20.二年目の記念日
誕生日を祝ってもらったお礼に、レイチェルは、二人が弟子になってから丸二年となる記念日を、盛大に祝おうと心に決めた。
また、ことあるごとに、二人に何か欲しい物はないか、と聞いた。
「師匠がくれるなら、なんでも嬉しいよ」とルイン。
「できれば武具がありがたいですね。あと三ヵ月ほどで冒険者デビューしますから」とカルス。
レイチェルは、カルスの言をいれた。
ルインには剣を、カルスには杖を、それぞれプレゼントすることにしたのだ。
どちらも、二人が冒険者デビューする際に、プレゼントしようと思っていたもので、すでに用意してある。
屋敷の準備にも余念がない。
大工や掃除師に仕事を頼み、徹底的に屋敷を綺麗にした。
大工が時間的に無理だ、と言ったら、魔法使いを呼んできて補助させた。
「そんなにしなくてもいいんじゃないかな。屋敷の中だけで」
ルインは、大工とやりあっているレイチェルに、言った。
「嫌です。私とルイン君とカルス君が、師弟になって丸二年の記念日なんです。素敵な場所で、祝いたいのです」
怒って言った。それから大工に向き直った。
「お金はいくらでも払います。なんとかしてください」
「いや、だから、資材も足りないし、妥協してもらわんと……」
「足りないなら取ってきます」
ルインは、気の毒な気持ちで、大工を見た。
レイチェルの発する圧力に、気がくじけそうになっている。
屋敷の屋根瓦のことである。
ボロボロになった屋根瓦を交換するのは良いのだが、大きな屋敷全てを交換するだけの瓦を用意するのは、無理だ。
綺麗な瓦はそのままにして、壊れた瓦だけを、似たようなタイプのものと交換してはどうか、という提案を大工がして、それを頑として跳ねのけるレイチェルだった。
「そうだ、なにかさ、絵を描いてもらったらどうかな。画家にさ」
ルインは、レイチェルの興味をそらすために提案した。
少し時間をおけば頭も冷え、そこで妥協しても大した問題ではない、と気づくだろう。
レイチェルが固まった。
「ルイン君、今、なんて言いました?」
「いや、絵をさ」
レイチェルが、ルインに抱き着いた。
ルインは、今ではAランク魔物とすら戦えるだけの技量がある。
それなのに、レイチェルのあまりの速さに、体が対応できなかった。
「なんて素晴らしい思い付き。ルイン君は天才です」
ルインは、レイチェルの引き締まっているくせに柔らかい体に巻き付かれ、とろけそうになった。
勇気を振り絞って、抱きしめ返す前に、レイチェルは離れてしまった。
「最高の画家に描いてもらいましょう。出来上がった絵は、玄関ホールに飾るのです」
「いや、そこまでしなくてもいいと思うよ」
ルインは、まずかったかも、と後悔した。レイチェルの新たな情熱に、火をつけてしまった気がする。
「では、さっそく頼みに行ってきます」
言って、レイチェルは『転移』の恩恵能力で姿を消した。
呆然とするルイン。そこにカルスの声がかかった。
「いったい何事だい?」
「いたのかよ。ひょっとして、今の見てた?」
「師匠が、君に抱き着いたところのことかい?」
「別に、そういうあれじゃなかったからな」
カルスが眼鏡を上げて、シニカルな笑みを浮かべた。
「あれが恋人同士の抱擁に見えるんなら『完全回復』の必要があるよ。なんで興奮してたんだい」
ルインは経緯を話した。
なるほど、とカルスがうなずく。
「確かにいい思い付きだね。僕としては、師匠の肖像画が欲しいけどな」
「別口で頼めないかなあ」
そんなところに、レイチェルが戻ってきた。
「頼んできました。さあ、行きましょう」
「今から描いてもらうんですか?」
「今日は空いているそうなので」
