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20/24

20.二年目の記念日

 誕生日を祝ってもらったお礼に、レイチェルは、二人が弟子になってから丸二年となる記念日を、盛大に祝おうと心に決めた。


 また、ことあるごとに、二人に何か欲しい物はないか、と聞いた。


「師匠がくれるなら、なんでも嬉しいよ」とルイン。


「できれば武具がありがたいですね。あと三ヵ月ほどで冒険者デビューしますから」とカルス。


 レイチェルは、カルスの言をいれた。

 ルインには剣を、カルスには杖を、それぞれプレゼントすることにしたのだ。


 どちらも、二人が冒険者デビューする際に、プレゼントしようと思っていたもので、すでに用意してある。


 屋敷の準備にも余念がない。

 大工や掃除師に仕事を頼み、徹底的に屋敷を綺麗にした。

 大工が時間的に無理だ、と言ったら、魔法使いを呼んできて補助させた。


「そんなにしなくてもいいんじゃないかな。屋敷の中だけで」

 ルインは、大工とやりあっているレイチェルに、言った。


「嫌です。私とルイン君とカルス君が、師弟になって丸二年の記念日なんです。素敵な場所で、祝いたいのです」

 怒って言った。それから大工に向き直った。

「お金はいくらでも払います。なんとかしてください」


「いや、だから、資材も足りないし、妥協してもらわんと……」


「足りないなら取ってきます」

  

