ADHDとの共存
俺は何者なのか分からない、、、
※これは筆者の実体験を元にしたフィクションです。
俺は小さく生まれた。名前はゆうとと名付けられた。
1500グラム台と未熟児として生まれた俺は保育器の中で大切に育てられ、生まれて4ヶ月くらいでどうやら退院できたらしい。そこからすくすくと育ち、時が飛び小学校に上がった。小学校に上がると、元々片親だった俺に初めて「父親」と呼べる人が母の結婚で出来た。しかし、その義父は普段は温厚で優しいのだが怒ると暴力的になり俺の記憶の中ではしょっちゅう殴られてた覚えがある。弟が出来てからそれが余計に増えた気がする。。そこから人の顔色を伺う癖が付き、俺ともう1人の僕が心に住み始める。俺は、社交的で怖いものなんてないっていう感じの子なのに対し、逆に僕は内向的でいろんなものに怖がる性格だ。つい最近分かった性格が多い。え?なぜ、もう1人の自分がいるって分かるかって?俺、どうやら、ADHDというやつらしいんだ。衝動性があったり、注意力が散漫になったりと、それが僕と言う人格だ。俺はADHDと小学校3年生ながらそう診断を受けた。
今ほどADHDが世に出ていない時にそうゆう診断を受けて子供ながらに俺は変なやつなんだって思うようになった。しかし、親がADHDの特性をよく調べたり病院に行ってくれたらと理解をしてくれたおかげで中1まではあまり問題も目立たないくらいまでよくなっている。問題が起こったのは中2だ。僕は友達との遊びに当時流行っていたオレカバトルをやりたく、おじいちゃんの財布からお金を取ってしまった、、それが見つかり雷が落ち、相当ボコボコにされた。その事件がきっかけで転校することになり、生まれ育った故郷を離れた。中3でも似たようなことをしてしまい、修学旅行に行けなかったり、様々な支障は出た。。僕自身の問題でもあるし、衝動性という部分でやってしまったことについては今となっては反省している。
普通の親ならここで見放す親もいるかもしれないが、僕の親は違った。見放さないでしっかりわかるまで説教したり話し合いをしたりと色々やってくれた。とても感謝している。
高校生に無事になることができ、夢だった高校生活が始まった。そこでも問題を起こしてしまう。。。
高一の頃には提出物を出さずに勝手に学校が嫌になって、学校に行くふりをして、親が仕事に向かえばすぐに家に帰り動画やゲームをしていた。やはりそうゆうことは親には全てバレてしまうわけでかなり怒られた。ここで反抗期が来たこともあってかなり親と衝突した。これが無かったら今は親と良好な関係は続けられていないと思う。そこから担任の先生の手助けもあって高校を卒業でき、社会人となった。
社会人はADHDの特性もあってか、かなり忘れ物や人の話を一回で聞けないなど苦労がある。それは今でも現在進行形だ。メモを取ったり、分からないことはちゃんと言うようにしている。たまに感情が爆発しそうな時があるが深呼吸して落ち着くようにしている。まだまだ、ADHDが抱える問題は山ほどあるがそれでも諦めないで欲しい。ADHDが活躍できる場所はいくらでもあると思っている。自分もその1人だから。生きてるだけで偉い。この言葉は忘れたくない
あとがき
初めまして!初めて、小説?なのか?
よく分からないけど、文を書かせて頂きました!この文は自分がADHDであるからこそ、感じれた部分を文字に起こし投稿させて頂きました。次は長編の物語系をやりたいなーと考えております!
ここまで読んで頂きありがとうございました!!もしいいなと思ったらコメント下さい!アドバイスも待ってます!!!