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輿図

それは、どこかのとき。

どこかの場所で起きた、物語の始まり。

 ――――それは、宿運と云うような、たまさかの巡り合わせ。

 ふたりと、よにんと、さんにんと、ひとりと、ふたりと。

 遁走する者達が、まるで約束でもしていたかのように集まった。


 戦火に追われ、

 人種で差別され、

 政治に追い込まれ、

 宗教に裁かれ、

 身分で区別され、

 【正義】の名のもとに、

 【悪意】無く投げつけられる石に、

 身も心も傷つき、

 やがて疲れ果てて。

 それでも、

 生きる事だけは、諦めきれず。

 ――――然して、祖国を見限った。


 ただ生きて、静かに暮らすために。


 彼等は、夢のような理想郷を探し始める旅人となった。

 それが例え、雲を掴む幻でも、縋りたいと願った。


 やがて、地図の隙間の名も無き山の頂きから、小ぢんまりとした緑豊かな半島を見付けた。

 切り落ちた岸壁は要塞の如く、半島を守り孤立させている。


 旅人達は、雲に手を伸ばす。

 ただ生きて、静かに暮らすために。


 然して遂に、

 さんにんと、ごにんと、ふたりと、ふたりと、さんにんの旅人達は、

 その地に降り立った。


 美しい土地。


 旅人達は安堵したのも束の間、

 見たこともない大きな建物と、

 人の暮らす気配がしない様子に戦慄する。


 困惑は、旅人達の足を竦ませる。


 すると突然、

 旅人達の目の前に、少年が現れた。


 黒い髪に黒い瞳、黄色みを帯びた白い肌。


 幾かの国を経てきた旅人達が、知らない風貌。


 切れ長の目に長い睫毛の影を落ち、

 黒い瞳から光を隠す無欲恬淡な表情。


 けれども、何故だろう。

 不思議と、惧れを感じることはなくて。

 神秘的にも見える瞳に、心意が惹かれる。


 少年は、ゆっくりと旅人達の顔を見回し、微かに口角を上げた。

 微かに、

 本当に微かに細められた目元。

 本当に微かに上げられた口角。

 それだけなのに。

 旅人達が抱いていた底しれぬ恐れや不安を、得も言われぬ安心感に変えた。


「ようこそ」


 少年のような外見からは想像だにしなかった低い声は、【彼】が妙齢であることを物語った。


 ◆

 【彼】に案内されて着いた建物は、まるで一国の城ほどに大きかった。

 しかし、その建物には、城にあるような華美な装飾は見られない。

 石や煉瓦が積み重ねられているわけでも、土で塗り固められているわけでもない。

 まるで一枚岩のように無機質で、鈍く光を反射する壁。

 不自然なほど滑らかな曲線を描き、生々しい存在感を放っている。

 壁面には継ぎ目が見えず、本来、石が持つ硬質なはずの表面は、どこか柔らかな息遣い持っていて、今まで見たことの無い不思議な雰囲気が漂よっている。


 玄関を通された広間には冷たい空気が流れ、旅程で火照った体を落ち着かせる。

 広間はエントランスというより、飯屋か酒場のようで、窓が大きくとられ、室内に陽の光を取り込めており明るい。


 穏やかで落ち着く広間に、警戒感が次第に解されていく。


「まず、体を休めて下さい。長旅でお疲れでしょう。浴場へご案内します。」

 【彼】はそう言うと、使用人らしき二人の男女に案内の指示を与えていた。


 案内をしてくれる男女は、【彼】に比べると幾分自分達と似ていた。

 薄い色の髪に、色の着いた瞳、青っぽい白い肌の比較的見慣れた風貌。


 先程の広間を出て、幾つかの扉が両脇にある通路を抜けたところで、嗅ぎ慣れない匂いが鼻を突く。

「温泉です。海底から引いてます」

  案内の女性の説明を切欠に、思いきって気になっていたことを聞いてみる。

「あの!あの方はどういうお方なんですか?」


「私共の口からはお伝えできかねます。男性の方はこちらへお入り下さい」


