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2-1

グラスコ・グレコ視点です。


長くなったので、ぶったぎり。

 ◆


 目を醒ますと、まるで見たことのない様相の部屋に、よく見知った顔のレイノシュが、亡霊でも見たかように真っ青な顔色をしていた。


「グレコ様……」レイノシュは今にも泣き出しそうだ。


 まだ、覚醒しきらない頭で、こうなるまでの経緯に思考を巡らせる。

 その前に、この今にも倒れそうなレイノシュに声の一つでも掛けてやらねば……と、口を動かすも喉が張り付いて音にならない。

 一体、どれくらいこうしていたというのだろう。


 そんな俺の様子に気が付いたレイノシュはテーブルに向かうと、カップとタオルを手に戻ってきた。


「お水です。ゆっくり飲まれてください」

 レイノシュは手にしたカップにタオルを添えると、横になっている俺の口元に当てる。


 その手を一旦制し、上体を起こそうとする。

「ご無理は…」レイノシュの言葉半ばで起き上がり、カップを受けとる。


 中身を一口含み、水であることを確認してゆっくり嚥下する。

水分を欲していた体は、自分の意思に反して飲み干す勢いに、「急いては駄目です」とレイノシュが言い終わる前には、カップの水は俺の喉に吸い込まれた。

すると急な水分に驚いた喉が咳き込む。


「大丈夫ですか!申し訳ありません」レイノシュが悪いわけではなかろうと思うのも束の間、タオルで俺の口元を拭ってくれる。


 俺はレイノシュの手を払い、息を整えてる。

「ここはどこだ?助かったのか?」


 レイノシュは、少しだけ躊躇して

「はい。ここはランデフェリコのエデノという土地です。あの日から十日経っております」

「十日…?…それにしたら、裂かれた腹が痛くないのは何でだ?少しだけ引き攣るようにむず痒いだけなんだが。俺、さされたよな?」


 レイノシュは、俯き悔しそうに声を押し出す。

「……はい。ヘジム国にてマルボナ・ユウロに腹部をタクティカルナイフで刺されました。ここ、エデノはヘジム国から二百キロ程離れた土地です」


 ヘジム国は元より内乱が絶えない国だった。

 肥沃な土地に恵まれ、作物は豊作であるにも関わらず、国民は常に飢えに苦しんでいる。

 そんな現状を打破しようと力による内紛が没発して、血で血を洗う。

 幾度ともなく繰り返すいたちごっこを、逆転の獅子と称されたグラスコ・グレコが稀有な手腕を奮い、国主マルボナ・ユウロを捕らえたことで、数多の血を流すことなく、終止符を打った。


 彼は崩壊した国政を再建し、外政を整えると、次第に国民は飢えから解放され始めた。

 束の間の平穏が訪れた、がしかし国主から引き摺り下ろされたマルボナ・ユウロは、面目失墜で嫉妬と怨嗟に駈られ、グラスコ・グレコに刃を向けた。


 俺は、甘かったのだろうな、と思う。

 情になど流されず、マルボナ・ユウロを処刑すべきだったのかもしれない。

 けれど、彼もまたヘジム国を改革しようとしていたのだ。

 幼い頃、俺は彼の立ち上がった姿に、憧れたのだ。

 そう思うと、どうしても命を取る選択が出来なかった。


「処でレイノシュ。エデノって何処だ?ランデフェリコとかいう国名、聞いたことないぞ」グラスコ・グレコが訝しげに尋ねる。


「地図上にはない、理想郷です」レイノシュは真顔で答えた。


「理想郷?」普段、戯れを言うことのない、レイノシュから出た突飛な言葉に驚く。何を持って理想郷と言うのだろう。切り返す言葉に詰まっていた時、ドアをノックする音がした。


 レイノシュがドアへ移動し来訪者と対応をしている。

 理想郷を鵜呑みにするわけではないが、映画の中でしか御目にかかれない、時代がかった古めかしい質素な室内を見渡すと、まるでタイムスリップでもしたような気分になるのは確かだ。


