まずは落ち着こう。店主、弱めの酒を4人分頼む。ああ、ひとりはジョッキに入れてくれ」
テムは兵士のように大柄だが、言葉の選び方に知性を感じた。筋肉より脳みそを動かして働くタイプだ。
丸テーブルに4人がそれぞれ相対する。ラウワンが盆に乗せて酒を運び──足元はガタガタ震えていたが──配膳が済むとすぐに姿を消してしまった。
乾杯の音頭もなし。各々が勝手に口をつけ、カールスバーグは豪快に喉を鳴らして飲んだ。
「あらためて自己紹介だ。こちらはカールスバーグ隊長、ケン・ピセィディの指揮官。俺は副官のテム。国家、ブレーメンの君にわかりやすいように言えば第4師団の第1機動歩兵大隊。主な任務は土の運搬部隊の護衛、連邦への威力偵察、潜入工作とまあいろいろ。ありていにいえば特殊部隊だった。
まずは事の経緯からだ。初めから話したほうが行き違いがなくて済む。2年ほど前からこつこつと、俺たちの部隊は国家防衛局の最上位命令を受け、連邦領域に浸透部隊を運んでいた。理由はついぞ聞かされなかったが、オーランド政府と交渉するうえでの切り札だったと解釈している。そして近々行われる大作戦の前哨戦として、障害となる敵の精鋭を排除するため、第3師団 ソリドンブルグ駐屯地を襲撃した。そのとき、お前がいたな、ブレーメンの」
「僕は、ソラです」
「ソラ? 妙な名前だな」
「そこのカールスバーグだって変な名前でしょう」
テムは居心地が悪そうに咳払いした。
「話を戻そう。荒削りだが、ソラ、君の戦い方は第3師団のどの兵士とも違っていた。だから直感でわかった。ブレーメンだ、とね。あいにくその時に仲間を一人失い、前線キャンプは騒然とした。そんなこといまだかつてなかったからだ。カールスバーグ隊長は息巻いてブレーメンを倒そうと躍起になったが、その間にアーシャが第3師団へ亡命することになった」
「むぅ、あのとき、わたしの背中に槍を投げたのはテムさんでしょ。あの距離で当てられるの、テムさんだけ」
「致命傷にはならなかっただろう。アーシャの逃亡も含め、上には『2名戦死』と報告し、それで事が収まるはずだった。しかし連邦に浸透させていた部隊が、うち半数が襲撃に遭って全滅した──」
覚えがある。初めてアーシャと一緒に出撃したときの作戦だ。血の臭いと夜空の美しさを今でもはっきりと思い出す。
「──国家防衛局はこの襲撃の原因がアーシャが敵に寝返ったことにあるとして、カールスバーグ隊長が責任を負うことになった。国家防衛局というのは、連邦での軍務省と同じ役所だ。ケン・ピセィディはもちろん解散、防衛局で査問委員会にかけられた隊長は、というと──」
「──あたいは何も悪かぁねぇ。トンチキ連中はもちろん全員、ぶっ殺す。おい店主。もう1杯もってこい!」
「はぁ。とまあ軍警察と憲兵全部を相手にとって戦おうとして俺がなんとかなだめ、それで地下に潜った。ほとぼりが冷めるまでは、と」
「でも、そっちが始めた戦いでしょう。気の毒とは思いますけど、謝りませんよ、僕」
「いい。それでこそブレーメンだ。結果的に、転送装置を用いた無茶な侵攻作戦に巻き込まれずに済んだ。俺の情報網だと、ずいぶん悲惨な結果だったらしいが」
「転送されてきた兵士は互いに癒着してしまってどれも自我をほとんど失っていました」
「だろうな。“将軍”に結果を求められ、古い未完成の装置を無理に使ったせいだ。そのせいで防衛局の連中は“あんな”仕打ちに遭った」
そういえば、クラニアさんも防衛局での出来事を言い及んでいたが。何かあったのか。
「それで、わざわざ会いに来たんですか。まさか握手して和解しようとか」
しかしアーシャはそっぽを向いてしまった。
