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24.ルインとカルス

 ベッドの上で、半裸の男がシーツに頭をこすりつけるようにして、謝っている。


 かなり情けない姿なのだが、この三十前後の男は、稀に見るほどの美形である。

 癖のある長い金髪は、光をつむいだかのよう。きめの細かな肌。無駄な肉のない鍛え抜かれた筋肉。


 謝る姿も絵になっている。

『美男子の謝罪』と題打った絵画を描いたら、王宮に飾っても違和感がなさそうだ。


 謝罪の対象たる、シーツを体に巻き付けた女は、呆れた顔で美青年を見ている。

 やがて、ため息をつくと言った。


「もういいよ。ルインさん。私も噂は知ってたからさ。駄目でもともとだったし」


「本当にすまない。君となら、大丈夫かもって思ったんだが。やっぱり、こう、いざとなると、違ってさ。恥かかせて、本当に、すまない」


「もういいってば。せっかくの美男子が台無しよ」


 言って、女がシーツを体から取り去った。


 引き締まっているが、十分に女性的な裸体があらわになる。

 男なら、むしゃぶりつきたくなるような良い体だ。


 女は赤毛を後ろに流すと、ベッドの下に脱ぎ散らかした服を、身に着け始めた。


 その間、青年ルインは女性に背を向けていた。自責の念と安堵の思い。


 誘ってきたのは、女の方だった。

 以前から、彼女の色鮮やかな赤毛に惹かれていたルインは、もしかしたら今日が新たなる出発の日になるかもしれない、という思いで、ことに及んだ。


 途中から、あっ、これ、無理だ、と気づいた。まったく、全然、ダメ。その気にまったくなれない。

 いろいろ粘った末に、謝罪にいたる、というわけである。


「ルインさん、本当に童貞だったんだね」

 着替え終わった女が、つぶやいた。


「ああ、うん、そうなんだよ」

 頭をかきかき言う。

「幻滅しただろ」


「やっぱり男色なの?」


「それは違う。俺は女が好きだ」


 これは、はっきり断言できる。男とどうこうなどと、考えただけで鳥肌がたつ。


「ただ、なんというか、こう実際にセックスをしようとするとだな、違和感というか、罪悪感というか、倦怠感というか。セックスって、もうちょっとこう、愛の結晶みたいな感じなんじゃないだろうか、とか」


「童貞は面倒くさいね」


「ホント、すまなかった。ごめんな」


 女が、ルインの背中に、ピタリとくっついた。

「あ~あ、『金色こんじきの勇者』の恋人になれると思ったのになあ」


金色こんじきの勇者』ルイン。

 Sランクの中でも、最強と名高い冒険者である。

 その美貌と、あけすけで気さくな人柄は、女性を片っ端から虜にしている。

 だが、彼は決して女になびかない。童貞を守り続けている。


 ちなみに、『抜かぬ剣での女斬り』という微妙な異名までついている。



 女と別れて宿を出たルインは、夜風に当たりながらも、帰途についた。


転移ワープ』の魔法も使えるが、頭を冷やすには、ちょうどよい距離だ。

 

 革鎧にマント。腰には剣。そんな姿で颯爽と歩くルイン。

 途中すれ違った者たちが、一様に振り返る。

 男たちは、あれが噂の『金色こんじきの勇者』か、と畏怖の視線を向けて。

 女たちは、うっとりとした眼差しを向けて。


 レイチェルの日記を読んでから十二年。ルインは二十八歳になっていた。



 日記を読んだ日から数日後、カルスとともに冒険者ギルドにソレルを訪ねた。

 彼女に鍛えてもらうためだ。


 ソレルは、それはそれは面倒くさそうに、二人を弟子にすることを了承。

 ルインたちは、三年間、ソレルに徹底的に鍛えられた。


 ソレルの修業は、レイチェルとの鍛錬など、比べ物にならないほど過酷だった。容赦がなかった。


 殺される、と何度思ったことか。

 実際に、異界迷宮ダンジョンで殺されたこともある。


 だが、その甲斐もあり、強くなった。

 ルインは、最後には最強装備に身を固めたソレルにすら、剣でなら勝てるようになったし、カルスは上級魔法をすべて習得した。


「さすがレイチェルお嬢様の弟子ですね。今のあなた方は、あの戦いにおもむいた者たちの中でも、上位の者たちに比肩する実力があります。レイチェルお嬢様には、まだ及びませんけれどね」