 ルインは、気の毒な気持ちで、大工を見た。

 レイチェルの発する圧力に、気がくじけそうになっている。


 屋敷の屋根瓦のことである。

 ボロボロになった屋根瓦を交換するのは良いのだが、大きな屋敷全てを交換するだけの瓦を用意するのは、無理だ。


 綺麗な瓦はそのままにして、壊れた瓦だけを、似たようなタイプのものと交換してはどうか、という提案を大工がして、それを頑として跳ねのけるレイチェルだった。


「そうだ、なにかさ、絵を描いてもらったらどうかな。画家にさ」


 ルインは、レイチェルの興味をそらすために提案した。

 少し時間をおけば頭も冷え、そこで妥協しても大した問題ではない、と気づくだろう。


 レイチェルが固まった。

「ルイン君、今、なんて言いました?」


「いや、絵をさ」


 レイチェルが、ルインに抱き着いた。


 ルインは、今ではAランク魔物とすら戦えるだけの技量がある。

 それなのに、レイチェルのあまりの速さに、体が対応できなかった。


「なんて素晴らしい思い付き。ルイン君は天才です」


 ルインは、レイチェルの引き締まっているくせに柔らかい体に巻き付かれ、とろけそうになった。


 勇気を振り絞って、抱きしめ返す前に、レイチェルは離れてしまった。


「最高の画家に描いてもらいましょう。出来上がった絵は、玄関ホールに飾るのです」


「いや、そこまでしなくてもいいと思うよ」


 ルインは、まずかったかも、と後悔した。レイチェルの新たな情熱に、火をつけてしまった気がする。


「では、さっそく頼みに行ってきます」

 言って、レイチェルは『転移ワープ』の恩恵能力スキルで姿を消した。


 呆然とするルイン。そこにカルスの声がかかった。

「いったい何事だい?」


「いたのかよ。ひょっとして、今の見てた?」


「師匠が、君に抱き着いたところのことかい?」


「別に、そういうあれじゃなかったからな」


 カルスが眼鏡を上げて、シニカルな笑みを浮かべた。

「あれが恋人同士の抱擁に見えるんなら『完全回復フルリカバリー』の必要があるよ。なんで興奮してたんだい」


 ルインは経緯を話した。

 なるほど、とカルスがうなずく。


「確かにいい思い付きだね。僕としては、師匠の肖像画が欲しいけどな」


「別口で頼めないかなあ」


 そんなところに、レイチェルが戻ってきた。

「頼んできました。さあ、行きましょう」


「今から描いてもらうんですか?」


「今日は空いているそうなので」


「このかっこうで? ちょっと着替えた方がいいんじゃないか?」


 ルインもカルスも普段着である。

 二人とも、レイチェルに良く見てもらおうと、身だしなみには気を使っているので、品が良く清潔感もある。

 だが、絵に描いてもらうには、不適切に思えた。


「大丈夫。二人とも、とても魅力的です。すごくかっこ良いです」


「そうかな。もうちょっと、ちゃんとしたかっこうの方がいいんじゃない?」


「普段のルイン君とカルス君の方がいいんです。私もこのままです」


「まあ、師匠がそのままなら、変に着飾るよりいいかもね」



 レイチェルが、二人に合わせたのは、宮廷画家の直弟子だった。

 ボサボサの髪の中年女性で、絵具で鮮やかになった服を着ていた。


 後世にまで名を残す、稀代の名画家ルイーザ・リンドは、眠そうな顔で、レイチェルと弟子たちを眺めていた。


「じゃあ、こっち来て」と、やる気の感じられない声で言って、奥へと向かう。


 三人は、あとに続いた。

 通された一室は、アトリエだった。

 描きかけの絵や、布をかけられた絵が、林立している。

 奥にベッドがある。


「じゃあ、ベッドにでも腰かけて、話してて」


「ここで描くんですか?」


 カルスは、眉をひそめた。

 ゴチャゴチャとしていて、背景にするには不適切な部屋だ。


「まだ描かないよ」


「描かないの? だけど時間がないんじゃないんですか?」


「大丈夫です。ルイーザさんは天才ですから」

 レイチェルが言った。

「私は絵に造詣ぞうけいが深くはありませんが、彼女の描く絵が素晴らしことはわかります。彼女なら、きっと最高の絵を、二十日までに仕上げてくれるはずです」


「んっ、無理」

 ルイーザは、あっさりと否定した。


「先ほど、お願いした時は、やってくれると言いました」

 レイチェルがにらむ。


「やっつけでやろうかと思ったけど、やっぱりやめた。ちゃんと描くわ」


「二十日までに描いてください。そこは譲れません」


「嫌だよ」

 言い合いになる。


「なにも、記念日に絵がなくても良くないですか? それよりも、きちんとした絵を描いてもらう方が、良いと思います」

 カルスが言った。


「そうそう。いいものは時間がかかるもんだろ。やっつけでやられるよりさ、ずっといいじゃん」

 ルインも言った。


 弟子たちに言われ、レイチェルも納得した。

 それから二時間ほど、ルイーザ邸に滞在。


 ルイーザは、レイチェルたちが話すのを、ぼうっと眺めており、話を振っても無反応だった。


 昼食時になり、屋敷へ帰るついでに料理屋に寄っていこうということになり、ルイーザ邸を後にする。

 ルイーザも、無言でそれについてきた。


 料理屋でも、ルイーザは三人を眺めていた。手と口だけが機械的に動いて、料理を食べる。


 ルイーザは、屋敷にまでついてきた。