「このかっこうで? ちょっと着替えた方がいいんじゃないか?」
ルインもカルスも普段着である。
二人とも、レイチェルに良く見てもらおうと、身だしなみには気を使っているので、品が良く清潔感もある。
だが、絵に描いてもらうには、不適切に思えた。
「大丈夫。二人とも、とても魅力的です。すごくかっこ良いです」
「そうかな。もうちょっと、ちゃんとしたかっこうの方がいいんじゃない?」
「普段のルイン君とカルス君の方がいいんです。私もこのままです」
「まあ、師匠がそのままなら、変に着飾るよりいいかもね」
◇
レイチェルが、二人に合わせたのは、宮廷画家の直弟子だった。
ボサボサの髪の中年女性で、絵具で鮮やかになった服を着ていた。
後世にまで名を残す、稀代の名画家ルイーザ・リンドは、眠そうな顔で、レイチェルと弟子たちを眺めていた。
「じゃあ、こっち来て」と、やる気の感じられない声で言って、奥へと向かう。
三人は、あとに続いた。
通された一室は、アトリエだった。
描きかけの絵や、布をかけられた絵が、林立している。
奥にベッドがある。
「じゃあ、ベッドにでも腰かけて、話してて」
「ここで描くんですか?」
カルスは、眉をひそめた。
ゴチャゴチャとしていて、背景にするには不適切な部屋だ。
「まだ描かないよ」
「描かないの? だけど時間がないんじゃないんですか?」
「大丈夫です。ルイーザさんは天才ですから」
レイチェルが言った。
「私は絵に造詣が深くはありませんが、彼女の描く絵が素晴らしことはわかります。彼女なら、きっと最高の絵を、二十日までに仕上げてくれるはずです」
「んっ、無理」
ルイーザは、あっさりと否定した。
「先ほど、お願いした時は、やってくれると言いました」
レイチェルが睨む。
「やっつけでやろうかと思ったけど、やっぱりやめた。ちゃんと描くわ」
「二十日までに描いてください。そこは譲れません」
「嫌だよ」
言い合いになる。
「なにも、記念日に絵がなくても良くないですか? それよりも、きちんとした絵を描いてもらう方が、良いと思います」
カルスが言った。
「そうそう。いいものは時間がかかるもんだろ。やっつけでやられるよりさ、ずっといいじゃん」
ルインも言った。
弟子たちに言われ、レイチェルも納得した。
それから二時間ほど、ルイーザ邸に滞在。
ルイーザは、レイチェルたちが話すのを、ぼうっと眺めており、話を振っても無反応だった。
昼食時になり、屋敷へ帰るついでに料理屋に寄っていこうということになり、ルイーザ邸を後にする。
ルイーザも、無言でそれについてきた。
料理屋でも、ルイーザは三人を眺めていた。手と口だけが機械的に動いて、料理を食べる。
ルイーザは、屋敷にまでついてきた。
しかも、そのまま三日間、泊っていった。
「じゃあ、できたら持ってくるから」
そう言って、ルイーザは帰っていった。
絵といえば、モデルを見ながら描くものだと思っていたので、カルスは驚いた。
ルインは、レイチェルがすでに前金で二千万エリネを支払っていると聞いて、目が飛びだしそうになった。
「彼女は天才です」
レイチェルは、彼女がその値段に相応しい絵を描くことを、確信しているようだった。
◇◇◇
記念日の十一月二十日が近づくにつれて、レイチェルの興奮は、大きくなっていった。
一週間前になると、それは最高潮に達し、ルインもカルスも、師匠は大丈夫なのだろうか、と不安になるほどであった。
「楽しみにしていてくださいね。絶対に素晴らしい記念日にしますから」と言うレイチェルが、一番楽しみにしているようだった。
そして前日。
レイチェルは、この日、いつもの稽古も気もそぞろだった。
おかげで、立ち合い稽古で、ルインに初めて一本、まともに入れられてしまった。