 ソレルの、そんなお墨付きまでもらった。


 ソレルの修行を終えた後に、ようやく二人は冒険者登録をした。

 そして、一ヵ月でSランク冒険者にまで上り詰めた。

『天才冒険者』『神々に愛されし者』などと呼ばれ、ルインとカルスの名は大陸中に広まった。


 二人とも、引き続きトリストの街を拠点としているが、そこはSランク冒険者。

 世界各地を忙しく飛び回っている。


 時にはソロで。

 時には二人で組んで。

 だが、ルインもカルスも、決して、互い以外と組むことはなかった。


「ほかの奴と組むと、やりにくいんだよな。やっぱ、カルが一番気楽だわ」


「僕も足を引っ張られるのは嫌だね」


 この十二年の間に、二人の武名は他の追随ついずいを許さぬほどに高まった。

 三邪竜、最後の一体、レヴィアンタ退治。

 魔王の腹心、暗黒魔導師ロガスタ討伐。

 魔物の巣窟、三大魔境の一つ、『死の谷』の浄化などなど。


 だが、ルインもカルスも決して、功を誇るようなことはなかった。

 褒められたり、強さを称えられたりするたびに、ルインは言ったものである。


「そりゃあ、師匠が偉大だったからさ。あっ、ソレル様じゃない方な。ソレル様には鍛えてもらったが、あれはまあ、別枠みたいな感じだな。俺たちの師匠は一人だけだよ」


狂乱戦乙女バーサクバルキリー』レイチェル・サンダーワンド。魔王との戦いで命を落とした最強の女戦士。

 彼女の名は、すでに伝説となり始めている。


 ときどき、レイチェルを、淫乱だの露出狂だのと愚弄ぐろうするような輩もいるが、ルインとカルスがことごとく黙らせてきた。


「レイチェル・サンダーワンドを愚弄ぐろうすることは許さない。俺とカルが地の果てまで追い詰めて、黙らせてやる。絶対にな」


 常に軽薄そうな雰囲気を漂わせているルインが、一転して、殺気をみなぎらせるのだ。

 これには、どんな猛者も無頼漢も口をつぐむ。



 宿から三十分ほど歩くとサンダーワンド邸に到着した。

 ルインもカルスも、未だに、この屋敷に住んでいる。


 もっとも、冒険者と魔法研究者の二足のわらじを履いているカルスは、滅多に屋敷に戻ってくることはないのだが。


 カルスの部屋に、灯りがついているのを見て、ルインはバツが悪い思いをした。


 見つからないようにさっさと眠ってしまおう、と気配を消して、静かに屋敷に入る。

 しかし、玄関扉を開けたところに、カルスが仁王立ちしていた。


 ルインほどではないが、背が高い。

 きっちりと整えられた黒髪。眉目はこれでもか、というほど秀麗で、とくに眼鏡の奥の切れ長の目は、少々酷薄そうな雰囲気はあるものの、強烈な魅力を発している。

 ベストにシャツにネクタイというきっちとした服装が、良く似合っている。


「なにか後ろめたいことでもしたのか?」

 カルスが。眼鏡を上げて言った。黒い瞳が刃物のようにルインを斬る。


「な、なんで、こんなとこで待ち構えてるんだよ」


「君がコソコソと入ってくるからだろう。私と顔を合わせたくないんじゃないかと思ってね」


「たくっ、性格悪い奴。別になんでもねえよ。ちょっと女とさ……」


「なんだ、いつものやつか。つまらないな。夕食は?」

 くるっと背を向けながら言う。


「食った。おい、なんだよ、途中まで聞いたなら、最後まで聞けよ」

 ルインは、食堂へ向かうカルスを追いかけながら、言った。


