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すでに人集りが出来ていたが、その中に大尉はいなかった。少年が人をかき分けて先導してくれる。
「ほら、あの人!」
「……っ…」
俯せの姿勢で、背中には金髪が広がっていた。
走ったせいで上がる息を深呼吸一つで落ち着かせ、ゆっくりと近付いた。
服が違う。
金髪の色味も違う。
似ているのは背格好だけ。
脇腹に手を差し入れて力を込めて仰向けの姿勢に変えて、そこでようやく息を吐き出すことができた。
「…姉さんじゃない」
後ろで固唾を飲んで見ていた少年と、到着したばかりの老医師に聞こえるように告げれば、安堵の空気が広がった。
「では、ご遺体を見させてもらおうかね」
「手伝います」
脈や瞳孔の様子を見て、改めて亡くなっていることを確認する。
詳しいことは診療所でと言う医師に、手慣れた様子で男性が数人で遺体をシーツに包んで運んでいった。
「お姉さんじゃなくて良かったね」
「あぁ、ありがとうな」
案内してくれた少年の頭を撫でれば、嬉しそうに笑む姿がとても可愛い。
「それにしても、よく分かったな。女性だって」
「うん。だってね…」
そこで少年が教えてくれた答えから、否が応でも一つの結論が導き出されてしまった。
少年と別れて診療所へ向かって歩きながら、情報を整理していく。当てはまることが多すぎて、恐らく先程の結論を覆すことはできない。大尉が姿を見せずにどこに行っているのかも分かった気がして、思わず天を仰いだ。
自分の出した答えとは似ても似つかない真っ青な空が、そこには広がっていた。
宿に戻って夕食を食べて、話が長くなることは分かっていたので寝支度を済ませて、そしてようやく向かい合う。
「さて、どちらから話すかな」
「お先にどうぞ。恐らく、私の情報は補足でしかないと思います」
「どこに行っていたんだ?」
「山の麓に行った後、詰所に忍び込んでおりました」
「そうか。じゃあ、結論からいくかな」
部屋の周囲の気配を探り、誰もいないことを確認してから一つ息を吐いて気持ちを落ち着ける。
「この村の住人は全員、寄生種だ」
「……全員ですか?」
「例外はあの医師と憲兵だけだな」
「子供もですか?」
「そうだ」
揺るがぬ事実だとはっきり告げれば、察していても一縷の望みを抱いていたのであろう彼女は、肩を落とした。
“吸血鬼”と人間が呼ぶ存在は二種類に分けられる──生まれながら吸血鬼の血を体内に持つ純血種と呼ばれるものと、純血種にその血を与えられた故に人間が吸血鬼紛いのものに変質してしまう寄生種とに。
寄生種に変わってしまっても人間として生きる者がほとんどで、きっかけがない限り彼らは生涯血を得ずとも生きていくことが可能だった。血の濃い吸血鬼の血を受け入れさせられた場合はその限りではないが、純潔度の強い吸血鬼の血はそれ自体が持つ力も強く、人間の方が耐えきれないことがほとんど。吸血鬼独特の体臭もなく吸血の際に牙が現れるような人間は、物語の中の想像のものでしかない。
吸血鬼自体が人間と同じ見た目の為、すれ違った相手が人間か吸血鬼かを判別する術さえ、嗅覚の鋭い吸血鬼と違い人間は持っていなかった。
「医師に確認したが、住人達はほとんど診療所を利用することがない。擦り傷も骨折も、普通の人間の半分以下の期間で治してしまうそうだ。しかも痕も残らない。恐らく、住人は吸血鬼の治癒能力を利用する為に子供も寄生種にさせていると考えられる」
「…そうですか」
彼女は大きく息を吐き出す。
「君は何を見た?」
「住人が三人、山から下りてくるところを。その時に何かシートに包んだものを持っており、山から少し離れるとそのシートの中の金髪の方の遺体を俯せに放置したのです。そして去っていきました」
「男女、どちらに見えた?」
「判別はつきませんでした。俯せでしたし、金色の長い髪というだけでは、男女どちらの可能性もあります」
「そうだよな。だが、住人達はその遺体は女性だと知っていた。知らせに来てくれた子供に聞いたら、第一発見者がそう言ったと。医師が来るまでは触れてはならないと言われているそうだが、第一発見者はいつも男女どちらか分かっているそうだ」
「それは…」
「住人の様子を見る限り、彼等は自分が寄生種になっていることに気付いていないのだろう。生きる糧になる血は、本人達が知らぬ間に摂取させられている可能性が高い」
「そんなことが可能ですか?」
「彼等はその力を使って何かをしているわけじゃない。生きるだけなら、飢えない程度で十分だ。そうだな…、テキーラをワンショット、あの位で一ヶ月過ごすには十分だろう」
「それが事実だとした場合、山にいる吸血鬼を倒したら住人達はどうなるのですか?」
「どちらの血が勝っているかによる。人としての血が強ければ、体内で浄化され、緩やかになっていた成長の流れが進むだけ」
「…吸血鬼が勝っていた場合は、他の寄生種と同じことになるのですか?」
「そうだな」
「…そうですか」
リア大尉は大きく大きく深呼吸を繰り返した。
「…詰所で、日記を見つけました。日誌とは別に、代々の憲兵に引き継がれているもののようでした。そこには、憲兵が上への報告を行わなくなった経緯が書かれていました。三人目の犠牲者が出た翌日、事件だと呼ばれて長老の一人の家へ行ったそうです。そこにいた四人の男達が各々自分の腕を切りつけ、その傷が驚異的な速さで再生する姿を見せられたと。憲兵はすぐに吸血鬼だと気付いたのですが、四人の男が相手では多勢に無勢。その場で、吸血鬼にさせられたくなければ今後なにが起ころうとも上へ報告しないこと、同じことを代々の憲兵に申し送りすること、この村を出ても口外しないことを誓約させられたそうです」
「そうか」
「日誌には書けない、被害者達の情報も書かれておりましたが、恐らく、外部との接触も制限されていたのでしょう。分かることは少なかったようです」
憲兵達の無念の声を聞いたのか、彼女の顔色は冴えない。
「どうして、子供達もと思われましたか?」
「異常に足が速かった。医師を呼びに来た子供から金髪の女性が被害者だと聞いて、大尉かと思ったんだ。その子供が案内してくれたんだが、あれは子供の速さじゃない。途中で擦れ違った他の村人が状況を聞いて医師を迎えに行ってくれたが、医師が到着したのも速かった。医師に聞いたところによると、産まれた赤子はすぐに長老の家に一晩、預けられるそうだ。恐らく、そこで寄生種にさせられるのだろう」
「なんて残酷な…」
赤子の頃に吸血鬼の血に染まってしまっていたなら、助かる可能性は限りなく低い。
「──明朝、ここを発つ」
「御意」
村人に吸血鬼の気配がない以上、山に住む吸血鬼は純血種か混血の可能性が高い。山という地形、そして大尉の補佐があるとはいえシャスールは自分一人という圧倒的に不利な状況に、浮かぶのは上司のあの男。
エスタシオンを出発して、明日でちょうど一月。こまめに連絡をすると約束したのに反故にしてしまう自分に、いまごろ彼は呆れ果てているだろう。
自分が生きて帰れないと、彼は姉に逢えなくなるのだ。帰れなかったらごめん、と心の中で先に謝っておく。
帰れないかもしれないと予感したのは、初めてだった。