16.弟子入り記念日の続き
話は戻って、ルインとカルスの弟子入り丸一年を祝った日のこと。
レイチェルは、珍しく酔っぱらった。
二人を弟子にしてから、酒場に通うこともなくなったため、酒は一切飲んでいなかった。
この日は、つい羽目を外して飲み過ぎてしまった。
目の前に座る二人の弟子が、誇らしくて、感謝してくれる気持ちが照れくさくて、ついつい酒が進んでしまったのだ。
だが、いくら当人が酔っていても、はたから見ると、レイチェルに変化は見えない。顔には一切出ないし、言動も普段とあまり変わらない。
強いて言うなら、表情が柔らかく、良く笑うようになるくらいか。
そのため、ルインもカルスも、今日の師匠はご機嫌だ、と思うくらいだった。
店を出て、恩恵能力の『転移』を使う。
帰る際は、二人の勉強のため、と『帰還』の魔法を使うことが多いが、さすがのレイチェルも、今、魔法を使うのは少し不安だった。
左手の親指で円を描く。
青い光の輪が、広がって三人を包む。
熱と光が襲ってきた。
眼下に流れるオレンジ色の川。黒い岩肌。焼けつくような空気。
うわっ、とルインとカルスが声をあげる。
おや、とレイチェルは、首を傾げた。
どう見てもここは屋敷ではない。
酔っているせいで間違えてしまいました、と再び、左手の親指で円を描く。
三人は『転移』した。
今度は、いやに湿った空気。
野鳥の鳴き声と虫の声が交じっている。
カルスが呪文を唱え、『光虫』の魔法を使った。
光の玉が、ふよふよと浮かんで、周囲を照らす。
うっそうと茂る樹木。
それも大きさが尋常ではない。
高さは五十メートル近くあるだろう。そんな木々が、無数に枝を張り巡らせている。
地面には丈の長い下草。見たこともないような虫が這いまわっている。
「ここ、どこ?」
「森のようだけど」
「この感じは大樹海ですねえ。また、間違えてしまいましたねえ」
妙に間延びする声で言ったレイチェル。そのまま、コテンと横倒しになった。
「し、師匠」
「だ、大丈夫ですか?」
慌ててレイチェルを抱くルイン。
覗き込むカルス。
レイチェルの寝息が、二人を安堵させる。
「連続で恩恵能力を使ったからかもね」
「いや、酔ってたせいじゃないのか」
「とにかく、起こそう。もう一度、恩恵能力を使ってもらわないと」
「そうだけど……」
ルインは腕の中の師を見た。
彼は、ここ一年で、ずいぶん体が大きくなった。
レイチェルの方が、まだ頭一つ分大きいが、それでも差はそこまで縮んだ。
スヤスヤと寝息をたてるレイチェルは、とても幸福そうで、なんだか起こしたくなかった。
「少し寝かせてやろうぜ。すぐに起こしても、また変なところにいっちまうかもだしさ」
レイチェルの可憐な寝顔を眺めながら、言う。
カルスは、ルインの、愛しそうにレイチェルを見下ろす横顔に、衝撃を受け、返事が遅れた。
「……まあ、そうかな」
「そこに寝床を作ろう。悪い、少し代わってくれ」
ルインは、カルスにレイチェルを渡すと、下草を倒して、上着をそこに敷いた。
一枚だけだと面積が足りない。
「お前のも……」
言いかけたルインは、言葉を飲んだ。
カルスが眠るレイチェルの相貌に、燃えるような視線を送っていたのを、見てしまったから。
だが、それは本当にわずかな時間で、カルスは、すぐにルインの意図に気づいて、再びレイチェルの体をルインに渡して、上着を地面に敷いた。
レイチェルを、上着で作った寝床に寝かせる。
真珠色のドレスから伸びた長い手足は、収まりきらずに草の中へ飛びだす。真っ赤な髪が広がって、眠れる美女を飾り立てている。
二人の弟子は、互いのことを忘れて、美しい師の寝姿に見入った。
ガサリ、と草を揺らす物音で、二人は我に返った。
師を守るように前に出る。
ガサリガサリ、と草葉を揺らし、近づいてくるのは、緑の狼だった。
Cランク魔物グリーンウルフだ。
一体が突出して斥候を務めているようで、そのはるか後方に群れの気配があった。
「武器なし。防具なし。おまけに、逃げるわけにもいかないか」
「魔法で片付ける」
言ってカルスは、魔力の炎を体に出現させた。呪文姿勢だ。
「それなら、俺が前衛だな」
ルインは、シャツの袖をまくった。単身グリーンウルフに向かって行く。
グリーンウルフは、通常の狼よりも、ずっと大きい。
体長は、2メートルから3メートル弱。
そして何よりも違うのは、風の魔法を使うことだった。
