11.初めてのダンジョン③
三日目には、異界迷宮の最奥部である『玉の間』についた。
広々としたドーム状の大空洞で、ここだけは、地面が滑らかにならされていた。
中央に、赤く光る大きな球体が、見える。
「あれがこの異界迷宮の核です。あれを破壊すればこの異界迷宮は崩壊を始めます」
「出るには、入ったところまで戻らないといけないんですよね」
「はい。ですから、きちんと道順を覚えていないといけません。次からはマッピングをしていきましょう」
「出られなかったら、どうなるんだ?」
ルインが、不安げな顔で言った。
「冥府に落とされます」
「冥府?」
「死者の国です」
うげっ、とルインがうめく。
「冥府から戻ってくることができたのは、魔王だけ。私たちが落ちたら、そのまま死んでしまいます」
ルインとカルスは、異界迷宮核に近づいた。
近くで見ると、ガラス玉のような球体の、そのまた中心に、ドクン、ドクンと脈動する赤い球体が入っていた。
核の大きさは、直径五メートルといったところで、宙に浮いている。
「ぜんぜん剣が届かないな」
「弓でも持ってたら良かったけど」
二人して下から核を見上げながら、途方に暮れる。
試しに、ルインが剣を投げてみた。
クルクルと回転した剣が、核にぶつかる。
次の瞬間、核が赤い閃光を放った。
あまりのまぶしさに目を閉じた、ルインとカルス。
目を開けたときには、光は収まっていたが、代わりに、目の前に魔物がいた。
トカゲのような胴体と長い首。
折りたたまれた翼。やはり長い尻尾。頭は、トカゲと肉食獣を足したような様相。
全身、深緑色で、体長は牛よりも二回りほど大きい。
「ド、ドラゴン」
ルインが、かすれた声をあげる。
「違う、ミニドラゴンだ」
カルスが叫んだ。
ミニドラゴンが、顎を開いた。
真っ赤な炎が、二人を包む。
……か、に思われた。
炎は、二人の前で止まり、せき止められた水流のように、左右に割れていた。
レイチェルが、二人守るように立っていた。
ミニドラゴンの口から伸びた炎が、消える。
「がんばってください」
言って、レイチェルが、二人の前から姿を消す。
無茶だよ、とカルスは思った。
ミニドラゴンは、Bランク魔物である。
体は小さくてもドラゴン種。十分強いのだ。
隣で、ルインが気合の声をあげた。
剣を抜いて、ミニドラゴンに向かって走る。
カルスは、恐怖を追い払った。
ゆっくりと、ミニドラゴンとの距離を詰めながら、魔物をつぶさに観察する。
ルインに噛みつこうと、首を伸ばすミニドラゴン。
それをルインは、跳んでかわす。
かわしざま、横っ面を斬った。
ミニドラゴンが吠えた。
大地が震えるような轟音。
新たな攻撃に踏み出そうとしたルインが、フラリとバランスを崩す。
カルスは仕掛けた。
ルインを喰らおうと伸ばした首に、渾身の斬撃を浴びせる。
ミニドラゴンの体は、ドラゴンのように硬い鱗に覆われていない。
トカゲのようにザラついた表皮だ。
カルスの剣は、ミニドラゴンの首に深く食い込んだ。
やった、と思った瞬間、カルスは吹っ飛ばされていた。
地をゴロゴロと転がり、ようやく止まる。
よろよろ、と起き上がるカルスに、突進してくるミニドラゴン。
その前にルインが立ち塞がった。
剣を大上段に構えて敵を睨む。
ミニドラゴンが翼を開いた。
そうすると、何倍も膨れ上がったように見える。
宙を滑空しながら、ルインに突っ込む。
ルインは、微動だにしない。
ミニドラゴンの前足が、ルインに襲い掛かる。
ルインは、それを斬った。
ミニドラゴンの前足が切断されて、地面に転がる。
本体も数メートル離れたところで、転がった。