 案内の男性に一刀両断される。

 確かにそうだ。

 気持ちだけが急いて、無礼にも程がある。


「女性の方はこちらへ。中は壁で仕切られていますが、繋がっているので声は聞こえますので、ご安心下さいませ」


 公衆浴場、か。

 浴槽の向こう側には、大きな窓枠が埋め込まれており、外を望むことが出来る。

「この壁の向こう側に、お連れ様はいらっしゃいます」

 念のために、お互いの連れの名前を呼び合って生存を確認する。


 旅の汚れを落とし、きれいなお湯に浸かる。

 なるほど、浴槽は壁の下で格子で隣と繋がっていて、往き来は出来なくなっている。

 お湯は兼用することで節減し、尚且つ貞節には配慮されているのかと、その画期的な造りに感服する。


 お湯から上がり、脱衣場に行くと、人数分の新しい衣服が用意されていた。

「お召しになっていた衣類は、洗濯してお返しいたします」

 懇切丁寧な扱いに、戸惑いを覚える。


 元の広間に戻ると、広いテーブルに食事が用意されていた。

 旅人達は見た目こそ素直に喜んだか、やがてあることに気が付くと、着席を拒んだ。


「恐れながら領主様。発言することをお許しいただけますか」

 と、ひとりの女性が手を上げて尋ねた。


「ああ、君は貴族ってやつだったのかな。無礼講で構わないよ。僕は領主とか、偉そうな者ではないから」

 彼は食事とは別の椅子に腰かけ、茶器を揺らしながら続けた。

「そうだね、僕は……」

 と、言ったまま考え込み沈黙した。


「僕は……何だろう?なんだと思う?」

 浴場を案内してくれた二人に、問いかけている。

「分かりません」

 返答は、きっぱりとよく揃った。


「それほどに、難しいお立場の方なのですか?では、せめて何とお呼びすれば宜しいでしょう」

「僕?そうだね。トウレゥゴでいいよ。」

「では。トウレゥゴ様。ここに並んでいるのは、あなた方の―――お三方の滞在分の食糧ではないのですか?」


 山の頂から見た限り、この地は孤立していた。

 だからこそ、旅人達は足を踏み入れた。

 整地こそ行われていたが、作物を育てている様子はなかった。

 ならば、目の前にある食糧は持ち込みだろう。


「ああ、それも構わないよ。今はこれだけしかないけど、明日にはちゃんと賄えるから。……もしかして、足らなかった?」


「違います!あなた方の分が無いではないですか!あなた方の分を分け与えて下さったのでしょう!」


 泣きそうになりながらも、声を荒げることはなく、女性は淀みなく言った。


 見れば、旅人達は一同、瞳を潤ませながら大きく頷いている。


 ああ。

 いったい、今までどんな仕打ちを受けてきたというのだろう。

 会ったばかりの他者を気遣える、心優しき者達。

 これであれば。

 換骨奪胎、できるかもしれない。


 トウレゥゴは、僅かな願望のような希望を

 抱いてみても良いのかもしれないと思った。


 結局、旅人達は、断固としてトウレゥゴらに食事を分ける事を譲らず、共に食卓を囲むことを望んだ。


「いったい、私達はどんな対価をお支払いすればよいでしょう。生憎、路銀は尽きてしまって、禄に残ってないのです」

 男性の一人が訴えた。


「あなた方が、ここに根を下ろすこと。それを、対価にしていただいて構いませんよ」

 トウレゥゴが答える。


「それは、余りにも私達に都合が良すぎです。頂きすぎです。対価には値しません」

 別の男性が答える。


「勿論、あなた方にやっていただきたいことはあります。ここに……」


 トウレゥゴは、言い淀み言葉を探している。

 そして、見付けた言葉を切り出すために、微かに微笑んだ。


「そうですね、こう言うと決して適切ではありませんが、ここを【楽園】にしてきただきたい」


 楽園?旅人達は顔を見合わせた。

「楽園……ですか?」


 トウレゥゴは、旅人達の顔を一瞥すると、

