10.初めてのダンジョン②
ルインとカルスは、通路を進んだ。
レイチェルが、二人からまた距離を取る。
すっかり、調子に乗ったルインは、鼻歌を歌いながら歩いている。
時折、カルスに、俺たちってすげえな、とか言ってくる。
カルスは、それに調子を合わせた。
そうしながらも、なぜレイチェルが魔法をかけてまで、自分たちをCランク異界迷宮に連れてきたか、を考えた。
通路が折れ曲がったところで、魔物とバッタリ出くわした。
わっ、と驚きのあまり、大声をあげるルイン。
一方、カルスは即座に動いていた。
引き抜いた剣で、そのまま斬りつける。
その先制の一撃が効いた。
毛がフサフサとした、子牛ほどもある黒い犬の前足が、半ばほどまで切れた。
Cランク魔物のキラードッグである。
見れば、その一頭を先頭に、五体、通路に陣取っている。
カルスが斬った個体が、前足を折って吠えた。
後ろのキラードッグ二体が、飛びかかってくる。
カルスは、それを迎え撃った。
キラードッグの大きな顎を、かわし、腹を斬る。
ルインも、すぐに戦闘態勢に入って、同じく迎え撃つ。
カルスの速攻で、すぐに、頭を切り替えることができたのだ。
キラードッグは、先ほどのオーガーに比べ、動きが速い。
それでも、一体一体の強さは、大したことはなかった。
攻撃をかわされて、反対にダメージを受けると、怯むのも良かった。
瞬く間に、三体の同胞が手傷を負わされたために、キラードッグの戦意は喪失。
一塊となり、姿勢を低くしてうなり声をあげているが、すぐに攻撃してくる気配はない。
その間に、ルインとカルスは、頭を冷やすことができた。
いつでも迎え撃てるように構えながら、キラードッグを睨みつける。
ルインが、ずいっと大きく踏み出した。
キラードッグは、さっと踵を返して逃げていった。
ルインが大きく息を吐く。
「やばかった」
「やっぱり異界迷宮は怖いね」
カルスは、額の汗を拭って言った。
あのまま乱戦になっていたら、キラードッグに、引き裂かれていたかもしれない。
いくら、レイチェルの魔法で強化されていても、五体も一度に相手取るのは、無茶だ。
「カル、お前、すげえな。よく動けたな」
「警戒してたからね。なにかが待ち伏せてたら、まずいなって」
「助かったよ。俺、調子に乗ってたかも」
ルインが、ポリポリと頭をかく。
「初めての異界迷宮だからね。気を付けていこう」
「……だな。師匠をガッカリさせたくないし」
カルスは、ひょっとして、このことを教えるために、自分たちを調子づかせたのではないか、と思った。
少し力をつけても、経験の足りない自分たちでは、実戦で痛い目に合う。
そのことを教えるために。
通路は、進むごとに、複雑に枝分かれするようになった。
キラードッグ以降も、魔物と出会いがしらに遭遇することが、何回かあった。
だが、二人とも、なんとかかんとか対処することができた。
Cランクの異界迷宮とはいえ、出てくる魔物もCランクばかりではない。
あくまでも、Cランク魔物が多いというだけである。
動く人骨スケルトン。大コウモリのキラーバッドなどのDランク魔物も、多数出てきた。
Eランクのスライムボールや、ゴブリンなどもたまに出てきた。
もちろん、Cランクは、その後もぞくぞくと現れた。
ルインもカルスも、次々と始まる戦闘に、驚いたり焦ったりすることもなく、きちんきちんと対処できるようになっていった。
まずい、と思うときもあったが、レイチェルが後ろにいる、と思えばパニックにならずに済んだ。
「おっ、また宝箱があったぜ」
ルインが、行き止まりにポツンと置いてある箱を見て、言った。
「結構あるもんだね」とカルス。
二人して、飾り気のない金属製の箱に、近づく。
もう二十個は開けている。
最初の頃は、大はしゃぎだったルインも、さすがに慣れたのか、飛びついたりはしない。
「罠があるかもしれないから、気を付けよう」
カルスは、宝箱の蓋に手をかけるルインに、言った。
おう、と答えながら、ルインが蓋を開けようとする。