ミニドラゴンが態勢を立て直す前に、ルインが飛びかかった。
高く跳んで、剣を下向きにして、自重を乗せて、ミニドラゴンに突き刺す。
剣は、ミニドラゴンの翼の間に、深く突き刺さった。
ミニドラゴンが吠える。
暴れる。
振り回されるルイン。
だが剣を放さず握り続ける。
そこにカルス。
ミニドラゴンの首が、背のルインに向かって伸びているところへ、再び斬撃を浴びせる。
それも、先ほど半ばまで斬った箇所だ。
ミニドラゴンの首が、半ばから断ち切れた。
同時に、動きが止まる。
「……やった」
カルスは、その場にへたり込んだ。
倒した。
Bランクのミニドラゴンを倒した。
なんだか、笑いが込み上げてきた。
ルインが、ミニドラゴンの背中から降りてきて、無言でカルスの肩をバンバンと叩いた。
結構痛かったが、嬉しさが、それをはるかに上回った。
その時、また核が、赤い閃光を放った。
まぶしさに目がくらむ。
「たく、ピカピカまぶしいっつうの。早いとこ、あれをなんとかしよう……」
途中で、ルインの言葉が途切れた。かわりに、ゴクリ、と唾を飲む音。
カルスも、ルインの気持ちがよくわかった。
目の前にモンスターメイルがいた。
それも二十体近く。
「ど、どうしろってんだよ」
ルインがへたり込んだ。
カルスも膝を折る。
だが、折れたのは心だ。立てる気がしない。
ガシャリと、幾重にも重なった鎧の音。
モンスターメイルの群れが、同時に一歩を踏み出したのだ。
ふっとカルスの頭に手が乗った。
顔を上げると、レイチェルが厳しい表情で見下ろしていた。
「立ってください。まだ戦いは終わっていません」
「だけど、あんなの無理です」
「それなら逃げればいいのです。諦めて立ち上がらないのは、冒険者として、もっともしてはいけないことです」
レイチェルの手が離れた。
今度は、尻餅をついているルインの傍らに、立つ。
「ルイン君、すぐに立ってください」
「だけど、あんなの……。俺、もう……」
ルインがかすれた声で答える。
「立ちなさい」
レイチェルの怒声が響いた。
それは、目の前に並ぶモンスターメイルよりも、弟子たちを震えさせた。
師が、初めて怒ったのだ。
カルスは、心臓が激しく動悸を打ち、体がブルブルと震えた。
必死で身を起そうとする。
だが、立てない。体がうまく動かなかった。
ルインも同じだ。
彼は、側に立つレイチェルの怒りを間近で感じられただけ、いっそう恐怖に震えた。必死で首を横に振る。
レイチェルが、ルインとカルスにそれぞれ視線を送る。
沈黙する三人。
その中で、ガシャリガシャリと、モンスターメイルの歩く音が響く。
「うるさいですわ」
レイチェルが、振り向きざまに剣を抜き、宙を斬った。
弧を描いた軌跡が、白い光線となって大きく広がり、モンスターメイルの群れを貫いた。
モンスターメイルの体が、一斉に腹部からズルリと横にズレて、そのまま地面に落ちた。
残った鎧の下半分が、隊列を乱さぬまま、まるで置物のように残った。
レイチェルが息を吐いた。
彼女が放っていた怒気が、一緒に消える。
「そんなことでは、冒険者になれませんよ」
最後にそれだけ言った。
◇◇◇
異界迷宮から戻って、レイチェルが最初にやったことは、入浴だった。
もちろん、弟子たちの、である。
ルインもカルスもしょんぼりとしており、されるがままに洗われた。
二人を着替えさせた後は、レイチェル自身が入浴した。
いつもは、旅の最中でも簡易的なバスタブを出して、入浴をしているのだが、今回は、弟子たちに本物の冒険者を体験させるために、自重した。
頭を泡だらけにしてこすりながらも、少し厳しくしすぎたのでしょうか、と反省。
