17.入浴と旅行と眼鏡
えっ、とレイチェルは目を見開いて、それを見た。
えっ、なんですか、これは、一体、なにが起こったのです。
裸のカルスが、真っ赤な顔で、股間を隠している。
「す、すみません。ぼ、僕は、その……」
泣きそうな顔である。
「し、師匠。しょうがないんだよ。男だから。男はこうなんだよ」
泡だらけのルインが、カルスを守るように立ち塞がる。
「男は、こう……。男は、こう……」
ブツブツとつぶやくレイチェル。ルインの泡に包まれた股間を見る。
「とにかく、もう、これからは師匠に洗ってもらうのはなし。ほら、出てって、出ってって」
ルインに押されて、レイチェルは浴室から追い出された。
「男は、こう……なのですか」
廊下でつぶやく。
考えてみれば、レイチェルは、男のまたぐらにぶら下がっているアレが、どういった機能を持っているのか知らなかった。
彼女の男女の知識の元となっている母の蔵書には、具体的な描写はなかった。
男女がキスをして、一緒にベッドに入って、そうして甘美な時間が流れた、とか、二人は情熱のままに愛し合った、とか、そういう感じで省略されるのだ。
とにかく、アレがあんなふうになって、カルスは、とても恥ずかしがっていた。
弟子に恥をかかせてはいけませんわ、とレイチェルは、二度と、こんなことがないようにしようと決意した。
すると、ため息が出た。
日々、大きくたくましくなっていく二人の弟子たち。
その体を洗うのが楽しみだった。
くすぐったそうにしたり、照れ臭そうにするところが、可愛くて仕方なかった。
それも終わり……。
はあ、とまたため息をついた。
◇
夕食時。
カルスは、バツが悪そうな顔をしていた。
レイチェルは、気にしていない、というような態度を装ったが、それが正しいのか自信がなかった。
二人の空気を察してか、ルインがよく話した。
主に冒険者ギルドについてである。
最近、ルインは、自由時間のたびに、冒険者ギルドに顔を出している。
受付嬢や冒険者たちと話をしたりして、過ごすのだ。
誰もが、レイチェルの弟子ということで、一目置いてくれるので、居心地は良かった。
ただ楽しみで、そうしていうわけではなかった。
話したり、眺めたりしながら、相手の力量を観察している。
どのような戦い方をするのか。リスク管理はどの程度のものか。武具の消耗具合はどうか。
そんなことを続けていると、次第に、ああ、この人は変な癖があるな、とか、武器が合ってないな、とか、もう少し魔法の支援を受ければいいのに、とか、そういった感想が浮かんでくる。
受付嬢に、その感想をこっそりと言ってみると、やっぱりそうですよね、と同意してくれることが多い。
それらは、自分の鍛錬にも生きていた。自身の戦い方や能力を、客観的に把握することができるようになってきたのだ。
ルインの戦闘技術が、ここのところ急速に成長しているのは、そのおかげである。
「それでさ、ルディアさんたちの話が長いんだ。女って、なんで話が終わらないんだろうな」とルイン。
Dランク冒険者のルディア、マリア、ニーアの三人組『花の刃』に、誘われて、カフェでケーキを食べたという話である。
「あと、いつ、冒険者登録するんだって、何度も聞かれたよ。登録したら、一緒にやってもいいって」
「そうですか。ただ、彼女たちはあまり有能ではありません。パーティに入るのはやめた方が良いです」
レイチェルの声が冷たい。
ルインは、レイチェルが、なにか不機嫌になっているように感じた。ひょっとしたら、『花の刃』が嫌いなのかもしれない。
「ルディアさんたち、師匠のことべた褒めだったよ」とフォローを入れる。
ふん、とレイチェルが鼻を鳴らした。
「媚びるのは、男に対してだけではないのですね」
「師匠、ルディアさんたち嫌いなの?」
「そんなことはありません。彼女たちが、男パーティと和気あいあいとしているところを目にして、そんな暇があったら鍛錬をしたらどうでしょう、などと思うこともありますが」
もう『花の刃』の話題はやめた方がいいな、とルインは思った。