 レイノシュに促されて、気の強そうな瞳の赤毛の女性と、終始笑みを称えた掴み所の無い金髪の優男が入ってきた。

 二人は、綿素材で袖付きの貫頭衣のような衣装を身に付けている。


 しげしげと見ていたせいか、赤毛の女性とすぐ様に目が合った。

 すると赤毛の女性は、厳めしい顔付きから一転して、花の綻ぶような笑顔を向けてきたので、思わず面喰らう。

「目を覚まされたのですね。食事をお二人分用意してきて良かったです…………牛……」

 ん?牛って言わなかったか、こいつ?何だ、この妙にキラキラした笑顔は?


 優男が手にしていたトレイをテーブルに置いて椅子に座ると、女性が慌てるように手にしていた紙を拡げ、隣の椅子に座る。


「取り敢えず、お名前だけは頂いて宜しいですか?」と優男が事務的に聞いてくる。

調書を取るなら出自はいいのか?と思うが、言わないでいいならそれに越したことはない。

 お言葉に甘えて「グラスコ・グレコ」と名前だけを伝える。


 レイノシュは、俺の顔を戸惑いながら伺って「……レイ……レイ・グレコ」と答えた。

 何か思惑があるのだろうか。偽名を名乗った。

俺と同じ名字を名乗ったが、どういう関係を想定しているのだろう?


 女性は書類に名前を記載すると顔を上げ「わたしはメイペスです。早速ですが、あなた方は、このエデノに永住を希望されますか?」と、紋切り口調で聞いてきた。


「分からん」

 ついさっき、目が醒めたばかりだしな、と、俺は考え無しに返す。


 ふう、とメイペスは聞えよがしに大きな溜息をついてから、

「即答は求めていません。ただ、念頭には置いてほしいということです。永住か、否か。ここには、対価さえ頂ければいくら居てくださっても構いません」と、言葉こそ丁寧だか、些かキツい口調で言ってくるので、

「勝手に治療しておいて、金を取る気か?」と、細やかな反撃に出る。

いや、助けて貰ったのだから、それなりに礼は尽くしたいが、色々と不躾な態度が気に食わない。


「……勝手って……」メイペスは、明白(あからさま)に苛立ちを見せる。

「細かい事情はさて置き。レイ・グレコさんはその()()()()で。グラスコ・グレコさん、あなたの()()()()()()()()()()()()()()()()を登ってきたのですよ。それだけで尋常でないことだけは分かります。それに、ここでは金は対価に当たりません。労働で返してください」

 荒げた口調で捲し立てる。


 ありゃ。

 そりゃ、苛立ちもするか。

 それにしてもレイノシュよ。

 俺を背負って崖登りって……顔色が悪いのも当然だ。


 言いたいことを言って満足したらしいメイペスは、一転して落ち着いたようで、「それと、これはこちらの落ち度ですが、まずお食事を召し上がってください。折角の暖かいスープが冷めては勿体無いです」と皿を並べ始めた。


 俺は一連の流れに付いていきかねて「この状況で、飯?」と、思わず口にした。

 むう、と拗ねた表情を見せるメイペス。


 彼女の子供みたいにくるくる変わる表情は、見ていて面白い。

 そうか、子供なんだ。

 これまでの彼女の素直な表情に納得がいく。


 少々乱暴に配膳を始めているのは、照れ隠しなんだろうか。

「食事は大事です。毒は入ってません。大事な食事ですから」

大真面目に返してくる様子は、レイノシュを見ているようで好感が持てる。


 その横で優男が笑いを堪えるのに必死になっている。

 笑ってていいのか?


