19.レイチェルの誕生日
「ルイン、こっちの方は準備オッケーだよ」
「よし。なんとか、うまくいったな。念のため、もう少し連れまわしてから帰るよ」
「なんか、君の方が役得だよね」
「そんなことねえよ。師匠は勘が鋭いからヒヤヒヤものだよ。じゃあ、戻る前にまた『念話』する」
「了解」
ルインは、額の前に浮かんだ小さな青い輪を、さっと手で払った。
これで『念話』の終了である。
ルインもカルスも、すでに『心言葉』から、『念話』へと恩恵能力を進化させていた。
その便利さに、こんなに便利なら、みんな使えばいいじゃん、とルインは思ったものだが、そういうわけにもいかないらしい。
レイチェルの話では、恩恵を得るためには、『神への奉仕』が必要とのこと。
神殿での祈りや清掃、供物を捧げるなど。
また理を守るのも立派な『神への奉仕』である。
魔物退治、それに異界迷宮の攻略。
この『神への奉仕』が意外に大変で、新人冒険者たちは、中々、恩恵能力を得られないのである。
「カルス君は、大丈夫そうでしたか?」
レイチェルが、心配そうな顔で言った。
「頭痛はおさまったってさ。せっかくだから、ゆっくりしてこいって」
「そうですか。良かったです」
レイチェルが、両手を胸の前で握って、ほうっと息を吐いた。
その仕草の可愛さに、ルインはクラクラとした。
二人は、大通りを歩いている。
王都の目抜き通りから、二つほど入ったところで、服屋や雑貨屋、料理屋などが立ち並ぶ、もっとも賑わう通りである。
今日は、午後を自由時間にして、街で買い物をすることになっていた。
本当ならば、カルスも来る予定だったのだが、出る前に頭痛がするということで、留守番になった。
「僕のことは気にせずに、楽しんできてください」とカルス。
その健気さに、レイチェルは、なんていい子なんでしょう、と感動。お土産をたくさん買ってこよう、と心に誓った。
だが、実は、これはルインとカルスの作戦だった。
この日、十月十一日は、レイチェルの誕生日である。
昨年は、誕生日だと知らずに見過ごしてしまったが、今年は違う。
二人とも、レイチェルに喜んでもらおうと、二週間も前からコツコツと準備を進めてきた。
もちろん、サプライズパーティである。
ルインが、レイチェルを連れ出している間に、カルスが屋敷の準備をする。
事前に道具箱に入用なものは入れてあるので、それを取り出すだけ。
料理は、昨日のうちにルインが仕込みをして、それを道具箱に入れておいた。
昼食時に、それらを調理。今度はカルスの道具箱へしまった。
完璧な段取りである。
「カルス君へのお土産は、なににしましょうか?」
「カルならやっぱり本だよ」
「いつも本ばかりで、つまらなくないでしょうか?」
「魔法道具もいいかもね」
「それなら、『ドベルグの倉庫』に行きましょう。店主が、仕入れから戻ってきたと聞きました。良い品があるかもしれません」
恩恵能力を使おうとするレイチェルを、ルインは止めた。
「せっかくだからさ、歩いてこうよ。こうして二人で歩くのも楽しいじゃん」
「ですが、『ドベルグの倉庫』は遠いです」
「いいからいいから。行こうぜ、師匠」
ルインは、首を傾げるレイチェルの手をとって、歩き出した。
そのままズンズン歩くルイン。
ふいに、レイチェルと手をつないだままだということに気づいた。
レイチェルを見ると、彼女は嬉しそうな顔で、つないだ手を見ていた。
「あっ、ごめん……」
「手が大きくなりましたね。それに硬くなりました。とても強そう」
レイチェルの言葉に、手をほどくタイミングを失った。
「師匠の手は、綺麗だよな」
「そうでしょうか?」
ポッと、白い頬に赤みがさす。
「ああ、すごく綺麗だよ」
ルインは、手ではなく顔に見とれながら、つぶやいた。
二人は、そのまま手を繋いで歩いた。
レイチェルは、実際の年齢よりも相当若く見えるし、ルインは体の大きさもあいまって年上に見える。
少し前までは姉と弟という感じだったが、今では恋人同士のように見える。
ルインは、抜け駆けをしていることに、少々の罪悪感を感じながらも、この時間がずっと続けば良いのに、と思った。
左手の中にある手は、滑らかで、柔らかく、温かく、とても貴重な宝石ように思えた。
「なあ、師匠」
「はい、なんでしょう」
「俺さ、あと二年もすれば、それなりに立派な大人の男になると思うんだ」
「それなりなんかじゃなく、ルイン君はとても立派で素敵な男性になります」
「……そうしたらさ。ええと……」
恋人になって欲しい、というようなことを、うまく言葉にできなかった。
「こうして、また手をつないで歩いてくれよ。俺と」
「別に、二年後じゃなくて良いです。いつでも手をつないで歩きたいです。ルイン君とカルス君と私。三人で」
まったく意図した想いが伝わらなかったが、ルインは別質の感情を受けた。
家族愛のようなぬくもり。それはそれで心地よかった。
◇
『ドベルグの倉庫』までの道のりで十分に時間を稼げたうえ、店内には珍しい魔法道具が多数入荷していたために、ゆっくりと見て回った。
おかげで、カルスから催促の『念話』がきた。
