2-3 脅威の軍事国家「ルー帝国」
三 脅威の軍事国家「ルー帝国」
「ところで隊長ッ。ちょっと聞いてもいいッスか? ……ヒック」
横合いから、キュリロスが軽薄な口ぶりで割り込んできた。したたかに酔っている。
酒に弱いくせに飲むのは好きである彼は、少しのワインを口にしただけでも酔っぱらってベロベロになる。そしてそのたびに、他人に絡んで歩く。
だが、酒宴の最中でもキュリロスは完全武装である。装備を外そうともしない。
生来の臆病のせいか、敵襲を常に恐れているらしい。完全武装はそれに備えるためだ。
副隊長だけに剣の腕も立つが、酔った勢いで斬り捨てられるのではないかと恐れる者が多い。キュリロスの絡み酒に付き合おうという勇者はごく少数である。
「なんだ、キュリロス。酒くせえから近寄るな!」
こうした隊内の空気を知っているニケフォルスは、迷惑そうにキュリロスをどやしつけた。
「明日の朝までに、司令部の副官どもに戦闘詳報を出さなきゃならん。オレ様は忙しいんだよ」
「そんなぁ、隊長〜。少しは俺の話を聞いてくださいよ〜」
「手短にしないと、話は聞かんぞ?」
キュリロスがいくら哀願しても、ニケフォルスは視線すら向けようとせずに拒絶するばかり。いくら絡んでみても構うことなく、ひたすらペンを動かし続けている。
だが、いくら「オレの邪魔をするな」という意志を示しても、キュリロスは酔っているせいか空気を読もうともしない。「そんな、つれないッスねえ隊長〜」などと言い、なおも絡んでくる。
いい加減面倒くさくなったニケフォルスは、少し強めにキュリロスを睨みつけた。
これにはさすがのキュリロスも少し勢いを緩め、神妙にならざるをえない。
「じゃあ、手短にぃ……。あの、俺たちを雇った帝国なんスけどね? こんなでかい街を攻めるなんて今どき、どんな国もやろうとしないじゃないッスか」
酒臭い息を吐き出し、顔は真っ赤なキュリロスなのだが、質問は意外と真面目だった。
「ガキに人気の昔話でなら、よく聞くッスけど……。ハッキリ言って時代遅れッス」
このところ神経を尖らせている隊長と、久しぶりに腹を割って話したかったのかもしれない。ニケフォルスも、動かしていたペンを止めて向き直った。
「……で、何だ? このオレ様に、帝国の軍事行動を批判しろと言いたいのか?」
あいかわらず眼光が鋭いニケフォルスはあらかじめ釘を刺したが、話を聞いてくれるとわかった瞬間、キュリロスの顔に笑みが戻る。
「あ、いやいや。隊長は前から帝国と付き合ってきたッスよね。帝国って昔から強くて、勢いがあった国だったんスか?」
その質問を受けるなり、ニケフォルスは深くため息をついたが、地の底から響くような重々しい声で、逆にキュリロスに聞き返した。
「キュリロス……。改めて聞くが、てめぇ、今、歳はいくつだ?」
「え……? に、二十一歳……ッス」
いつもに増しておっかないニケフォルスの剣幕を前に、大蛇ににらまれた雨蛙のような顔になったキュリロスは、しどろもどろで返答した。
何か失言があったと思ったのか、酔いはすでに覚めており、あの勢いはどこへやら、すっかり腰が引けている。
ニケフォルスはその様子を苦笑まじりに見ていたが、キュリロスが答えた年齢に何か得心するものがあったらしく、目を閉じて大きく息を吐いた。
「二十一……。そうか。まあ、その歳じゃ、知らねえのも無理はねえか」
そう言って天幕の中を見回したニケフォルスは、いつものようにぬいぐるみを愛でながら飲んでいるソテリオスを見つけると、いきなり呼びつけた。
「おいソテリオス、いつまでも人形で遊んでねぇで、てめぇも来い」
命令とあれば仕方がない。呼ばれたソテリオスは渋々、少女のぬいぐるみを物入れにしまうと、乱れた長髪を直しながらやってきて、キュリロスの横に座った。
「いい機会だから、てめぇら若い者に、帝国って国の真実を教えてやる。雇い主の情報を知っておくのも、傭兵稼業で生きていく上で大事なことだ」
そう言って机の上に自分の酒杯を置き、そこに手酌でワインを満たしたニケフォルスは、懐かしい思い出を語る老人のような顔で、二人に向けて語り出した。
