23.レイチェルの日記②
ルインは、日記を読み続けた。
ソレル率いる魔王討伐隊は、世界を回って強者を集めた。
全員がSランクの冒険者だった。やがて、その人数は百に届いた。
レイチェルの『死神の鎌』の力で、魔王が拠点とする異界迷宮『暗黒城』へ乗り込んだ、魔王討伐隊。
レイチェルの日々の日記は、簡素なものだった。
その日の出来事が、淡泊につづられている。
ほかには、ソレルへの恨み言。
それに、弟子たちはなにをしているだろうか、とか、帰ったらあれやこれをしようとか、そんなことばかりだった。
『暗黒城』での戦いは、幾日も続いた。
次々と死んでいく仲間たち。
仲間の男に襲われて返り討ちにしたり、ソレルと大喧嘩をしたり。
殺伐とした雰囲気が伝わってきた。
そんな中に、こんな文章があった。
――――――
愛とはなにか、という討論が始まりました。珍しく、興味を引かれる議題です。
わたくしは、誰かを愛したことがありません。
恋人がいたことがありませんから、仕方がないのです。
『永延の聖女』マリア・フロワ様は、愛とは他者を思いやる心だ、とおっしゃられました。
わたくしには、ピンときませんでした。
思いやりなら、わたくしも持っていると思いますが、それは愛なのでしょうか。
『四神に愛される者』ジェイ・ゴウ・ラーン様は、愛とは共感する心だとおっしゃられました。
やはり、わたくしにはピンときません。愛とはもう少し、情熱的な観念ではないのでしょうか。こう、男女が、燃えるような感じの。
そのほか、様々な方が実に多様な意見をおっしゃられました。
その中でも、わたくしがしっくりときたのは、『剣聖』ラーグ・ルシフェラ様のお言葉です。
「簡単なことだ。相手を自分と同等か、それ以上に大切に思う気持ちが、人を愛するというものだ。例えば、お前たちが恋人といるときに魔物に襲われたとする。どうも、これはどちらか一人は死ぬかもしれん、という状況だ。その時、死ぬのは嫌だが、それでも、恋人が死ぬよりは、自分が死んだ方がまだましだ、と思えるなら、それは愛だろうな」
さすが、口髭の似合うダンディなおじ様です。言うことが素敵です。説得力がありますわ。
なるほど、相手を自分と同等かそれ以上に大切に思う気持ち、ですか。
とても、勉強になりました。帰ったら、ルイン君とカルス君にも教えてあげましょう。
――――――
やがて、一行はついに魔王の元へとたどり着いた。
魔王デベルドアス。討伐隊は、もう十人に減っていた。
ルインは一度、顔を上げると、目を閉じて、大きく息を吸った。
これまで、さんざん、レイチェルの想いに触れてきて、彼女が、どれだけ自分たちのことを、大切に思っていたかわかった。
どれだけの想いで、この戦いを終わらせようとしているかも。
最後まで読まなくてはならない。自分は、レイチェル・サンダーワンドの弟子なのだから。
――――――
これは負けますわね。
わたくしは、魔王を見つめながら思いました。
リフレッサ様とソレルは、それぞれ満身創痍。
わたくしも、最強の一撃を振るえるのは、あと一太刀といったところでしょう。
対して、魔王はまだ余裕がありそうです。
魔王は、三度殺さなくては死に至らない。
そう伝わっています。心臓と呼べるかどうか知りませんが、命の核を三つ持っているのだそうです。
その命の核。
魔王の体にあって無いようなものらしく、例え肉体が灰になっても、命の核は無傷。瞬時に肉体は完全回復してしまいます。
『剣聖』ラーグ・ルシフェラ様の死を賭した一撃により、一つは壊しました。
赤い光が魔王からとめどなくあふれだし、苦しみ悶えていたので、間違いなく一回は死んだのでしょう。
つまり、あと二回殺さなくてはならないのです。
わたくしが、全ての恩恵能力を『神の奇跡』に変えて『デステニオン』の力を解放すれば、一回は殺すことができるかもしれません。
ただ、リフレッサ様とソレルでは、もう一度、殺すのは無理でしょう。
リフレッサ様は呪印に命を蝕まれ、もう余力はありません。