近づくルイン。
攻撃の気配を感じ、とっさに横に跳んだ。
ルインが立っていた場所の真後ろの枝が、スッパリと斬れた。
視認できない攻撃。『風刃』だ。
ルインは、矢のように一直線に、グリーンウルフに向かった。
次々と飛んでくる見えない刃を、直感でかわす。
そのたびに、枝や草が切断される。
グリーンウルフが跳躍した。
空中で、まるで、そこに床があるかのように、もう一度跳躍。『空気足場』の魔法だ。
軌道を変えて、上方から襲ってきたグリーンウルフ。
ルインは、大きく開かれた顎をかわしざま、横っ面に肘をたたき込んだ。
グリーンウルフの頭部がひしゃげる。
魔物は、そのまま地面に転がった。
レイチェルが、二人に格闘術を教え込んだのは、対人戦で相手を殺さずに倒すためでもあったが、間合いに敏感になって欲しかったから、でもあった。
身一つで戦うには、最小限の動きで攻撃をかわし、攻撃に転じる必要があるのだ。
ルインは、魔物の仲間を挑発するように、グリーンウルフの首に足を乗せると、それをへし折った。
それまで、じりじり、と近づいてきていたグリーンウルフの群れが、一斉に走り出した。
次々と飛びかかってくる、緑の巨狼。
鋭い牙で、爪で、ルインを引き裂こうと、容赦のない攻撃を仕掛けてくる。
ルインは、それらをかわしながらも、魔物たちを先へ進ませなかった。
時に必殺のパンチでノックアウトし、時に派手な蹴りでけん制する。
悪くない展開だ、とルインは思った。
敵は、怒りに燃え、近接攻撃ばかりかけくる。『風刃』で、遠距離攻撃をされるのが、一番、面倒だったのだ。
近接攻撃ならば、集中力さえ維持し続ければ、なんとでもなる。
最近では、レイチェルとの立ち合い稽古も激しくなり、四方八方から休みなく飛んでくる斬撃をしのがなくてはならない。
しかも、それらの一撃一撃が重い。
レイチェルとの立ち合い稽古に比べれば、グリーンウルフたちの攻撃は、まだ、ぬるかった。
「『爆発』」
カルスの声とともに、後方で、赤い閃光が起こった。
初級魔法の『爆発(エクスプロ―ジョン)』。だが、レイチェル仕込みのそれは、ただの初級魔法ではない。
グリーンウルフの攻撃を、かわし続けるルインの体が、半透明の膜に覆われた。
次の瞬間、彼の周囲が赤く染まる。
轟音。
土が吹き飛び、木々が砕け、草が飛び散る。
ルインの周囲には、グリーンウルフの無残な死骸が、いくつも横たわっていた。
体液のせいで、緑の体毛が青く染まっている。
死んではいないものの、瀕死の魔物が、弱々しく吠える。
ルインは、容赦なく、生き残った魔物に、止めをさしていった。
ルインには、爆発も爆音も、それどころか、飛び散った土砂や木片によるダメージも、皆無だった。
『指定除外』。
広範囲魔法を行う際に、味方だけ、その影響範囲から除外する技術である。
逆に、指定した範囲だけを攻撃する、『範囲指定』という技術もある。
どちらも中級魔法の技術である。
レイチェルは、初級魔法を教えながらも、この二つの技術だけは、先に教え込んだ。
「これができると、とても便利です」
確かにその通りだった。
今のように、仲間が魔物を釘づけにしている際に、一気に殲滅することができる。
ただ、『指定除外』や『範囲指定』を使いこなすには、使用する魔法と同時に、それをキャンセルする魔法も、使わなくてはならない。
今回であれば、カルスは『爆発(エクスプロ―ジョン)』の呪文を詠唱しながら、それをキャンセルする結界を、同時に作っていたことになる。
これが、慣れない者には非常に困難で、中級魔法を習得した魔法使いでも、呪文での『範囲除外』ができないものが多い。
「よっ、お見事」
戻ったルインは、カルスに声をかけた。
さすがに無傷とはいかず、服のそこらかしこが破れ、血が滲んでいる。
「そっちこそ。よく、もたせてくれた」
カルスが、笑顔で言った。
レイチェルは、未だに眠り続けている。カルスが、『指定除外』したおかげで、爆音が遮られたのだ。
「『治癒』かけるかい?」
「いや、いいよ。これくらいなら、すぐ治るし」
強がりではなく、すでにルインの受けた傷のほとんどは、塞がりかけている。
魔力を常に肉体に行き渡らせる『レイチェル戦闘術』のおかげである。
「師匠との訓練の方が、よっぽどきついぜ」
「容赦ないもんね。治してくれるけど」
