12.弟子たちの帰郷①
初めての異界迷宮攻略後、レイチェルは、頻繁に、二人を異界迷宮に連れていくようになった。
最初の異界迷宮での守護者との戦いの件は、レイチェルに危機感を持たせた。
それまでは、とにかく二人を強しよう、と鍛えていたのだが、それだけでは足りないことに気づいたのだ。
冒険者としての心構え。
危機を察する感性。
自分の能力の正確な把握。
それらは、実戦を通してしか得られないものである。
そして、どれかが欠けていれば早晩、命を落とすことになる。
だいたい、二週間に一回は、異界迷宮攻略にでかけた。
レイチェルは、こんなこともあろうかと、仕事で異界迷宮が発生していた時は、それらを見逃していた。
ほどよく育ててから、弟子たちの鍛錬に使うつもりだったのだ。
おかげで、異界迷宮のストックは十分あった。
異界迷宮で得た取得物や、魔物の死骸を解体して得られた素材は、冒険者ギルドに売った。
それで得た金は当然、ルインとカルスに全て渡した。
最初の異界迷宮を攻略した後に得た金額は、約一千万エリネになった。
破壊した異界迷宮核は、核石という魔法石の素材に変わる。
それがかなり高額で取り引きされるのだ。
二人で山分けすると、五百万エリネ。
金貨の入った袋を渡されたルインとカルスは、あまりのことに狼狽した。
「こ、こんな大金、も、貰っちゃっていいのか? 本当に? なにかの間違いじゃないのか?」
ルインは、袋を開いて金貨を見て、レイチェルを見る、というようなことを繰り返した。
カルスは、ええと、ええと、と、なにか考えようとしているのだが、頭が回らないようだった。
「Cランクの異界迷宮なら少ない方です」とレイチェルは笑った。
これは事実である。
そもそも、Cランクの冒険者が中堅である。
彼らが四、五人で異界迷宮を攻略すると、当然、分け前も減る。
一千万エリネも五人なら一人、二百万エリネ。
命がけの報酬としては、破格とはいえないだろう。
頻繁に異界迷宮を攻略しているおかげで、ルインもカルスも瞬く間に大金持ちになった。
ルインは、実家に仕送りができる、と喜んだ。
七月。
初夏のある晩、レイチェルは二人に言った。
「二人とも、家に帰ってください」
唐突にそんなことを言われた二人は、数秒静止し、それから、驚きの声をあげた。
「お、俺たち、なにか悪いことした?」
「は、破門ですか?」
ルインとカルスが、同時に言った。
レイチェルは、首を横に振った。
言い方が悪かったせいで、誤解させてしまった。
「一ヵ月ほど稽古を休みにします。その間に故郷に帰ってくると良いです」
「じゃあ、弟子を首になるってわけじゃないんだな。また戻ってきていいんだよな」
ルインが真剣な目で聞いてくる。
レイチェルは、こそばゆいような気持ちで、笑ってうなずいた。
「ちょうどいいじゃないか、ルイン。実家に仕送りしたいって言ってただろう」
カルスが言った。
「だ、だけどよ。なんか、顔、出すのもなあ。冒険者になって帰ってきてやるぜ、なんて言って出てきたし」
「まあ、いいじゃないか。たくさん、稼いでるってわかれば、家族も安心するよ」
「そ、そう、かな」
それから、ようやく、ルインは笑顔になった。
家族に会えることを想像し、喜びが込み上げてきたのだ。
今まで、手紙の一つも出していない。
田舎の村で、なおかつ貧乏な家なので、出しても届きそうになかったからだ。
「では、明日から休暇にします。特に期間は決めません。好きな時に戻ってくると良いです」
レイチェルは言うと、二人の顔を見つめた。
レイチェルの視線に、ルインが照れ臭そうに頭をかいて、カルスが少し顔を赤らめた。
その夜。
二人は、同じベッドに入った。
二人で話し合いたい時は、いつもこうしている。
