感想欄への「批判拒否」に関してより深く考察した話。~続・「批判」を書くのは「読者の権利」だと言っている人がいたので、運営様に問い合わせてみた話。~
お手数ですが、当エッセイをお読みになる前に、以前投稿している“「批判」を書くのは「読者の権利」だと言っている人がいたので、運営様に問い合わせてみた話。”をお読み下さい。
ここ3ヶ月程全くと言っていい程エッセイを読んでいなかった白烏であります。
「なろう」では小説ばかり読んでいました。
そんな私ですが、半年以上前に投稿した“「批判」を書くのは「読者の権利」だと言っている人がいたので、運営様に問い合わせてみた話。”に現在も感想を頂戴した事で、今一度この件について考えてみようと思い立ちました。
また、評価、感想、いいねをして下さった方々、機会を作って頂きありがとうございます。
そして、もう【批判】云々の話には興味ない。お腹いっぱい、という方はお手数ですが、ブラウザバックして頂くか、もしくはタブ(ウィンドウ)をそのまま閉じて下さい。
さて、上記のエッセイにて【批判】について色々なご意見を感想欄に頂戴したのですが、その中の幾つかにこういったご意見がありました。
“読者が【批判】をするのは、自分(読者)のため”
なるほど、と思いました。
それは話が噛み合わないな、と。
私は「【批判】とは、批判対象(今回の場合、作品もしくは作者様)のために『こうしたらよくなるのでは』というポジティブな指摘」だと考えていました。
しかし、“読者が【批判】をするのは、自分(読者)のため”と唱える人は、「作品を読んだ気持ちを自分の中で、消化するため」という理由から私の主張(書き手の方の「感想欄への【批判】はご遠慮ください」という記載は問題ない)に反対のようです。こう考える方々からすれば、どんな所であろうと【批判】という、要は「鬱憤晴らし」を封じられるのは我慢ができないということなのでしょう。
だからこそ、「読者の権利」という言葉が出てくることにもある種納得しました。
そこで改めて【批判】という言葉の意味を調べてみました。
【批判】
良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。
また、【批判】と混同されやすい下記の言葉の意味も列記しておきます。
やたらと「定義」にこだわるユーザーの方がいらっしゃったので。
【感想】
ある物事に対して心に生じた、まとまりのある感じや考え。
【非難/批難】
欠点やあやまちなどを責めとがめること。
【苦情】
自分が他人から害を受けている状態などに対する不平の気持。
【誹謗中傷】
根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること。
それと蛇足という名の追加項目です。
【権利】
ある物事をしてよい、またはしないでよいという資格。
【】内の言葉は私のエッセイ内では上記の意味で今後定義付けさせて頂きます。
まず、頂戴した感想のコメントで、「【批判】、【苦情】、【非難】を混同されているのでは」というご指摘も頂きました。
ですので、今一度ここで明確に線引きしたいと考えました。
それをするために、“【批判】とは自分(読者)のためのものだ”と仰ったユーザーの方の一人が掲げた【批判】の種類を使わせて頂きます。
①ある作品を読んで非常に不快に思った作品への抗議
②内容が悪質で社会によくないものだと判断された場合の抗議
皆さんはどう思われますか?
私は上記の定義付けた意味から考えれば、①は【苦情】、②は【非難】だと考えています。
少なくとも、【批判】ではありません。
以下<>は頂戴したコメントに対するその時の私の返信です。
<①の「ある作品を読んで非常に不快に思った」場合の【苦情】(※1)ですが、私はこの【苦情】を作者様に言うのは筋違いだと考えています。テレビとは訳が違います。
テレビの視聴は「受動的行為」です。本人の意思にかかわらず(※2)、視聴してしまう可能性があるからです。どこかの店に入ったらテレビが流れていた、などが相当します。それゆえ、BPOも存在しているわけです。
一方で、「読書」という行為は「能動的行為」です。自分が読まないと内容は情報として入ってきません。「不快」に感じそうになった瞬間に読むのをやめることもできます。仮に、「無理矢理読ませられた(※3)」としても、その場合の【苦情】の矛先は「無理矢理読ませた人」にするべきでしょう。
尚、「内容が悪質で社会によくないものだと判断された場合」は、通報案件の可能性も高いと思いますので運営様に通報して判断を仰ぐ方が適切ではないでしょうか。>
(※1 本来は「苦情」でしたが、本稿ではわかりやすく【苦情】に変更)
(※2「関わらず」は誤用とご指摘を頂戴しましたので、「かかわらず」に変更)
(※3「読まさせられた」は誤用なので、「読ませられた」に変更)
更に、②の場合は作者本人に指摘して揉める可能性を考慮すると、運営様に通報した方がいいのではと私は考えます。
また、「内容が悪質で社会によくないもの」以外の【非難】も意味から考えても、【感想】とは言えないのではないでしょうか。
それゆえ、私は「作品の感想欄」に【苦情】や【非難】のコメントはするべきでないと考えています。
【感想】じゃないですから。
そして、おそらくですが、「感想欄への批判はご遠慮ください」と記載されている書き手の方の批判には、【苦情】や【非難】も含まれているのではないでしょうか。
以下、≪批判≫は【批判】だけでなく【苦情】や【非難】も含まれている、と定義付け致します。
そして、ここで改めて、“読者が≪批判≫をするのは、自分(読者)のため”という主張について考えてみました。