「そろそろ、僕たちも冒険者登録したいのですが」と、今まで黙っていたカルスが言った。
まだ、正面からレイチェルの顔が見れず、うつむきながら。
「そうそう。俺もそう思う。俺もカルスももう十三歳なんだから」
つい先日、ルインが十三歳の誕生日を迎えた。
冒険者ギルドは十三歳以上でなくては、登録できないのだ。
「師匠も十三歳で冒険者デビューしたんだろ? だったら、俺たちもさ」
レイチェルが、困ったような顔になった。
「冒険者登録をして、依頼を受けたいのですか?」
「まあ、そうかな」
「それが金銭を得るためだとすれば、今よりも効率は落ちますよ」
なにしろ、レイチェルは、ちょくちょく二人を異界迷宮に連れ出し、攻略させている。
その甲斐もあり、今やBランク異界迷宮すら、二人は危うげなく攻略できるようになっていた。
冒険者ギルドに登録し、Fランクから依頼を受けていけば、得られ金銭は格段に減るだろう。
「いや、そうだろうけどさ。でも、なんつうか、そろそろ自分たちの力だけで、やってみたいっていうか」
ルインはそこまで言って、レイチェルが寂しそうな顔になったので、慌てて付け足した。
「違うんだよ。師匠にもっと教えてもらいたいし。鍛えてもらうつもりだよ。でも、それとは別にさ。なんていうか。なあ……」
カルスを見る。
「当面、半日、依頼を受けて、半日鍛錬をするといような形にしたら、どうかと思うんです。自分たちに足りない部分が、見えてくると思うんです」
「そうそう。自分がどれくらい強いのか、試したいってのもあるしさ」
レイチェルが、ため息をついた。
「今日は、寂しくなることが多いです」
ボソリとつぶやく。
沈黙が訪れた。
ルインとカルスは、顔を見合わせて、どうする? どうしよう? と困惑する。
「わかりました」
ついに、レイチェルは言った。
本心を言えば、このままずっと二人を鍛えていたい。
冒険者ギルドになど登録させないで、ずっと手元に置いておきたい。だが、それではいけないのだ。
「あと一年だけです。あと一年だけ、登録は待ってください」
「い、一年」
「ぜんぜん、妥協してないぞ」
「一年経ったら、カルス君の言う通り、半日鍛え、半日依頼を受ける、というような体制に移行しましょう。私にも心の準備が必要ですから」
「別に、登録したからって、ここに住むし、なんにも変わらないと思うんだけどなあ」
「気持ちの問題です」
日々は、薄氷一枚の上を、歩いているようなもの。
いつだって変化は突然に、そして一気に起こるのだ。
レイチェルは、これまでの人生から、そのことを思い知らされていた。
だからこそ、今のこの幸せな時間を、もう少しだけ味わいたかった。
あと一年だけ……。
だが、レイチェルのそんな願いは、結局、果たされることはなかった。
◇◇◇
「旅行をしましょう」
レイチェルの言葉に、ルインとカルスは、すぐに言葉がでなかった。
「旅行ですか?」
やっと、カルスが言った。
「はい。思えば、君たちを異界迷宮以外に、連れ出したとがありません。君たちを預かる身として、とても不甲斐ありません」
「だけど、俺たち、師匠に弟子入りしたわけだし。別に、旅行とかそういうのは、さ」
「少年には想い出が必要です」
レイチェルが、ピシャリと言った。
こうなると、もはや自分たちがなにを言っても、聞きはしないだろう。
カルスは、レイチェルの思い付きを、受け入れることにした。
「それで、どこへ行くんですか?」
「海です。この時期にはマンイータークラブや、デビルシャークといった、とても美味しい魔物が出現します」
「海? 海っていうと、あれだろ。でっかい池みたいな。水がいっぱいある」
ルインは、今一つイメージがつかないままに、言った。
「はい。水は塩辛く飲めません。波があって面白いですよ」
思い立ったら即行動。
レイチェルは、その日の稽古を中止にして、『転移』した。
青い光の輪に包まれた次の瞬間には、もう到着している。
眼前には、広大な海。視界一杯に、水平線が広がっている。
波の音と海鳥の鳴き声。潮の匂いのする風。
五月の海は、空の色とあいまって、サファイヤの宝石のように輝いていた。
