09.初めてのダンジョン①
草木が若葉を茂らせた頃、レイチェルはついに決断した。
朝食の席で、ルインとカルスに言ったのだ。
「今日から異界迷宮に行きます」
おお、とルインが大声をあげた。
「異界迷宮ですか? 実戦ということですよね」とカルス。
喜ぶルインと対照的に、不安げな顔だ。
「恐らく、Cランクの異界迷宮になります。今の君たちなら問題ないでしょう。もちろん、私も同行しますが、基本的に手は出しません」
なんのかんのと言い訳をして、伸ばしてきたが、そろそろ実戦経験を積ませなくてはならない。
以前、ワイバーン退治の時に見つけた異界迷宮が、Cランクに成長した頃合いだろう。
「し、Cランクですか? 僕らなんかじゃ、全然駄目なんじゃ……」
カルスが、冗談でしょう、という顔で言った。
なにしろ、カルスもルインもレイチェルのことを、Cランクだと思っている。
カルスは、さすがにレイチェルがCランクなのはおかしいと思い、なにか事情があるのだろうと察しているが、それでも彼らにとってCランクは、はるか高みに思えた。
「実戦にまさる訓練はありません。なにかあったら私が守ります」
『完全回復』があるから、最悪はそれで回復できる、ということだろう、とカルスはとった。
きっと、強い敵と死に物狂いで戦うことが、重要なんだ。
一方のルインは、Cランクと聞いて、やる気がみなぎった。
故郷の村にいた頃は、Fランクのラビットボール(ウサギの耳が生えた直径五十センチほどの球体)を、倒したこともある。
Cランクといえば、食人鬼オーガーや、火吹きトカゲのサラマンダー、といった有名な魔物ばかりである。
どれくらい自分が通用するのか、腕が鳴る。
「装備は用意してあります。攻略までに三日ほどかかるでしょうから、旅用品も備えてあります」
装備と聞いて、ルインの目が輝いた。
『武器と防具図鑑』は、もう全てを記憶してしまうほど読み込んでいる。
「あまり期待しないでください。仮の装備です」
レイチェルが二人に与えたのは、革鎧だった。
下は厚手のズボン。手には穴あきのグローブ。ベルトを巻いて、そこに短めの剣を吊り下げる。
「やった。最高」とルインのテンションが、大いに上がった。
剣を何度も抜き差しする。
鎧も剣も、あつらえたようにピッタリだった。
実際に、これらはレイチェルがオーダーメイドで用意したものだった。
鎧やブーツ、グローブの革は、あらゆる属性の攻撃に強い耐性を持つ、ドラゴンの革を使っている。
剣は高価ではないが、腐食耐性と修理の付与魔法をつけてある。
さらに、首を守るネックガードには『身代わりの石』を埋め込んであり、即死攻撃を一回だけ防ぐことできる。
レイチェルは過保護であった。
もちろん、それらの事実を、弟子たちに伝えることはしなかった。
ルインもカルスも、これらの装備を、ごくありふれたものだと思い込んだ。
なにしろ二人とも、武器や防具を身に着けるのは、初めてだったのだから。
『武器と防具の図鑑』を読み込んでいるルインでさえ、ドラゴンの革の質感などわかるはずがなかったし、ましてや、革にしては軽すぎる、などとは思わなかった。
武具を身に着けた弟子二人を、レイチェルは、惚れ惚れと眺めた。
ルインもカルスも凛々しい。
二人ともこの半年あまりで、背も高くなったし、体つきも見違えた。
「二人ともよく似合っています。素敵」
レイチェルの言葉に、ルインがガッツポーズを決めて、カルスが赤くなって下を向いた。
移動は『転移』の恩恵能力で一瞬だった。
屋敷の玄関ホールから直に、ゴツゴツとした黒い岩肌がむき出しになった、山の斜面に出た。
すぐ目の前には大岩があり、そこに隠れるように、赤い光に縁どられた黒い穴がある。
「これが異界迷宮」
カルスが、ゴクリと唾を飲んだ。
「はい。玄関口が変わっていないところを見ると、内向性の強いタイプのようです。中は自然洞窟型で、複雑な迷路になっていることでしょう。三日以上かかるかもしれません」
「お宝とかあるんだろ?」
今にも、中に飛び込んでいきそうな勇み切った顔で、ルイン。
「はい。ですが、Cランクですから大したものはありません」
異界迷宮の中に宝箱があり、そこに武器や道具などが入っているのはなぜなのか、今だに解明されていない謎である。
神々の宝物庫とつながっているため、という説もあれば、異界迷宮が成長するに従い、その土地の記憶とアクセスして、存在を固定化するために生成している、という説もある。
ともかく、異界迷宮で手に入った武具や道具は、『天然物』として、良い値段がつく。
冒険者にとっては、一攫千金のチャンスでもあるのだ。
「そういうけどさ、師匠だって……」言いかけて、ルインは口をつぐんだ。