ソレルは、まだ力を残しているようですが、それは脱出のためのものでしょう。
ソレルはそういう奴です。
負けるなら逃げるべきです。
わたくし一人なら、逃げることは可能でしょう。ただ、逃げた後がどうにもなりません。
魔王は、傷を癒しながらも魔物を組織し、侵攻を開始するでしょう。
恐らく、各国は、なすすべもなく滅ぼされていくことでしょう。
魔王軍に対抗できる人材は、この『暗黒城』に攻め入ったのですから、当然です。
いっそうのこと、ルイン君とカルス君を連れて、地の果てまで逃亡してしまいましょうか。
世界が滅ぼされても、知ったことではありません。
駄目ですわね。
ルイン君とカルス君は、素敵な冒険者になるのですもの。自分たちだけ逃げ続けるようなことは、しないでしょう。
そうです。
魔王軍と戦争になったら、あの子たちは、力のない者たちのために、戦うはずです。
命を削り、仲間の屍を越えて、疲弊しながら、絶望的な戦いを続けるでしょう。
そして、いつか、命を落とす。
そんな未来は、あの子たちに相応しくありません。
あの子たちの未来は、輝いていなくてはならないのです。
ここで負けてはいけません。
ここで退いてはいけません。
諦めてはいけないのです。
あの子たちの未来は、わたくしが守らなくてはならないのです。
自分の命を駒として考えれば、一つだけ負けない方法はあります。
『死神の鎌』を手に入れてから、使いこなすために、様々なことを試しました。
『死神の鎌』の本質は、空間を切り開き、つなげる能力。
これを使えば、一時的に、わたくしと魔王をつなげることができるはずです。
「リフレッサ様、ばあや、わたくしの弟子たちをお願いします」
わたくしは、振り返らずに言いました。
『デステニオン』を大上段に振り上げます。
大きく、もっと長く。
わたくしの意志を汲み取り、『デステニオン』が、光の刃を伸ばします。
魔王が動きました。一瞬で十メートルもの間合いを詰め、接近。
真っ赤な爪を振るいます。
魔王の攻撃の前には、わたくしが皮膚の上に張っている『物理結界』など、薄紙のようなもの。
焼けるような痛みが走ります。
わたくしは構わず、『デステニオン』を振り下ろしました。
もちろん、こんな大振りが魔王に当たるはずがありません。
狙うのは魔王ではなく、頭上に浮かぶ異界迷宮核。
わたくしの『デステニオン』が、異界迷宮核を二つに割り、さらには魔王の頭上へと落ちます。
魔王は、余裕をもってそれをかわしました。かわしざま、とどめとばかりに、わたくしの腹を手刀で貫きました。
異界迷宮核は、わたくしたちを殺した後に、直すのでしょう。わたくしの目論みを見抜いてなお、異界迷宮核を守るよりも、わたくしの始末を優先したのです。
さすがは魔王陛下。
ただ、わたくしの真の目論見は、見抜けなかったようですわね。
わたくしは、魔王の腕を両手で押さえました。どんな攻撃をされても、一撃だけは絶対に受け止めらるように、待ち構えていたのです。
いくら魔王でも、即座には振りほどけないはず。
「鎌よ」
わたくしの呼び声に応え、宙を割って『死神の鎌』が現れました。
鎌はわたくしの意志を汲んで、魔王を背中から刺し貫きます。
鎌の切っ先は、そのまま、わたくしの胸にまで突き刺さりました。
これを機に、こき使う主を消してしまおう、というような鎌の反乱ではありません。
魔王が、いぶかしげな顔をします。
この女は、なにをやっているんだ、といった顔です。
この程度の攻撃で倒せるとでも思っているのか、馬鹿なのか、とそういう顔です。
「無駄なことをする」
口に出して言いました。
もちろん、思っていませんわ、倒そうなどとは。
『死神の鎌』が、わたくしの心臓を貫きます。
痛いなどという言葉では、とても足りません。
激痛。まさに死の痛みです。
同時に、膨大な魔力が、『死神の鎌』を通して流れ込んでくるのを感じます。
どうやら、犬死にならずに済んだようです。
あっ、と思う間もなく頭上から剣が落ちてきました。