核の間で、モンスターメイルを一掃した後、休憩を取った。
異界迷宮脱出前に体力を回復しておきたかったし、なにより気分転換をした方が良い、と思ってのことだ。
だが、弟子二人は静かだった。
レイチェルに怒られたことが、ショックだったらしい。
当のレイチェルも無言だった。
もともと、口数が少なく、自分から、あれこれと話しかけるタイプではない。
それに、弟子たちの気持ちに配慮できるほど、コミュニケーションに長けてはいなかった。
沈黙の休憩後、核の出した守護者を撃破したことにより地に落ちた核を破壊し、異界迷宮を逆戻り。
玄関口まで走って、脱出した。
はあ、とレイチェルはため息をついた。
あのように怒鳴る必要はなかったのですわ。まだ子供ですし、初めての実戦、初めての異界迷宮なのですから。
バスタブに潜るように、頭を沈める。
思えば、あんなに大きな声を出したのは、久しぶりだ。
ばあやのソレルが、真実の愛を見つけたとか言って、今までの男性批判を華麗に翻した時、以来かもしれない。
あの時。
弟子たちが諦めた時、レイチェルはひどく切羽詰まった気持ちになった。
魔物と戦って追い詰められた時にすら、感じたことがない焦燥感。
崩壊する最中の異界迷宮で迷った時にすら、冷静でいられたのに。
ひどく焦ったのだ。
このままでは、いけない。
このまま冒険者になったら、この子たちは死ぬ。
戦う、逃げる。
この素早い決断と行動こそが、冒険者には必要だ。
絶望的な状況になっても、すぐに、一番可能性の高い方法を、取らなくてはならない。諦めたら、待っているのは死だけ。
だから、厳しく叱った。
なんとしても、今のうちに直しておかなくてはならなかった。
思えば、ソレルはレイチェルが諦めたら、容赦なく殴った。
どう考えても、叱るという範囲を逸脱しているだろう、というくらいの威力で殴った。
「お嬢様、諦めてはいけません。自分の行き先を決めるのは、最後の最後まで自分でなくてはならないのです。それが生きるということなのですよ」
思えば、レイチェルが、どんな絶望的な状況でも冷静でいられたのは、彼女の教えのたまものなのかもしれない。
謝りましょう。
叱ったことをではなく、厳しくし過ぎたことをである。
なにも、怒鳴る必要はなかったのだ。
バスタブから出る。
熱風の魔法で、体と髪を乾燥させる。
もはや体の一部のように感じられる露出狂鎧を身に着け、髪にクシを入れる。
浴室を出ると、ルインとカルスが立っていた。
仕立ての良いズボンにシャツ。その上にベスト。
そうしていると、整った顔立ちとあいまって、貴族の子弟のようだ。
「あの、師匠……」
「その、僕は……」
二人して、同時に切り出し、顔を見合わせる。
「ごめん」
「すみませんでした」
またしても、二人同時に言って頭を下げた。
今度は顔を見合わせることなく、頭を下げ続ける。
レイチェルは、どうしたものか、と思いながらも、二人の頭に手を乗せた。
サワサワと、ルインの金髪癖っ毛と、カルスの柔らかい黒髪の襟足を撫でる。
「俺、もう、あんな風に、敵の前で座り込んだりしないから。絶対」
ルインが、顔を上げて言った。その目が涙ぐんでいる。
「僕も、諦めたりしません。絶対に」
カルスも顔を上げた。こちらは涙を流していた。
レイチェルの心に、温かい気持ちが流れ込んできた。
この子たちは、ちゃんと反省できた。前に進める。
「がんばりましょうね」
レイチェルは、二人の頭を抱くと言った。
二人が本格的に泣き出した。
彼らが泣き止んだ後、レイチェルは目を赤くした弟子たちに、笑顔で言った。
「今日は美味しいものを食べに行きましょう。なにがいいですか?」