「誤解しないで頂きたい。強いて、あなた達が使う言葉で近いのが【楽園】ということです。【理想郷】でも良い。要は、争わず暮らす、そんな地を作りたいのです」


 一瞬の沈黙。


「それでは、まずは食事を頂いてから、テーブルを片付けましょう。片手間に伺ってよいお話とは思えません」

 貴族だった女性が、真っ直ぐな目でそう言った。


 食事が終わると、使用人らしき二人を手伝いながら、女性達は食器を片付け、男性達は子供達と共にその場を整えた。

「必要であれば」と、トウレゥゴは紙と筆記具を用意してくれた。

 腹休めのお茶が用意され、改めて席に着いた。


 トウレゥゴは、一人掛けの椅子に深く腰かけ、静かにお茶を口にしている。

 その様子は、あくまで傍観者でいるつもりに見える。


 まず、ニ番目に年嵩の男性が口火を切った。

「あの……【楽園】とは、国家と考えるべきでしょうか?」


「そんな、大袈裟に考えなくていいよ。そこまでの大所帯には、きっと出来ないと思うし、成らないと思う。この地に、この地だけが”僕の望む平穏”であればいい」


「差し出がましいですが、何のための【楽園】でしょう?」

 トウレゥゴは大袈裟に顎に手を当て、言葉を探している。

「うーん。強いて言うなら、僕の我儘?」

「我儘……?」

「思い付きの突貫仕事ではなくて、丁寧に作った上で、秩序があれば、【楽園】が可能なのではないかしら、と」


 一番年嵩の男性は、その言葉の含みに口を挟もうとしたが、それに気付いたトウレゥゴに「しぃー」と人差し指で口を閉じる仕草をされた

 。


「傷つくまでの、争いをしないこと。これが最優先事項。あと、時折、あなた方のような方を連れてきますので、その対応をしていただきたい」


 旅人達は顔を合わせ、トウレゥゴの意図を探す。


 丁寧な仕事とは、この大きな建物と、既に整地されている環境のことなのだろう。

 後は秩序を整えると言うことだろうか。

「それと僕は、ある程度あなた方の暮らしに目処が立ったら、あなた方に手に余ること以外は、殆ど干渉するつもりはありません」


「国家では無いということは、法律の制定はしないということですか?」

「あなたは政治に携わっていたのだね。ではお聞きします。法律は全てを網羅できる?」 

「いえ。どんなに配慮して考慮しても、何だかの粗が出ます。それを小賢しい者が目敏く見付けます」

「なら、制定することに意味はないね。自由と勝手を、履き違えない程度の約束事は、あった方が良いとは思うけど。」


 政治家だった男性は面食らったが、己の理想を形成できそうなことに幸甚した。

 嘗て彼は、法律を笠に着た【正義】に、異議を唱えたことで迫害されていた。


「格式張った御為倒しではなく、より人々に根付きやすい決まり事を、ということですか」


「そうだね。それと、あんまり数が沢山あっても御免だね。僕は牢獄を望んでいるわけではないから」


 政治家だった男性は喜色で頷くと、溢れ来る思考を紙に書きなぐる。


「それでは、信仰は必要でしょうか?」

「どう思う?宗教家さん」

 一番年嵩の男性は、質問返しされた。


「何か指標がある方が、人は安心はします。既存の神でなくても、例えば、トウレゥゴ様を崇拝ことで、私達はそのご恩に報いようと努力するでしょう」


 トウレゥゴは、すんっと眉をひそめた。

「感謝は、空や大地の自然に向ければ良い事。僕は、僕の我儘を押し付けるだけだから、恩なんていらない」


 それを聞いて、聡明な宗教家だった男性は、何かを確信した。


「それに、信仰は法律よりも、厄介になることを貴方は知っているでしょう?」

 トウレゥゴの、何もかも見透かしているかのような黒い瞳に、宗教家だった男性は瞠目した。

 神の名の下に、人は残虐な行為を正当化出来る。

 己の、爪の無い指が何よりの証拠だ。


「承知致しました」

 宗教家だった男性は、トウレゥゴに畏敬の念を込め目礼した。