 俺の腹の傷を考慮してあるのか、実のないスープだけが俺の前に置かれる。

 レイノシュには、丸い武骨なパンと具沢山のスープが用意され、一安心する。


 レイノシュは、俺の大事な友人だが、覇気のない見た目からか、時々下人のように麁雑に扱われる事がある。

 甚だ遺憾ではあるが、レイノシュ本人は目立たないことを常としており、自分の扱れ方に頓着していない。

 元来の綺麗な黒い波打つ巻き毛を、態々オレンジに染めているのは、俺にも隠している出自を誤魔化すためだろう。


 皿からスープを掬って口に入れる。

 温かい……が、それだけだ。

 不味くはないが、特別旨くもない。

「どう?」とメイペスが自信満々に聞いてくるが、ここで正直に答えようものなら先程のような剣呑な遣り取りが戻るのは、火を見るより明らかだ。

「……優しい味だ」

 と、無難に返すと、メイペスはどこか誇らしそうで、俺は自分の答えが及第点だったことに安心し胸を撫で下ろす。


「では、わたしからは伝えるべき事は伝えたのでこれでお暇します。食器は食堂に返して下さい。この建物内は好きに回っていただいて結構です。案内が必要なら一階にいる者を訪ねて下さい」と、言うとメイペスと優男は椅子から立ち上がった。