「私はまだなんだ。せっかく、顔を合わせたんだ。なにか作れよ」


「いいけどなあ。お前、ホント、その性格どうかと思うぜ」


 二人は、食堂を通り抜け、厨房へ入った。料理が趣味のルインが、手入れをしているので、綺麗に整理されている。


 ルインは、さっそく『道具箱アイテムボックス』から食材を出して、調理を始める。


「ルシーラっているだろ。ほら、『さわやかな風』ってパーティの」

 野菜を切りながら言う。


 カルスは、調理台の側にある椅子に腰かけて、頬杖をつく。

「ああ、綺麗な赤毛の子だったな」


「あの子に誘われてな。俺も結構、気に入ってたから、その、な」


「そんなことで言いよどむなよ。いい年をして。それで抱いたのか? ついに女を」


「オッパイはもんだ」

 

 カルスの頭が、ぐらりと揺れた。おかげで眼鏡がずり下がった。


「やってやったぜ、みたいな言い方をするなよ」


「思ったほど柔らかくはないんだな」


「個人差もあるから一概には言えないが。しかし、十代の子供じゃあるまいし……」


「わかってるよ。だから、嫌だったんだ、お前と顔合わせるの。俺だって、いちいちお前に報告したくないっての」


「最後まで聞けと言ったのは君だろ。おい、それはこっちにくれ」

 

 カルスの言葉に、ルインが、鍋に注いでいた酒を後ろに放った。

 宙を飛んだ酒瓶を、カルスがキャッチ。瓶から直接、酒を飲む。


「師匠のことが思い浮かんで。そうすると、なんか、罪悪感というか、こんなことしてていいのかって感じになっちまってさ」


 いつものことである。

 いざ、行為におよぼうとすると、決まってレイチェルの姿が相手に重なるのである。そうなると、もう、どうにもできなくなってしまう。


「だから、面影のまったくないタイプにすればいいんだ。私はそうしている」


「惹かれるんだからしょうがないだろ。好意のない相手に、手を出すような真似、できるか」


「相手の好意に応えるのも礼儀だと思うがね」


「さすが、『女涙おんななみだの海を泳ぐ』カルスは言うことが違うね。そのうち、刺されるぞ、お前」


 カルスは、ルインと対照的に、王都トリストで派手に浮名を流している。


黒色こくしょくの賢者』の名で呼ばれ、Sランク冒険者で、かつトリストの魔法使いギルドの特別顧問という座にあるカルスは、ルインと比肩するほどに、女性人気が高い。


 こちらは簡単に女性に手を出し、すぐに一夜をともにしてしまう。

 ただ、特定の恋人は作らず、相手が恋人面をすると、とたんに冷たく突き放してしまう。


「私は誰にも所有される気はない。この世界の誰にもだ」


 おかげで、男女ともに人気のあるルインと比べ、カルスは男から毛嫌いされている。

 男からしてみれば、女を片端から食い散らかしているように見えるのだから、仕方がない。

 もっとも、当人は、男のやっかみなど、小指の先ほども気にしていないが。


「何度か刺されたことはある。せっかくだから、刺されてやっているよ。偉いだろう?」


 カルスは『完全回復フルリカバリー』の魔法も使えるし、左手の小指に同様の恩恵能力スキルも宿らせている。即死しそうな攻撃以外は、わざと受けているのである。


「しかし、人をナイフで差しておいて、そんなつもりはなかったとか、言われてもな。だったら、どんなつもりだったんだい、と聞くと、あなたのことを愛しているの、と返してくる。謎の多い生き物だよ、女という奴は」