ルインもカルスも圧倒されて、おおっ、と感嘆するばかり。
「まだ泳ぐには寒い季節ですが」と言いながら、レイチェルは露出狂鎧を脱いだ。真っ裸になる。
それに先に気づいたのはカルス。
「し、師匠。な、なんで裸に……」
声が裏返った。
「泳ぎますから。君たちも服を脱いでください。せっかくなので、泳ぎを覚えましょう」
レイチェルの露出狂鎧は、『自動洗浄』が魔法付与されているし、ミスリル製なので錆びることはない。それでも、海につけるのは好ましくない。
「だ、だけど。は、裸、裸」
ルインが混乱している。
目は、レイチェルの文句のつけようのない女性的な肉体に、釘付けになっている。
「そ、そうですよ。裸は、まずいですよ」
カルスも、言った。
もちろん、彼の目も、レイチェルの裸体に釘付けだ。
「よくわかりませんが、とにかく脱いでください。今更、恥ずかしがることはないと思います」
「無理、無理無理。今は無理。とにかく、師匠、裸はまずいって」
「せめて、水の中に入ってください。お願いです」
レイチェルは、首を傾げた。
未だに、男性の生理現象に対して、理解が及んでいないのだ。
レイチェルとしては、春先に二人を洗うのをやめて以来、二人の成長具合が、気になって仕方がなかった。
それを確認する意味でも、海に連れてきたのだ。
「よくわかりませんが、わかりました。先に海に入っています。君たちも、きちんと服を脱いでください。溺れます」
レイチェルが水の中に入ったので、ようやく二人は、服を脱ぐことができた。
「師匠は、もう少し男のことを知るべきだと思う」とカルスが、ため息をついた。
「いや、今のままでいいよ」とルイン。「師匠が男に目覚めたら困る」
全裸になった二人は、恐る恐る海へと入った。
レイチェルは、その間、波に洗われながら、顔だけ浮かべて二人を見ていた。
『レイチェル泳法』の講習が始まった。
レイチェルも、誰かに泳ぎ方を教わったわけではない。独学である。
きもは、やはり魔力。
戦闘時と同じように、魔力を全身に行き渡らせる。
さらに、あらかじめ『水中呼吸』の魔法を使っておく。これで息継ぎが不要になる。
さらに、水中移動の際は無詠唱魔法で、弱い『衝撃波』を使用して推進する。
二人は、すぐにそれを習得した。
今まで、さんざん師から無茶な稽古をさせられてきたので、適応が早い。
三人で、スイスイと水中を泳ぎ回る。
『光虫』をいくつも作って、
周囲に浮かべているため、深い水の中でも良く見える。
色とりどりの魚たちが自由に動き回り、鮮やかなサンゴが海底を飾っている様子は、あまりにも美しく、ルインもカルスも楽園のようだと思った。
裸体で、魚と戯れるように泳ぐ三人を見る者があったら、彼らこそ海の妖精か、と誤解したことだろう。
二メートルほどもある大きな魚とじゃれあうレイチェルを、ルインはうっとりと眺めた。
本当に綺麗だった。
レイチェルが、ふいに振り返った。
笑顔で下を指さす。
海底を見ると、黒っぽい虫のような生き物がいる。
ルインは、蟹を見たことがないので、海にはあんな生き物もいるんだな、と感心した。
それにしても、でかい。五メートル近くありそうだ。
レイチェルがもぐる。
両足から『衝撃波』を出して、投げられた銛のように水を切って進む。
ルインとカルスも後に続いた。
マンイータークラブが、レイチェルを『水刃』で迎撃する。
もちろん、水中では、地上での『風刃』同様に不可視である。
だが、レイチェルは、体に張り付くような極小の『物理結界』を張っているために、それらを弾く。
挟もうと振るわれる大きなハサミを、くぐり抜け、甲羅を殴る。
甲羅に無数のひびが入り、マンイータークラブは動かなくなった。
道具箱の中に、魔物の死骸を放り込む。
レイチェルは、弟子たちを振り返った。
満面の笑顔が、厳しくなる。
弟子たちを狙って接近する魚影に、気づいたのだ。
金属光沢のようなピカピカと光る真っ赤な鮫。デビルシャークだ。顔の先に長く鋭い角が生えている。
レイチェルは、二人を守るために強力な『衝撃波』で、一気に推進した。
