13.弟子たちの帰郷②
ルインは、丘の下にある小さな村を見下ろし、大きく息を吐いた。
込み上げてきた、いろいろな想いが、息とともに吐き出される。
故郷に、ついに帰ってきたのだ。
まだ一年経っていないのに、長いこと離れていたかのような心地だった。
ルインの家は、村の外れにある。
両親が、若い頃に引っ越してきたので、村では今だに新参者扱いだ。
ルインは、丘から道沿いとは反対側のルートから、村に近づいた。
村人たちが、魔物を恐れて迂回している森を、突っ切る。
そうすると、ルインの家のすぐそばに出る。
古びた石造りの小屋に、丸太小屋がくっついたような家。
もともとは、村の共同の納屋だったらしい。
ルインは、もう我慢できなかった。
家まで全力で走った。勢いよくドアを開く。
食事を作り、それを食べ、家族がくつろぐ、台所と食堂と居間を兼ねる一室には、誰もいなかった。
いや、それどころか、ひどくガランとしていた。
もともと、家族の人数の割には、物の少ない家だったが、それにしても物が無さすぎる。
人の住む気配というものが、なにも感じられなかった。
いぶかしさを感じながら、家に入る。
傷だらけのテーブルには、ホコリが積もっていた。
台所。
鍋も、フライパンも、包丁も、見当たらず、もちろん皿もない。
かまどには、蜘蛛の巣が張っていた。
なんだよ、これ。
ルインは、わけがわからなかった。
家中を探し回った。
狭い家だ。
すぐに調べ終わる。
およそ、運びだせるだろうと思えるようなものは、何もなかった。さすがに、ルインにも、はっきりと分かった。
家族は引っ越したのだ。
「なんだってんだよ。そんな金あるのかよ」
ひとり呟く。
途方もない寂しさ。
そして、足元から力が抜けていくような脱力感。
それでもルインは、その場に崩れるようなことはしなかった。空き家となった我が家を出る。
近所の家に向かう。
近所とはいえ、歩いて数分はかかる。
歩きながら、ルインは頭の中を整理した。
家族が引っ越した。
なぜ突然?
いつ?
どこへ?
疑問は山ほどある。とにかく、聞いてみればいい。
「お、お前、ルインか?」
石造りの、比較的大きな家の前にいた中年男が、目を見開いて言った。
「俺の家族は、どこへ行ったんだ?」
男は、キョロキョロと周囲を見回し、それから家の中に入った。
ルインを手招きする。
ルインは、男の家へ入った。
「ドルクがさ、お前が息子を連れてったって怒ってよ。お前の家族を追い出しちまったんだ。冬も間近だってのに、あんまりだって、みんな言ったんだが。聞きゃあしねえ。カルスを、目に入れても痛くないってくらい可愛がってたからなあ」
「そ、そんな。だって、カルスは自分で……」
「だろうな。みんな、カルスとお前の仲は知ってるからよ。カルスが、自分の意志でついていったんだって、言ったんだけどよ。この村じゃあ、村長のとこに借金が無いやつはいないだろ? 強く言えなくてなあ」
ルインは唇を噛んだ。
男を、怒鳴りつけたい衝動を、抑える。
カルスの父親を、殴りたい気持ちを、抑える。
目を閉じて、深呼吸する。
瞑想の初めに、よくやっていることだ。心を静める。
激しく波打った心が、落ち着いてきた。
大丈夫。
みんな死んだわけじゃない。ただ村から出ていっただけだ。
「村長はどこに?」
「やめとけ。殺されかねんぞ」
逆にぶっ殺してやるよ、と、そんな気持ちが沸き起こったが、すぐにカルスの父親だと思いだした。
そうすると、怒りが霧散し、やるせなさだけが残った。
「俺の家族はどこへ?」
「ルーガへ行くって、マリアが言ってたってさ。レリィから聞いた話だけどな」
レリィは男の妻である。
「分かった。ありがとう」
ルインが礼を言うと思わなかったのか、男は驚いた顔をした。
それから何度もうなずいた。