「北にあるラッフルズート大陸に帝国ができたのは、今からちょうど二十五年前だ。お前らが生まれる、少し前だ」
そう語るニケフォルスの横顔に、天幕の中を照らす唯一の燭台がそっと光を投げかける。
「あの時、オレたちが住んでいたヒューリアックの連合王国は、今以上にガタガタでよ。オレの実家もすっかり没落しちまって、親父やおふくろの食い扶持を稼ぐために傭兵を始めた、そんな時だったな」
そこまで語ったニケフォルスは、嫌な思い出にでも触れたのか顔をゆがめると、ふっと息を吐いた。
「連合王国の方も、ひでぇもんだった。王様が貴族の連中に捕まっちまうくらいだった。でもな、その北にあるラッフルズート大陸の方も、輪をかけてひどかった」
懐かしそうに天を仰ぎ、酒杯をゆっくり傾けるニケフォルス。すっかり酔いが覚めたキュリロスと、酔っている素振りも見せないソテリオスは、そんな隊長の横顔を見つめながら、珍しい昔話に興味を示し、聞き入ってくる。
「もともと大陸には連邦制の王国があったのさ。しかしな、新しい一神教と昔ながらの多神教が事あるごとに敵対していた影響で、それぞれを信仰しながらも隣り合っていた貴族どもがどんどん仲が悪くなって、ついに殺し合いを始めやがった」
酒臭い息を吐きながら、訥々とした口調で語るニケフォルス。若かった頃に見聞きしたことを思い起こし、懐かしそうに天幕を見上げては、さらに話を続ける。
「——が、そんな状態になっても、貴族どもをまとめるはずの王様は酒と女に溺れ、宮殿から一歩も出やしねえ。宰相を筆頭に、取り巻き連中もまれに見る無能ぞろいでよ。まあ、当時の王国は末期症状もいいところだった」
こんな雑談を宮廷警察に聞かれでもしたら、王政当時であれば即座に不敬罪で拘束されただろう。そんな悪口が、頻繁にニケフォルスの口から飛び出す。
それでも静かに、ゆっくりと語るニケフォルスの影が天幕の仕切りに長く伸びる。燭台の火が揺れるたびに影が動き、そしてひときわ、ハゲ頭が絶妙に照り輝く。
ニケフォルスが傭兵稼業に身を投じた二十数年前、一神教の発祥地であることから「聖大陸」と称されていたラッフルズート大陸。
そこでは古代から続いた統一王朝がいよいよ勢力を失っていたが、それに代わる形で、力をたくわえた貴族や商人などの新興勢力が政権を支配するようになっていた。
王族との血縁関係を後ろ盾にした大貴族は、爵位を思うがまま簒奪しては広大な領邦国家を打ち立て、徴税権を握って国土を蚕食する。
その一方で海港を拠点とした商人は、潤沢な経済力を背景に政界に精力を伸ばし、裕福な都市国家を次々と建国して交易を牛耳っていた。
だが、巨大な勢力は並び立つことをよしとしない。貴族や商人たちの勢力争いは幾度も紛争を引き起こしただけでなく、主君たる王家を差し置き、他国にまで触手を伸ばす。
第三の勢力である宗教界でも、急速に勢力を伸張する一神教が聖域を中心とした自治勢力を形成しており、あたかも独立国家のようになって、この争いに加わっていた。
貴族と商人、そして聖職者たちは、常にどこかの戦場で対峙し、日常的に三つどもえの争いを繰り広げる日々が続く。国土は疲弊しきっていた。
さらに、旧教である多神教と新教である一神教の相剋は、これまで伝統的に存在してきた信仰の世界にも混乱をきたす有り様だった。
「——そんな時だ。今まで大陸の端っこでくすぶっていたような辺鄙な貴族が、急に勢いづきやがった」
いよいよ本題に入ったのだろう。ニケフォルスのハゲ頭がひときわ輝いた。
「大逆転で隣の貴族を飲み込んだと思ったら、あれよあれよという間に周辺の領邦や都市国家を打ち負かして、いつの間にか王国の半分以上を支配下に置いちまったのさ」
熱を帯びた頬を押さえつつ一気に語ったニケフォルスは、ふうっと息を吐いてから、ワインで唇を濡らし、最後にこうつけ加えた。
「奴らは、不思議な力を使いやがった。今となりゃわかるが、あれが『魔術』というものだったんだろうな。当時はまるで神々の軍隊という感じで、カッコよかった。オレも知らずに応援していたもんさ」