ソレルです。
この女、躊躇も容赦もありません。
次の瞬間、わたくしの意識は無くなりました。
はっ、と気づいた時には、魔王と向き合っていました。
どういうことだ? という目で、わたくしを見ています。
どうやら、ソレルによって、わたくしの体は、魔王もろとも、それは無残に破壊されたようです。
自分と一緒に再生したわたくしに、驚いているのでしょう。
「陛下、わたくしとデートをいたしませんこと?」
魔王が美形だから言ったわけではありません。精一杯の虚勢です。
こうしている今も『死神の鎌』は、わたくしの心臓を貫いますし、魔王の手刀は腹を貫いているのです。
ものすごく痛いのです。
声にならない声をあげながら、ゴロゴロと転げまわりたいくらい痛いのです。
わたくしは、『死神の鎌』の力で、魔王とつながりました。
魔王が生きている限り、わたくしも死にません。そして、わたくしの存在によって、魔王は動けなくなっているのです。
「行き先は冥府などいかがでしょう?」
異界迷宮核は破壊しました。ここまで育った異界迷宮ならば、すぐには崩壊しないでしょう。
それでも、必ずや魔王とのつながりを維持してみせますわ。
魔王が、わたくしの首を、手刀ではねました。
視界がグルグルが回転します。そして、落ちていきます。
けれど、地面に落ちる前に、元の視界に戻りました。新しい首が生えたようです。
「あなたが存命な限り、わたくしも生き続けますわ」
言った後、わたくしは振り返りました。
呆然とするリフレッサ様に、無表情のソレル。
「お二人とも、今のうちに脱出を」
異界迷宮の崩壊に巻き込まれれば冥府へ行く、と伝えられています。
魔王は一度、冥府から舞い戻ったそうですが、それには数百年はかかったそうです。
魔王が、つながっているわたくしをどうにかしようと、試行錯誤します。
即死魔法や腐敗魔法など、強烈な魔法の数々が、わたくしを攻め立てます。
ものすごく、きついのです。
もう観念してくれないものでしょうか。
体が急速に腐っていく感覚なんて、一生味わいたくはありませんでしたわ。
ようやくそれも終わりました。
自分が消耗するだけで、意味がないと気づいたようです。
「なぜ、このような真似をする。冥府に落ちれば、貴様は死ぬぞ。だが、我は死なん。そして、また地上へと戻ることができる。無駄なことだ」
「いくら魔王陛下でも、冥府から簡単に脱出はできませんわ。三百年。いえ、五百年は戻ってこられないのではありませんか?」
「さてな。以前、落ちた時は二百年程度かかったが。二度目ならばもう少し早く戻れよう。せいぜい、百年といったところか」
わたくしは笑いました。満足です。
「わたくしには、それで十分ですわ、陛下」
ルイン君とカルス君が、平和な世界で生きていけます。
夢をかなえて冒険者になって、充実した日々を過ごすことができるでしょう。
ルイン君とカルス君なら、世界に名前を残す冒険者になるはずです。
やがて、恋をして、結婚して。
家族を作って。幸せに……。
わたくしの命でそれがかなうのならば、十分すぎますわ。
「これだからヒューマンは性質が悪い。九人種中、もっとも短命な癖に平気で他人のために命を捨てる。まあよかろう。長き眠りから覚めたばかりで、夢うつつだ。眠気覚ましに、冥府をさまようのも一興よ。最後に名前を聞いておこう」
「わたくしの名は、レイチェル・サンダーワンドですわ」
伯爵令嬢でも、『狂乱戦乙女(バーサクバルキリー』でもありません。
わたくしは、「『二人の師匠』レイチェル・サンダーワンド」
ついに崩壊が始まりました。
激しい揺れ。肉の壁が、ぶちゃぶちゃと割れていきます。
「何か、言い残すことはありますか?」
ソレルです。
わたくしは、少し考えました。
ルイン君とカルス君。二人に何を伝えれば良いのでしょう。
話したいことが、言いたいことが、たくさんありすぎて、まるでまとまりません。
全部伝えようとしたら、本、一冊分にはなるかもしれません。
本?