レイチェルがCランクであることを、ルインもカルスも、口にしないように決めていた。
なにか事情があるのだろうし、そのことを気にしているかもしれない。
「僕らにとってはお宝ですよ」とカルスがフォローした。
さあ、どうぞ、と言われ、まずルインが穴に飛び込んだ。
ついで、カルスも飛び込む。
最後にレイチェルが入った。
◇
現れた先は、確かに洞窟だった。
外と同じく、黒い岩肌がボコボコとした壁を造っている。
露で少し濡れているのか、玄関口の白い光に照らされて、ツヤツヤと光っている。
「足場が悪いです。戦闘時は立ち回りに気を付けてください」
レイチェルが言いながら、右手の親指で宙に輪を描いた。
それが青い光の輪になる。
青い光の輪は凝縮し、握りこぶし程の白い球体に変わった。
『光精霊』の恩恵能力である。
明るさを勝手に調整してくれたり、分裂して影を無くしたりと、気をきかせてくれ、光源として非常に優れている。
レイチェルは、主にランプ代わりに使っているが、『光精霊』の光には、アンデット系の魔物を弱らせる効果もある上に、攻撃を支援してくれる。
『光精霊』は、六つに分裂して、前方から後方までの天井付近に移動した。
「では行きましょう」
レイチェルの言葉に、ルインとカルスが同時にうなずいた。
二人が前に出て、歩き始める。
ルインは、腰の剣を握ったり、離したり。
カルスは、緊張で体をこわばらせながら。
レイチェルは、彼らから二十メートルほど距離をとって、ついていった。
これくらいの距離ならば、レイチェルが本気を出せば、一瞬でつめられる。
いざとなったら、割って入ることができるのだ。
『光精霊』が、さらに分裂して、天井に並ぶ。三人の歩みに合わせて、スーと移動していく。
前を行くルインとカルス。
二人とも黙ったままである。
初めての実戦、それもCランクの異界迷宮。緊張しないはずがない。
レイチェルは、足音をまったくさせずに歩いているので、二人の足音だけが通路に反響する。
まっすぐに続いた通路。
『光精霊』のおかげで、かなり先まで見える。
その光の下に、人影が現れた。
人、いや、それにしては大きい。
「来たぞ」
ルインが言った。
「たぶんオーガー。Cランク。強いよ」
カルスが返す。
二人は剣を抜いた。
足を止めて、迎え撃つ態勢をつくる。
足場は大丈夫か。
ほかの魔物が隠れられそうなところは、ないか。
罠の類はないか。
「なあ、勝てるかな」
ルインが言った。初めて見せる不安げな顔。
勝てるわけないだろう、とカルスは思ったが、言わなかった。
相手はCランク魔物である。きっと、生き残ることが重要なのだ。
「大丈夫。師匠がついてるもの」
言ってから、カルスは、ちらりと後ろに視線を送った。
レイチェルが、足を止めて立っているのが見えた。
精一杯頑張ろう、そう思った。
あの人を、ガッカリさせたくない。
魔物が近づいてきたので、姿形がはっきりとした。
赤銅色の肌は、脂を塗ったようにテカテカとしている。身長は三メートル弱。
長い手足に、大きな頭。体毛はなく、ツルッとした頭に、ボコりと大きなコブのように盛り上がった頭頂部。
腰に巻いた茶色っぽい布。そこからはみ出した男性器。
Cランク魔物オーガーだ。
「チンコでけえな」
ルインがつぶやく。
カルスは、それに吹き出しかけた。おかげで、緊張感がやわらいだ。
オーガーの大頭の下半分が、パカッと開いた。
口を開けたのだ。
耳まで裂けた大口だ。そこに、ギザギザの歯が並んでいる。
「うまそうな、うまそうな」
オーガーのしゃがれたような声。
ルインは、オーガーが共通語を発したことに驚いた。
カルスを見る。
カルスは、微動だにしない。オーガーを、まっすぐに見つめたままだ。
カルスは、魔物の中には共通語を話すものがいることを知っている。
だが、言葉が話せるからと言って、意思疎通ができるとは限らない。
魔物とは、友好関係を結ぶことはできないというのが、ヒューマン、エルフ、ドワーフの現人族の共通見解である。
オーガーが跳んだ。
ルインたちとの間には、五メートルほどの距離があったのに、それらを一気につめて、赤い巨体が、二人にぶつかってくる。
ルインもカルスも、同時に動いた。
横に跳んで、オーガーをかわす。
オーガーは、着地と同時に、長い両腕を振り回した。
ルインが、その腕をかいくぐり、オーガーに肉薄する。
無防備なわき腹を斬った。
オーガーの赤黒い肌が裂け、青い血が吹き出す。
浅かったか。
ルインは、殴りつけてくる拳をかわして、オーガーの背後に回った。
膝の裏を斬る。
オーガーが、バランスを崩した。
その頃、カルスは魔物の正面にいた。
ブンブンと、やたらめったら振り回されるオーガーの腕をかわしながら、魔物を冷静に観察する。