「きっと大丈夫だよ。お前の家族はたくましいからな」
ルインは、ドアに手をかけ、そこで動きを止めた。
振り返る。
「カルスの家族は、その、元気にやってるのかな? つまり、病気とかになっていないのかって意味だけど」
男は、さらに驚いた顔をした。
今度は、すぐに口がきけなかったようだ。しばらくして、惚れ惚れとルインを眺めた。
「お前さん、なんだか立派になったな。背が伸びたせいかな。ドルクは怒鳴ってばかりいるが、憎たらしいほど元気だよ。リアは元気はないが、これはしょうがないだろう。どっちも病気ひとつしちゃあいねえよ」
ルインは、もう一度礼を言うと、男の家を出た。
とにかく、カルスの両親が健康だということが分かっただけでも、カルプに戻った甲斐があったというものだ。
ルインは、もうここに来ることはないだろうな、と思いながら、村を出た。
すでに、日は傾き始めている。
ルーガ市に着くのは、夜更けになるだろう。
◇
ルーガに戻ってすぐに、カルスの泊っているはずの『白鳥の宿』を訪ねたが、カルスはいなかった。
だが、ルインは、自分がカルスとどんな顔で会えばいいのかわからなかったので、むしろありがったかった。
翌日。
ルーガの街を収める領政府役場に行き、そこで家族の行方について聞く。
領政府では、街への新たな居住者を管理していたが、届け出を出していないのか、ルインの家族は見つからなかった。
その時、対応してくれた青年が、とても親身になってくれ、街へ新しくやってきた者たちが居住する区画や、貧しい者たちいつくスラム街、格安の宿などを教えてくれた。
ほかにも、金を払って冒険者ギルドで探してもらうという方法も、教えてくれた。
ルインは、冒険者といえば魔物と戦う者たちというイメージがあったので、そんなことまでするのか、と驚いた。
どうすれば良いのか、ルインは一人になって考えた。
こんな時に、カルスがいてくれたら、的確な助言をくれただろう。
だが、ルインはこの件に関して、カルスには秘密にすることに決めていた。
カルスが知れば、きっと、ひどく気に病んでしまうだろう。
少なくとも、きちんと家族がルーガで暮らせていると確認するまでは、カルスになにも話すべきではない。
考えた末、冒険者ギルドに行った。
一人で探すには日数がかかりすぎるし、その間に、カルスと鉢合わせる可能性がある。
家族の行方を、一刻も早く知ること。
そして、カルスに会わないこと。
この二つを優先すれば、冒険者に探してもらう方法が一番だろう。
ルーガ市の冒険者ギルドは、王都に比べると小ぢんまりとしていた。
宿兼酒場を営んでいる『ルーガの楽園』のホールの片隅に、カウンターがあるだけである。
ルインは、受付の女性に全てを話した。
カルスのように、情報をきちんと整理して、必要なことだけ伝えるということができない。
それなら全てを伝えて、最良の方法を一緒に考えてもらう方が良い。
役場の青年と同じく、冒険者ギルドの受付嬢も、親身になってくれた。
ルインの話を、目を潤ませて聞いた後、人探しに慣れた冒険者に当たってみます、と請け負ってくれた。
夕方、また来店するように、とのこと。
その間、ルインはスラム街に行ってみた。
街に来た家族が、一番行きそうな場所に思えたのだ。
悪臭がたちこめ、道は汚れ、そこらかしこにゴミが散乱していた。
ボロをまとい虚ろな目した住人たち。
特に、年端もいかない子供が、路上に座り込み、咳き込んでいるのを見ると、身が引き裂かれるような気持ちになった。
弟や妹がそんな目に合っているかもしれない、と想像するのが辛かった。
たまらずに、金を恵んだために、その直後、トラブルになった。
ルインは、レイチェルに教わった体術で切り抜けたが、そのために貧しい人間を傷つけてしまったことが、また彼を苦しめた。
自分が、これが好機と、やり場のない怒りを相手にぶつけてしまったことを、悟ったから。