そこまで考えて、わたくしはひらめきました。
そうですわ。
自動日記ならば、今も、わたくしの日記をつづっているはずです。
それならば、二人にきちんとお別れができるではありませんか。
ソレルを通すと、わたくしの想いまで汚れてしまいそうですし。
そうしましょう。
「日記を。わたくしの日記を読んで欲しいと、弟子たちにお伝えください」
「わかりました。必ず伝えましょう」
これで大丈夫です。
せっかくですから、気になっていたことを聞いておきましょう。
「ところで、ばあや、いえ、お師匠様、真実の愛とやらのお相手はどうされたのですか?」
「もちろん、とっくの昔に別れました。やはり男というのは度し難い生き物ですね」
「死ね」
本当に、最悪です。この女。
「その方が、あなたらしいですよ。我が弟子、レイチェル・サンダーワンド」
わたくし、いえ、私らしい、か。
ルイン君。
カルス君。
元気にしてますか?
私は、ちょっと元気とは言い難い状況です。
もうまもなく、魔王と一緒に冥府へ落ちていくことになるでしょう。
冥府は死者の国です。生者が落ちれば、戻ってくることはできないでしょう。さすがに魔王のようにはいきません。
お別れです。
あなたたちの弟子や子供や孫が、魔王と戦うことになるかもしれません。
本当は、私がなんとかしたかったのですが、力及ばず。無力な師匠を許してください。
おかしいです。
さっきまでは、あなたたちへ伝えたいことがいっぱいありすぎて、困っていたのに。
まるで出てきません。
きっと、あなたたちが生きていて。元気にしているだけで、満足なんですね。
ありがとう、ルイン君。
ありがとう、カルス君。
あなたたちと過ごした時間は、私の人生の中で、もっとも輝いていました。
私の人生で、こんなに楽しい時間があるなんて、思いもよりませんでした。
ちょっと懺悔します。
私は、かなり不純な動機で、あなたちを弟子にしました。
成長したら私好みの超美形になるに違いないから、そうしたら恋人になってもらおう、などと思っていました。
私は恋をしてみたかったのです。
恋愛というのをしてみたかったのです。
恋愛をしたら、きっと世の中が明るく、色鮮やかに見えるようになると思ったのです。
私にとって、世界は無機的で、くすんでいて、冷たかった。
音は遠くで聞こえるようで、色はぼやけて薄かった。
何かに触れても、まるで幻に触れているように、感触がない。
両親がいなくなったあの日から、私は生きていると、実感できなくなっていました。
でも、ルイン君とカルス君の声は、はっきりと聞こえてきて。
ルイン君の綺麗な黄金の髪の色や、カルス君の漆黒の素敵な瞳の色は、とても鮮明に見えました。
ルイン君の手のぬくもり。
カルス君の頬の柔らかさ。
ありありと思いだせます。
ここへ来る道中で、愛について少し詳しくなりました。
愛とは、相手を自分と同等か、それ以上に大切に思う気持ちなのだそうです。
私は、あなたたち二人を愛しているようです。
だって、ルイン君とカルス君のためなら、死んでも構わないと思えたんですから。
ルイン君。愛してます。
カルス君。愛してます。
素敵な人生を歩んでくださいね。
そうでした。
私の部屋から天井裏へ上がってみてください。そこにあなたたちへのプレゼントがあります。
記念日に渡すつもりだったプレゼント。
気に入ってもらえると良いのですが。
あっ、床が崩れました。
暗闇へと吸い込まれていきます。時間ですね。
さようなら、愛しき弟子たち。
こんな風に誰かを想いながら死んでいけるのは、とても幸福な気がします。
――――――