だが、開かない。
いつの間にか、蓋に白い手が添えられていて、押さえていた。
「し、師匠。なんだよ、ビックリするじゃねえか」
「これは駄目です」
「駄目? 罠ってことですか?」
「煙が噴き出して死にます」
うぉっ、とルインがのけぞった。
カルスも、背中に冷たいものを感じた。
即死の罠。
レイチェルがいなかったら、ルインが死んでいた。
「どうして分かったんですか? 見分け方があるんですか?」
「Cランクなら簡単に分かります。ここを見てください」
レイチェルが、箱の下部のふちを指さした。
ルインとカルスは、首をかしげた。
とくに違いがあるようには、見えない。
ルインが、近づいて、顔を床につけるようにして、のぞく。
う~ん、とうなり声。
気づいたのは、カルスだった。
「床とピッタリくっついてます」
「正解です」
床も壁や天井と同じで、デコボコの黒い石でできている。
そのため、今までの宝箱には、石の凹凸の分、必ず地面との間に、隙間があった。
それが、この宝箱は、ピッタリと地面に張り付いたように隙間がない。
あとで、宝箱が生成されたのではなく、通路とともに、生成されたということだろう。
ルインが、そんなもんわかるかよ、という顔で、箱の周囲を頭を低くしたまま、歩き回る。
「だけどさ、なんで罠のタイプまでわかったんだ」
「地形でだいたいわかります。これは経験を積まなくては難しいです。Bランクから上になると、このように一目でわかる違いはありません。経験で判断するしかありません」
あれっ、とカルスは疑問を感じた。
レイチェルの口ぶりだと、Bランク以上の異界迷宮を、経験しているかのようだ。
「異界迷宮の性格を把握するのも大切です。そうすれば傾向がわかりますから」
◇
異界迷宮内は、時間の流れ方が外とは違う。
時計も当てにはならない。
空腹を感じてきたところで、レイチェルが食事にしよう、と言って休憩を取っている。
「今日はここまでにしましょう。ここで睡眠を取ります」
レイチェルが言った。
異界迷宮内での、二回目の食事の後である。
「二人とも、睡眠態勢は取れますね」
おう、とルイン。
はいっ、とカルス。
二人は、座ったまま膝を抱えて、丸くなった。
目を閉じ、すう~はあ、すう~はあ、と深呼吸を繰り返す。
カルスの体から、赤い光が滲み出した。
ついでルインの体からも、同じように赤光が滲み出す。
すぐに、二人の寝息が聞こえてきた。
これも、レイチェルオリジナルの魔力の使用方法である。
魔力の膜で、体を覆って眠る。
これにより、外部との感覚を遮断でき、どのような環境でも、深い眠りにつくことができる。
さらに、疲労の回復にも大きな効果がある。
この状態でも、レイチェルは魔力の網を張り巡らせ、敵が近づいたら即座に目を覚ますことができるが、弟子たちにそこまでは無理である。
彼らが、冒険者としてひとり立ちしたら、互いが見張り役を務めるか、パーティを組む必要があるだろう。
その時を想像し、レイチェルは急に寂しくなった。
座ったまま膝を抱えて眠る二人の顔を、いつまでも眺め続けた。
◇◇◇
翌日もルインとカルスは、現れる魔物たちを次々と撃破しながら、異界迷宮を進んだ。
奥の方へ潜っているためか、敵との遭遇頻度は、昨日よりも高くなっていた。
酷い時だと、敵を倒した、と思ったら、次がもう姿を見せている。
それでも二人は、大きな疲労を感じることなく、進むことができた。
精神状態が安定しているというのが、大きい。
ルインは、異界迷宮に来た当初に調子に乗り、それを戒めるという過程を経たことにより、通常のトレーニングのような気持ちでいられた。
カルスは、レイチェルが魔法を使って自分たちを強化している、と誤解しており、そのおかげで警戒しながらも、緊張しすぎずにいられた。
なによりも、レイチェルが後ろにいることが、二人にとって大きかった。
しかも、なぜかレイチェルは昨日と違って、足音を響かせているので、心強かった。疲労はないか、不安はないか、などと声も頻繁にかけてくる。