思い出深げにそう語ってから、酒杯を傾けてワインを飲み干すニケフォルス。
四十九歳という年齢のせいでもあろうが、若くもない顔には独特の渋みがあって、そういう仕草が妙に絵になる。
「そして、その『神々の軍隊』を率いていたのが、ルーと呼ばれる、貴族のせがれだった」
熱がおさまったニケフォルスの声音が、平常に戻る。ニケフォルスの述懐がひと段落したと判断したのか、そこでソテリオスが口を挟んだ。
「そのルーという人物が、現在の皇帝陛下……というわけですか」
「まあ、そうなるな。皇帝の名前がそのまま、国号になったってやつだ。二十五年たった今でも皇帝は国の重心で、統合の象徴というところなんだろうさ」
酒杯を置き、ニケフォルスはしばらくワインの余韻を楽しんでいる。両手でぬいぐるみをもてあそび、うつむき加減でニケフォルスの表情を盗み見ていたソテリオスは、気になっていたことを質問するいい機会だと考えたのか、さらに言葉を続けた。
「隊長、素人質問で申し訳ありません。私も民族的な話には詳しくないのですが、ルーという人名は、北の大陸では珍しいもののようです。むしろ隊長、あなたの方が、よほど北の大陸——ラッフルズート人の名前に、近いような気がしますが」
それを聞いたニケフォルスは、明らかに表情を渋くした。それを見たキュリロスは、ここでこの話題を持ち出したソテリオスの顔を尊敬の目差しで見つめつつ、話に同調してきた。
「いや、それは俺もずっと思ってたッス。何だかうちの隊長って、ヒューリアック人らしくない名前だなー、なんつって」
思わぬ展開を前に、渋い表情になるニケフォルス。まさかこの話題が飛び火し、自分の出自にまで及ぶことになろうとは、まったく考えていなかったらしい。
「うるせえぞお前ら! オレのことは今、どうでもいいじゃねえか!」
憤然とした口調で手を振り、逸れてしまった話題を無理やり本筋に戻そうとするニケフォルス。手を振るのは、この話題が終わりだという合図である。
同時に向けられる「詮索は無用」だとばかりの鋭い眼光。これを前にしては、二人がいかに横着者であったとしても、これ以上掘り下げることは許されない。
それでもニケフォルスは、顔を見合わせる副将二人に苦笑を与えることを忘れなかった。
「今はもう、船で大陸を行き来できる時代だ。移民なんて珍しくもなんともねえ。名前がどうだなんて話は、時代遅れもいいところだ……。まあ、聞いた話じゃ、皇帝のルーというのも、本名じゃないという話だがな」
「本名じゃない……? とすると、あだ名みたいなやつッスか?」
「偽名とか、通り名とかいうやつだ。血気盛んな若い連中が集まって革命集団を組んだとき、本名を隠すために互いに呼び名を決めて、そう名乗り合ったのが始まりなんだとよ」
通り名の件はニケフォルスも聞きかじった程度なのだが、それを聞いた途端、キュリロスの瞳が輝きを帯びた。
「革命集団かぁ……なんかカッコいいッスね! 俺たち『ヒューリアック解放戦線』はしがない傭兵の集まりッスけど、もっと活躍して有名になれば、いずれ国をおっ立てるくらいにはなれるかもしれないッスね……?」
「ああ、そん時は、てめぇがリーダーをやれや。オレはもうお年寄りだから、御免こうむる」
勝手に熱を帯びたキュリロスの妄想に、すかさず冷や水を浴びせるニケフォルス。だがその顔には笑みがあった。
傭兵集団「ヒューリアック解放戦線」は、故郷ヒューリアック大陸の秩序を変革するという目標のもと、厳格な規律と高邁な理想を掲げている。だが今は、生活のために戦う、単なる傭兵集団のひとつでしかない。
同じような集団は、この世に掃いて捨てるほどある。簡単にのし上がることなど不可能であることは、時代に抗い敗れ去っていった無数の例を見ていればわかることだ。
北の大陸ラッフルズートにおける帝国の国力は、もはや圧倒的である。正義感に燃える勢力がどれだけ立ち上がったとしても、まとめてひねり潰されてしまうに違いない。