 しかも、そのまま三日間、泊っていった。


「じゃあ、できたら持ってくるから」

 そう言って、ルイーザは帰っていった。


 絵といえば、モデルを見ながら描くものだと思っていたので、カルスは驚いた。


 ルインは、レイチェルがすでに前金で二千万エリネを支払っていると聞いて、目が飛びだしそうになった。


「彼女は天才です」


 レイチェルは、彼女がその値段に相応しい絵を描くことを、確信しているようだった。




◇◇◇




 記念日の十一月二十日が近づくにつれて、レイチェルの興奮は、大きくなっていった。


 一週間前になると、それは最高潮に達し、ルインもカルスも、師匠は大丈夫なのだろうか、と不安になるほどであった。


「楽しみにしていてくださいね。絶対に素晴らしい記念日にしますから」と言うレイチェルが、一番楽しみにしているようだった。



 そして前日。

 レイチェルは、この日、いつもの稽古も気もそぞろだった。

 おかげで、立ち合い稽古で、ルインに初めて一本、まともに入れられてしまった。


「大丈夫かい、師匠。今日はもうやめといた方がいいんじゃないか?」

 念願の一本を入れたルインの方が、慌てて言った。


「大丈夫です。まったく問題ありません」


 レイチェルは、ルインの木剣の一撃が入った右肩を眺めた。

 最近では、弟子たちが遠慮なく打てるように、レイチェルも『物理結界バリア』を張っている。

 ルインの一撃は、その『物理結界バリア』の上から、ダメージがきた。

 それだけの威力があったのだ。


「本当に強くなりましたね、ルイン君」


「いや、今のはどう考えても、師匠が調子悪かっただけだよ」


 謙遜ではない。

 ルインは、強くなれば強くなるほど、レイチェルを遠くに感じた。

 ただ、強い、と思っていた彼女の力量が、正確に把握できるようになってきたのだ。そこには、天と地の開きがあるように思える。


「僕も、師匠は、今日はこれくらいにした方が良いと思います。なんだか危なっかしいですよ」と、次に立ち合いをする予定だったカルスが言った。

「あとは、僕とルインでやります」


「大丈夫です。ちょっと浮ついてしまっていただけ……」

 レイチェルが、言葉を飲み込んだ。

 厳しい顔を、門の方へ向ける。


 強い風の中を、五人の人間が歩いてくる。身なりからして冒険者。

 それも、カルスの見たところ、全員強い。


「ギルド長? 何しに来たんだ?」

 ルインがつぶやく。


 五人の中に、冒険者ギルド長のリフレッサがいたのだ。しかも、革鎧にマント、背に弓を背折っている。


 ガリガリっ、と歯ぎしりの音。

 ルインは、驚いてレイチェルに視線を戻した。

 怒りに満ちた表情で、リフレッサの隣を歩く女性を見ている。


 リフレッサと同様エルフだ。

 銀色の髪を、肩の高さで切りそろえている。タイトな黒い甲冑を身に着けており、背には、小柄な体に不似合いな大剣を差している。

 レイチェルとは対照的に、親愛の表情をレイチェルに向けている。


 後ろにいる三人は、それぞれ、魔法使いの男、神官の女、戦士の男。

 装備している武具を見れば、いやでもAランク以上だとわかる。


 レイチェルの前に立つと、黒甲冑のエルフが言った。

「久しぶりですね。お嬢様、いえ、我が弟子レイチェル。ずいぶんと破廉恥なかっこうをしていますが、新たな性癖に目覚めましたか?」


「ご無沙汰しております。お師匠様。わたくし、もう二度とお会いすることはないとばかり思っておりましたので、大変驚いておりますの」

 怒りを押し殺したような低い声で、レイチェルが言った。

「ところで、破廉恥とおっしゃるのならば、あなたの存在そのものが破廉恥なのではないかと思いますわ。わたくしの前にこうしておめおめと顔を出すなど、厚顔無恥、鉄面皮などという言葉ではまるで足りません。願わくば、早急にそのおみ足を後ろへと戻し、ご退場いただきたいものですわ」


 ルインもカルスも唖然とした。

 レイチェルが、スラスラと彼女らしからぬ言葉を話している。

 まるで、別人が入れ替わったかのようだ。


「おいおい、勘弁してくれよ。師弟でやりあってるような状況じゃないんだからさ。ソレル様、ちょっとはレイチェルに優しくしてあげてくださいよ。いきなり男と出てったあんたが悪いんだからさ」

 リフレッサが言った。


 ほほほっ、とソレルが笑った。

「なんということでしょう。お嬢様、いえ我が弟子レイチェルは、まだ私に未練あったなんて。可愛いですねえ、本当に。弟子をとり、少しは大人になったのかと思ったのに」


 その言葉で、レイチェルのあふれんばかりの殺気が、さっと引いた。

 ルインとカルスに、目を向ける。彼らは、心配そうな顔でレイチェルを見ていた。


 レイチェルは頭を振った。

 怒りの表情が、すっと消える。


「……わたくし、いえ……。私になんの用です?」


「迎えにきたんだ。事態は急を要する。詳細は道中で話すから、一緒に来てくれ」

 リフレッサが言った。


「無理です。今日、明日は仕事を受けるつもりはありません」


「いや、そういうレベルの問題じゃないんだよ。お前の力が必要なんだ。私だって今更、実戦なんかに出たくはないんだけど、しぶしぶこんなかっこうしてるんだからな。急だし、おまけに長い旅になる。だけど、仕方ないんだよ。力がある奴は、無い奴の代わりに戦わないといけないからさ」

