05.サンダーワンド邸
ルインは不服だった。
前を、まるで年の離れた姉弟のように並んで歩くカルスとレイチェル。その背中を眺めながら、頭の後ろに手を組んで歩く。
なんで怪しい女(あんな鎧を着ている女が怪しくないわけがない)の弟子にならなくてはならないのか。
しかもCランク。
同じ弟子入りするなら、Bランクの屈強な男が良かった。
ルインは女が苦手だった。
姉も母も怖かったし、幼なじみのレアリーやサラはやたらとくっついてきて、鬱陶しかった。
女はすぐに泣く。
ルインが村を出るときも、さんざん泣かれた。
泣きたいのはこっちだってのに。
ルインが、レイチェルの弟子になることを了承したのは、親友のカルスが即答したからだ。
弟子になるか、と聞かれた直後に、なんの迷いもなく、はい、と返事をした。
おいおい、マジかよ、カル。
ルインは、信じられない思いで、親友を見た。
「ルイン、大丈夫」
カルスが、自信たっぷりに言った。
カルスは頭が良い。
カルスの言う通りにしていれば、だいたい、うまくいった。
ルインは考えることが苦手なので、一緒に村を出た時に言ったのだ。
「考えるのはお前がやってくれ」
「僕だって、分からないことばっかりだし、間違えるよ」
「いいんだよ。俺より間違えないからさ」
そんな会話をしたにも関わらず、この街に来て、冒険者ギルドで登録できず、途方に暮れた時に、ルインは盗みを提案したのだ。
「とにかく、金がいるだろ。食べなきゃ、力も出ないし、働けないぜ」
「捕まったら、冒険者どころじゃないよ」
「武器だって買わないとだろ」
結局、反対するカルスを無視して、勝手にスリをして、追いかけられて捕まったのだ。
やっぱり、考えるのはカルに任せた方がいい、とルインは思った。
だから、レイチェルの弟子になることも了承したのだ。
だが、目の前でプリプリとした尻が揺れる様を見ていると、どんどん、早まった、という思い強くなっていく。
カルスの態度も気に入らない。
しきりにレイチェルに質問している。
彼女に向ける目は、尊敬に満ち溢れている。
レイチェルの方はというと、カルスの質問に言葉少なに答えている。
どうも話すのが苦手なようだ。
だいたい、カルスは魔法使い志望だったはず。
女戦士の弟子になって、どうするというのか。
レイチェルが足を止めた。
服屋の前だ。
仕立て屋で服を作り、着なくなったそれらを服屋が買い取り、販売する。要するに古着屋である。
だが、古着とはいえ、平民がポンポンと買えるほど服は安くない。
最低でもシャツ一枚で、一万エリネはする。
村長の息子であるカルスでさえ、継ぎのあててあるシャツやズボンを着ているのだ。
古着にもランクがある。
貴族や富裕層の古着。
平民の中流の古着。
貧民用の古着。
ルインとカルスが、レイチェルの後を追うように入ったのは、富裕層の古着を取り扱った店だった。
高そうな生地を使った服が、ズラリと吊り下がっている。
ルインはビクビクとしながら、二人の後を追った。汚れた手で触ろうものなら、どんなことになるか。
レイチェルが店主となにやら話し、若い女性の店員が、シャツとズボンをいくつか持ってきて、レイチェルに見せる。
こっちにおいで、と店員に言われて、カルスとルインは奥に連れていかれた。
そこで、着替えさせられる。
毛ばだっても、擦り切れてもいないズボン。
染みもなく、きっちりと体にあったシャツ。温かく、軽い上着。
ルインは服を汚さないよう、破かないよう、緊張しながらそれらを身に着けた。
着替え終わると、店員に連れられて、レイチェルの前に立たされた。
レイチェルが、真剣な顔でルインを見る。
頭から、つま先まで、何度も視線を往復させる。
ルインは、なぜか顔が熱くなった。
「とても良いです」
レイチェルが言った。
どうやらこの服を買ってくれるらしい。