なにしろ、部屋が広すぎる上に、二つのベッドが遠すぎる。一つのベッドが十分すぎるほど大きいので、二人で眠っても、まったく問題ない。
「家かあ。みんな元気にしてるかなあ」
ルインが、感慨深く言った。
口減らしに、追い出されるような形で出てきた家だが、それに対して恨む気持ちはまったくなかった。
むしろ、弟や妹たちが飢えていないかと、そればかりが心配だった。
「大金を持って帰ったら、大喜びするんじゃない?」
「そりゃあするよ。うちの家じゃあ、金貨なんて見たことないからなあ。お前んとこは……」
そこで、ルインは、ハッとなった。
「お前はどうするんだ? お前も帰るんだよな」
「村の近くまでは一緒に行くよ。ルーガ市で宿をとって、滞在しようと思ってる。帰る時に声をかけてよ」
カルスは、当然のような顔で言った。
「家には、家族には会わないのかよ」
「会えるわけないだろ」
「そうか……。悪いな」
「君が謝ることじゃないよ。僕が自分で決めたことだもん」
カルスは、家出した身である。
ルインが村を出ていく朝、村の外で合流したのだ。
その際、路銀にしようと、換金できそうな物を、いくつか持ち出した。
さすがに、ホイホイと帰郷もできない。
「あの、さ……」
「なんだい?」
ルインは、口を開きかけ、それから閉じて、というようなことを繰り返した。
「その、ありがとうな」
ルインは、顔から火が出るような気持ちだった。
親友に、あらためて礼を言うのは、照れ臭い。
「なんだよ。唐突だなあ」
「あの朝さ。俺、すごく不安で。家族の前で強がってたんだけど、一人になったら怖くて、泣きそうだった。そしたら、お前がいてさ。すげえ、心強かったんだ」
照明は消してあり、明かりは窓から差し込む月明りだけ。
薄暗い中だから、こんなことが言えた。
あの日、村を出て一人、隣村へと続く道を歩き出したルインは、不安と孤独で押しつぶされそうだった。
食料は、なけなしのパンが一つ。
当然、金もない。
冒険者になってやる、と意地を張っていたが、そう簡単にいくのか? と一歩進むごとに疑念が湧いてきた。
道の脇に建つ道具小屋から、カルスが姿を現した時には、驚きのあまり腰を抜かしかけた。
「僕も一緒に行くよ。二人で冒険者になろう。君が戦士で僕が魔法使い。最強のタッグだろ」
それは、二人で語り合った夢だった。
カルスのおかげで、不安は一気に消し飛んだ。
代わりに、希望に満ちた未来へ進んでいくような気持ちで、旅をすることができた。
「あの時、君と村を出なかったら、たぶん、一生あそこから出られなかったと思うんだ。うん、きっとそうだよ」
笑顔で言った。
「それよりも、旅のプランを考えよう。お金は十分あるから、セルドル市までは駅馬車で行こう。うまく、セルドルからルーガまで行く人が、見つかるといいんだけど」
二人は、その晩、遅くまで旅の計画を練った。
買っていく土産。泊る宿。立ち寄る場所。
いつの間にか、ルインが寝息をたてていた。
カルスは、彼に毛布をかけてやり、自身も毛布にもぐりこんだ。
◇◇◇
翌日の昼。
レイチェルに見送られ、ルインとカルスは駅馬車に乗り込んだ。
街から街へ定期的に出ている、乗り合いの馬車である。
ホロのついた大きな荷台に、十人近くが乗り込む。
乗客たちの視線は、馬車の外のレイチェルに、釘付けだった。
単に煽情的な露出狂鎧を、着ているためというのもあるが、あれが有名な『狂乱戦乙女』か、と畏怖の視線を送る者もあった。
風に赤毛をおどらせて手を振るレイチェルに、ルインとカルスは、手を振り返す。
綺麗だな、とルインは、美貌の師を眺めた。家族と再会できることは嬉しいが、レイチェルと離れるのは、寂しかった。
隣を見ると、カルスが燃えるような目でレイチェルを見ていた。
ルインは、見てはいけないものを見てしまった気がして、慌てて目をそらした。