「侵入禁止場所はないのかい?」念のため聞くと

「見える秘密なんてないわ」と言って部屋から出ていった。


 何か突風みたいだな。

 呆気に取られるが、レイノシュを追及するのが先だろう。

 偽名の口裏も合わせなきゃだろうし。


 そう思ってレイノシュを見ると、目の前の食事には口を付けず、皿の中を匙で玩んでいる。

「口に合わないか?」と、俺が聞くと

「あ、えっと。ええ、まあ。他人の手が入ったものはどうにも」と苦笑いで済まなさそうに答える。


 レイノシュは特殊な力を持っている。

 超能力とか魔法にも思えるもので、俺が知る限りは、目視出来るものを意のままに動かす事ができる。


 俺の腹を塞ぎ、俺を背負って崖を登ったのも、その能力あってのことだろうと、容易に推測出来る程度のことしか知らない。


 俺が革命を奮起する少し前。

 レイノシュが道端に倒れ、飢えて死にそうになっていた処に出会したことで、知り合った。

 その時は俺自身も禄に食えない頃でもあって、与えることができるのは水だけだった。

 けれど、その些細な行為に恩を感じているのか、常に寄り添ってくれるようになった。

 類い稀なる力も然ることながら、知恵者で有り、何より彼の優しく謙虚な人柄は、革命という非日常を送る俺には心地よかった。


 それに、レイノシュの作る飯は旨い。

 お礼に、と振る舞って貰った飯に、俺が惚れたのだ。

 特殊な力なんぞない俺でさえ、不思議な力が漲る、と思えるくらいだ。


 レイノシュは、凡そ食事に対する顔とは思えない面白くなさそうな顔をして、具を避けスープのみに口をつける。


「……悪くはないけど、悪くはないだけだね」

「ん、それは、同意だ。レイノシュの飯が食いたい……」レイノシュにやっと安堵の笑みが出た。


「それより、窓の外を見てみて」

 食事を諦めたレイノシュは、匙を置いて窓を指差す。

 俺は言われるがまま腰を上げ、窓辺へ向かい外を見る。


「……何だ?こりゃ?」

 窓の外に広がる風景に、ただ絶句する。

 これは本当に映画の一場面だ。

 海と陸地の境界がはっきりと分かれていて、まるで雑に合成された画像のように見える。

 恐らく、その境界は断崖で、この地が他と交わっていないだろうことを痛感させられる。

 船が碇泊している様子がなく、港がない。


 見渡す限りの平地は、海に面した野原と、内側を大きく農地と牧場で分けている。

 農地は細かく区画され、多種多様の作物が整然と育っている。

 作業している人々がいるのに、屋舎はおろか民家は見当たらない。

 牛が放牧されている牧場には、牛小屋はあるようだが酷く古びた様式で、馬や他の家畜は見当たらない。


 ふと、窓から身を乗り出して自分のいる建物を見渡してみる。

「…………」

 この部屋は三階に位置していて、上階にはあと四、五階ありそうだ。

 ファサードの幅もかなり広く、窓からでは全貌を把握できないビルのようだ。


 古臭い様相の室内と、打ちっぱなしのコンクリートの外壁は、まるでちぐはぐで、時代が交錯しているような奇妙な違和感を感じる。


 牧歌的な風景にそぐわぬビル。

 その不自然さは、俺に不気味な感覚を呼び起こす。

「なあ、レイノシュ。今は21世紀だよな」

 目に見えるものを否定するため、レイノシュに問い掛ける。

 少し震えていたかもしれない。

「そうですよ、その証拠に、ほら空を見てください」

 レイノシュの指差す方に視線をやると、遠くの空にジェット機が飛行しているのが目に入った。


「そうだよな。タイムスリップとか、非現実なこと考えちまったよ…………理想郷って言ってたよな。ここは何なんだ?」

 問詰めるように聞こえなきゃいいが、俺なりに言葉を選んでレイノシュに訊ねる。


「お伽噺みたいな噂話です。理想郷を見つけた人の話を聞いてたんです。その人は自分には合わないと、そこを出たと話していました」レイノシュは俯いて、ぽつりぽつりと話し出す。その表情は見えない。


「出た?ああ、メイペスが言ってた永住しなかった奴ってことか?」

「おそらくは。このエデノって土地は、意外と存在を隠してないのですよ。永住か否かを選択できるせいか、永住しない選択をした人を時折見掛けるんです」そこまで言うと、レイノシュは顔を上げ、俺に視線を合わせた。

 何故泣きそうな顔をしているのだろう。


「この地上の何処かに楽園があるだろう、みたいなやつと一緒か?」漫画かお伽噺なら確かに大昔から蔓延はしている。何はともあれ、異世界何て突拍子もない話ではなさそうだ……だよな?

 だからこそ、メイペスが言っていたように、俺の半分ほどの体躯のレイノシュが半信半疑の噂話を鵜呑みにして、瀕死の俺を担いで連れてきた確実性は矛盾でしかない。


「一縷の望み……ってやつです」

 レイノシュは静かに言った。


 窓から覗く様子から、ここからでは確認し得ない陸路も恐らくは険しいものだろう。

 いくら、特異な力を持っているレイノシュとしても、楽な道程ではなかった筈だ。

 レイノシュはここに集落があることを確信していたのだろう。


「ま、いいか。暫くはここで静養するか。

 …………いや、出来るのか?メイペス……だっけ?かは働かせる気、満々だったよな」

 気の強い女性は嫌いじゃないが、お子様のご機嫌とりは面倒くさい。

「物怖じしない娘でしたよね」

 レイノシュは思い出して静かに笑っている。

「だ、な。使命感の塊みたいだったな」

「数日前に代替わりしたばかりのようです。ぼくたちがここに来た時は、パートロという男性でした」

「それとあの優男か?」

「いえ、女性の方でした」


 女性は名乗らなかったのだろうか?と、思ったが、そういえばあの優男も名乗ってなかったな。そういうもんなんだろう、と素直に納得した。


「名前といえば、何故偽名を名乗った?」

 ここは口裏を合わせるためにも、確認が必要だと感じて不躾だが訊ねる。

「正当性……からですかね。重傷の人間を赤の他人が連れていると、痛くもない腹を探られそうな気がして」

 なんか、煙に巻かれている気もするが、レイノシュがそうしたいなら任せよう。

「で、レイノシュは俺の弟なのか?兄なのか?」

「従兄弟ぐらいでいいですよ。今更、兄弟とか無理でしょう?」

「え?お兄様って言おうか?」

「却下」

 そう言うと、レイノシュは漸く声を出して笑った。


 一頻り笑った後、レイノシュは真面目な顔に戻り話し始める。

「念のため建物内を探索してみたのですよ」

「お、動いていたのか。どうだった?」


「この建物、インスラと言うらしいのですが、三千人ほどのエデノの者全員、この中で生活しているようです。皆、一階にある食堂で食事をとり、部屋には台所が個別に備え付けられていないように見受けられます」