「気を抜くと、本気で殺されそうになるもんな」
レイチェルは、こと、鍛錬に関しては厳しい。
態度は穏やかなのだが、要求する技術は常に高く、日常のトレーニングでも、命がけのことが多い。
二人とも、もう二度とレイチェルを失望させたくない、と思っていたので、泣き言を言わずに従っている。
ルインが、ひと休みする間もなく、次の魔物が寄ってきた。
今度は頭上からだ。
夜空が落ちてきたように、黒い物が迫ってくる。
「今度はナイトホークかよ」
黒い鳥の集まり。
だがその一羽一羽が、一メートル近くある。銀色に光る眼が、まるで星のようだ。
「今度は、僕が時間を稼ぐよ。魔法よろしく」
言うと、カルスは高く跳んで、木の枝に飛び乗り、そこからさらに跳んだ。
どんどんと上っていく。
ルインは、すぐに呪文を唱え始めた。
戦士志望のルインとはいえ、カルス同様に魔法の訓練もしている。
二人とも、できることに遜色はないのだ。
呪文姿勢によって、魔力の赤い光が、炎のように体の周りをたゆたう。
その光が幾筋もの光線となり、ルインの呪文詠唱と連動して、宙に魔法陣を描いていく。
その間、カルスは地上から二十メートルほどの樹上で、ナイトホークと戦っていた。
銀色に光る目に、金属のように硬く黒光りする羽。そして収縮自在の足。
矢のように、様々な方向から飛んでくるかぎ爪を、カルスは枝から枝へと渡ってかわす。
くちばしから放たれるのは、見えない『風弾』。幸い連射はしてこないが、敵の数が多いので、全てはかわしきれない。
だが、見えない弾丸は、カルスの体に当たる前に、彼の体の線にそって淡く包み込む光の膜によって、弾かれる。
『物理結界』である。
それも最小限度、自身の体を皮一枚で包みこんだ『物理結界』。
「『物理結界』は便利ですが、攻撃をする際に邪魔になります。ですから、皮膚を覆うように使うのが良いです」
これも難しい技術である。
本来は一定の範囲を指定するとか、対象を直径何メートルかの球状に覆う、というような使い方の魔法なのである。
だが、弟子入りした直後から、徹底的な魔力操作を仕込まれてきたルインとカルスには、習得できた。
ナイトホークの攻撃をかわしながらも、指先から赤い光線を放って反撃をする。
『魔法矢』である。
もっとも簡単と言われる、初歩の中の初歩の魔法。
その分、魔法陣も単純。
カルスは頭の中で魔法陣を描き、それを一瞬で照射する『無詠唱魔法』で、それを発動させている。
もちろん、この無詠唱技術も、レイチェル仕込みである。
彼らの師は、教える魔法は初級ばかり。だが、魔法技術の方は中級者でも難しいものばかりを教え込んでいる。
ほどなくして、地上で赤い閃光が起こった。
カルスが張る『物理結界』とは違う黄色い光が、球状に彼を覆い、外界と隔てる。
ルインの魔法の『除外指定』だ。
凄まじい突風が起こった。
一点から全方向へ吹きすさぶ、風の爆発。
『衝撃波』の魔法だ。ナイトホークは、すべて風に吹き飛ばされた。
多くは翼を折って落下。
運よく無事だったものは、逃げていった。
地上へ降りるカルス。
ルインが、落ちてきたナイトホークの首を切って、逆さにしている。
「なにしてるんだい?」
「見ればわかるだろ。血抜き。師匠が起きるまでここにいるんなら、腹ごしらえも必要だろ」
「なるほど」
カルスもルインにならって、地に落ちて、もがいている一体を拾ってきた。
確か、ナイトホークは、美味いという話だ。
「長い夜になりそうだね」
カルスは、師の寝顔を眺めて言った。
すぐ近くで激戦が繰り広げられたことなど、知る由もないだろう。
だが、そうではなかった。
実はレイチェルは、起きていたのだ。
グリーンウルフの襲撃の際に、即座に危険を察知し目を覚ました。
せっかくですから、お手並みを拝見しましょう、と弟子たちの戦いぶりを気配だけで探っていたのだ。
グリーンウルフを見事撃退したところで目を覚まそうと思ったのだが、間髪おかずに、ナイトホークが襲来。
また、気配感知で弟子の奮闘ぶりを見守っていた。
さて、そろそろ、とレイチェルは目を開けようとした。
すると、まるでタイミングを合わせたかのように、またしても魔物が接近する気配を感じた。
これが終わるまで見守りましょうか、と眠った振りを続ける。
弟子たちに守られているという体験は、とても心地よくて、ついつい長引かせてしまうレイチェルであった。