御者がベルを鳴らし、馬車がゆっくりと進み始める。
ルインもカルスも、遠ざかっていくレイチェルに向かって、身を乗り出して手を振り続けた。
馬車は、夜にセルガル市に到着した。
途中、いくつかの街で休憩を取ったが、長い間揺られていたせいで、二人とも尻が痛かった。
セルガル市で一泊。
さて、そこからが問題だった。
セルガル市から二人の故郷であるカルプ村まで、駅馬車は出ていない。
まずは、カルプ村からもっとも近い街ルーガ市に、行かなくてはならないのだが、そこへ行く駅馬車がない。
行きは、ちょうど、ルーガ市からセルガル市まで行く予定だった親切な商人に、乗せてもらったのだが。
田舎のルーガ市まで行く馬車を探すのは、大変そうだ。
「いっそう、雇ったらどうかな。お金なら十分過ぎるほど持っているし」
カルスは、そう提案した。
歩いていくには、あまりにも日数がかかる。
かといって、ルーガ市まで行く馬車を探すのも、時間がかかる。
ルインはすっかり里心ついており、家族のことばかり考えている。
それがカルスにもバレていた。
「そうだな。その方がいいかもな」
普段のルインなら、そんなのもったいないだろう、と言うところだが、今は一刻も早く家族の顔が見たかった。
二人は、さっそく、運送ギルドへと向かった。
小さいところでは、手紙や小包。大きいところでは、資材や物資の輸送などを請け負う、個人業者たちの組合である。
当然、人を乗せる馬車も、手配してもらえる。
玄関扉を開けると、手前に受付のカウンターがあり、奥にテーブル席がいくつかあった。
テーブル席に、男たちが座っている。
仕事待ちの御者たちだ。
全員が、いぶかしげな視線を、ルインとカルスに送ってきた。
ルインもカルスも、レイチェルがあつらえてくれた冒険者装備である。
革鎧に革ズボン。穴あきグローブ。首には革製のネックガード。腰には剣を差している。
二人とも、レイチェルに弟子入りしてからグングン背が伸びたが、それでもまだまだ小さい。
子供が、いっぱしの装備をしているのだから、目立つのは当然だった。
「ルーガ市まで乗って行ける馬車を雇いたいのですが」
カルスは、受付の女性に言った。
「ルーガ市? ずいぶん遠いわね。親も一緒なの?」
「いいえ。僕たちだけです。小さくても良いので、スピードを出せる馬車がいいんですが」
「あなたたちだけって。ルーガ市まで雇うとなると、結構な金額になるのよ」
「その辺は大丈夫だと思います。いくらくらいでしょうか?」
そうねえ、と受付嬢がカチカチと木製の計算機をいじって、紙に数字を書く。
「こんなところかしらね」
紙を二人に見せた。
「三十万エリネだって」
ルインが叫んだ。
「高すぎるだろ」
「坊や、馬車一台を雇うのはお金がかかるのよ。ルーガ市までは道も悪いし、魔物だって出るものねえ」
「魔物なんて俺たちがやっつけてやるよ」
「まあ、素敵」
受付嬢は、大げさに驚いてから、世間知らずの子供を諭すように、言った。
「いい、馬車は子供が雇うようなものじゃないの。長旅はもう少し大人になってからなさい」
「お金ならありますよ。三十万エリネでいいですから、手配をお願いします」
「おっ、おい。本気で言ってるのか? 三十万エリネだぞ。そんな金あったら、うちの家族、一年は暮らせるぞ」
「大丈夫、僕が出すから。君みたいに仕送りをするわけじゃないしね」
「いや、そういう問題じゃねえぞ。三十万エリネだぞ」
「だから、分かってるって。今の僕たちなら十分払えるだろう」
「だから、払える払えないの問題じゃねえつうの」
「わけがわからない」
「そりゃあ、こっちだよ」
コホン、と後ろで咳払い。
小包を抱えた紳士が立っていた。
「坊やたち、二人で話し合ってからまた来なさい」
受付嬢に追い払われる。
仕方がないので、ルインとカルスは運送ギルドから出た。