「随分と非合理的じゃないか?三千人の毎食を賄うのは」


「部屋も殆どが一人部屋のようです」

「一つの建物に三千部屋有るのか?」

 レイノシュは頷いた。


「一階部分はほぼ食堂と浴場ですが、二階以上に比べ大きめの部屋がいくつかあるようです。中にまでは入れないので、扉の数で判断するほかないのですが。二階以上には小さめの部屋が一五〇前後あり、建端は二十階建です。恐らくは増設に次ぐ増設が行われたのでしょう。巧妙に入り組んだ造りをしています」


「そうまでして、一ヶ所に住まわせる意味が分からんな」

「共同生活に重きを置くか」

「何かあった時に一気に潰す、かだな。」

 俺は自分で言ったことだが、恐ろしくなった。何者かが手を加えなくても、直下型の地震なんぞ起これば一気に崩れるだろう。


「それはさておき、エレベーターがあります。電動でした。この部屋にはコンセントは一つも無いですけど。あと、天井の明かりも電気ですね。LEDライトです。熱を持ちませんから」

 俺はレイノシュ言葉に頭を抱える。

「何なんだ、一体」


 レイノシュが俺にリストバンド型の携帯を差し出す。俺の物だ。

「充電は、太陽電池でしておきました。想像つかれるかと思いますが、電波は入りません」

「これは衛星電話だぞ?」

 レイノシュは無言で頷く。

「中のデータは使えます。あと、映写機の方は使用可能でした。こちらも充電してあります」

 指輪型で石部分を映写端末として使える機器を渡された。

「ああ、ありがとう。しかし中のデータだけじゃ、ろくなことは分からんな」

「ですね。ネット社会の弊害です」

 レイノシュと目を合わせたら、何だか笑いが込み上げてきた。分からん同士が幾ら頭を合わせたところで、解決の糸口さえ見付けられない。


「あーもー。風呂いこうぜ、風呂。浴場があるんだろ?」

「ええ、一階に。タオルは貸してもらえるようでした」

「行ってみたのか?」

「はい。朝の八時から二十三時まで入浴可能のようでした。彼らの服も貸して貰えそうでした」

「?風呂に入る前に、誰かに声をかけるのか?」

「いえ、浴場に洗濯済みの服が置いてあり自由に取れるようです。着ていたものは浴場の所定の場所に置いておけば、洗濯してもらえそうですが。ぼくは前回、服だけ借りて、着ていたものは、そこで洗いました」