だが、それよりも早く、ルインとカルスは動いていた。
ルインが赤い光線を連射し、カルスが敵を逃がさじ、と同じく『魔法矢』でけん制しながら、退路を断つ。
レイチェルが手を出す前に、デビルシャークは倒されてしまった。
これでもBランクの魔物である。
二人とも、本当にたくましくなりましたわ。
レイチェルは、赤い大魚の死骸をつかむ弟子たちを眺めながら、思った。
誇らしさと一緒に、寂しさを感じた。
◇
せっかくだから、と浜辺でデビルシャークと、マンイータークラブを調理した。
とはいえ、どちらも体が大きく、三人では、とても食べきれない。
捌いたあとに、大鍋で茹でるが、その茹でたものも、大幅にあまりそうだ。
三人は大いに食べた。
調理したのは、主にルインである。
半年ほど前から、屋敷でも彼が料理をするようになった。
もともと、家族と暮らしていた頃から、食事の手伝いをしていたのだ。
野草を採ってきたり、鳥やウサギを獲ってきたりして、なんとか食料を確保していた。
ルインが料理をするようになって、三人の外食の機会は、めっきり減った。
それほど、ルインの料理は、満足できるものだったのだ。
「魔法に比べれば簡単だよ」とルイン。
コミュニケーション能力の高さを発揮して、様々な人から料理のレシピを聞き出して、自分なりに手を加えている。
三人は、浜辺にテーブルを出して、そこで茹でた蟹や、焼いた鮫を食べた。
レイチェルも、弟子たちも、服を着ている。とはいっても、レイチェルは、いつもの露出狂鎧だが。
「海の先には、なにがあるのかな?」
ルインが、水平線を眺めながら言った。
「ずっと先に、別の大陸があります。ロマリア大陸と言います」
レイチェルが言った。
「とても遠いですが」
「ロマリア大陸に行ったことがあるんですか?」
「二回ほど。あちらは肌をさらすことに抵抗があるようで、このかっこうで行くと怒られます。とても面倒くさいです」
「いい加減に、その鎧はやめたらいいんじゃないか。そんなの着てなくても、師匠は十分……」
赤くなって、その先が言えないルインだった。
「露出狂鎧は、一度着たらやめられません」
「せめて、マントを羽織った方が、いいと思うんですが」
「それは無粋というものです」
「そうかなあ」
浜辺にいるのは、三人だけ。
波の音と海鳥の鳴き声が聞こえるだけの、穏やかな昼下がりだった。
◇◇◇
カルスが、眼鏡を掛け始めたのは、十四歳の夏のことである。
きっかけは、些細なものだった。
料理屋で夕食を取っている時に、レイチェルの視線が、眼鏡をかけた青年と自分に、何度かいったりきたりしていることに、気づいた。
今では、ほとんどなくなったが、ルインとカルスが弟子入りした当初は、レイチェルは美形青年がいると、そちらばかり見ていた。
酷い時など、話しかけても、まったくの上の空ということもあった。
よっぽど好みなのかな、とカルスは思った。
胸の奥で、嫉妬の炎が起こる。
それを表に出さないように平静を装って、レイチェルに聞いた。
「あちらの人が、どうかしたんですか?」
「カルス君があんな眼鏡をかけたら、とても似合うかと思って見ていました」
言ってから、レイチェルは慌てて、手の平を振った。振りすぎて、テーブルが大きく揺れた。
ルインがすかさず、グラスを押さえる。
「カルス君に眼鏡をかけて欲しい、というわけではありません。ただ、似合いそうだと思っただけです」
「師匠は、眼鏡をかけた男が好きなのか?」
ルインが言った。
「いえ、眼鏡をかけた男性も魅力的だということです。肉には肉の、パンにはパンの美味しさがある、というようなことであって、どちらが好きだというようなものではありません」
「だけど、眼鏡って目の悪い人がかけるもんだろ。俺もカルスも、別に目が悪いわけじゃないしなあ」
「ですから、他意はありません。ただ、似合いそうだと思っただけです」
「俺はどうなの?」
「ルイン君は、そのままがいいです」
「俺は似合わないのか。なんか、寂しいな」
「ですから、別に大した意味はないのです」
ルインとレイチェルのそんな会話を聞きながら、カルスは、その眼鏡の美形青年を盗み見ていた。