宝箱もたくさん見つけた。
罠もあったが、レイチェルから教わった見分け方のおかげで、開けずに済んだ。
手に入れた物は、レイチェルが『道具箱』に放り込んでいく。
せっかくだから、ギルドでの鑑定を経験させるつもりだった。
アイテムの鑑定だけなら、ギルドに登録していなくても可能である。
同様に、魔物の死体もレイチェルは『道具箱』に、放り込んでおいた。
普段のレイチェルは、面倒くさくて、よほど貴重な魔物でなくては捨てているのだが、今回は弟子たちの戦果を片端から拾った。
昼食を取ってから、しばらく経った頃、ガシャンガシャンという音を響かせて、通路の先からやってくるものがあった。
見えるのは人影。だが、大きい。
「なんだ。ほかの冒険者かな」とルイン。
「いや、魔物だよ。モンスターメイル。鎧型の魔物」とカルス。
「鎧型? それじゃあ、剣が通じねえじゃんか」
「隙間を攻撃するしかないかな」
やがて、モンスターメイルが、二人の側にやってきた。
二メートル以上ある白銀の甲冑。
兜から生えた房飾りだけが赤い。右手には剣。左手には盾。
「とにかく、やってみるか」
言って、ルインがモンスターメイルに向かっていった。
カルスは、剣を構えたまま動かない。
いつの間にか、初見の相手ではこうすることが、二人での暗黙の了解となっていた。
ルインの攻撃の効果を見て、カルスが攻略法を考える。
ルインは、一気にモンスターメイルの懐に飛び込むと、右手の関節部を斬った。
僅かな隙間を狙ってのことだ。
ガチッと金属を叩いた感触。
剣が跳ね返される。
ルインを殴ろうと、盾が迫る。
それをバックステップでかわした。
続く斬撃を、剣で受ける。
大きく態勢が崩れた。
すかさず、カルスがフォローに入った。
一度、距離を取る。
「どうする?」
「剣が通りそうな場所はないよ」
「じゃあ、勝てないじゃん」
「でも、無力化はできるかも。転ばそう」
今度は、カルスが仕掛けた。
モンスターメイルの攻撃を誘い、剣を振り下ろした隙に、背後に回り込む。
モンスターメイルが、大きく腰をひねって、振り向きながらの斬撃。
ルインは、その瞬間を逃さなかった。
体ごと、モンスターメイルにぶつかった。
モンスターメイルが、グラリと大きく揺れて、姿勢を崩す。
そのまま横倒しになった。
「よしっ」
ルインがガッツポーズを取る。
カルスは気を抜かず、モンスターメイルを観察した。
仰向けになった魔物は、手足をばたつかせるが、自重があまりにも重く、起き上がれない。
剣と盾を手放せば、もう少しどうにかなりそうだが、それをせずにもがくので、どれだけ時間があっても、起き上がることはできそうもない。
「正解です。良く気が付きました」
やってきたレイチェルが、言った。
「どうして剣と盾を離さないってわかったんだ?」
「剣はわからなかったけどね。盾は君を殴ろうとしたときに可動範囲がすごく狭かったんだ。固定されてるんだなって。こういう魔物なんですか?」
「はい。モンスターメイルは剣と盾が手に固定されています。なので、転ばせるのがもっとも効率の良い倒し方です。そのうちに消耗して、動かなくなりますから、兜に剣をねじ込んで倒すと良いです」
剣の通じない相手は、モンスターメイルだけではなかった。
もうそろそろ夕食時、という頃である。
宝箱を開けて、その中に入っていた本に、目を輝かせるカルス。
ベチャリと、箱を覆うように、何か緑色のものが降ってきた。
ベチャベチャとした泥のような。
緑色をしていて半透明。中の方にキラキラとした球体がある。
「スライムだ。スライムだろ、こいつ」
ルインが言いながら、カルスをかばって割って入る。
「ルイン、剣は効かない。一度離れよう」
「マジか。どうする」
離れながらルイン。
スライムが、ズルズルと寄ってくる。
動きはとても遅い。
逃げることは簡単そうだ。
「スライムゼリーは美味しいらしいぜ」
「そんな風に言われてるね」
「あの中にある玉が弱点じゃねえの?」
「たぶんね。でも、剣が届くかな。スライムは肉を溶かすっていうけど」
