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吸血鬼の眠る夜  作者: 華夜
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鬱蒼とした山でも、人の通ったと思われる踏みしめられた道が確かに存在した。山菜などの山の幸を採りに行くこともあると村人が言っていたので、その為のものかもしれない。

「教えて頂きたいことがあります」

「なんだ?」

銃器を背負っているとは思えない身軽さで後を続くリア大尉の声音は、その足取りとは逆にとても重い。

「最初の犠牲者は、吸血鬼によるものですか?」

「そうだ。三人目の犠牲者が出た翌日、憲兵が呼ばれたと書かれていたな。その三人目は本当は村人か村人が呼んだシャスールだったのではないかと思っている。吸血鬼に村人か否かの区別などつくはずがないからな。シャスールだったと仮定しよう。先の二人を見て、吸血鬼の仕業であることは明白だ。退治の為のシャスールを呼んでいてもおかしくないし、山の道案内もするだろう。その中でシャスールが襲われた。襲われた姿を見て、村人達は必死に命乞いをしただろう。必ずここへ人を寄越すから、自分達は助けてくれと。その言質として寄生種にさせられた可能性もある」

「確かに通りますね」

「短い滞在で気付かなかったが、村人と吸血鬼の間には目印があったかもしれない。何か身につけているもので村人か否かを判断できるようなものを」

「それを身につけていれば襲われないような…」

「それでなければ、山になんて入るはずがない」

「では、牙の間隔が等しかった理由は?」

診療所の記録によれば遺体全てに等間隔の牙の跡があり、それが同一の吸血鬼の仕業だという結論へ導いていた。

「吸血鬼がわざわざ血を吸い取って村人に与えてやるなんてことはしないだろう。金型等で似た歯型を作ったのではないか。医師も牙の深さまでは計測していなかった。金型を当てた状態で注射器で吸い取るという手もある」

「…相当時間がかかるのでは?」

「かかるな。多少無駄にしてもいいと考えるなら、その金型の先に太い針を仕込んでおいて、吹き出す血をバケツなどに溜めるということも考えられる」

「寄生種に牙はないのですか?」

「強い者の血を与えられれば、牙も出てくる。親によるんだよ。この山の吸血鬼が強ければ、その力を与えられた寄生種も強くなる」

「その牙を使えば、金型は必要ないのでは?」

「そうなると、等間隔であることと矛盾が出る。あの最年長のおばあさんですら産まれていない頃だからな」

一つ目の山の八合目ほどまで来ていた。今夜はこの辺りで野宿が妥当だろう。見通しがいい開けた場所を選び、火を用意する。

「初めの四人の様子を見て、他の村人もとなったということですか?」

「その可能性が高い。もしくは、あのおばあさんこそが最初の赤子だったのかもしれない。長老の一人の家で見せられたということは、少なくとも長老達は知っていたはずだからな。自分達は怖くてできないが、物事を分かっていない赤子なら簡単だっただろう」

「吸血鬼がそんな取引をしますか?」

「するだろうな。もともとの縄張りを追われてきたとすると、無傷ではいられない。力の源となる血がどうしても必要だ。吸血鬼自身にはなんの危険もない取引だからこそ、成立したものとも考えられる」

「村人が吸血鬼を守ってきたということですか」

「自覚はないだろうが、そういうことだな」

吸血鬼がいると思われるのは、この山の更に二つ山を越えた先。医師に見せてもらった地図では、そこが最も住処にするには適した場所だった。

「吸血鬼は一体の可能性が高い、ということでよろしいですか」

「そうだな」

「純血種もしくは混血の」

「そうだ」

「…応援が欲しいですね」

自分達の役目は吸血鬼を追い払うことではない。何としても必ず仕留めることだ。

「キースを呼ぶわけにもいかないしな。仕方がない」

研究所にいる護衛を浮かべるが、彼はあの場を離れることは許されない。

「とりあえず、食事を取ったら交代で寝ることにしよう。夜のうちに動くことは危険だ」

「承知しました」

周囲に強い気配はないので、様子を見に来ていることもなさそうだ。長い旅になるのだから休める時に休もうと、手早く食事を済ませて寝袋を広げた。

満月まではあと十日。

そのタイミングでは会いたくないなと思いながら、弱くなってきた焚き火の中に薪を放り込んだ。




奥に進めば進むほどに険しくなる地形に苦戦して、満月を過ぎても二つ目の山を下り始めたもののその中腹から先に進めずにいた。

「…また行き止まりか。他の道を探そう」

吸血鬼ならば軽く跳べるであろう渓谷も、ただの人には通れる場所ではない。地図とコンパスを見比べながら、この場所が国境付近であることを危惧する。この山脈を越えた国境には軍が配備されているが、その背後に聳えるこの山々には人の入った気配がない。この一件が終わったら調査を依頼した方がいいだろうと考えながら、目の前の渓谷を地図に書き込んだ。