「いいけどなあ。師匠の評判が落ちるようなことはするなよ。師匠がお前を仕込んだんじゃないかって噂が立ってたぜ」


「ああ、そんなことを言ってた奴が確かにいたな。今頃、冥府で泣いて許しを請うていると思うぞ」


 ルインが、手を止めて振り返った。


 カルスは、酒瓶を口から離した。

「なにか文句があるのか?」


「いや、師匠の影を振り払えないのは同じだって、思ってさ。ときどき、痛々しいんだよ、お前」


 カルスは、それには何も答えなかった。

 ルインもそれっきり口をつぐむ。


「今年も、もうすぐだな」

 しばらくしてから、ポツリとルインが言った。


「ああ、そうだな」

 カルスが言った。


 あと一ヵ月もすれば、記念日が来る。

 ルインとカルスが、レイチェルに弟子入りした記念日が。




◇◇◇




 トリストの魔法使いギルドは、塀で囲われた広い敷地内に、四つの棟が建てられており、それらが渡り廊下で連結している。


 魔法の研究機関であるとともに、魔法使いの養成機関でもある。

 出入りする者の数は多い。


 黒い丈の長い上着に、襟付きのシャツに、ベスト、ネクタイ、と隙一つない服装で、研究棟から学園棟へ向かうカルス。


 隣を歩く女性にまるで配慮せず、足早に歩いている。


 その時、爆発が起こった。

 ちょうどカルスが歩いていた場所だ。床石が吹き飛び、屋根が崩れる。


「やったぜ、ざまあみろ」


「まだだ。魔法防御マジックレジストしてるかもしれん」


「不意打ちだぜ」


「相手はSランク冒険者だ。油断するな」


 爆発のあった渡り廊下を見下ろす、棟の屋上。

 三人の男が興奮しながら、そんな会話をしている。

 爆発は彼らの仕業だ。


 爆煙が風に吹かれて散っていく。

 そこには、平然と立つカルスがいた。

 爆発の中心にいたにも関わらず、服にちりひとつ、ついていない。


 尻餅をついて怯える女性に、何かを言うと、カルスは宙に円を描いた。青い輪がカルスを包む。


「くそっ、なんでだよ。完全な不意打ちだったろ」


「おい、逃げるぞ。騒ぎになる」


 だが、きびすを返した彼らの前に、黒衣の男が立っていた。

 カルスだ。


「見覚えのない顔だな」

 凍てつくような眼差しで、男たちを見る。

「私に恨みがあるのか? 一応、聞いておこう」


「レニーさんをたぶらかしただろうが」

 男の一人が叫んだ。


「レニー? 何人か思い当たるが……。ほかの二人も女の恨みか?」


「あんたは、姉さんを傷つけた」


「ああ、なるほど、怒って当然だな」

 他人事のように言う。


「メアリー・フラウスは、私の婚約者だったんだ」


「それはすまないことをした。中々、積極的な女性だったよ」


 あまりにもカルスが平然としているので、男たちは糾弾の言葉を失った。


「それだけか? この際、言いたいことを言った方がいいぞ。どうせ死ぬんだからな」

 カルスの視線が、さらに温度を下げる。絶対零度の眼差し。

「特別顧問として、無関係な者を巻き込んで魔法を使うような輩を、野放しにしておくわけにはいかないからな」


 男の一人が、叫び声をあげながら突進してきた。

 ナイフを腰だめにして、カルスに一直線に向かってくる。


 ほかの二人は、赤い光で体をおおった。呪文姿勢スペルフォームだ。


 カルスは、ナイフで襲い掛かってくる男を蹴った。

 男が吹っ飛び、そのままゴロゴロと転がる。


 カルスは、早口で呪文を唱えて宙に魔法陣を描く二人を、腕を組んで見守った。

 せっかくだから、呪文を完成させてやろう、と思ったのだ。


 遅い、無駄が多い、なんて未熟な魔法だ、と段々とイライラとしてくる。


 ようやく一人の魔法が完成した。

「『稲妻撃サンダーボルト』」


 魔法陣が赤い閃光になってはじけ、そのあとにバチバチと紫電を放射する球体が残った。

 男がカルスを指さす。

 

