第2話 僕は御神木桜で幼狐に出会う
どうやら僕には才能というものが無かったようだ。
何年も修行をしても、未だ戦う力は身についていない。
だけど、それが諦める理由にはならなかった。
だって僕は――
英雄になりたいから。
悲しみのどん底に居たとき、あの人は僕に希望の光をくれた。
あの人は僕の英雄。
今でも目を閉じればあの笑顔が浮かぶ。
僕もあの人みたいな英雄になりたい。
その為に毎日体を痛めつけてきた。
朝晩のランニングでプールでの負荷で基礎体力の向上、維持に。
生身の僕が生き残るためには優れた目が必要と考え、動体視力を養う訓練もした。
戦闘能力をカバーするために、少しでもあの人に近づけるように……
☆★★★☆
追放された僕は1人、怪異の反応が出た神社の裏手にある森の中をさまよっていた。
大きな足跡を見つけてすぐ、怪異に出くわし、現在進行形で逃げ回っている。
ちらりと、後ろを振り返ると、いかにも狂暴そうな二頭犬の怪異がすぐ傍まで迫ってきていた。
三頭犬の次は二頭犬。1人で遭遇すると、絶望感しかない。
追放されたチームで挑むなら、調伏ランクDくらいだけど……
僕1人なら、Aランク以上の難易度になる。
「しつこいやつ」
進むごとに距離が縮められている。
このままじゃ逃げている途中でこいつの餌になってしまいそう。
「こんな時、あの人ならどうする? 逃げてばっかりじゃ今もこの先も何も変わらないじゃないか」
僕はその場に立ち止まる。
怪異はいきなり速度を落とした僕を追い越して行って、急停止を試みた。
その過度の急ブレーキで前足を痛めたのだろう。
僕に向く目が一層血走る。
改めて怪異に目を走らせ観察する。
血走った獰猛そうな赤い瞳。口は半開きになっており、そこから火でも吐いてきそうだけど、今は涎がぽたぽたとたれ落ち、それが地面に落ちるとしゅわと草を溶かしている。
前足、後ろ足共に尖った爪が出ており、見た目だけでもやはり相当な戦闘能力を有していることが見て取れた。
「対峙してわかる戦闘能力の差。しかも僕は1人」
今の僕では勝利は難しい。
怪異は一蹴りで距離を詰めてきて、尖ったナイフのような爪が出た前足を僕に向かって振るった。
避けることのみなら、自信はある。
瞬間的に後ろへ飛ぶ。
空間をも切り裂くような風きり音が届く。あと少し前に居たら行動不能だったかもしれない。
「鋭いな。今までの怪異より強い気が?」
よく見ろ、集中しろ。
空を切る怪異の攻撃。
動きはだいたい把握できた。
集中していれば今までと同じで避けられもする。
ここまではいいんだ……
段々と怪異の攻撃モーションが大きくなってきている。
それは僕にでも攻撃できるチャンスがあることを意味していた。
「隙だらけだ」
ペシンっ!
気を纏った拳がまともに入った。どうだっ?
血走ったその目は一層赤さが目立つ気さえした。
「やっぱり効かないよね。なんて硬さなんだ」
一瞬動きを止めてしまったために、右肩から斜めに攻撃され、血液が地面を真っ赤に染めていく。
「つうっ!」
これが現実。一撃受けただけでこの有様。
今の僕じゃ怪異に1人で遭遇しても調伏することはできない。
出来るのはただ逃げることのみなのか。これじゃあ僕1人じゃ……
空に向かって怪異は遠吠えを上げた。
直後、2匹の怪異が僕の前に現れる。
「嘘だろ……仲間が、群れで動いてるのかよ……」
これは絶対に無理だ。この場に居たら確実に殺される。
僕は大きく息を吸い込む。
そして今度は全速力でその場から逃れることにした。
☆★★★☆
自分の靴音と、荒い息遣いだけが耳に響く。
どのくらい走ったかはわからない。
乾ききっていない土に滑って体勢を崩した後、木の枝につまずき、派手に転んでようやく止まる。
「いててて」
怪異が近くまで追ってきている気配はなかった。
みたか、僕の本気の逃げ足の速さを。
戦いを挑んで逃げることを選択したこと。それは僕の心にこの爪痕以上の傷を残した。
攻撃力が必要だ。1人で活動するなら尚更。
改めてその必要性を感じる。
「自分が情けないな……」
首を振り、消極的な考えを遮断する。
両ひざの震えは恐怖からなのか、走り疲れたのかはわからない。
才能がないのも、素質がないのも知っている。
充てられる時間は自分を鍛えることに費やしてきたけど、それでも成長していないのが色々証明してしまっているから辛い。
「あれは相当やばい怪異なのは間違いない。あの人数……チームで遭遇していても簡単にはいかなかっただろう。今頃美優たちは……」
考えるな。
僕は1人になったんだ。
肩で息を整えながら、砂を掃い起き上がる。
顔を上げると辺りがやけに明るいことに気が付いた。
月明りと視界に捉えた大きな桜の木のせいか……
いや、何かが違う気がする。
「んっ?」
目を細めてすぐに気が付いた。
なんだ、あれは!
散っている桜の花びらが、途中で炎となって地面に落ちていっている。
それが小さな蝋燭の明かりのようで、辺り全体が夜という時間帯を忘れさせているんだ。
なんというロマンチックな風景だろう。
噂が広まれば、たちまち恋人たちのデートスポットになるかもしれない。
僕は自然とそちらに1歩、2歩と進んでいく。
注連縄に紙垂が巻いてある御神木桜。
大木の御神木桜と注連縄の間に葉っぱのベッドがあって、そこには銀髪の女の子が体を丸めて横になっていた。
幼い顔立ちにぼさぼさの白銀の長髪。お人形さんのような見た目と可愛さを醸し出している。
神聖な場所であろうこの場に幼い女の子。
周りはすっかり真っ暗な森の中。
小さな狐の姫、ここに眠るとでも言うのか。
桜は狂ったように咲き乱れ、花吹雪が炎となって降り注ぐ。
火が落ちてくる……火垂る……
花びらは少女の付近で、どれも線香花火のように消えていた。
「ほたる……」
あれ、僕今なんて……
眠りについていた女の子は長い年月のあいだ瞳を閉じている。
ひょっとしたらもう目を覚まさないかもしれない。
そんな印象だったが、僕が発した言葉に反応を示したかのように、虚ろな目をゆっくりと開けていく。
それにリンクするかのように、炎を宿して散っていく花びら。
それが少し明るくなった気がして、炎の色も赤から黄色へと変化したかのようだった。