21.魔王との決戦
赤黒い肉壁のホール。
ドクンドクン、と脈動する太い管が、そこらかしこから飛びだしている。
ホールの中央には、赤く輝く巨大な球体が浮かんでいる。
異界迷宮核だ。
球体の下で、一人と、十人の人間が対峙している。
一人は青年だった。
青い肌に金属光沢のある銀の髪。黄金の瞳。黒衣の上から、血を固めたような赤いマントを羽織り、手には髑髏がいくつも連なった錫杖を持っている。
二メートルを越える長身だが、筋骨隆々という様子ではなく、細身だ。
魔王デベルドアス。
愛神アプロデアの恩恵能力『全魔物従属』を、宿すことができた、ただ一人の人間。
対する十人は冒険者たちだ。
ヒューマン、エルフ、ドワーフ。三種族で構成されている。
『最高魔法師』の二つ名を持つ、最強の魔法使いロジオン・ドーム。
『恩恵収集家』の二つ名を持つ、ロマリア大陸中で知らぬものはないスカウト、リック・バリアント。
『永延の聖女』、愛神神殿の大神官マリア・フロワ。
『四神に愛される者』、ドワーフで、四神の神殿の神官位を持つ、ジェイ・ゴウ・ラーン。
『百武装』、ドワーフ最強の戦士、ズァムル・ムン・ハーン。
『剣聖』ラーグ・ルシフェラ。
『戦闘魔導師』クラック・ファン。
千年近く生きているといわれる『失われたエルフの楽園の女王』ソレル・メルル・レペ。
ガイラス王国冒険者ギルド長にして、『騎士団喰い(ナイツイーター)』の名で各国から恐れられている、リフレッサ・メリン・ルー。
そして、フラジア大陸最強の戦士と目されている『狂乱戦乙女』の名を持つ、レイチェル・サンダーワンド。
魔王を倒すために世界中から集められた最強の冒険者たち。
この魔王の住処たる異界迷宮、暗黒城に入るまでは、その数は百人を数えた。
だが、広大無辺のこの大迷宮での戦いで、九割が戦死した。
誰もがSランクの冒険者であったに関わらず、である。
それほど過酷だったのだ。
魔王デベルドアスの元へたどり着くまでの道のりは。
魔王復活を行ったのは、デベリアという名の小国だった。
デベリアは五百年前の戦いで、生き残った魔王の家臣が作った国。
デベリア王国では魔王を信奉し、歴代の王たちは密かに魔王復活を企んでいた。
デベリアでは魔王復活に備え、王城の最奥部にて、異界迷宮を育ててきた。
それが、五百年の時間を経て育った最強の異界迷宮、暗黒城である。
暗黒城へと乗り込むことができたのは、レイチェルの所有する『死神の鎌』のおかげである。
魔王の痕跡を調べ、解析。『死神の鎌』にて、追跡したのだ。
魔王デベルドアスと冒険者たちは、ひと言も言葉をかわさなかった。
デベルドアスと旧知のものは、一行の中で、ただ一人、ソレルだけ。
彼女は、魔王と言葉をかわす必要を感じなかった。
静かに始まった戦いは、だが、かつてないほどに激しく、熾烈なものとなった。
魔王の道具箱から現れる、伝説級の魔物たち。
四つのひし形立方体の赤い物体を、周囲に浮かべて、即死魔法を乱射する魔王。
魔王に隙を作るために、特攻した『百武装』ズァムル・ムン・ハーンは、彼がまとっていたオリハルコンの甲冑ごと、消滅した。
魔王の渾身の魔法『神々激怒』から仲間を守るために、全ての恩恵能力を『神の奇跡』に変えて結界を張り、その代償として塵となった『永延の聖女』マリア・フロワ。
魔王の切り札たる邪竜ミトガルダと相打ちになり、冥府へと落ちていった『戦闘魔導師』クラック・ファン。
魔王の錫杖の破壊と引き換えに、ただ一度だけしか使えない恩恵能力『神々の黄昏』を使い、粉々になった『四神に愛される者』ジェイ・ゴウ・ラーン。
三つある魔王の心臓の一つに剣を突き立て、黒い炎で灰となった『剣聖』ラーグ・ルシフェラ。
魔王の脱出を阻止するために、恩恵能力を『神の奇跡』に変えて、散った『恩恵収集家』リック・バリアント。
そして、持てる全ての魔力を放出し、命を落とした『最高魔法師』ロジオン・ドーム。
立っているのは、とうとう四人だけになった。
体に呪印をつけられ、刻一刻と命を削られていくリフレッサ。
それでも血の気を失った腕で弓をつがえ、『命の矢』を放つ。
右腕を失くし、顔の左半分が焼け焦げたソレル。
左手で大剣を握り、魔王の放った究極攻撃魔法『超新星爆発』を剣で切り裂く。