「このまま下流へ行ってみるか」

「承知しました」

吸血鬼が山を通ったと思われる痕跡は見つけることができたので、この山の更に奥に棲んでいることは間違いない。

「見つかっていないと思いますか?」

「さぁ、どうだろうな。見つけても放っておいているとも考えられる」

「何の為に?」

「まだお腹いっぱいなのか、こちらの動きを探っているのか」

「いずれにせよ、お腹が減ったら向こうから来る可能性もあるということですね?」

「そうだな」

「それなら、待つという選択肢は?」

「待ってもいいが、村人が新たな生贄を差し出したら満腹になってしまう」

「我々がいてもですか?」

「そうだ」

「…つまり、村人は生贄を山に放っただけではないと?」

「真相は分からない。だが、可能性は高いだろう。シャスールや財宝狙いの盗人なんかより村人の方が山道には精通しているんだ。先回りして捕まえて、猿轡を噛ませてどこかの木に括り付けておいたら終わりだ。あとは夜に吸血鬼が好きにするだろう」

「…なんて残忍な…」

「戻ったら、行方不明になっているシャスールがいないか確認をしなければいけないな」

「そうですね。少なくとも、A級に関してはそのような話は聞いていません」

「そうか」

シャスールが吸血鬼討伐を目的として動く場合は、必ず近隣の司令部に報告を入れてから動くことになっている。

「どこかで握りつぶされているか」

「北はミール中将の管轄です」

「ミール…ミール…」

最近、どこかで聞いた名前だ。

「北のミール中将……あっ!」

「何かありましたか?」

「准将に姪を差し出した奴だ」

「…差し出した…」

冷ややかな空気に、反射的に両手を挙げる。

「いや、悪い。言い方が悪すぎた」

「そうですね」

「准将の結婚相手にと姪を紹介したんだ。姉さんが行く直前くらいまで食事を共にしたこともあったはず」

「そうですか。それが有利に働くといいのですが」

姉が受けた感触としては、もう終わっているようにも感じたようだった。

「いずれにせよ…っ……下がれ!」


大尉を突き飛ばすようにしてその場から飛び退くと、耳を劈く轟音と共に、地面が大きく窪んだ。


「おやおや、避けられてしまった」

深く空いた穴から姿を現したのは、一人の細身の男。

「なかなか来ないから、こちらから出向いてきてしまったよ。私の縄張りに足を踏み入れたのだ。覚悟はできているだろうな」

にんまりと笑うその口には明らかな牙。

「お前は純血種か?」

「他の選択肢があると?」

「あるいは、混血か」

「なんということを言うのか。穢らわしい人間の血など一滴たりとも入っていない。正真正銘の純血種だ」

「そうか」

芝居染みた返答に、堪え切れず笑みが浮かんだのが自分でも分かった。

「ならば、遠慮はいらないな」

「なんだと?」

持っていた荷物を上空に向かって放り投げれば、一瞬だけ相手に隙が出来た。瞬間でもそれだけあれば、時間は十分だ。

穴に向かって銃弾が立て続けに撃ち込まれ、敵が退く。

「援護に徹しろ。危険な場合は退け」

「アイ・サー」

両手に拳銃を構えた大尉は、弾がなくなると足元に転がしたライフルに持ち替えて再び連射する。

じりじりと後退した敵は、反撃はしてこないでこちらの正体を探っている様子。

「──余裕だな」

真正面に移動して剣を薙げば、敵の服だけが裂けた。

「ちっ」

舌打ちを一つ、こちらに背を向けて木々の生い茂る中へ飛び込んだ。

「このまま追い込む」

「了解」

移動する度に、予め戦いやすい場所を見定めてそこへ追い込むと決めていた。敵が遠くなりすぎないように距離を考慮しながら追いかける。

村人に牙がなかったことから、純血種の中でもその強さは上位ではないだろう。あるいは、まだ縄張りを追われた時の傷が癒えていないのか。どちらにせよ、潰さなければいけないことに変わりはない。

「そこまでだ」

先回りして奴の正面に立てば、足が止まった。


「たかが人間が、我々に勝てるとでも?」


地を這う昏い声に、森が震える。

それこそが、この辺り一帯が奴の領域なのだと知らせてくれた。

敵が両手を一閃させれば、長く伸びた爪が黒々と艶やかな光を放つ。

「身の程を思い知れ!」

吊り上がった目が真紅に染まり、牙の鋭さも増したよう。真っ直ぐにこちらへ向けられた爪を両手の剣で受け止めれば、奴の顔が歪んだ。──当然だ。

「人間だって学習するんだよ」

一般的な鉄剣では吸血鬼の爪には勝てない。長年の研究により強度を只管上げることのみを重視して作られた、吸血鬼討伐専用の剣なのだ。力を込めて押し返し、敵が体勢を崩した瞬間を狙って剣を振れば、僅かながら肉を断つ感触があった。