通りでも、言い合いを続ける。
「お前、さては、ガキ扱いされてムキになってんだろ」
「そんなことはない」
「あの姉ちゃんを見返すために、三十万も払えるかよ」
「だから違うって言ってるだろ。変な誤解するな」
そこに、運送ギルドから出てきた男が、近づいてきた。
テーブル席にいた男の一人だ。
旅用のマントに、大きな山高帽をかぶっている。
「なあ、あんたたち、良かったら、俺がルーガ市まで乗せてってやろうか?」
男が言った。
ルインが食いついた。
「タダでか?」
「馬鹿言っちゃいけねえ。金は貰うさ。だが、十万エリネだ。ギルドを通すよりもずいぶん安いぜ」
「十万かあ。まだ高いような気もするんだけどなあ」
「おいおい、これ以上安くならねえよ」
ルインは、カルスを見た。
カルスは、無表情に男を眺めた。
年齢は五十前後だろう。
身なりからして、間違いなく御者だろう。運送ギルドにいたことを考えれば、信用しても問題ないはずだ。
問題を起こしてギルドに訴えられたら、職を失うことになるのだから。
「ルーガ方面に用があるんですか?」
「大した用じゃねえけどなあ。友人がいるもんで、ついでにな」
カルスは、うなずいた。
金を節約するためというよりも、ルインを納得させるには、男の話に乗る方が早い。
「分かりました。あなたにお願いします」
「よし、そうこなくっちゃな。出発は明日の朝でいいかね?」
「はい。よろしくお願いします」
男は、リガッタと名乗った。
明日、六時に、南門の前で待ち合わせることになった。
頭の良いカルスだったが、彼はまだまだ世間知らずな子供だった。
金のためならば、平気で他人を獲物にする人間がいることを、理解していなかった。
ルインとカルスが、セルガル市を観光している頃、リガッタは仲間と打ち合わせをしていた。
もちろん、カモをしっかりと得るための打ち合わせである。
◇◇◇
翌朝。
ルインとカルスは、南門の前に、約束よりも三十分も早くやってきた。
カルスの十一歳の誕生日に、レイチェルがプレゼントしてくれた懐中時計(ミスリル製、一千万エリネ)のおかげで、時間には正確に行動できる。
朝の門前は、賑わっていた。
開門は六時なので、それを待つ人々が集まっている。
リガッタもすでに来ていた。
二人を見つけると、寄ってきた。
「おはよう、旦那方。荷物はそれだけかい?」
リガッタが、二人の背負い袋を指す。
「これだけです」
カルスは言った。
「じゃあ、馬車に乗り込んじまってくれ。門が開いたらすぐに出たいからよ」
リガッタの馬車は、二頭仕立ての箱馬車だった。
豪奢というわけではないが、きちんとしており、普段は、街でタクシー業をやっているのかもしれない。
乗ってみると、クッションも効いているし、魔法をかけてあるせいか、震動も少ない。
「いい馬車じゃないか。これなら十万エリネも納得」
ルインが言った。
「なっ、ギルドで三十万も払わなくて正解だったろ」
カルスはうなずいた。
だが、ルインと違い、良い馬車だったことが、逆に彼を警戒させた。
良い馬車であるということは、それだけ実入りがいいということだろう。
わざわざ、個人交渉して、仕事を得る必要もない気がする。
「ねえ、ルイン……」
声をかけたカルスだったが、ルインは目を閉じている。
彼の体から、赤い光が放射されている。呪文体勢だ。魔法の鍛錬を始めたらしい。
気にしすぎかもしれないな、とカルスは疑念を振り払った。
やはり、運送ギルドに出入りしているというところが、大きい。
カルスは、自分が、ナイーブになっていることに気づいていた。
故郷が、近づいているせいだろう。
いくら心の底に押し込めても、家族を捨てた罪悪感と思慕の想いが、湧いてでてくる。
カルスは目を閉じて、呼吸を整えた。
ルインにならって、魔法の鍛錬を始める。