「もうそろそろ、戻ってきてもいいんじゃないか?」
「悪い。悪い。『ドベルグの倉庫』に新商品が色々あってさ。お土産期待してろよ」
「それは朗報だね。こちらは準備万端だよ」
「了解、すぐ戻るよ」
カルスが心細そうだったから、とレイチェルを急き立て、店外へ出る。
レイチェルは、顔を曇らせていた。
「カルス君には、悪いことをしてしまいました」
「大丈夫。お土産を見たら元気になるよ」
ルインは、手にした小さい黒い箱を回しながら、言った。
『音楽箱』と呼ばれる魔法道具だ。
二十七個の小さなブロックで構成されており、それらを押したり、回したりすると、登録してある音楽が流れる。
品物自体は、かなり高価なもののありふれている。
だが登録されている音楽が貴重だった。
ロマリア大陸の音楽だったのだ。
カルスは、最近、音楽も好きになっており、屋敷のホールにあるピアノを弾いたり、横笛を吹いたりしている。
ピアノは、レイチェルが子供の頃に習っていたので、彼女から教わった。
手取り足取り、されて、カルスは至福のひと時を味わったものである。
レイチェルの『転移』で、屋敷へと戻る。
すでに日は暮れていた。
暗い中に、屋敷の明かりが灯っている。
レイチェルは、その様子を見るたびに、幸福な気持ちになる。
誰かが待っている家に帰るというのは、いいものだ。
レイチェルが、玄関扉(ルインとカルスが大工に頼んで、きちんと修理してもらった)を開くと、真っ赤なバラが目に入った。
フロックコートで着飾ったカルスが、バラの花束を抱えている。
「カ、カルス君。どうしたのですか?」
「誕生日おめでとうございます。師匠」
言って、カルスが大きなバラの花束を、レイチェルに渡す。
レイチェルは、目を白黒とさせている。頭が追いつかないのだ。
「ほら、師匠、こっちこっち」
ルインが、花束を抱えながら、ぼうっとしているレイチェルの手を引いて、ホールを横切る。
ホールには、生花が飾られ、『光虫』が高い天井付近を飛び回っている。
廊下も同様だった。
食堂の扉を開けると、白いクロスのかけられたテーブルに、ご馳走が並んでいるのが目に入った。
やはり、生花がそれを飾っている。
テーブルの中央に、大きなケーキとプレゼントの包みが二つ。
「師匠。座って座って」
ルインにうながされるまま、レイチェルは席に座った。
「誕生日、おめでとう。それから、いつもありがとう」
言って、ルインはプレゼントの包みを渡した。
「大したものじゃないけどさ。感謝の気持ち」
「これからもご指導よろしくお願いします」と、カルスもプレゼントを渡す。
レイチェルは、ようやく事態を飲み込めた。
そういえば、すっかり忘れていたが、今日は誕生日だった。
二十八歳の誕生日だ。
二人は、自分に内緒で、パーティを企画してくれていたのだ。
思えば、ルインもカルスも、今日は不審な行動が何回かあった。
それらが、パーティの準備のためだと考えれば、得心がいく。
レイチェルは、クリームでデコレーションされたケーキに、目を向けた。
自分に気づかれないように、用意してくれたのだ。
それに料理の数々。プレゼント。
ふいに、大きな感情が込み上げてきた。それは、止めようもなくあふれだしていく。
「し、師匠」
「どしたんですか?」
ルインとカルスの声が、重なった。
突然、泣き出したレイチェルに、驚いたのだ。
二人にとっては、完全に想定外だった。
レイチェルは、涙を指で拭くと、笑顔を弟子たちに向けた。
「ありがとうございます」
言ったそばから、また涙がこぼれる。
「ルイン君、カルス君、大好き」
ルインのプレゼントは、髪飾りだった。
銀製で、花の模様が彫られている。ドワーフの職人に特注したもので、かなり精巧な代物だった。
カルスのプレゼントは腕輪だった。
こちらはミスリル製。やはり精巧な作りで、愛神アプロデアの横顔が彫られている。
レイチェルは、二人のプレゼントを胸に抱いて、また涙を流した。
「大事にします。肌身離しません」
フルフルとして言った。
さっそく髪飾りで前髪を分け、左の腕に腕輪をつける。
どちらも良く似合った。
ルインは、レイチェルの赤毛を飾る髪飾りに、誇らしさのような、喜びを感じた。
カルスは、レイチェルの細い二の腕にはまった腕輪に、征服欲に近い感情を抱いた。
二人とも、それらの感情をうまく理解できず、ただただ、気分が高揚した。
その後、三人は、楽しく語らいながら料理を食べた。
レイチェルは、いつになく饒舌だった。
子供の頃の誕生日の想い出を話したり、両親のことを話したり。
料理を食べ終わった後、三人は、ピアノのあるホールに場所を移した。
カルスとレイチェルが連弾したり。
カルスの演奏で、ルインとレイチェルが踊ったり。
「こんなに幸福な誕生日は初めてです。レイチェル・サンダーワンドの二十八歳の誕生日は、最高でした」
言って、レイチェルは、ルインとカルスの頬にキスをした。
最強の女戦士の二人の弟子は、顔を紅潮させて、頬に残るレイチェルの唇の感触の余韻に浸った。
それはベッドに入るまで続き、ルインもカルスも、中々、寝付くことができなかった。