「では勿論、身分もなんてものも要りませんね」

 貴族だった女性が断言した。

「そうだね。くだらないね」


「平等を唱うのなら、いっそ貨幣も要らないでしょう。必要なものは共用して分ければいい」

 身分と金の恩恵を受けていたはずの、貴族だった女性。

 華美ではないけれど、彼女を彩っていた装飾品が、いつの間にか路銀に消えていたことを、皆知っている。


 旅人達は、自らの河清の理想が、夢物語で終わらなくなりそうな気がして討議に熱中した。

 トウレゥゴは討議は任せ、広間を後にした。


 ◆

「……で、一晩中討議していたの?」

 呆れた口調でトウレゥゴに問われた。


 朝日の差す広間のテーブルには、子供達までも突っ伏している。


「子供達まで……あ、僕の落ち度だね。部屋を案内してなかった。申し訳無い」

「いえ、頭を上げてください。私達は端からここで休むものと思ってましたし。討議は……その、嬉しかったんです」

 政治家だった男性が言う。


「私達は、偶然に導かれて旅をしました。皆、傷があります。幾度も、幾度も理想に夢を馳せ語り合いました。夢は語るに尽きませんでした」

 トウレゥゴはじっと男性を見つめ、話の続きを促す。

「それなので元より、理想の叩き台はあったのです。それを実現に向けて詰める事が出来るなんて、私達には望むところなんです」

「だからと言って、やっつけ仕事なんかやったら、元の木阿弥だからね」

「丁寧な仕事、ですね」


「それにしても、偉大なる御方の功績を、やっつけとはトウレゥゴ様も大概ですよね」

 と、宗教家だった男性が、笑いながら口を挟む。

「気が付くあなたも相当だよ」


「隠す気なんて、有ったんですか?」

 貴族だった女性も話に加わる。


「全く。出た杭が叩かれるはずだ」

 トウレゥゴが少年のように声を出して笑った。

 この笑顔に報いなくては、と旅人達は思った。


 ◆

 トウレゥゴは、徹夜明けだというのに、元気に動き回る旅人達の様子を、ぼんやりと眺めていた。


 討議は、貴族だった女性――トベラノを中心に回っている。

 てっきり、政治家だった男性――ポリチコか、宗教家だった男性――レリジオが主導権を持つもの思っていたが、それ程に、彼女が信頼に足る人物と云うことだろう。


 トベラノは、皆の話を要領よく纏めると、突拍子もない自分の見解を乗せ、積み上げたものを惜しげもなく崩す。

 これでは時間が掛かるはずだ。

 けれど、

 その時間は決して無駄ではなくて、

 それまで見えていなかった、

 新しい別の何かを見付け出す。


「取り敢えず必要なものは、作物の苗と農具ですね」

 微睡みにも似た、思索の海を漂っていたトウレゥゴに、レリジオが声をかける。


 議長はトベラノではと、僅かに眉をひそめたトウレゥゴの表情を、目敏く見付けたレリジオは笑いを堪えながら言った

「猫ばばでは無いですよ。私はトベラノの代理です。お使いです。彼女は今し方、子供達と外に出ていきました。ほら、あそこに。何でも探索しながら調査するそうです。息抜き(サボり)とも云いますけど」

 レリジオが窓の外を指差すと、トベラノがこちらに手を振っている。


「!僕はっ、別にっ!」

 トウレゥゴは、図星とばかりに耳を赤らめて、明らかに動揺を隠せていない。


 彼は、昨日初めて出逢ってから、何処か私達から一歩引いた処があった。


 依然として飄々とした態度を一貫して、隙を見せまいとしているが、こんなにも若者らしい、愛らしい表情を見せられると頬が緩む。


「トベラノには、領地経営の経験があるのですよ。目端が利き、弱い者を掬い上げる器量がある。彼女には何時も助けられます」

「そう言えば、あなたとトベラノは夫婦なの?常に一緒に居るようだけど」


「やきもちですか?冗談ですよ、不貞腐れないでください。――――トベラノは、体が不自由な私を補助してくれているのです。第一、私に子は望めないので、夫婦には成り得ないのです。」