 球体から紫の稲妻が伸びて、カルスを撃つ。


 カルスの右手が、赤い光をまとった。

 その手で稲妻を払う。

 稲妻がそれて、空へと飛んでいった。


「つまらん。次」

 呆然と立ち尽くす男から、今まさに魔法陣を完成させた男へと、視線を移す。


「『誘導矢ホーミングアロー』」


 閃光。

 光のあとに、赤く輝く小さな球体が、いくつも宙に浮かんでいた。

 男が手で宙を薙ぐ。


 赤い光球から、赤い光線が伸びて、カルスを襲う。


 カルスの体が、赤い光におおわれた。その光がさらに大きくなり、周囲に放射される。


 幾筋も飛んできた赤い光線は、カルスの光の中に溶け込み、消えていった。


 何事もなかったかのように立つ、黒衣の男。


「終わりか?」

 カルスが言った。


 魔法を放った二人は、呆然自失。

 ナイフで襲い掛かった男は、まだ倒れて伸びている。


 カルスは、宙に左手の人差し指で円を描いた。

 青い光が軌跡に残り、黒い円となる。そこに手を突っ込むと、杖を出した。


「光栄に思うといい。君たち程度の存在に、この『フレイウェイタ』を使うんだ」


 人魚が杖頭の水晶を抱くような彫刻が、ほどこされた木製の杖。

 レイチェルが、あの記念日に、カルスにプレゼントしようとしていた杖だ。


「『フレイウェイタ』。あの伝説のレイチェル・サンダーワンドが『黒色こくしょくの賢者』に残した杖……」

誘導矢ホーミング・アロー』を放った男がつぶやいた。状況も忘れて、カルスが握る杖に見とれている。

「……なんて美しいんだ」


 ピクリ、とカルスの眉が動いた。

「この杖の美しさがわかるのか?」


 男は答えずに、視線を杖に張り付けている。

 ほかの二人は二十台後半、この男だけは二十前後だろう。

 姉が傷つけられた、と言っていた男だ。


 カルスは近づいた。

稲妻撃サンダーボルト』を使った男が、奇声をあげて殴りかかる。カルスはそれを無造作に蹴飛ばした。


「どうだ。これが、私の師であり、誰よりも強く、誰よりも美しかった最高の女性、レイチェル・サンダーワンドから贈られた杖『フレイウェイタ』だ。素材はエルフの霊木エルフツリーが使われている。本来なら、エルフツリーに触れただけでも、エルフたちになぶり殺しにされるが、師はエルフにいくつも貸しがあったからな。朽ちてしまった霊木を大金で譲ってもらったのだ。その際、エルフの長老にまじないをかけてもらった。そこから、ドワーフの杖職人ザッジエ・グルン・ダームの手にかかり、杖となったわけだ。彼が杖職人として最高の腕を持っていることはいうまでもないな。そして、この魔法石を練成したのはロッジ王国の魔法石職人ログレス・バーラ。彼の魔法石は『輝きの杖』『英雄の杖』『栄光の杖』の新星三杖にも使われている。師は、私のために半年も前から、この杖の作成の準備をしていたのだ。あのレイチェル・サンダーワンドが、私のために、エルフの長老や職人たちに頭を下げて回ったのだ。見るんだ、この精巧な彫刻を。今にも動き出しそうだろう。魂を吸い込んでいきそうなこの魔法石はどうだ? もちろん、握り心地も最高だとも」


 興奮して語り続けるカルスに、男が圧倒されている。


「この杖の美しさがわかる君は、十分生きるに値する。この『フレイウェイタ』の美しさと、我が師、レイチェル・サンダーワンドの偉大さを称えたまえ」


 はっはっは、と上機嫌にカルスは男たちをそのままに、その場を去っていくのであった。


 明日は記念日でもあることだし、今日は早々に屋敷に戻り、レイチェルの日記を読んで、師をしのぼう。




◇◇◇




 ロマリア大陸北東部にあるバルザ山。

 二千三百メートルの高さを持つこの山は、活火山である。

 山は定期的に火を吹き、周辺一帯に噴煙をまき散らす。

 その被害は甚大そのもの。土地は痩せ、農作物は実らず、人の住める環境ではなくなっていた。


 だが、魔物にとっては話は別だ。特に火山を好むドラゴンにとっては。

 