◇
セルガル市からルーガ方面に向かうには、いくつか山道を、抜けて行かなくてはならない。
三時間ほど平野を走った後、馬車は坂道を上り始めた。
ルインもカルスも、いまだに目を閉じて、呪文態勢を保っている。
魔法の訓練になることはもとより、魔力で直接肉体を強化する『レイチェル戦闘術』の訓練にもなる。
ふいに、馬車が止まった。
すぐに目を開けたのは、ルインだった。
隣で目を閉じて、全身を赤く光らせているカルスを揺らす。
「カル、様子がおかしい」
すぐに、カルスも目を開けた。
窓を見ると、青々と茂った木々が、目に入った。
馬車は傾斜しており、坂の途中だということがわかる。
ドアが乱暴に開いた。
「降りろ、ガキども」
だみ声。
髭で、顔の下半分を覆った男だ。マントの下は、革のベスト。
「誰だよ。あんた」
「とっとと降りろってんだ」
ルインは、なんだかわからないままに、馬車から降りた。
カルスも続く。
木々が斜面を覆い、つづら折れになった細い道が、その中を通っている。
上は、両脇の木々の枝に隠され、模様のようになった青空。
見知らぬ男たちが、馬車を囲んでいた。
だみ声の男と、似たような服装だ。
腰に剣を下げていたり、クロスボウを手に持っていたり。
「山賊かな?」
カルスは言った。
「盗賊だろ」
ルインが返す。
二人とも、この事態に慌てはしなかった。レイチェルに、いくつも異界迷宮を攻略させられてきたおかげで、すっかり胆力がついた。
核を守る守護者との戦いや、崩壊を始める異界迷宮からの脱出は、並みの恐ろしさではないのだ。
「リガッタの言った通り、二人とも可愛い顔してるじゃねえか。こりゃあ、いい値になるかもな」
髭面の男が、ルインの顎をつかんで、言った。
「じゃあ、リガッタさんにはめられたんだ」
カルスが、苦い顔になる。自分のミスだ、と思った。
「おいおい、せっかく隠れたのに俺の名をださんでくれよ」
リガッタが木陰から現れた。
帽子をとって頭をかいているが、バツが悪そうな様子はない。
「悪いな、旦那方。これも商売でよ」
「金も持ってるんだってなあ。いいとこの坊ちゃんか? その鎧も剣も金がかかってそうだし」と髭面の男。
ルインに顔を近づけ、ぷはあ、と息を吹きかける。
「く、くっさ」
おえっ、おえ、と嘔吐しそうになるルイン。
「まあ、殺しゃしないからさ。これも運命だと思って諦めなよ」
女が言った。
手には杖を持っている。魔法使いのようだ。
「冒険者崩れかな」
カルスは、相変わらず落ち着き払って、言った。
今のやり取りの間にも、盗賊たちの様子を観察していた。
人数は、リガッタを含めて六人。クロスボウを持った男と、魔法使いの女が、要注意。
「崩れじゃねえ。俺たちはれっきとした冒険者だ。これでもDランクなんだぜ」
髭面の男が、言った。
「Dランクでいばるなよな。あと、あんた息、臭すぎ」
ああっ、と髭面男が、拳を振り上げる。
ルインは、男のパンチよりも、速く動いていた。
踏み込んで、男の腹にパンチをねじ込む。
髭面男が、吹っ飛んで、そのまま泡を吹いた。
盗賊たちが、事態を察するよりも早く、カルスは動いていた。
馬車の上に飛び乗り、そこからさらに跳んで、クロスボウを構えた男の前に、着地。足払いで転ばせながら、顔に拳をたたき込んだ。
クロスボウを拾って、女に向かって引き金を引く。
魔法使いの女は、まだ呪文態勢すら取れていない。
肩に矢を受けて、転がった。
ルインは、髭面男を倒した後、別の男に向かった。
相手が、腰の剣を抜く前に、跳び蹴りをくらわせる。
男は、五メートル近く吹っ飛んで、ぐったりと頭を垂れた。
ルインに、別の男が斬りかかる。
ルインは、それをかわして、男の手を叩いた。
男が、うめいて剣を取り落とす。そこをボディブローで沈めた。
「お、お前ら、な、なんなんだ。えっ」