確かに、【批判】の意味に「誰(何)のために」の文言はありません。
私は「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。」という文言の解釈として自分の主張が間違っているとは思いませんが、あるかないかという意味では、私の「批判対象(今回の場合、作品もしくは作者様)のため」という主張は証明できません。
しかし、逆に言えば、“自分(読者)のため”だという証明にもなり得ないのではないでしょうか。
つまり、“読者が≪批判≫をするのは、自分(読者)のため”だから「感想欄」に≪批判≫を書くのは「読者の権利」だという主張する人は、“読者が≪批判≫をするのは、自分(読者)のため”という考えを万人に、少なくとも、書き手の方々に納得させる必要があります。
それを言うなら、私の主張はどうなんだ? という声が聞こえてきそうです。
しかし、私は「作品の感想欄では」と最初に前提条件としています。
「作品の感想欄」は作者様が「任意の感想コメントを削除できる」ことから「作者様の領域」です。作者様の意にそぐわないコメントを作者様は削除できるのですから。
「会員規約」を守った上であるならば、「作品の感想欄」は「作者様のルール」を読者が守るべきだと私は考えています。「作者様のルール」を破ったコメントを作者様は削除できてしまうからです。その後は当然「ブロック」が待っています。
話を戻しますと、“≪批判≫は読者のため”ではないと考える作者様が「感想欄への≪批判≫はご遠慮ください」と前置きしたにもかかわらず、“自分(読者)のため”だと主張するならば、“読者が≪批判≫をするのは、自分(読者)のため”であることを立証しなければなりません。
しかし、先程も述べましたが、【批判】の意味からは“自分(読者)のため”だという証明にはなり得ません
つまり、前回のエッセイも含めた上での結論としては、
“「感想欄に≪批判≫はご遠慮ください」と記載されている作品の感想欄に≪批判≫を書く行為は「読者の【権利】」で許されることではない”
となります。
どうでしょうか。
もし、“【批判】は自分(読者)のため”だと証明できるという方がいらっしゃるのでしたら、立証していただけたらと思います。
しかし、言い換えれば「作品の感想欄」以外の読者自身のSNS等なら、≪批判≫を書くのは問題ないと考えています。「作品を読んだ気持ちを自分の中で、消化するため」というお考えなら、読者自身のSNSで思う存分書けばいいのではないでしょうか。
次に、この件の根本的な部分についても、この際ですので述べさせて頂きます。
以前も書きましたが、作者様が「感想欄への【批判】はご遠慮ください」と記載することに関してですが、私は全面的に支持しているわけではありません。
作者様が「感想欄への【批判】はご遠慮ください」と記載するにも前提条件があると私は考えています。
それは「作者様に上昇志向がない」ということです。
ここで言う「上昇志向」とは、
・書籍化させたい。
・ランキング上位に入りたい。
・今よりも「☆評価」の高評価(☆5)が欲しい。
という考えです。
解説させて頂くと、「書籍化」は出版社から、「ランキング上位入賞」は読者から認められる必要があります。もちろん、何の努力もなく、この2つを達成される書き手の方もいらっしゃるのでしょうが、多くの書き手の方はこの2つを目指すなら「作品をよりよくしよう」と考えることになるのではないでしょうか。また、「今よりも高評価が欲しい」と考えているということは現状の評価ポイントに「納得していない」ということです。ゆえに、私はこの3点を「上昇志向」と定義付け致しました。
「なろう」に小説を投稿している方の中には、「本当に趣味で小説を投稿していて、☆評価は嬉しいけど、ランキングとか書籍化は興味ない」という書き手の方もいらっしゃるのではないでしょうか。こういう方なら「感想欄への【批判】はご遠慮ください」と記載するのに私は全く違和感を覚えません。「全面的に」としたのはこのためです。
しかし、少なくとも上記のような「上昇志向」がおありなら、【苦情】や【非難】ではない、正しい意味での【批判】に関しては耳を傾けてもいいのでは、と愚考しております。
以前にも書きましたが、「感想・評価(今なら、いいねも)は『読者の善意』である」と私は考えています。
その上で、「感想欄への【批判】はご遠慮ください」と記載されているのに、一方では「(ランキングに入るため)☆5をお願いします」と言われても「読み手」である私は納得しかねます。
それはもう「好意的意見・評価の強要」ではないでしょうか。
とはいえ、これはあくまでも私の考えであり主張です。私の主張が読み手に取って少数派なのか多数派なのかはわかりませんので、「上昇志向はあるけど【批判】は嫌だ」と仰る書き手の方を否定までは致しません。その考え方で成功される、された方もいらっしゃるのかもしれませんので。
という二点が、今回の考察における結論となります。
如何でしたでしょうか。
最後に、ここで私も感想欄へのコメントに「お願い」をさせて頂きます。
冒頭のエッセイの感想欄の幾つか頂いたコメントで、とんでもない長文のコメントがありました。それも同じ方が複数。そういった方が幾人かおられたのです。
申し訳ありませんが、コンパクトにまとめていただけないでしょうか?
感想欄だけでは満足できなかったのか、とんでもない長文のDMまで送ってきた方もいらっしゃいました。
【批判】コメントは全く問題ないのですが、「お願い」ですのでコンパクトに。
私のエッセイへの感想欄にそこまでの文字数を打つことができるのでしたら、どうぞ、ご自身でその旨をエッセイとして認めていただけたらと考えております。