 レイノシュが指を指した場所に洗面台があった。

「洗面台は有るのか。しかし、どこまでも学校の寮か、牢獄だな」


「グレコ様は浴場まで、ぼくが前回お借りした服を着ましょうか。ここに来ていたときに着ていたものは、腹が裂けていて、血液は洗っても取れませんでしたから」

 あ、そいうや包帯でぐるぐる巻きにされていたから気にしてなかったが、下着姿じゃないか。こんな格好で、お嬢さんの相手をしていたとはとんだ変態だ。


「下着の替えは?」

「それが見当たらなかったんですよね。聞こうにも誰もいない時間帯――昼間を狙って行ったので」

 皆が、働きに出てる時間を狙ったというわけか。まあ、知ってはいても公衆浴場の敷居が高いのは納得する。


「考えても仕方ない。お、袖無しの貫頭衣じゃないか。これならなんとか……」

「ベストですね。下着がボクサータイプでよかったです」

 俺たちは人目につかぬよう、こそこそと部屋を出た。


「レイさんじゃないですか」

 浴場まで人目につかず来られたのも束の間、声をかけられた。

「パートロさん。お久しぶりです」レイノシュが答えた。メイペスの前の代の……役職は聞いてないな。ん。


「こっちのお兄さんも目が醒めてよかったです。おれはパートロ。メイペスの前の……まあ、世話役みたいな感じです」

 世話役なのか。にしては、メイペスはえらく刺があったよな、言わんけど。パートロは四十代半ばだろうか。優しげな面持ちで、どことなくメイペスの面影がある男性だ。


「わたしはグラスコ・グレコといいます」

 俺は取り敢えず、よそいきの体で答える。

 初対面だからな。


「聞きました。メイペスが失礼したようで申し訳ない」パートロが頭を下げてきた。

「売り言葉に買い言葉みたいになったので、お互い様です。こちらこそ、お嬢さんには色々、失礼しました」俺も、主に下着姿で対応したことを詫びて、笑顔で握手を交わす。


「浴場の使い方は分かりますか。外とは勝手が違うことが多いのでお教えしますよ」と、パートロに背中を押され、浴場に入った。


 脱衣場に入ると、広さにも驚かされたが、全体を行き渡る涼やかな風があることが気になった。「エアコン?」俺が呟くと、パートロが「はい、空調です。天井から全体に行き渡るよう常時稼働しています」と説明した。

 電気が通っていることは秘密ではないのだろうか?「でも、あまり大きな声で言わないでくださいね」と、口の前に人差し指を立てパートロが答えた。

 公然の秘密というわけか。


 脱衣場にはロッカーが無く、ベンチだけが幾つか置かれて、湯上がりの人々が涼を取って休んでいる姿が伺える。壁には畳まれた服とタオル棚があり、脱衣用のリネンワゴンと並んでいる。


「広いですね。清掃が大変そうだ」

「交代でやってます。まあ、色々コツはあるんですよ」俺の他愛もない質問に、慣れているのだろうパートロが、的確にぼやかしながら答える。


「これだけの人がいると、何だか恥ずかしいです」とレイノシュは言いながら、俺の背後に隠れている。

「外から来られた方は、皆そう仰いますよ。なので、こちらへどうぞ」

 と、パートロに案内された先には小さく区画された浴場があった。


「グラスコ・グレコさんは怪我もあるようですし、こちらを使われてください。掃除は使用後にカランの水で流して頂ければ大丈夫です。湯船を使われるなら、ここの蛇口から温泉が出ます。それと、タオルと着替えはここに置いておきますね。ちゃんとグラスコ・グレコさんのサイズのものです。下着はこれなんですが、付け方は分かりますか?」

 と、渡されたのは一枚の布で、俺とレイノシュは首をかしげる。

「ふんどしです。こうやって、こうしてつけます」と、パートロは実演して「分からないことがあれば声をかけてください」と、大浴場へ去っていった。


「これが、下着だそうだ」

 と、俺が言うとレイノシュは俯いて項垂れて、「今だけ、今だけ」と呪文のように呟いている。

 いつも冷静なレイノシュとは思えない言動に、俺は吹き出す。

「グレコ様」と、赤い顔で睨み付けてもなんの迫力も無いのだよ。

 あんまり笑っていたせいだろう、べりっと音を立てて包帯を剥がされた。

 血液が付着していたのか、結構痛い。

「笑いすぎです」再びレイノシュに睨まれた。


包帯が解かれ、自分の腹が目に入る。

深々と、ナイフが刺さっていた、腹。

「傷口は塞がってるな。どうやったんだ?」

 答えてくれるとは思わないが、レイノシュに訊ねる。

「……その内、きちんとお話ししますから、今は勘弁してください」絞り出すような声でレイノシュは答えた。


 結局、湯船にお湯を張るのは結構な時間がかかりそうなので、今日はシャワーだけで浴室を出た。次はふんどしチャレンジだな。


 レイノシュは体を拭いたタオルに、手早く自分の着ていたものと俺の下着を包むと「行きますよ」と浴場を出ていった。


俺は置いてけぼりですか?









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