リガッタが、わけがわからない、という顔で倒れた仲間たち、と向かってくる子供二人を交互に見る。
「未来の大冒険者さ」
ルインが、不敵に笑って言った。
「それで、あなたはどうするんですか? 逃げますか? 戦いますか? 早く決断しないと選択肢が無くなりますよ」
カルスが剣を抜いた。すっと目を細める。
「あなたみたいな人は、殺した方が世の中のためになる気がします」
「ま、待て。待て待て。戦う気はない。お前さんだって、人殺しなんて嫌だろ。こいつらは、殺したっていいようなクズどもだが、俺はそこまで悪くないぞ」
「自分で言うなよな」
ルインが、呆れて言った。
「それにだ。俺を殺したら馬車はどうする? ここから歩くのは大変だぞ。どっちか、御者ができるのか? できないだろう? もちろん、金なんかいらねえよ。ただで、ルーガ市まで送ってやろう。それで、どうだ? な? 俺を殺すよりずっといいぞ」
「眠ったところを襲われたんじゃたまりませんけど」
「そ、そんなことしねえよ。今ので、お前さんたちの力は十分わかったから。俺だって命は惜しいんだ。ただで送ってやるから。俺は命とこの馬車が無事ならそれでいいから、な」
ルインとカルスは、顔を見合わせた。
「俺はこのおっさんに送ってもらったらって思うけど」
「僕はやっぱり殺した方がいいと思う。こういう人、改心しないよ。初めて人を殺すなら、こういうどうしょうもない人の方が楽な気がするし」
「でもなあ。なんか、そこまでしなくてもいいような気がするんだよ。命ってさ、そんなに簡単に奪っていいもじゃないんじゃないか」
「甘いよ、ルイン。見逃したら、別の誰かが犠牲になるかもしれないんだ。たまたま僕らに、返り討ちにできる力があったから良かったけど、もし、行きにリガッタさんに騙されてたら、奴隷として売られてたよ」
「……分かったよ。じゃあ、俺がやるよ。カルはほかの連中を縛っとけよ」
「いや、僕がやる」
言い合いになった。
その隙に、リガッタは、そろそろと後ずさり。
「俺がやるって言ってるだろ」とルインが怒鳴って、カルスの胸倉をつかんだ瞬間、脱兎のごとく逃げた。
それとほぼ同時に、地に転がったまま密かに呪文を唱えていた女魔法使いが、叫んだ。
「『火球』」
赤い閃光。
ついで、握りこぶしほどの火の玉が、宙に浮かぶ。
女魔法使いが、杖を二人に向けた。
『火球』が、赤い軌跡を引きながら、宙を走る。
ルインとカルスは、一瞬目を合わせた。
リガッタを追いかけ、斜面を駆け下りるルイン。
カルスは、即座に魔力を放射した。
赤い光が、体を覆う呪文体勢よりも、さらに広範囲に光が放たれる。
その光が、カルスの周囲に、大きな四つの記号を描いた。
「『魔法解放』」
カルスの叫び声で、ひと際強い赤い閃光が起こった。
今まさに、カルスに直撃しようとしていた火の玉が、閃光に飲まれたように消えた。
「なっ、なんで……」
魔法使いの女がうめく。
カルスは、ほうっ、と息を吐いた。
かなり際どいタイミングだった。
『火球』は、弾けると、炎が周囲に広がる。
カルスがかわせば、馬車も馬たちも燃えてしまっただろう。
「師匠から、一番最初に習った魔法なんだ」
言いながら、カルスは女に近づいた。
「使えると便利だって。本当にそうだ」
『魔法解放』の魔法は上級魔法である。
魔法によって、書き変わった理を、元に戻す。
だが、レイチェルが教えたのは、現在魔法使いギルドで教えている魔法ではない。
エルフ族に伝わる古の魔法である。
呪文も魔法陣も必要としない、魔法文字だけで発動する魔法。
レイチェルは、それを弟子たちに、一番最初の魔法として教えた。
魔法陣を描くよりも簡単だったし、覚えておけば、身を守る際に非常に有用である。使うには、従来の魔法よりも魔力の制御が難しいが、その分、魔法の訓練にもなる。