 オレンジのマグマが、足元を明るく照らしている。

 空は黒煙のために閉ざされている。

 バルザ山火口。


 そこで、今、三体のドラゴンと、一人の人間が戦っていた。


 革鎧にマント。

 手には、虹色に輝く剣を握っている。


 火口を足元に見下ろす位置に浮かび、マントと長い黄金の髪をたなびかせ、赤、黄、黒のドラゴンたちとにらみ合っている。

金色こんじきの勇者』ルインだ。


 赤ドラゴンが火球を放った。

 魔法『火球ファイアボール』の何百倍も巨大な炎の球体が、ルインを襲う。


 ルインが剣を大きく振った。

 宙に光の刃が走り、巨大な火球を割った。

 その間を、ルインが矢のように飛んでいく。


 赤ドラゴンをかばうように、黄色ドラゴンが立ちはだかる。

 前足を振るってルインを撃ち落とそうとする。


 ルインの剣が一閃。

 黄色ドラゴンの前足が、切断されて落ちていく。


 ルインは、痛みに咆哮する黄色ドラゴンの脇を抜けて、赤ドラゴンに接近。

 左手を前に突き出すと、中指で輪を描いた。

 指の軌跡が青く輝く。


 次の瞬間、白い光の柱が伸びて、赤ドラゴンを撃ち抜いた。


 ルインは止まらない。

 腹に穴を穿たれて、苦しむ赤ドラゴンの頭部に向けて、剣を振り下ろす。

 剣がドラゴンの分厚い表皮をスッパリと割る。

 