 レリジオは、確かに旅人達の中では一番年嵩ではあるが、子を望めないので程の年齢ではないはずだ。

 トウレゥゴは、困惑に顔を顰めた。


「昨日、仰ったでしょう。【厄介な事】に、壊されてしまっただけですよ」

 レリジオは事も無げに笑っている。


「ミフィトは戦場に生まれ落ち、それを当たり前に少年期を過ごしたそうです。ベトクロは肌の色で人権を奪われて、物心つく前から差別の憂き目にあっていたそうです。そんな自分ではどうしようもない事に始まった理不尽に比べたら、自由に声を上げた分、まだましです」

「そんなことは比べる事じゃない。どれも受けなくてもいい痛みだ」

 トウレゥゴは、無言で唇を噛んでいた。


 レリジオの脳裏に、【愛し子】……という単語が浮かぶ。

 もし、自分に血を分けた子があれば、こんな感じなのだろうか。

 流石に、我が子と呼ぶには年齢が合わないけれど。

 このまま、揶揄うのも吝かではないけれども、それでは埒が明かないので話題を変えてみる。


「そんなことはさておき。この建物には驚きましたよ。地下にあんな巨大で、涼しい貯蔵庫があるなんて。表には火山どころか山もが見当たらないのに、海底火山から温泉を引くとか、浴場の設備も発想が無尽です。部屋数にしても、いったい何部屋、用意されたのです?」