レイチェルは無傷だった。
少なくとも見た目の上では、傷は負っていない。
ただ、身にまとっていた露出狂鎧を失い、産まれたままの姿になっている。
彼女も満身創痍だった。
魔力が体から漏れていて、もう間もなく、立つことすらできなくなるだろう。
「リフレッサ様、ばあや、わたくしの弟子たちをお願いします」
レイチェルは振り返らずに言った。
「レイチェル、なにを……」
「お嬢様……」
リフレッサとソレルの声が重なる。
レイチェルが剣を振り上げる。
手にした愛剣『デステニオン』が、光の柱となった。
同時に魔王が動いた。
疾風のようにレイチェルに接近すると、真っ赤な長い爪を、彼女の白い体に向けて振るう。
レイチェルはそれを受けた。
レイチェルの右肩から左脇腹にかけて、五列の線が走る。
深手だった。肉がえぐられ、骨すらも露出する。
だが、レイチェルは、そのまま光の柱を振り下ろした。長大な剣が、異界迷宮核を割る。
魔王の手刀がレイチェルの腹を貫く。
レイチェルは、眉一つ動かさずに、魔王の腕を押さえた。
「鎌よ」
レイチェルのかすれた声に、『死神の鎌』が空間を割って現れる。
大鎌は主人の意を汲み、魔王を背後から貫いた。
レイチェルの体ごと、である。
「無駄なことをする」
魔王が言った。
高く跳んで、間合いを一気に詰めたソレルが、二人の頭上に大剣を振り下ろす。
大剣は途中で黒炎をまとい、その刀身をさらに大きくする。
炎の大剣が、魔王とレイチェルを縦に割った。
黒炎は、そのまま四つの死体を灰に変える。
いや、魔王の体は割れて、灰になった直後に元の姿に戻っていた。
この程度の攻撃では、真に傷つけることはできないのだ。
「なに?」
魔王が、いぶかしげな声をあげる。
レイチェルの体も、再生していたのだ。
魔王の右の手は、依然、レイチェルの腹を貫通したまま。
その手をレイチェルが抑え込み、さらに『死神の鎌』が、魔王の腹とレイチェルの胸を貫いている。
「陛下、わたくしとデートをいたしませんこと?」
レイチェルは、上品に微笑んだ。
『死神の鎌』の力によって、魔王と自身の体をつなげた。
今、レイチェルの魔力と魔王の魔力はまじりあって、二つの体を一つの存在であるかのように駆け巡っている。
「行き先は、冥府などいかがでしょう?」
魔王の体が赤く輝く。
だが、同時にレイチェルも赤く輝いた。
魔王の左手が、刃となってレイチェルの首をはねた。
だが、即座に首が元の場所に戻る。
「あなたが存命な限り、わたくしも生き続けますわ」
レイチェルは、もう一度、微笑む。
それから首を後ろに向けた。
「お二人とも、今のうちに脱出を」
レイチェルの言葉に、ソレルとリフレッサが動いた。
リフレッサは弓を引き絞り、魔王の頭に狙いをつける。
その手を、ソレルがつかんだ。
「ソレル様、なにをなさる。今のうちに魔王を……」
「無駄です。今の私たちにそれだけの力はありません。先ほどの攻撃は、今の私ができる最強の一撃だったのですよ。あなたの矢ではとてもとても」
「だったらどうしろと言うんだ。レイチェルが作ってくれたチャンスじゃないか」
「さすがは私が手塩にかけて育てたレイチェルお嬢様。もう魔王を倒す手立てがないことに気づいたのです」
この三人の中で唯一魔王に致命傷を与えうる存在は、レイチェルだった。
全ての力をこめた『デステニオン』の一撃。それならば魔王の心臓を破壊することができたかもしれない。
だが、それでも魔王の心臓は、あとひとつ残っているのだ。
レイチェルが倒れた後、ソレルとリフレッサはたやすく殺されるだろう。
「だから倒すのではなく、封じることにしたのですよ。冥府に落とせば、魔王といえど、そう簡単には戻れないでしょうから」
「冥府……」
死者の国といわれる冥府。
異界迷宮の崩壊に巻き込まれた場合、冥府へと落ちるといわれている。
レイチェルの一撃により、すでに異界迷宮核は消滅した。
ほどなくして、暗黒城も崩壊を始めるだろう。
「だけど、あいつはどうなる。あんたの弟子は死んじまうんだぞ」
「覚悟の上でしょう。お嬢様は命と引き換えに、時間を稼ぐことにしたのです」
「ふざけるな。あいつは、まだたった、三十年くらいしか生きてないんだぞ。死ぬなら私か、あんただろうが」