カルスは、女魔法使いの側に行った。
女魔法使いは、化け物を見るような顔で、彼を見ている。
ふいに、風に乗って、女の匂いが鼻をついた。
すると、なにか血が熱くなるような心地がした。
女の革鎧の膨らみや、投げ出された足などに目がいく。
カルスは、慌てて首を振った。
◇◇◇
「いやあ、旦那方との旅もこれで終わりだと思うと、寂しいねえ」
リガッタが言って、ペチペチと自身の頬を叩いた。
「見逃すのは今回だけです。セルガルの運送ギルドには報告しておきますからね」
カルスは、厳しい目でリガッタを見つめて、言った。
「分かってるよ。ギルドカードは渡したろ。もう、悪いことはやらんよ」
「口ではなんとでも言えます。ルインが、どうしてもというから、見逃したんですよ」
ルーガ市の門前である。
結局、ルインとカルスは、引き続きリガッタの御者で、ここまでやってきた。
リガッタを捕まえたルインが、命だけは助けてやろう、と譲らなかったからだ。
ほかの冒険者崩れたちと、リガッタのそれぞれのギルドカードは、取り上げた。
冒険者崩れたちのギルドカードは、あの山を越えた先にあったリンド市の警兵に彼らの罪を報告し、渡してきた。
「盗賊なり」と立て札をして、しっかりと縛ってきたので、捕縛されたことだろう。
「なあ、リガッタさんのギルドカードは返してやらないか?」
ルインが言った。
「ここまでちゃんと仕事してくれたんだからさ」
「しつこいな。警兵に渡さないだけで十分じゃないか」
カルスは、ルインを睨んだ。
「だけど、セルガル市に家族がいるんだぜ。これからも養っていかなきゃいけないんだ。子供が六人もいるんだ。俺たちと同じくらいの子もいるって」
ルインが、リガッタの助命を願った理由である。
「だからさ。それが本当のことかなんてわからないじゃないか。いや、それが本当だったとしたら、僕はなおさら許せない。自分の子と同じ年の僕らを、さらおうとしたんだからね」
「みんな生きてくので必死なんだよ。他人を犠牲にしても自分の家族は守りたいんだよ。そういうもんなんだよ」
二人は睨みあった。
それを見ていたリガッタが、帽子を取って、ボリボリと頭をかいた。
「ルインの旦那。ありがとうよ。でも、もういいよ。それがケジメってもんだ。今回ほどじゃないが、悪いこともいろいろやってきたからなあ」
それから馬車をポンと叩く。
「こいつさえあれば、なんとか食ってけるさ」
「ああ、僕の方の座席。なにかごわごわとしてましたよ。早めに直した方がいいかもしれませんね」
カルスは言った。
密かに、リガッタのギルドカードを、座席の下に隠しておいた。このことは、ルインにも言うつもりはなかった。
◇
リガッタと別れ、ルーガ市に入った二人は、さっそく宿を取った。
そこで体を洗ってから、街に繰り出し、夕食をとる。
ルインは、やたらとソワソワしており、カルスが話しかけても、上の空だった。
翌日、カルスは、門までルインを見送った。
ここからは徒歩だ。
半日ほど歩けば、二人の故郷のカルプ村につく。
「いいかい。僕のことを聞かれたら……」
「分かってるよ。お前とは、ルーガ市でケンカ別れしたって言っとけばいいだろ。何回目だよ」
「君は忘れっぽいから」
「そこまでひどくないっつうの。じゃあ、二十日後にな」
「『白鳥の宿』だからね」
「分かってるってば。お前、俺を馬鹿にしすぎ」
ルインが、カルスを睨んでから、門に背を向けて歩き出した。
草原を横切る一本道を、進んでいく。
カルスは、その背中が豆粒ほどに小さくなるまで、見送った。
走って追いかけたい衝動を抑え、街へ入る。
二十日間、どのようにして過ごすか、道中で決めてある。
保存食を買い込んだら、鍛錬のために山ごもりする。
ルインと再会したときに、彼を驚かせてやろう。