「今は、五十ある」

「そんなにも……」レリジオが考えていた以上に、壮大な計画が準備されているようだ。


「多分1万人までなら、余裕で“生活“できる」

「1万人、ですか?」

 いきなり跳ね上がった数字に、レリジオは驚愕し、二の句が継げない。


「無理をすれば4万……いや、駄目だ。そんなに“救え“ない!」

 いったい誰に説いているというのだろう。

 “救う“?“生活“から擦り変わった言葉に違和感は有るが、まずい、どうやら揶揄うよりも忌諱に触れたらしい。


 レリジオは周章てて、ぱんっとトウレゥゴの鼻先で手を叩く。

「お一人で、何もかも背負わないでください。まだ、信頼には価しないでしょうが、私達は、あなたに救って欲しい訳ではありませんよ」

 レリジオが慰めるように、ゆっくりと語りかける。


「あーっ!レリジオがトウレゥゴ様をいじめてるー!」

 子供達の笑声がして、それまでの雰囲気を一掃する。

「はいっ?!」

 レリジオが素っ頓狂な声をあげると、窓の外にはトベラノが子供達と摘んできた花を手に、楽しそうに覗いている。


 レリジオは、空々しく「こほん」と言ってから「トウレゥゴ様。この子はミフィトの子供で、そちらの二人がベトクロの子供です。」と、紹介した。


 続いて、幼い子を抱っこしているトベラノが「そしてこの子は、なんとポリチコの孫なんですねー。まだ、お喋りできないのよねー」と、頬を合わせる。


 子供達はニコニコとしながら、手にした花をトウレゥゴに差し出し始めた。


「これどーぞ!」

「ごはん、ありがとー!ですっ!」

「おふろも、ありがとー!なの」

「それとね、それとね……いっぱいありがとーするの!」


 舌足らずに感謝を伝え、手にした花を差し出すが、如何せん窓に背が届かない。


 トウレゥゴが窓から手を伸ばすと、横からトベラノに抱っこされた子が、付き出してきた花を、思わず反射的に受けとる。


「……ありがとう」と躊躇いながら言うと、まだ花を渡せていない子供達が、どうしようと拗ねている。


 と、その時。

 子供達の手から、ふわっと花が舞った。

「……魔法?」とトベラノが呟くと

「そんなわけないよ。手品だよ」

 トウレゥゴが素っ気なく答えた。


 花は宙を舞って、トウレゥゴの手に収まった。


「すごおーい」

「きれー」

「ほおあ……」


 子供達が言葉にならない声をあげて燥いでいる姿に、トウレゥゴは目を細めている。


 レリジオとトベラノは、どこか淋しさが滲んだ、その笑顔を見逃せなかった。



 ◆

 約束通り、十分な夕飯が用意された。


 まず、前提として。

 この地は、海に突き出した半島で、周囲は崖になっていて、釣りには適さない。

 唯一、陸地と繋がっている――旅人達が辿ってきた経路は、谷に阻まれて容易に山に入れず、剰え荷車は通せない。

 見渡す限り平原で、森林が存在していないので野生の獣も望めないし、木陰を作る程度の樹木は全て針葉樹で食用の木の実をつけていない。

 つまり、この地に今現在、食糧に出来るものは、まるで望めない。


 夕飯前に、いそいそとトウレゥゴに声をかけられた旅人達をは、貯蔵庫に集まって絶句した。


 いつの間にか何処からともなく運び込まれた人数分の食糧が、広い貯蔵庫にちんまりと収まっていたからだ。 


 トウレゥゴが得意気に話し始める。

「まず、食糧ね。この位あれば三日は大丈夫?」

 三日とはいわず、一週間分は余裕でありそうな量に、旅人達は唖然とする。

「それから農具一式。種は収穫までに日が浅い玉蜀黍と、小麦と大麦の穀物。豆と菠薐草等の野菜。馬鈴薯や人参、蕪の根菜。あとは西瓜を用意したけど、足りる?」

 トウレゥゴが照れ臭そうに説明する。


 昼前にレリジオが希望したものを、夕飯前に揃えて…用意してくれたのだか、その仕事の早さと品数と量が尋常ではない。


「あの……表に番いの牛と鶏もいましたよね。飼料と家畜小屋と一緒に」

 トベラノがおずおずと尋ねると、

「必要かと思って……家畜についてはレリジオは何も云ってなかったけど……迷惑だった?」

 トウレゥゴの言葉尻が沈んでいく。


「いえ、決して迷惑ではないです。有難いです。実際、家畜の事は失念してました。その……お気遣いありがとうございます」

 レリジオの持って回った答えが、トウレゥゴを意気消沈させる。


 あまりの量と品には目を見張るものがあるが、彼は、彼なりに旅人達に敬意を払っているのだろう。


 驚いたからと戸惑っていても、それは何だかトウレゥゴを責めているようで、居た堪れないトベラノが皆に発破をかける。

「おしっ!では、今日の討議は作物計画ですねっ」


「でも、いい加減、今日は寝なね」と、トウレゥゴに笑いながら釘を刺された。


 ◆


 然して、何年か月日を重ねた。

 作物は実り、少しずつ、人が増え始めた。


 旅人達は、トウレゥゴが厭がるので、表立って崇拝しないが、常に感謝を秘めていた。


 けれど、後からやってきた人々は違う。

 熱さは、喉元を過ぎれば忘却の彼方。

 理不尽な状況に苦しんだ筈なのに。

 同じことを繰り返す。

 搾取する側に、回りたがる。


 徒に肥沃な資源は、なんとも魅力的で。

 その悪辣な企みの矛先は、トベラノへと向いた。

 女を見下した、卑劣な行為。

 それは、トウレゥゴの怒りを買った。


 トウレゥゴは、正直なところ、旅人達以外は大事ではなかった。

 大なり小なりの諍いが起こるだろう事は、容易に想像出来る。

 それが、人だ。


 だから、諍いの種を摘み取り、棄てることに何の躊躇はなかった。


「辛い決断をさせてしまいました」

 虫の息のトベラノが云う。

「犠牲にして、すまなかった」

 トウレゥゴが、老いたトベラノの手を握りしめる。


 心を許し、希望を持たせてくれた旅人達が、ひとり、またひとりと身罷る。

 我儘が、成就から遠ざかる。


 ――――――それが、このランデフェリコのエデノに伝わる、昔話。

 なぜか口伝でのみ紡がれていて、既に固有名詞を失った。

 心優しき旅人達が、何もなかったこの地を耕し、傷ついた人々を受け入れ続けた。

 そこに、トウレゥゴの存在はなかった。

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