いかにも、知的な雰囲気が漂っている。
師匠は、ああいうのが好きなのか。
さっそく、次の自由時間に、カルスは眼鏡を作りに行った。
行きつけの魔法道具屋に相談し、度は入れないが、代わりにいくつかの魔法付与をした眼鏡の作成を、依頼する。
オーダーメイド、しかも魔法道具の依頼である。値は張った。
ルインもカルスも、すでに下手な貴族よりも貯金がある。
二人とも散財するような趣味もないので、ここぞ、というときには、遠慮なく使うようにしている。
カルスにとって眼鏡の作成は、まさに、ここぞという時であった。
なにしろ、レイチェルが似合いそうだ、と言ったのだから。
数日後、出来上がった眼鏡をかけて屋敷に戻った。
レイチェルは、庭の枯れた噴水のふちに座って、ぼんやりとしていた。
傾き始めた日差しが、長い影を落としている。
まるで時が止まったように、身動きせず、一人座る美女。
カルスは、駆け出して、レイチェルを抱きしめたくなる衝動を押さえた。
レイチェルが、カルスに微笑みを向ける。
カルスは、激しく高鳴る鼓動を少しでも静めようと、ゆっくりと歩み寄った。
「とてもお似合い。素敵です」
レイチェルが言った。
「良かった。似合ってなかったら、どうしようと思いました」
カルスは言った。
褒められたのに、なぜだか心がチクリと痛んだ。
「なぜ、眼鏡を? 目は悪くないでしょう?」
不思議そうな顔。
あなたが、似合いそうだと言ったからですよ、という言葉を、カルスは飲み込んだ。
「魔法付与をかけてあるんです。『簡易鑑定』と『画像保管』です」
「なるほど。とても良い選択です」
レイチェルが、立ち上がった。
側に立つカルスの顔に、そっと手を伸ばす。
カルスの心臓が、破裂してしまいそうなほど強い鼓動を刻む。
呼吸が乱れるのを、なんとかかんとか押さえる。
レイチェルの手が、カルスの眼鏡を外す。
「ミスリルに、ロードクリスタル。素材も文句なしですね。まだ魔力付与の余地はありそうです。あとで、『自動洗浄』と『自動修復』の魔法付与もしましょう。せっかくですから、一緒にやってみましょうか」
魔法付与は、高度な技術と魔法に対する深い知識が、必要である。
専業の魔法使いでもないのに、軽々と魔法付与ができるレイチェルは、確かに異常である。
ふふふっ、とレイチェルが笑った。
「やっぱりとても似合ってます。魅力的ですよ、カルス君」
体が勝手に動いていた。
カルスは、レイチェルを抱きしめていた。
背は、いつのまにか、同じくらいになっている。もう、子供と大人には見えない。
「どうかしましたか?」
レイチェルが、背中を撫でる。
カルスは、言葉が出なかった。
腕の中の最強の戦士は、華奢で、思ったよりも、ずっと軽かった。
カルスの心臓は、もはやどうにもならないほど、激しく動き、息は切れて、汗がとめどなく流れてくる。
「大丈夫ですか? なんだかとても大変そう」
カルスを気づかう目。
カルスは、レイチェルを離した。
先ほど感じた痛みの意味が分かった。
レイチェルに、異性として意識してもらえなかったからだ。
カルスはレイチェルに背を向けた。
「……僕も、あと二年もすれば、大人になったと言えるんじゃないでしょうか」
「十六歳なら、十分大人ですね」
「背ももっと伸びると思います」
「きっとそうでしょう。カルス君は背が高くなりそうです」
「その時、もう一度、抱きしめてもいいですか?」
「別に、いつでも何度でも、抱きしめてくれていいですよ」
「いや、ええと……」
結局、カルスは、それ以上言えなかった。
◇
その夜、寝室で、ルインが本を読むカルスの頭を叩いた。
「抜け駆け」
「そっちだって、このあいだ、花束をあげてたじゃないか」
「あ、あれは知り合いの花屋に頼まれて、付き合いで買ったんだよ」
二人とも、互いがレイチェルに恋心を抱いていることを、知っている。
ちゃんとした冒険者になるまでは、このままで、と約束していたのだ。
「師匠には、子供にしか見えないみたいだよ。僕はさ」
「それは俺も同じ。早く大人になりたいなあ」
「同感」