「大丈夫かい、師匠。今日はもうやめといた方がいいんじゃないか?」
念願の一本を入れたルインの方が、慌てて言った。
「大丈夫です。まったく問題ありません」
レイチェルは、ルインの木剣の一撃が入った右肩を眺めた。
最近では、弟子たちが遠慮なく打てるように、レイチェルも『物理結界』を張っている。
ルインの一撃は、その『物理結界』の上から、ダメージがきた。
それだけの威力があったのだ。
「本当に強くなりましたね、ルイン君」
「いや、今のはどう考えても、師匠が調子悪かっただけだよ」
謙遜ではない。
ルインは、強くなれば強くなるほど、レイチェルを遠くに感じた。
ただ、強い、と思っていた彼女の力量が、正確に把握できるようになってきたのだ。そこには、天と地の開きがあるように思える。
「僕も、師匠は、今日はこれくらいにした方が良いと思います。なんだか危なっかしいですよ」と、次に立ち合いをする予定だったカルスが言った。
「あとは、僕とルインでやります」
「大丈夫です。ちょっと浮ついてしまっていただけ……」
レイチェルが、言葉を飲み込んだ。
厳しい顔を、門の方へ向ける。
強い風の中を、五人の人間が歩いてくる。身なりからして冒険者。
それも、カルスの見たところ、全員強い。
「ギルド長? 何しに来たんだ?」
ルインがつぶやく。
五人の中に、冒険者ギルド長のリフレッサがいたのだ。しかも、革鎧にマント、背に弓を背折っている。
ガリガリっ、と歯ぎしりの音。
ルインは、驚いてレイチェルに視線を戻した。
怒りに満ちた表情で、リフレッサの隣を歩く女性を見ている。
リフレッサと同様エルフだ。
銀色の髪を、肩の高さで切りそろえている。タイトな黒い甲冑を身に着けており、背には、小柄な体に不似合いな大剣を差している。
レイチェルとは対照的に、親愛の表情をレイチェルに向けている。
後ろにいる三人は、それぞれ、魔法使いの男、神官の女、戦士の男。
装備している武具を見れば、いやでもAランク以上だとわかる。
レイチェルの前に立つと、黒甲冑のエルフが言った。
「久しぶりですね。お嬢様、いえ、我が弟子レイチェル。ずいぶんと破廉恥なかっこうをしていますが、新たな性癖に目覚めましたか?」
「ご無沙汰しております。お師匠様。わたくし、もう二度とお会いすることはないとばかり思っておりましたので、大変驚いておりますの」
怒りを押し殺したような低い声で、レイチェルが言った。
「ところで、破廉恥とおっしゃるのならば、あなたの存在そのものが破廉恥なのではないかと思いますわ。わたくしの前にこうしておめおめと顔を出すなど、厚顔無恥、鉄面皮などという言葉ではまるで足りません。願わくば、早急にそのおみ足を後ろへと戻し、ご退場いただきたいものですわ」
ルインもカルスも唖然とした。
レイチェルが、スラスラと彼女らしからぬ言葉を話している。
まるで、別人が入れ替わったかのようだ。
「おいおい、勘弁してくれよ。師弟でやりあってるような状況じゃないんだからさ。ソレル様、ちょっとはレイチェルに優しくしてあげてくださいよ。いきなり男と出てったあんたが悪いんだからさ」
リフレッサが言った。
ほほほっ、とソレルが笑った。
「なんということでしょう。お嬢様、いえ我が弟子レイチェルは、まだ私に未練あったなんて。可愛いですねえ、本当に。弟子をとり、少しは大人になったのかと思ったのに」
その言葉で、レイチェルのあふれんばかりの殺気が、さっと引いた。
ルインとカルスに、目を向ける。彼らは、心配そうな顔でレイチェルを見ていた。
レイチェルは頭を振った。
怒りの表情が、すっと消える。
「……わたくし、いえ……。私になんの用です?」