 リフレッサは、はあ、とため息をついた。

「行きたくねえ。ソレル様と同行とか、どんな苦行だよ」


 リフレッサが、グエっとうめいた。

 ソレルが、高速のパンチを、リフレッサの腹に叩き込んだのだ。


「魔王が復活しました」

 ソレルが言った。



 食堂。

 記念日のために、レイチェルが気合を入れてリフォームしたおかげで、壁紙は張り直され、床のタイルも取り換えられた。


 いやに大きかった長テーブルは、三人で、ちょうど、よい程度の丸テーブルに、取り換えられた。


 意匠をこらした燭台に灯るのは、魔法の灯り。新調したシャンデリアは灯っておらず、燭台の灯りだけが、部屋を照らしている。


 テーブルに座っているのは、二人だけだった。


「師匠、明日を楽しみにしてたのにな」

 ルインが、もう何度目かになる言葉を吐いた。

「あんなに、はしゃいでたのにさ」


「仕方がないよ。魔王が復活したんじゃ」

 カルスも、もう何度も言った言葉で返す。


 魔王デベルドアス。

 魔物を従える恩恵能力スキルを使い、何百万もの魔物の軍勢を組織して、世界を恐怖に落とし入れた存在。


 五百年前に、英雄レオニス率いる冒険者パーティにより、封印された。

 魔王の封印された地には、愛神いとしがみの神殿が建てられ、封印が解けることがないよう、厳重な管理をしていたはずである。


「魔王が手下を増やす前に、倒さないといけないからね」


「だからってさ」

 ルインが怒鳴った。

「いきなり連れてかなくてもいいじゃないか。師匠にあんな顔させて……」


 別れ際の、レイチェルの悲しそうな、寂しそうな顔。

 それでも微笑んで、言ったのだ。

「すぐに魔王を倒して帰ってきますからね。そうしたら、記念日をやり直しましょう」


「明日から、もっともっと修行しよう」

 カルスが言った。拭いていた眼鏡をかけ直す。

「今までの何倍も修行して、強くなろう。それで、師匠を助けるんだ。一緒に戦うんだ」


 ルインは、涙のにじんだ目を拭った。そして、席を立つ。


「そうだな。その通りだ。俺はもう寝るよ。しっかり寝て、明日から、死ぬ気で鍛える」


 カルスも席を立った。

 二人して、部屋を出ていく。


 消し忘れた燭台の灯りだけが、無人の食堂を照らしていた。




◇◇◇




 魔王の復活は極秘事項とされ、各王国や冒険者ギルド、魔法使いギルドのトップたちにしか、知らされなかった。


 人々は、恐怖の象徴たる魔王の復活など知らず、変わらぬ日常を過ごしていた。

 王都トリストでも、それは変わらない。


 変化といえば、ただ、冒険者ギルド長のリフレッサ・メリン・ルーが、不在となったくらいだ。


 それにもう一つ、露出狂鎧ビキニアーマーの女戦士『狂乱戦乙女バーサクバルキリー』を、見かけることがなくなった。


 最初は、気にならなかった街の人々も、レイチェルの不在が、二ヵ月、三ヵ月と続くと、気になり始めた。

 彼女の弟子たる二人の少年を見かけると、声をかけるようになった。


「最近、お師匠さんを見ないけど、どうしたんだい?」


「レイチェルさんは、どこかに行っているのかな?」


「『狂乱戦乙女バーサクバルキリー』の姉さんは、どうしちまったんだ?」


 ルインもカルスも、長い旅に出て、しばらくは戻らない、というような答えを返し続けた。


 半年、そして一年……。

 日々は過ぎていった。

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