ルインは、こんないい服を買ってもらって良いのだろうか、と思った。
遠慮というよりも、大きな借りを作ってしまう、という理由だった。
同時に、Cランクでも冒険者は儲かるんだな、などと思った。
店員がまた服を取りに行き、ルインを奥へと連れていく。
てっきり、先ほどので決まったとばかり思っていたのだが、考えてみれば大金を使うのである。
きちんと選ぶのは当然だった。
試着室へ向かう途中で、カルスとすれ違った。
どこの坊ちゃんかと思った。それほど見違えていた。
自分もそんな風になっているんだろうか、と、なんだかソワソワとしてきた。
その後も、何セットか着替えた。
中には、どこへ着ていくのか、というような、きらびやかなものあった。
試着のたびに、レイチェルがニコリともせず、真剣な表情で見てくるので、なにか考えがあってのことなのだ、とルインは思った。
さんざん着替えをさせられた後、レイチェルは山のように積まれた服を、全て買った。
腰に着けていた小袋を開いて、金貨を何枚か出していた。
ルインは金貨など初めて見た。
確か、金貨一枚が十万エリネだったよな、と、レイチェルがカウンターに無造作に置いた金貨を、こわごわと見る。
「お荷物はお届けいたしましょうか? それとも馬車をお呼びしましょうか?」
店員の問いに、レイチェルが首を横に振った。
彼女は、左手の小指を立てると、宙に円を描いた。
その軌跡に、青い光の円が現れる。
恩恵能力だ、とルインにも分かった。
両手の指に宿らせることができる、神々の恩恵。
恩恵能力を得るためには、神々から課せられた試練を、果たさなくてはならないという。
青い光の輪が、直径一メートルほどに広がった。
輪の中に黒い円が現れる。
レイチェルが服の山をつかんで、黒円のところに持っていく。
すると、服がレイチェルの腕ごと消えた。すぐに白い腕だけ現れて、別の服を持っていく。
「『道具箱』」とカルス。
目をキラキラとさせて、レイチェルが服を次々と消し去るのを見ている。
服の山は瞬く間に無くなった。
最後にレイチェルが、小指で黒い円に一本線を引くと、円は消えてしまった。
「見たかい?」
カルスが寄ってきて、耳打ちした。
「今の恩恵能力のこと? やっぱり冒険者って、すげえな。魔法みたいだ」
「馬鹿だな。そうじゃないだろ。『道具箱』は、Cランクの魔物を一万体倒さないと貰えない恩恵能力なんだよ」
「一万体? 一日十体として十日で百体だろ。ええと、百日で千体……」
「『道具箱』を貰うためにCランクの魔物ばっかり倒し続ける冒険者もいるんだって話だよ」
「へえ。でも、それがどうかしたのか?」
「Cランクだってピンからキリだってこと。Cランクの魔物に苦戦する冒険者もいれば、雑魚扱いする冒険者もいるんだ。レイチェルさんはきっと、Cランクでも相当上の方だと思う」
「でも、CランクはCランクだぜ」
ルインにしてみれば、カルスの理屈はよくわからなかった。
結局はCランク。並みの冒険者。
ドラゴンを倒すような冒険者に憧れているルインにとっては、パッとしないことに変わりはない。
ルインは、店主になにか話しかけられているレイチェルを見た。
露出度の高い鎧を着ている割には、その肌は白すぎるほど白い。
戦士のはずなのに、ムキムキと筋肉質な感じもしない。農作業をしている母や姉の方がよっぽど筋肉がありそうだ。
レイチェルが振り向いたので、ルインとバッチリ目が合った。
まるで心の中を読まれたような気がして、ルインはバツが悪い思いがした。
◇
服屋の後は、家具屋を回った。
こちらも、中古家具を扱っている店である。そこでベッドを二つ買った。
大人が、三人寝られるほどの大きなベッドを、二つである。
ルインは、こんなもの一体どこに置くんだ、と不思議に思った。
この街に家があるのだろうか?
