EPISODE5 不穏
図書館の中へ入っていくと、迷宮のように入り組んだ階段、壁一面中に敷き詰められている本の山々、中央のテーブルには本を広げて眠っている者もいるが、大半は静かに自分が探し当てた本を読んでいる。
「この蔵書量は……」
「驚いた?」
「はい、とても。きっとドクターが居たら喜んでいたと思います」
「それは良かった。それで、どんな本を見たいの?」
「この国の歴史について書いてある本を。私が眠っている間、何があったのか知りたいのです」
「それなら歴史のコーナーに行きましょう」
アイリスの後を追うように、ナナは階段を上ったり下ったりする。これほどまでに複雑怪奇な造りになったのは過去の増改築が原因らしい。
そして、子供向けの本から大人が読むようなハードカバーの本が置かれている本棚にたどり着く。どれも歴史や伝承について書かれているものであり、これらを読むだけで何日かかるか分からないほどだ。ナナはその中から1冊の本を取り、ペラペラとめくる。
(やはりあの戦争に関する記述はなし。ですが……)
その歴史書から、何もなくなった地上で原始的な生活を送る人々の様子、魔法というブレイクスルーを引き起こしてからの繁栄の様子、徐々にだが近代の生活へと移り変わっていく人々の歴史が伺える。当然だが、その間にも大なり小なりの戦争の歴史もある。
「ナナ……」
「どうかしましたか、マスター?」
「なんだか悲しそうな顔をしたから、つい……」
「私がですか…………そうかもしれません。人類の半数を失う戦争をしても、それを忘れて争い続ける。兵器である私が言うのもおかしいですが」
「そんなことないと思う……見ず知らずの私を助けたように、ナナは誰かを救うことができると思う」
「……そうですね。ドクターもきっと……」
「辛気臭い話はここまで。少し遅くなったけど、ご飯食べに行こうか」
「そうしましょう」
「あっ、でも、ナナって食べられないんだっけ?」
「いえ、エネルギー補給方法の一つとして食べる機能はあります。私の知っているZタイプのマシンドールはエネルギー消費が激しい分、よく食べていました」
「じゃあ、今日から一緒に食べよう。毎日2人分食べていたら私、太っちゃう」
「エネルギー管理は重要です。それでは、今後は食事をとらせてもらいます」
図書館を出た二人は少し離れたおしゃれなカフェテラスに入る。たまたま、近くにいた高そうなドレスを纏った貴族風の人たちがひそひそと話をしている。蔑むような言葉ばかりで、聞こえないと思われているのだろうが、ナナの耳にはばっちりと届いている。
コーヒーが届いたところで、ナナはアイリスに話しかける。
「魔法が使えないだけで、一国の姫にここまで言われるものなのでしょうか?」
「何が聞こえたかは知らないけど、大体の内容は察しつくわ。この国に住む人たちは出せるのがマッチの火程度の魔法だろうと、何かしらは使えるわ。使えない人間なんて、ましてやそれが王女ならそれだけで侮られる存在よ」
「ですが、魔石もあります。魔法が使えなくても……」
「だとしても、彼らは認めない。だからこそ、私はみんなに認められたい。魔法が使えなくても、空を飛べるんだって。きっとそうすれば、争うことなく皆と仲良くできると思うから」
(仮に空を飛べたとしても、彼らは認めない。それはマスターもわかっているはず。それでも、マスターは……)
ナナが話そうと口を開けた時、「ひったくりよ――!」とお婆さんの叫び声が聞こえる。ひったくり犯は魔法でも使っているのか、「どけどけ」と言いながら土埃を舞い上げるほどの速さでみるみる内にその姿を小さくしていく。
「目標を視認しました。マスター、今ならあの男を追跡できます」
「それなら、行ってあげて」
「承知しました。料理が来るまでに片を付けます」
ナナが木箱やベランダに飛び移りながら、屋根の上に昇っていき、ひったくり犯が逃げた方へと走っていく。ひったくり犯がいかに早くても、群衆の中を走らなければならない以上、ある程度は遅くならざるを得ない。それに対し、邪魔者が無いナナはそんな制約など無視し、トップスピードで走ることができる。
「よし、ここまで逃げれば追手も振り切っただろう」
ひったくり犯がごそごそとバッグの中を探るのを、ナナは屋根の上から見下ろす。まさか屋根の上に追手がいるなどみじんも思っていないようだ。
「目標を確認。これより捕獲行動に移ります。固定武装、ロケットパンチ!」
ナナの左腕がひったくり犯の後頭部に向けて放たれる。攻撃を受けた衝撃で、持っていた財布を手放し、そこら中にお金がばらまかれる。
「一体どこから……」
「ここです。内臓武装、Gアンカー射出!」
フック付きのチェーンが立ち上がったばかりのひったくり犯の身体に巻き付けられ、身動きを封じていく。そして、抵抗しようにも解くことができない男の様子を見てから、チェーンを切り離し左腕を再び付け直す。
「ドクターたちの趣味でつけられた武装ですが、役に立ちますね。Gアンカーが連射が効かず、ナノマシンによる自己修復待ちなのは痛いですが」
「て、てめぇは何者だ!つーか、なんでメイドがこんなところにいるんだ!」
「……そうですね、あなたにはこう答えましょう。私の名はセブンスセブン。メイドらしくお掃除しに来ました」
「意味が……わかんねぇ……」
散らばった貨幣を拾い集めた後、米俵かのように項垂れているひったくり犯の男を担ぎ、事件現場付近の通りへと出ていく。どうやら、被害者のお婆さんが警察を呼んだらしく、青年たちに事情を話しているようだ。
「あれよ。ああいう顔つきの人が私のバッグを……ええええ!?」
「たまたま通りかかったので、ひったくり犯を捕まえました」
「たまたまじゃねぇだろうが!」
捕まえられた男がツッコミを入れ、捕まえてもらったはずのお婆さんや警察官が唖然としている中々、おかしな状況に陥っている。そんな中、警官が職務を思い出したかのように話しかける。
「そ、捜査のご協力……感謝する」
「私はマスターとの食事があるので、失礼します」
「待って。礼をしないと……」
「いえ、必要ありません。それでは」
何も受け取らなかったナナは野次馬の中へと消えていく。そして、アイリスの下へと戻るとちょうど頼んでいた食事が出てきたところだった。
騎士団に妹の見張りをつけていたアルフレッドは今日の報告を少しイラついているような態度で聞いていた。
「なるほど。ご苦労だった。ヴェスパー以外下がって良いぞ」
敬礼をして、事情も知らずに見張りの任務をつけていた騎士団員を下がらせる。そして、部屋にはヴェスパーとアルフレッドのみとなった。
「妹の暗殺、しくじったようだな」
「申し訳ございません」
「困るんだよ。私の国に魔法が使えぬ人間がいるのは。それとも、手心をかけたのかね?」
「い、いえ……そんなことは…………」
「あれは邪魔な枝だ。ならば、剪定しなければならない。君もそう思うだろう?」
「そ、その通りで……」
「まあいい。妹の恩人……ナナだったか。あの方への土産話くらいにはなるだろう。あと、明日は大森林で彼女の正式採用の試験をするらしい。いくら妹でも、あそこまでは行かないだろう。意味は分かるね」
「(こっちには使える駒が無いんだぞ)……も、もちろんでございます」
「君の働きに期待しているよ」
ヴェスパーの焦りなど知らず、アルフレッドは彼を下がらせ、自分の支配するこの国を見下ろしながら笑い続ける。