「迎えにきたんだ。事態は急を要する。詳細は道中で話すから、一緒に来てくれ」
リフレッサが言った。
「無理です。今日、明日は仕事を受けるつもりはありません」
「いや、そういうレベルの問題じゃないんだよ。お前の力が必要なんだ。私だって今更、実戦なんかに出たくはないんだけど、しぶしぶこんなかっこうしてるんだからな。急だし、おまけに長い旅になる。だけど、仕方ないんだよ。力がある奴は、無い奴の代わりに戦わないといけないからさ」
リフレッサは、はあ、とため息をついた。
「行きたくねえ。ソレル様と同行とか、どんな苦行だよ」
リフレッサが、グエっとうめいた。
ソレルが、高速のパンチを、リフレッサの腹に叩き込んだのだ。
「魔王が復活しました」
ソレルが言った。
◇
食堂。
記念日のために、レイチェルが気合を入れてリフォームしたおかげで、壁紙は張り直され、床のタイルも取り換えられた。
いやに大きかった長テーブルは、三人で、ちょうど、よい程度の丸テーブルに、取り換えられた。
意匠をこらした燭台に灯るのは、魔法の灯り。新調したシャンデリアは灯っておらず、燭台の灯りだけが、部屋を照らしている。
テーブルに座っているのは、二人だけだった。
「師匠、明日を楽しみにしてたのにな」
ルインが、もう何度目かになる言葉を吐いた。
「あんなに、はしゃいでたのにさ」
「仕方がないよ。魔王が復活したんじゃ」
カルスも、もう何度も言った言葉で返す。
魔王デベルドアス。
魔物を従える恩恵能力を使い、何百万もの魔物の軍勢を組織して、世界を恐怖に落とし入れた存在。
五百年前に、英雄レオニス率いる冒険者パーティにより、封印された。
魔王の封印された地には、愛神の神殿が建てられ、封印が解けることがないよう、厳重な管理をしていたはずである。
「魔王が手下を増やす前に、倒さないといけないからね」
「だからってさ」
ルインが怒鳴った。
「いきなり連れてかなくてもいいじゃないか。師匠にあんな顔させて……」
別れ際の、レイチェルの悲しそうな、寂しそうな顔。
それでも微笑んで、言ったのだ。
「すぐに魔王を倒して帰ってきますからね。そうしたら、記念日をやり直しましょう」
「明日から、もっともっと修行しよう」
カルスが言った。拭いていた眼鏡をかけ直す。
「今までの何倍も修行して、強くなろう。それで、師匠を助けるんだ。一緒に戦うんだ」
ルインは、涙の滲んだ目を拭った。そして、席を立つ。
「そうだな。その通りだ。俺はもう寝るよ。しっかり寝て、明日から、死ぬ気で鍛える」
カルスも席を立った。
二人して、部屋を出ていく。
消し忘れた燭台の灯りだけが、無人の食堂を照らしていた。
◇◇◇
魔王の復活は極秘事項とされ、各王国や冒険者ギルド、魔法使いギルドのトップたちにしか、知らされなかった。
人々は、恐怖の象徴たる魔王の復活など知らず、変わらぬ日常を過ごしていた。
王都トリストでも、それは変わらない。
変化といえば、ただ、冒険者ギルド長のリフレッサ・メリン・ルーが、不在となったくらいだ。
それにもう一つ、露出狂鎧の女戦士『狂乱戦乙女』を、見かけることがなくなった。
最初は、気にならなかった街の人々も、レイチェルの不在が、二ヵ月、三ヵ月と続くと、気になり始めた。
彼女の弟子たる二人の少年を見かけると、声をかけるようになった。
「最近、お師匠さんを見ないけど、どうしたんだい?」
「レイチェルさんは、どこかに行っているのかな?」
「『狂乱戦乙女』の姉さんは、どうしちまったんだ?」
ルインもカルスも、長い旅に出て、しばらくは戻らない、というような答えを返し続けた。
半年、そして一年……。
日々は過ぎていった。