冒険者は、宿暮らしが定番だと、カルスが言っていたのに。
「良いベッドは大切です」とルインの表情を読んだのか、レイチェルが言った。
さらに、チェストやらテーブルセットやらを、細々と買っていく。
それも、同じようなもの、必ず二つずつ。どうも、ルインとカルスの分のようなのだ。
その後、いくつかの店を回って、毛布や食器類、靴や帽子などを買った。
ルインは、一体いくら使うつもりなのか、と頭がクラクラとしてきた。
買った物は、どれも並みよりも上の物。
富裕層が使っていたような物ばかりだった。
すでに、百万エリネは、軽くいっているだろう。
今日会ったばかりで、成り行きで弟子になったような自分たちに、パッとそんな金を使うなんて。
いくら冒険者だって、Cランクでは、金に不自由しない、というわけにはいかないだろうに。
「ほかに、なにか入用なものはありますか?」
レイチェルが言った。
「あの……」とカルスが遠慮がちに言った。
「僕たちはレイチェルさんの弟子になったんですよね」
「そうです」
「なにか、鍛錬するための道具を買わなくて良いのでしょうか」
その言葉にルインは、あっ、となった。そういえば、修行をするにしても、剣の一本も持っていない。
どうせなら、服やベッドなどより、剣を買ってもらいたかった。
ああ、とレイチェルが漏らす。
そういえばそうね、というような感じである。
それから、わずかに首を傾げた。
「まだ良いです。必要になったら揃えます」
ルインは、腰に下げてる木剣ではなく、本物の剣が欲しかったので、ガッカリとした。
それが露骨に顔に出てしまった。
カルスから肘でつつかれ、慌てて表情を取り繕う。
レイチェルが難しい顔をしていた。
まずい、とルインは思った。
考えてみれば、今まで色々と買ってくれたことの方が、おかしいのだ。
普通に考えれば、いきなりできた弟子に、大金を使うのは異常だ。
レイチェルが小指で円を描き、宙に黒い穴『道具箱』の口を開いた。
「剣」
レイチェルが、小指を立てたままつぶやく。
黒い円が白く光った。
その光が漏れ出て、伸びる。その光の中、宙に長いものがいくつも現れた。
剣だ。
それも、ルインが憧れる、勇者が持っているような、カッコいい剣ばかり。
鞘に入っている物もあれば、むき出しの物もある。
「使いこなせるようになったら、好きなのをあげます」
レイチェルは言うと、小指で白く光り続ける円に、一本線を引いた。
すると『道具箱』の口は消え、宙に浮かんでいた何本もの剣も消えた。
「カルスさんには、杖をあげます」
カルスが困惑顔になった。
「僕もレイチェルさんの弟子になったのでは?」
「魔法も使えます。中級までなら教えられます」
魔法も使えるのか、とルインは驚いたが、カルスの動揺ぶりに比べれば、些細なものだった。
カルスは口をポカンと開けて、呆然とレイチェルを見ている。
まさにアホ面。
ルインは、笑いそうになった。カルスのこんな顔は滅多に見られない。
レイチェルが早口で、聞きなれない言葉を唱え始めた。
呪文ってやつか、とルインは思った。
きっと、証拠を見せようとしているのだ。
レイチェルの体が赤く輝きだした。
その光が炎のようにたゆたいながら、彼女の体を覆う。
炎からいくつもの光線が伸びて、宙に複雑な図形を描いていく。
「『帰還』」
レイチェルが、最後に右手を魔法陣の中央に伸ばすと、魔法陣が弾けた。
目の前に、片側しかないが重厚な扉が現れた。
レイチェルが扉を開くと、黒い長方形が宙に現れた。
「ついてきてください」
レイチェルが言って、黒い長方形に入った。
『道具箱』に物を入れた時のように、そのまま長方形に飲み込まれる。
カルスが、すぐに後を追った。