そのトラブルのせいで、スラムにはおいそれと近づけなくなった。
心を落ち着けるために、人気のない場所で剣を振った。
そうしていると、そこでもまたトラブルが起こった。
ルインは今度は逃げた。
逃げながら、人間を簡単に殺すことができるだけの力を持っているというのは、とても怖いことだ、と思った。
苛立ちや怒りを、きちんと抑えなくてはならない。
それまで、誇らしくてたまらなかった腰に下げている剣が、ひどく重く感じられた。
◇
夕方、冒険者ギルドに顔を出すと、受付嬢は、すぐに一人の男を紹介してくれた。
トリアスと言う名のその男は、シャツの胸元をはだけた赤ら顔の中年。
ヘラヘラとして、受付嬢に下品なことばかり言っていた。
以前のルインなら、トリアスを軽く見て、信用できないと思っただろう。
だが、ルインは、レイチェルを当初、侮ったことを反省している。
受付嬢がルインの話を聞き、彼を紹介してくれたなら、きっと十分な信用を置いている人物なのだろう。
ルインは、トリアスに頭を下げた。
彼にも事情を全て話した。
自分のことだけでなく、カルスのことまでもである。
トリアスは、話の途中から、ヘラヘラとした薄ら笑いを引っ込めていた。
鋭い眼差しをルインに向け、話を聞いていた。
聞き終わった後、彼は言った。
「いいか、坊主。世の中ってのは理不尽なもんだ。嫌になっちまうことなんて、しょっちゅうある。傷だらけになって、恥をかいて、それでも生きていくんだ。そうすりゃあよ、生きてて良かったって思える時もあるもんさ」
二日待て、とトリアスはルインに言った。
ルインは、その二日間を宿(『白鳥の宿』とは別の宿)で、瞑想して過ごした。
本心では、トリアスについてまわりたかったが、カルスと対面するリスクがあった。
それに、自分がいては、トリアスの足手まといになることも、分かっていた。
瞑想は、今までないほどに辛かった。
どうしても、嫌な想像をしてしまう。
スラムで見た、病で咳をする者や、飢えた子供の姿が、思い浮かぶ。
家族が、引っ越しの途中で強盗に襲われ、殺される様が、思い浮かぶ。
叫んで、部屋を飛びだしたくなったことが、何度もあった。
その度に、レイチェルの顔が思い浮かんだ。
少女のような笑顔。
厳しく真剣な眼差し。
透き通るような声。
不器用な言葉。
「落ち着いて瞑想をしましょう」と、そんな言葉が聞こえる。
ルインは、それで瞑想に戻ることができた。
◇
二日後。
ルインの元へ、トリアスが訪ねてきた。暗い表情だった。
「もって回った言い方はしねえ。お前の家族は死んだ。カルプからここまで来る途中に魔物に襲われたんだ。旅足の遅い奴らは、魔物にとっちゃあカモだからな」
結論を先に言うと、トリアスは詳細を話した。
カルプから三つ隣の村の住人が、朝、無残に食い殺された死体を見たこと。
死体の数は七つあったこと。
実際にその村に行き、発見者の話を聞いたこと。
遺品に、カルプの住民が、彼らのためにルーガ市の親戚にあてた手紙があったこと。
死体は、その村の墓地の片隅に埋められたこと。
「ほらよ。形見だ」
トリアスは荷袋を開けて、ルインに次々と物を渡した。
父の、使い込み過ぎてボロボロになったベルト。
母の、ほころびだらけのショール。
姉が大事にしていたハンカチ。
妹や弟たちのボタン。
「ほかの物が欲しかったら、お前が行って貰ってこい。ありがたいことによ、いろいろとっておいてくれてあるぜ」
ルインは、唇を噛んでこらえた。
気を抜いてしまったら、きっと涙が滝のようにあふれ、どうしようもなくなってしまうだろう。
「じゃあな」
トリアスは言って、去っていった。
そのあっさりとした立ち去り方が、むしろルインにはありがたかった。
◇◇◇