言うとリフレッサは、ソレルの手を振りほどこうと、暴れた。だが、ソレルは放さない。
「放せ。私が代わる。あいつには待ってる奴らがいるんだ」
「『死神の鎌』は、レイチェルの言うことしか聞きませんよ。それに、魔王に同じ手は二度も通用しません」
二人が言い合いをしている間にも、魔王はレイチェルを殺そうと、あらゆる手段を講じた。
即死魔法。腐敗魔法。消滅魔法。
だが、どんな手段で殺そうと、レイチェルは瞬時に蘇ってしまう。
それならば、大鎌を破壊しようともしたが、さすがは戦神が創り出した武器。
魔王の攻撃に傷ひとつつかない。
大鎌を引き抜こうとしてみたが、これも、まるで体の一部になったかのように、動かなかった。
下手に引き抜けば、心臓を二つとも傷つけてしまうかもしれない。
「なぜ、このような真似をする。冥府に落ちれば、貴様は死ぬぞ」
魔王は、ひびが入り始めた天井の肉壁を、眺めながら言った。
「我は死なん。そして、また地上へと戻ることができる。無駄なことだ」
「いくら魔王陛下でも冥府から簡単に脱出はできませんわ。三百年。いえ、五百年は戻ってこられないのではありませんか?」
「さてな。以前、落ちた時は二百年程度かかったが。二度目ならばもう少し早く戻れよう。せいぜい、百年といったところか」
「わたくしには、それで十分ですわ、陛下」
くっ、と魔王が笑った。
「これだからヒューマンは性質が悪い。九人種中、もっとも短命な癖に平気で他人のために命を捨てる」
魔王デベルドアスは、すでに滅び去った古六人種の一種族、マジンである。
強靭な肉体と、優れた知性を持ち合わせた種族だ。
もともと魔法は、マジンが恩恵能力を再現しようとして生み出した、と言われている。
「まあよかろう。長き眠りから覚めたばかりで、夢うつつだ。眠気覚ましに、冥府をさまようのも一興よ」
言うと、魔王は目を閉じた。
「最後に名前を聞いておこう」
「わたくしの名は、レイチェル・サンダーワンドですわ」
レイチェルは笑った。
「『二人の師匠』レイチェル・サンダーワンド」
大きな揺れが起こった。
肉壁が、次々と弾け、砕けていく。
虚空へと落ちていく床。吸い込まれていく壁。その先にあるのは、絶対の闇。
「レイチェル」
リフレッサが叫ぶ。
「何か、言い残すことはありますか?」
ソレルが、静かな声で言った。
「日記を。わたくしの日記を読んで欲しいと、弟子たちにお伝えください」
「わかりました。必ず伝えましょう」
「ところで、ばあや、いえお師匠様、真実の愛とやらのお相手は、どうされたのですか?」
「もちろん、とっくの昔に別れました。やはり男というのは度し難い生き物ですね」
「死ね」
「その方が、あなたらしいですよ。我が弟子、レイチェル・サンダーワンド」
レイチェルと魔王を支えていた床が、崩れた。
二人が落ちていく。
リフレッサの悲痛な声が反響した。
「さあ、外へ出ますよ。グズグズしていると、私たちまで冥府に落ちてしまいます」
ソレルが言った。
「クソ、あんたはどこまで……」
言いかけて、リフレッサは言葉を飲み込んだ。ソレルが泣いていたのだ。
「行きましょう。レイチェルが作ってくれた猶予を無駄にしてはいけません。魔王が戻ってくる前に、彼に対抗できるだけの人材を育てなくてはなりません」
リフレッサはうなずくと、駆け出した。
暗黒城は『脱出』の類は使えない。
広大な異界迷宮を、玄関口まで戻らなくてはならない。
これだけ大きな異界迷宮なら、崩壊にも時間がかかるだろうが、それでも、この体で無事に外へ出られかどうか。
すると、青い光が輝き、体が蘇るのが感じられた。
命を削っていた呪印が消えている。
「完全回復しました。とろとろと走っていたら間に合いませんからね」
「できるんなら、さっさとしろよ。こっちは死にそうだったんだぞ」
「あと二回しか残っていませんでしたからね。私は常に、自分用に最後の二回はとっておくことにしているのです。まあ、今回は仕方がありません。戻ったのが私だけでは、色々と面倒くさそうですからね」
そう言うソレルは、すでに完全回復していた。
「ホント、クズだな、あんた」
「誉め言葉ととっておきましょう」
リフレッサは、絶対に、なにがなんでも、無事に外へ出ようと誓った。後事をソレル一人に任せるのは、不安すぎる。