「むぅ。絶対嫌」
「ほう、あたいはアーシャを別に恨んじゃいねぇ。力まかせにあたいらの追手をかいくぐり第3師団に浸透して、そしてまたワング=ジャイに戻ってきた。しかもブレーメンの野郎をこさえて。いいタマしてんじゃねーの。あたいの代わりにケン・ピセィディだって率いれる」
「むぅ。嫌。ソラの嫁。それ以外に興味ない」
女×2。どちらも会話が成り立たない。テムの方へ視線を戻すと、間合いを見計らって話を続けてくれた。
「俺達の目標はひとつ『将軍』と『救祖』を討ち倒す」
「軍の、幹部を?」
「軍の幹部は“将校”だが、国家を統べる象徴として“将軍”という地位がある。500年前、ワング=ジャイへ入城したフジ・カゼ将軍の、その伝統を受け継いでいる」
「じゃあ、国家のトップを倒すということは、クーデター?」
「そうだ。そしてうまく行けば『革命』として歴史に名が残る」
革命……その言葉の概念が連邦の共通語に存在しない。テムは聞き手たちの疑問を汲み取って続けた。
「今、国家の運営は行き詰まっている。軍事面では連邦と戦争中、経済は衰退の一途、産業はいっこうに発達せず、街にあふれるのは失業者とゴミばかりだ。この非常事態において『将軍』は何も行動を起こさない。そればかりか『救祖』は願いの宗教で人民の不満をごまかしている。「願いの極地の到達はもうすぐだ」とか。ばからしい」
「だから、2人は、人々のために戦おうと」
カールスバーグは3杯目のジョッキを飲み干すと、
「んにゃ、あたいはムカつく連中に一発 かましてやるためだ」
そんなことだろうとは思ったけど。
「わたし、賛成」アーシャが立ち上がった。「連邦の暮らしを見てきた。たくさん美味しいものがあって、きれいで安全な街に住んでる。連邦の全部は正しくはない、でもワング=ジャイの暮らしはだめ。変えなきゃだめ。そのためなら、わたし戦う」
「ほう、いい女になったじゃないか」カールスバーグは4杯目のジョッキを掲げた。「それともそっちのブレーメンと一発やったおかげで女になれたのか」
「むぅ、ソラはガードが硬い」
すっとアーシャは椅子に座った。
「それで、ブレーメンのソラ、君はどうなんだ? ブレーメンが参加するとなればこの上ない旗印となる。ワング=ジャイの市民は皆、聡明で高潔なブレーメンの昔話を読んで育った。君が参加すれば、より一層の同志を得られる」
「僕は、でもブレーメンというわけじゃ。復興財団の研究所が炯素で作った、偽のブレーメンです」
しばしの沈黙。テムはサングラスの角度を微調整する。
「ふむ、それは。妙だと思っていた。突然 純血のブレーメンが現れ可変戦闘車の兵士として戦うのは。真相はそうだったのか。500年前の強化兵と同じ炯素の体、それでいてブレーメンの力を発揮できるのは驚きだが。そうだ聞かなかったことにしよう。反乱軍の士気に関わる」
ソラは眼の前に置かれたぬるい酒を口にした。
また戦いか。社会の隅の隅で、小さいけれど安定して暮らせると思っていたのに。
社会を変える。この街の暮らしは、連邦で育った身からすればひどいものだ。主な食事は昆虫だし、どれだけきれいな水でも汚染されている。トイレも汚いし街を歩けば犯罪だらけ。自分の家族でさえ裏切るような事件を毎日耳にする。
でもここの人々の生活を変える。これがブレーメンとして生きる意味につながるのなら──。
「僕、やります。もっといい暮らしを、してほしいですから」
「よく言った、ブレーメン」カールスバーグはジョッキを飲み干して豪快にテーブルに置いた。「まずは、どちらがテッペンかなしをつけようじゃないか。な?」
話が飲み込めない。テムの方を見ても、頭を抱えていた。