ルインは、わずかにためらったが、拳を握って、黒い長方形に飛び込んだ。
黒かったのは、布一枚という感じだった。パッと黒が弾けて、見たことのない広い部屋の景色に変わった。
落ちて割れたシャンデリア。
倒れた彫像。破けたカーペットや壁紙。
「片付けなくてはいけませんね」
レイチェルが、ため息をついた。
「本当に、中級魔法を……」
カルスのつぶやき声。
「ここが私の家です。二階は多少マシですよ」
廃墟に住み着いてるんだな、とルインは納得した。
それなら、家具を買い込んだ意味もわかる。
当分、ここを拠点にするつもりなのだ。
「部屋はたくさんあります。好きな部屋を使ってください」
言って、レイチェルが、フロアの奥にある大きな階段に向かう。
ルインは、まだ呆然としているカルスの背を叩いて、後に続いた。
二階は、玄関広間を見下ろす回廊を通って、廊下に続いていた。
長い廊下だ。
猫と犬が、何匹も寄ってきた。
その奥から、カシャカシャという聞きなれない音。
銀色の、どう見ても魔物としか思えないものが寄ってくる。
ルインは悲鳴をあげた。
「大丈夫、ペットです」
レイチェルが言って、子牛ほどもある金属製の昆虫のような魔物の、ハサミを撫でた。
「魔物を街に入れるのはまずいんじゃ……」
カルスが、かすれた声で言った。
「はい、王国法に抵触します。ですから、秘密です」
生真面目な顔で、中指を立てて唇に当てる。
犬猫たちは、人懐っこく、ルインもカルスも、ついつい構ってしまった。
二階廊下には、扉がいくつかあった。
レイチェルが、一つ一つ開けて案内する。どの部屋もガランとしていて、ろくに物がなかった。
「好きな部屋を使ってください」
レイチェル自身は、一番奥の部屋を使っているらしい。
部屋を決めたら教えてくれ、と言い残し、彼女は、自室へ行ってしまった。
「おい、どうするんだよ」
ルインは、やっと二人きりになれたので、カルスに言った。
「どうするって?」
「成り行きで、あの人の弟子になったけどさ。良かったのかってこと」
「良かったに決まってるじゃないか。それどころか、僕は凄く幸運だったって思ってるよ」
「だって、Cランクだぜ」
ルインは、まだそこに引っかかっていた。
「あのさ」
カルスは呆れ顔である。
「僕らみたいな、素性のわからない文無しを弟子にしてくれるだけでも、ありがたいと思わないのかい? 弟子になりたきゃあ、金を払えって言われるのがオチだよ」
「冒険者ギルドで紹介してもらえばさ」
「紹介してくれるわけないだろ。商売なんだから、金にならないようなことしないよ。せめて、冒険者登録出来たら話は別なんだろうけど」
それにね、とカルスは続けた。
「レイチェルさん、凄い人だよ。中級魔法まで使えるなんてさ」
「魔法戦士ってやつだろ。聞いたことあるぜ」
「そうなんだけど……。分かってないなあ」
それから、カルスは中級魔法について説明した。
魔法を学ぶためには、魔法使いギルドで習わなくてはならない。
その講師の資格が、中級魔法を習得していること。
つまり、中級魔法を身に着けているということは、魔法使いギルドの講師レベルなのである。
「じゃあ、上級魔法はどうやって習うんだよ」
「それは個人で弟子入りするしかないんじゃないかな。上級魔法の使い手なんて、本当に少ないって話だし」
ふ~ん、と両手を頭の後ろで組んでルイン。
あまりピンとこないのだ。
「とにかく、レイチェルさんみたいな人に弟子入りできて、本当にツイてるってこと。失礼な態度やめろよ」
「分かってるよ。もうスリなんてごめんだからな」
ルインだって、レイチェルに拾ってもらわなくては、どうにもならなかったことくらい分かっているのだ。
だが、どうもあの鎧姿を目にすると、大丈夫だろうか、と不安が出てくる。