ルインが家族が埋葬されているフォボラ村に行ったのは、トリアスから話を聞いた、五日後のことだった。
トリアスが去った後、ルインは泣き続けた。
宿の店主が、何事かと駆けつけるほど、泣き続けた。
次の日には、もう泣かなかった。
その代わり、胸に大きな穴が開いたかのように、虚しさがあった。
それを埋めるために、ひたすら鍛錬した。
剣を手に、レイチェルから教わった剣術や、体術の技を延々となぞった。
気が付くと、日が暮れていた。
五日目に、ようやく意欲の欠片のようなものが湧いてきた。
墓参りしないとな。
ルインは、フォボラ村へと走った。
レイチェルに、たっぷりと走り込みをさせられているおかげで、長距離走り続けることは得意だ。
三時間ほど走り続け、フォボラ村へ到着。
村人は、ルインが殺された一家の家族だと知ると、誰もかれも、かわいそうに、と言った。
「だけど、あんたは生きてる。家族の分まで長生きするんだよ」
そんなことを言ってくれた人もいた。
ルインは、何度も礼を言った。
村人たちが、協力して弔ってくれたのだ。
遺品も、たくさん保管しておいてくれた。
おかげで、家族の死を実感することができた。これは、きっと大きなことのように思えた。
墓も、盛り上がった土の上に、きちんと墓標が立っていた。
一つの穴に埋めたのだろう。かなり大きな穴になったはずだ。
ルインは、なにか家族に言葉を言いたかったが、なんと言えばいいのかわからなかった。
しばらく、無言で墓標を見ていた。
「俺さ。ちゃんと冒険者になれそうだよ」
最初に、そんな言葉が出た。
「すごい人に弟子にしてもらったんだ。もう、Cランクの異界迷宮だってクリアしたんだぜ。お金だってさ、結構、稼いでて。帰ってきたのもさ、お金、使ってもらおうと思って」
そこまで言ってから、ルインは目を押さえた。
もう出ないと思ったのに、まだ涙が出る。それを袖で拭う。
「俺が、あの時、カルを追い払えば良かったのかな。そうしたら、村を追い出されなくて済んでさ。こんなことに……」
ルインは立っていられなくなり、崩れた。四肢をついて、嗚咽する。
長いこと泣き続けた。声を気にせずに泣いた。
やがて、また立ち上がった。
泣くのは、これで最後にしよう。
「また来るよ。次はもっと強くなってるからな」
言うと、ルインは家族の墓に背を向けた。
◇
カルスとの約束の日まで、ルインは、一人、鍛錬を続けた。
剣術や体術のトレーニングはもとより、魔法の訓練も、おろそかにすることなくおこなった。
レイチェルが教えてくれたことを、一から復習するように。
一日中、宿の部屋から出ずに、瞑想を続ける日もあれば、街の屋根から屋根に飛び乗って走り回った日もあった。
約束の日の前日。
街を走っていたルインは、大通りを歩く黒髪の少年を見つけた。
革鎧に革ズボン。腰には剣。自分と同じようなかっこうだ。
向こうも、ルインに気が付いた。
二人は駆け寄った。
「よう。結局、どこに行ってたんだ」
ルインは、親友に笑いかけると言った。
「山で特訓をね。家族は元気にしてたかい?」
「ああ、元気にしてたよ。お前の親も元気そうだったぞ」
「……そうか。それなら良かった」
カルスは、自分の親が、ルインに文句をつけたりしないか不安だったが、この分だと大丈夫そうだ、と思った。
それにしても、山でかなり激しく鍛えてきた自分よりも、ルインの方が、たくましくなったような気がするのは、なぜだろう。
「なあ、カル」
「なんだい」
「世の中ってさ。俺が思ってたより、ずっとややっこしいんだな」
「なんだよ、それ。家族となにかあったのかい?」
「なんでもねえよ。それより、お前、ずいぶん強くなってないか。なんか、そんな感じがするぜ」
「そっちこそ」
レイチェルの弟子二人は、そんな風に、たわいない会話をしながら、並んで歩いた。
二人とも、早く師に会いたかった。