「…っ…」

餌でしかない人間に傷をつけられたことに怒りと屈辱を覚えたのか目の赤がより一層濃くなる。

「許さんぞ」

重く昏い空気がより密度を増して襲ってきた。遠くで一斉に鳥が羽ばたいた音がする。

ぐっと腹に力を込めて剣を構え直した瞬間、先程までとは全く違うスピードで吸血鬼が飛び込んできた。

「くっ…」

なんとか受け止めたが、足が後ろへ滑る。じりじりと力で押され、背中を強く木に押し付けられた。

「人間如きが」

爪が頰に触れる。──瞬間、一発の銃声と共に敵が飛び退いた。

「もう一匹いたな」

大尉が追いついたようだが、弾が飛んできた方向を見ても木々が生い茂るばかりで姿を見つけることはできない。うまく隠れられていることに安堵して、忌々しげに口元を歪めた敵と再び対峙する。爪の長さを僅かに短くした敵は、どうやら肉弾戦を選択したようだ。二人の距離が近くなれば近いほど、銃で狙うことは難しいと判断したのか。今度はこちらから敵の懐に飛び込み、爪を剣で封じ込めた。その瞬間にまた銃弾が放たれ、正確に敵の左肩を撃ち抜く。

「ちっ…」

吸血鬼の治癒能力は高く、心臓を抉らない限り傷の一つや二つは意味がない。血が流れれば多少は能力が落ちるが、逆に本能のままに力を振るう化け物と化す為、その見極めも必要だった。

幾度も剣と爪をぶつけ合い、ただひたすらに隙を探す。剣戟に巻き込まれた木が何本か折れて倒れ足場が悪くなっても、両者の力は拮抗したまま時間だけが経過していく。

今夜の月は下弦。

ここで倒しておかなければ、奴が人を襲って力を蓄える時間を与えてしまいかねなかった。


──だがしかし、その均衡が破れる瞬間は唐突に現れた。


銃弾を避けようと上体を逸らした吸血鬼の動きを更に読んでいたように、次の銃弾が爪を狙って放たれていた。折れた三本の爪が宙を舞うのを奴が目で追った隙に心臓を目掛けて剣を一閃させる。

一つだけ誤算だったのは、その爪が己の顔を目掛けて飛んできたこと。

まずいと咄嗟に避けたが、頰に鋭い痛みが走った。

「…っ…」

指を滑らせて確認すれば、確かに赤い血が流れていた。



「…お前、何者だ?」



何か得体の知れないものでも見るように吸血鬼がこちらを見るから、場にそぐわず笑ってしまう。

「何に見える?」

「人間だ。だが、その血のにおいは…」

「なんだ?」

さすがは純血種。鼻が効くらしい。

「王の血のにおいだ」

「……王?」

思いがけない返答に、今度はこちらが眉を顰める番だった。

「王の血だが、だがしかし、人間からそのにおいがするはずが……あぁ、そうか」

楽しげに、またにんまりと口元を緩める。嫌な笑い方だ。

「王が人形を作るのに成功したという噂があったな」

「人形?」

「そう。聞いたのは十年ほど前だったか。王自ら血を与え、人形を作ったと。ほとんどの人形が与えられた血に勝てずに滅んでいく中で、二十年ほど前に作った人形一体だけが生き残っているようだと聞いたことがある。──お前がそうか?」

こちらが聞きたいほどだったが、奴はどうやら確信している様子。においで断定できるほど、その血は濃く特徴的であるらしい。

「その王に、お前は会ったことがあるのか?」

「ある。ここに来る前の縄張りを奪ったのが、王だ」

「王が縄張りを奪う?」

「そうだ。おいたが過ぎたと言っていたな」

「そうか」

王が、この身に巣食う血の持ち主かとひとりごちる。

「そうか。王の血を持つ寄生種か。強いわけだな」

奴の足元からだんだん土が黒く染まっていく。

「瘴気か!大尉、撤退しろ!」

「遅い」

周囲の木々も瞬間に枯れ果て、地に倒れ臥す。切り開かれる森の中で、どさっと重量のあるものが落ちた音がした。

「あんなところに隠れていたのか」

「…っ…」

早く奴を倒さねば、大尉の命が危ない。

吸血鬼は己のエネルギーの全てを毒に変えることができる能力を持つ。エネルギーが尽きるか、心臓を抉られなければ止まらない為、命と引き換えになる危険な能力だった。

「さぁ、始めよう。お前を殺して王の血を手に入れれば、ここで使ったエネルギーなどすぐに回復する。王への復讐も果たせる!」

爛々と輝く真紅はすでに吸血鬼としての本能に飲み込まれており、口は裂け、長くなった牙を剥き出しにして笑う姿は獣でしかない。

穢らわしいと心の底から嫌悪する。

こんな獣の血が己に混じっているというだけでこの身を切り刻みたい。

「──ephialtes(エフィアルティス)、参る」

体に入り込む瘴気を浄化し、そして目の前の獣を討ち取る為に箍を一つ外した。リスクはあるが、対策は取っている。


獣に向かって地を蹴った瞬間に脳裏に浮かんだのは、上司であるあの男だった。

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