ルインは、カルスと同じ部屋にした。
なにしろ、どの部屋も一人で使うには広すぎる。二人でも広すぎるくらいだ。
それに、二人とも心細さがあって、同じ部屋で寝たかった。
レイチェルにそれを伝える。
わかりました、とあっさり了承して、部屋にそれぞれの家具を配置していく。
『道具箱』の口を開いて、ポンポンと出して、置いていく。
その過程で、彼女の力が相当に強いことが分かった。
大きなベッドを、一人で軽々と持ち上げたり、動かしたりしたのだから。
部屋が広いので、二人分の家具を並べても、まるで問題なかった。
むしろ、まだまだガランとした印象がある。
「ほかに必要な物ができたら、遠慮なく言ってください」とレイチェル。
「入浴したら、夕食を食べに出ましょう」
ルインもカルスも、農村の出なので、入浴の習慣などなかった。
二、三日に一度、水で髪を洗い、体を拭く程度である。
村を出てからは、二人とも汚れ放題である。
「入浴って?」
ルインは言った。彼には聞きなれない言葉だった。
「お湯で体を洗うことです」
言うレイチェルの顔が、少し驚いて見えた。
レイチェルが案内したのは、一階廊下の奥だった。
綺麗な薄青いタイル張りの部屋で、中央に、大きな金属製の楕円形のバスタブがあった。
ルインは、バスタブなど見るのは初めてだったので、カルスに耳打ちした。
「おい、なんだ、あれ。どうやって使うんだ?」
「分からないけど、お湯をためるんじゃないかな」
カルスも困惑している様子。
レイチェルが、壁にぶら下がっている金属のジョウロのような物を、バスタブのふちに引っかけた。
ジョウロの側面についている、平たい円形の透明なガラスの半球に触れて、起動、とつぶやく。
ガラス半球が赤く光った。
なにか、内側に複雑な模様がある。
「入浴用」と、またレイチェル。
ジョウロの先から湯が勢いよく飛びだした。
もうもうとした湯気が、浴室に広がっていく。
ルインは、わけが分からず、湯がバスタブに溜まっていく様を眺めた。
「魔法道具だ」
カルスが耳打ちする。
魔法道具は、魔法石に特定の魔法を封じて、道具と組み合わせて作られる。
非常に高価なため、平民が目にする機会は少ない。
「服を脱いでください」
レイチェルが言った。ルインとカルスを、睨むように見つめている。
ルインは、それに、いまだかつてないほどの迫力を感じ、すぐさま脱衣した。
カルスも同様である。
レイチェルが、まだバスタブに湯を注いでいるジョウロを取って、ルインにシャワーを振りかける。
ルインは、思わず身を引いた。
だが、浴びてみると、なんとも気持ちがいい。
体がほのほのと温めらる。
次はカルス。
目を閉じてうっとりとした顔で、湯の雨を浴びている。
二人とも全身濡れたところで、レイチェルが石鹼を手で泡立てた。
泡を髪や体に塗りつけてくる。
ルインは、くすぐったさに笑い声をあげた。
カルスは、なんだか照れ臭そうにしており、途中から、自分で洗います、と逃げた。
するとレイチェルが舌打ちしたので、顔を赤くしながら隅から隅まで洗われた。
最後に泡をシャワーで流して、湯の溜まったバスタブに入る。
ルインはあまりの心地よさに、天国かと思った。
ふう、と息をつく。
「ゆっくりと浸かると良いです」
言って、レイチェルは浴室から出ていった。
二人とも、全身が赤くなるほど長湯した。
浴室の手前の小部屋で待っていたレイチェルが、大きくフカフカとしたタオルを渡す。
ルインは夢見心地である。
そのまま、されるがままに、レイチェルに新調した服を着せられていく。
カルスともども、すっかりと身ぎれいになった。
「とても素敵です」
レイチェルが、ルインとカルスを交互に眺めて、言った。