 だが、さすがにドラゴン。上顎が裂けた程度で、ひるみはしない。

 そのままルインを飲み込もうと、あぎとを開く。


 真っ赤な口腔に飲み込まれるルイン。

 閉じられるあぎと


 赤ドラゴンの頭部が光った。

 牙の隙間から、目の下から、鼻の穴から、光が漏れる。

 光の爆発が起こり、ドラゴンの頭ははじけ飛んだ。


 落ちていく赤ドラゴン。

 黒ドラゴンが、ルインに向かって黒い炎を吐く。


 回避するには、あまりにも範囲が広い。

 黒炎がルインを飲み込んだ。


 黄色ドラゴンが、黒ドラゴンと並ぶ。

 ようやく危険な敵を倒した、と安堵しているのか。


 だが、晴れた黒炎の下から、無傷の人間が現れた。その周囲を半透明の赤い球体がおおっている。


 黄色ドラゴンと黒ドラゴンが威嚇いかくの咆哮をする。


 その時、地上から大きな光の柱が伸びた。ルインが先ほど放った恩恵能力スキルによる光の柱の、何倍も太い。

 黄色ドラゴンを下から串刺しにし、大穴を開ける。


 ルインが仕掛けた。

 わずかにひるんだ黒ドラゴンの隙を逃さず、高速で接近すると、レイチェルから贈られた愛剣『バスタデウス』で宙に×印を描く。


 黒ドラゴンの頭部が×印に割れた。

 ルインは、そのまま黒ドラゴンの背後に回り込むと、胸の前で剣を強く握った。


 赤い光がルインをおおうように現れ、炎のようにたゆたう。

 赤い光が剣に移った。剣を長く長く伸ばす。


 ルインは大きく振りかぶると、三十メートル近くにまで伸びた真っ赤な刀身を、振り下ろした。


 黒ドラゴンの体が割れた。

 二つになって火口へと落ちていく。


 ルインは、ゆっくりと火口の側に立つ人物の元へと降りていった。

 黄色ドラゴンを地上から撃ち抜いたのは、彼、カルスだ。


「なんでお前がここにいる? 助っ人を頼んだ覚えはないぜ」

 ルインは言った。


 カルスはそれには答えない。

 無言で道具箱アイテムボックスを開くと、本を取り出した。


 ルインはカルスの様子に違和感を感じた。かすかに頬が上気しているし、どこか、そわそわとして見える。


「師匠の最後の日記か。これを読めって? もう何十回読んだと思ってるんだ。わざわざこんなところまで来てさ。よくわかったよな、ここが」


「最後のページだ」


「ああ、師匠が……」


 ルインは、レイチェルの日記をパラパラとめくった。

 レイチェルが、ルインとカルスに当てた手紙のような形で、最後は終わる。


 ……終わっているはずだった。


「……う、嘘だろ」


自動日記オートダイアリ』に、新たなページが追加されていた。



――――――

 どうやら、無事に冥府から戻ってこられたようですわね。

 ここがどこなのかわかりませんが、地上であることは確かなようです。


 死の女王のおっしゃられた通り、恩恵能力スキルも魔法も使えません。これは難儀しそうですわ。


 それにしても死の女王が話のわかるお方で助かりました。


「あやつの存在はことわりを大きくゆがめる。我が冥界を荒らされては迷惑だ。貴様、責任を取って奴を連れ帰れ」とおっしゃられた時は、どうしようかと思いましたけど。


 まあ、死の女王にしてみれば、冥界を出たり入ったりできる魔王は、目ざわりなのでしょう。


 今度は魔王をきちんと倒すから、あと十年は閉じ込めておいてくれませんか、と駄目でもともと、とお願いしてみたら、なんと承諾してくださいました。


「よかろう。二十年だ。貴様が地上に戻ってから、二十年間、魔王をこちらへとどめよう。その間に、貴様は子を為せ。そして鍛えよ。冥府より戻りし貴様の子は、神に匹敵する力を与えられるだろう。その力を持って、魔王を完全に滅ぼせ。良いか、完全にだ」ということらしいのですが。


 さて、困りました。

 わたくしは、そちらの方面はとても苦手です。魔王と戦うよりも難しそうですわ。

 死の女王は契約不履行を許してはくれないでしょうし。


 考えても仕方がありませんわね。

 今は、地上に戻ってこれたことを、素直に喜ぶとしましょう。

 あの子たちに、また会えるのですもの。


 ルイン君、カルス君、もう少しだけ、待っていてくださいね。

――――――


 ルインは読んでいるうちに、文字がにじんできて、何度も目を拭った。

 読み終わると、顔を上げる。

 泣きながらも、満面の笑顔だ。


「さすが俺たちの師匠だな。死の女王と取り引きして、戻ってくるなんてさ」


「問題はどこにいるかだ。恩恵能力スキルも魔法も使えない状態らしい」

 カルスが、眼鏡をずり上げて言った。


「どこにいても関係ない。すぐに探し出してやる」


「ああ、そうだな」


 二人は火口を背に歩き出した。

 その後ろで、溶岩が間欠泉のように吹き上がる。


「ところで、カル。師匠の問題、お前、どう思う?」


「まったく問題ないな。私が伴侶になればすむことだ」


 はあ? とルインが隣を歩く親友の顔を見る。


「レイチェル・サンダーワンドは私が妻にする。そして、家族で魔王を倒すのさ」

 ルインの方を向いて、ニヤリと不敵に笑う。


「いやいや、駄目だろ、それ。全然駄目だね」


「なぜだ?」


「そりゃあ、さ」

 ルインは言葉を切ると、凄みのある笑みを浮かべた。

「俺が師匠をもらうからだよ」


 二人は、互いに笑みを浮かべたまま、にらみ合った。

 やがて、ほとんど同時に顔を背け合う。


「ねえな、『女涙おんななみだの海で泳ぐ』カルスはねえな」

 頭の後ろで腕を組んで、ルイン。


 カルスが、ふん、と鼻で笑う。

「『抜かぬ剣での女斬り』ルインはもっとないな。童貞では満足にエスコートできないからな」


「うるせえ、このスケコマシ。汚れに汚れたお前じゃ、師匠に似合わねえよ」


「男を磨いてきたと言って欲しい。すべては師匠、いや、レイチェルのためだ」


「こじつけてんじゃねえよ。そんなこと言ったらな、俺は師匠、いやレイチェルと結ばれるために、童貞を守ってきたんだからな」


 前方の大地が吹き飛んだ。

 先ほど倒したドラゴンたちよりも、さらに大きな青いドラゴンが、二人の前に現れた。


「まあ、どっちにしろ、決めるのは彼女だ」

 ルインが言って、腰から『バスタデウス』を抜いた。


「確かに、そうだな」

 カルスが道具箱アイテムボックスから、『フレイウェイタ』を取り出す。


 青い竜の咆哮と、二人の叫び声が重なった。

これにて完結です。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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