「とにかく、やってみようぜ」
言って、ルインが地に広がったスライムに近づいた。
スライムが、ビヨーン、と体を伸ばした。移動と違って速い。
だが、ルインはそれを軽くかわした。
そのままさらに接近。
スライムの体に、剣を突き入れた。
剣は、やすやすと中に入った。
が、途中で動かなくなった。
スライムが、剣をつたって、ルインの手に体を伸ばす。
「この。放せっての」
剣を引っ張るルイン。
剣は、まるで動かない。
「ルイン、手を放せ」
カルスが叫んだ。
ルインが手を放して、後ろに尻餅をついた。
スライムは、また、ゆっくりとした動きで、剣を飲み込んでいった。
「ちくしょう、俺の剣。せっかく師匠がくれたのに」
「大丈夫。グリーンスライムは金属は溶かせないよ。それより、作戦を思いついた」
カルスは、素早くルインに作戦を伝えた。
「さすが、頼りになるぜ、相棒」
言って、カルスがルインの背を叩いた。
二人は、スライムを挟んで、壁の端と端に立った。
スライムが、ルインとカルス、両方を餌食にしようと、体を大きく広げていく。
おかげで、スライムの体の面積が大きくなった。
代わりに、体の厚みが薄くなった。
今だ。
カルスが動いた。
一気に接近して、中央にある球を剣で斬りつけた。
薄く引き伸ばされたスライムの体は、剣を受け止めきれない。
カルスの剣は、球を切断した。
緑色の液体が、スライムの体から漏れていく。
スライムの体から色が抜けて、透明になっていく。
「うまくいったな」
ルインが、満面の笑顔。
「だけど、これ、どうやって食べるんだ?」
「洗えば生でも食べられます。砂糖や果汁をかけると美味しいです」
いつの間にか、レイチェルが側にきていた。
「夕食のデザートにしましょう」
言って、宝箱の部屋に小さな敷物を広げる。
いつもは野宿でも、『道具箱』に入れてあるテーブルセットを出して、食事をとる彼女だったが、今回は弟子たちに経験を積ませるために、自重している。
食事も、できたての料理を『道具箱』から取り出すのではなく、干し肉や乾燥パンなどを中心にしている。
レイチェルは、まずバケツを出した。
そこに魔法で水を注ぐ。
次に、スライムを適量切り出して、その中で洗う。
一回水を変えて、もう一度洗い、完了。
大皿に乗せて、そこで一口サイズに切り分ける。最後に砂糖をまぶした。
恒例の干し肉と乾燥パンを出す。
質素な食事だが、冒険者の食事は、携帯食と現地調達が基本である。
血抜きなどの下処理の手間がかからず、食べられる魔物は、限られている。スライムのような簡単に食べられる魔物は、積極的に食べていった方が良いだろう。
「プニプニしてて美味いな」と、さっそくスライムをパクリとやったルイン。
「塩味にしても美味しいです。一番美味しいのはブラックスライムですが、Aランクですから、君たちが食べるのはまだ先ですね」
レイチェルが言った。
カルスは、やっぱり、と確信を持った。
「師匠はAランクの異界迷宮に潜ったことがあるんですね」
レイチェルが、キョトンとする。無防備な可愛らしい表情である。
それに、ルインが半口のまま見とれる。
「はい、あります」
レイチェルとしては、あまりにも当たり前の質問だった。一瞬、意図を理解しかねたのだ。
「すごい。さすがです」と、顔を紅潮させてカルス。
「なあ、ルイン。Aランクだよ。Aランクの異界迷宮にも行ったことがあるんだってさ」
「お、おお。さすが師匠だな」
ルインが、ようやく我に返って言った。
「それで、どうでした? Aランクはやっぱりこんなものじゃないんですよね」
「基本的には似たようなものです。ランクよりも発生場所と性格の方が大きな違いになります。もちろん、魔物も罠も危険度は比べ物になりません。即死の罠ばかりです」
「師匠は死んだことがあるんですか?」
その質問に、レイチェルは答えなかった。秘密です、といわくありげに笑ってはぐらかす。
その仕草は妙に色っぽく、今度はカルスがドキドキとしてしまった。