ルインは、自分が、まるで貴族にでもなったような気持ちになった。
だが、すぐに高揚する気持ちを抑えた。
冒険者になりに来たのであって、着飾るために来たのではない。
「なにか食べたいものはありますか?」
レイチェルが言った。
レイチェルは入浴しないらしい。
相変わらずの露出狂鎧である。
「肉」とルインは即座に言った。
「分かりました」
レイチェルが、ふんわりとした笑顔を浮かべる。
「では、ステーキの美味しい店にしましょう」
レイチェルが左手の親指で円を描く。
青い輪が宙に現れた。
輪は大きく広がり、三人を飲み込んだ。
ルインにしてみれば、光ったと思った瞬間には、別の場所に立っていた。
なにが起こったのか理解できなかった。
「『転移』まで持っているんですか?」
「とても重宝しています」
そんな二人の会話を聞きながらも、ルインは周囲を見回した。
広い石畳で舗装された道路。
一段高くなった歩道が両脇にあり、等間隔で街灯が立っている。
「ここも王都なのか?」
ルインがカルスとさまよったところに比べて、道も整備されているし、並ぶ建物も大きく立派だ。
「中央付近です。あそこに王城があります」
レイチェルが上方を指さす。
丘の上に、城らしき白っぽい建物が見えた。
「貴族様たちが住んでいる屋敷があるあたりですか?」
レイチェルがうなずく。
どうも屋敷にいる時よりも、口数が少なく、表情も硬い。
「美味しい店です」
レイチェルが、すぐ目の前に建つ店を指して、言った。
外観からして立派だ。
高価な白石をふんだんに使い、彫刻までほどこされている。
玄関扉も重厚な様子。
こんな店に入っても大丈夫なのか、とルインは心配になったが、レイチェルがさっさと中に入ってしまった。
考えてみたら、彼女の方こそ、つまみだされてもおかしくないかっこうである。
店内には、静かなピアノの音楽が流れていた。
広い間隔を置いて並んだテーブル席。
壁とテーブル席に置かれた照明が、ほのかに店内を照らしている。
店の奥に舞台があり、そこでピアノが演奏されている。
カッチリとした黒服の男が、レイチェルに、慇懃な態度で挨拶をする。
ルインは、それを不思議に思いながら、案内されたテーブルについた。
入り口での黒服の男もそうだが、ほかの客たちも、明らかに浮いたレイチェルに視線を向けることはなかった。
もし、ルインに高い洞察力があったなら、彼らが故意にレイチェルを見ないようにしていることに、気が付いただろう。
ステーキは最高だった。
ルインは、いまだかつてこんな美味いものを食べたことがない、と思った。
ソースの絡んだ柔らかな肉の味に、舌どころか頭がとろけてしまいそうだった。
ルインは、食事の間、頻繁に、レイチェルがピアノ奏者を見ていることに気が付いた。
だからといって、レイチェルが、美形のピアノ奏者にアプローチをかけようと、虎視眈々と狙っていること、までは見抜けなかったが。
カルスは、レイチェルに次々と質問した。レイチェルはそれに端的に答える。
すっかり懐いちまって、などとルインは苦々しく思った。
食後、レイチェルは、中々、帰ろうとしなかった。
これは、ピアノ奏者を攻めるタイミングを図っていたのだが、ルインもカルスもそんなことは知る由もない。
満腹して眠くなったルインは、あくびを噛み殺した。
それでレイチェルも諦めた。
店を出て、再び『転移』の恩恵能力で屋敷に戻る。
「良い夢を」と言い残し、レイチェルは自室にさっさと引っ込んでしまった。
ルインとカルスは部屋に入ると、これからのことを大いに話し合った。
二食しっかりと食べ、体も洗い、フカフカのベッドもある。
二人の声音は明るかった。
やがて、どちらともなく、こっくりと舟を漕ぎはじめ、一人一個の大きなベッドに潜り込んで、眠った。