相手の攻撃は、考えていたよりもずっと遅い。
立ち合い稽古で、レイチェルが見せる斬撃に比べれば、のたのたとしている。かわすのは簡単だ。
だが油断はしない。
手を抜いて、相手を油断させる戦法なのかもしれない。
相手はCランク。自分たち二人合わせたより、ずっと強い。
オーガーが、ブン、と手を大振り。
その直後、大きくバランスを崩した。
ちょうど脇腹を斬り、背後に回ったルインが膝裏を斬ったのだ。
オーガーが、手を地面に突いて体を支える。
今だ。
カルスの体は、勝手に動いていた。
大きく踏み込み、強く地面を蹴り、跳んだ。
低くなったオーガーの首を、斬りつける。
オーガーの首に、一文字の線ができ、そこから青い血が勢いよく吹き出した。
カルスは、着地と同時に、もう一度跳んで、振り下ろされたオーガーの拳を避けた。
またしても体が勝手に動いていた。
距離を取り、敵を観察する。
流血する首を押さえるオーガー。
膝をつき、もう片方の手で体を支えている。
首の傷は浅くはないが、致命傷ではない。
その時、ビクリっとオーガーが大きく震えた。
見ると、ルインがオーガーの首の後ろに、剣を突き刺している。
カルスは即座に動いた。
体をぶつけるようにして、オーガーの右胸に剣を突き刺す。
分厚い胸板に、剣の中ほどまでが飲み込まれた。
どうっ、とオーガーの体が前に倒れる。
カルスは、つぶされる寸前で、飛び離れた。
地に伏したオーガーは、もう動かなかった。
大きく息を吐く、カルス。
それから、あれ、と思った。
オーガーが倒れている。もう動かない。それはそうだろう。
首と心臓に、剣を突き刺されたのだ。
だが、相手はCランクの魔物である。
自分たちが、逆立ちしたってかなうわけがない魔物だ。
では、これは一体、どういう状況なのだろう。
ルインを見ると、彼は呆然とした顔で、オーガーの首の後ろに突き刺さった剣を、握っている。
目が合った。
「倒したんだよな」とルイン。
「もう死んでるようだけど」とカルス。
拍手。
振り返ると、レイチェルが、手を叩きながら寄ってくるのが見えた。
「二人とも素晴らしいです」
満面の笑顔で言った。
「あの、これ、オーガーですよね。Cランクの」
「はい、オーガーです」
「死んでいますよね」
「はい、死んでいます」
Cランクの魔物を倒した。
自分たちが。
カルスは、どうしても、それが信じられなかった。
それはルインも同じである。
俺たちが倒したんだよな、と、まだ実感がわかない。
なにしろ、Cランクといえば、中堅ランクの冒険者である。
レイチェルに弟子入りしたとはいえ、まだ半年と少し。
それほど急激に強くなれるわけがない。
ひょっとしたら、師匠は魔法を使って、自分たちを強化しているのではないか、とカルスは疑った。
自分たちに、自信をつけさせるためにである。
そうだ、きっとそうに違いない。
もちろん、それはカルスの勘違いだが、まるっきり的外れ、というわけでもなかった。
ルインもカルスも十二歳。
鍛えているとはいえ、筋力では、まだまだ成人男性には及ばない。
レイチェルが、しっかりと剣術を教え込んでいるとはいえ、身体能力は、冒険者としては最低ランクなのだ。
秘密は、魔力の使い方にあった。
訓練の初期から、レイチェルが午後に必ず魔法の授業を盛り込んだのは、なにも魔法戦士にしたてるためではない。
『魔力を全身に巡らせて、身体能力を底上げする技術』を、教え込むためだった。
これはレイチェルが、ソレルから教わった『自然治癒力を魔力を使って高める技術』を、応用したのものだ。
レイチェルのオリジナルの技術である。魔法という形で、世界の理に干渉するのではなく、あくまでも、魔力をエネルギーとして肉体に作用させる。
そのあり方は、魔法使いというよりも、研ぎ澄ました集中力で超常的な能力を出す、達人クラスの剣士や、スカウトに近い。
彼らが、意識せずに魔力で技術を高めているものを、レイチェルは意識して行わせているのだ。
そのため、ルインもカルスも、戦闘時には魔力を全身にいきわたらせていた。
レイチェルからそう教わったのだから、それが当然のことだと、思い込んでいる。
オーガーを難なく倒せたのは、その結果である。
「俺たち、いつの間にか、Cランクくらいになっちまってたんだなあ」とルイン。
「はい、それくらいの実力はつきました。とても優秀です」
「才能があったのかな」
「はい、とても筋が良いです」
「ひょっとして天才?」
「そうかもしれません」
などと、レイチェルが、ルインを調子に乗せている。
カルスは、やっぱり師匠は、僕らに自信をつけさせようとしているんだ、と確信した。
師匠の気遣いを、無駄にしないようにしないと。