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城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第5話 制圧目標「第十七区」
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5-6 魔術の申し子「スペクターレ」

六 魔術の申し子「スペクターレ」


 汚物まみれになった服をそっくり脱がされ、大通り沿いの水場でさらに身体の洗い直しをさせられたフィロスだったが、今は予備の服に着替え、神妙な面持ちでソテリオスの前にひざまずいている。

 その真剣な顔つきはまさに、壮大な冒険から帰参した、著名な探検家のようでもあった。


(さあて……。この男は、何を見てきたのやら……?)


 ニケフォルスやキュリロスら「ヒューリアック解放戦線」の面々がそんな心持ちで、円陣になって注視する。そんな中、ソテリオスとフィロスの二人による問答がいよいよ始まった。


「……じゃあ、首尾を聞こうか。君が潜入したというのは、あの酒場なのか?」


 ソテリオスがそう言って顔を向けた先には、大きな酒場の建物の影が、まるで立ちはだかるようにそびえ立っている。


 その他のほとんどの建物は、泥と木の板と日干しレンガで作られているのに対し、その周辺の建物だけは立派な石造り。貧民街にあってもその周辺だけは中央街区と同じ造りであり、中央街区と比べても見劣りはしない。

 フィロスもその建物を一瞥したが、すぐにソテリオスの方に向き直ると、深くうなずいた。


「はい、その通りです。お坊ちゃん――」


 白皙の青年フィロスはそう切り出し、続けて補足を加えようとしたが、ソテリオスはキザったらしい顔で右手を挙げ、すかさずその言葉をさえぎった。


「おっと、フィロス。――その呼び名で僕を指すのは、パパのお城でだけにしてくれないか。ここは戦場なんだよ」


「は、はい! 申し訳ありません、ソテリオス様――!」


 無意識なのかわざとなのかは知れないが、慌てて主君からの指摘に恐縮してみせたフィロスは、地面に拳をつき、身を低くして許しを請う。若手の俳優が古典劇を上演するような茶番を見せられ、ニケフォルスとキュリロスはげんなりした。


(パパのお城って……そんなもの、あったんスか?)


(そんなの、あるわけねえよ。あいつの実家もてめぇと似たような、知行二ヶ村の小領主だろうが)


 ソテリオスの実家も、キュリロスと同じ騎士階級。貴族の配下となってわずかな領地を管理し、農作物や税金を徴収しては毎年上納することを義務づけられた、零細領主である。

 もちろん、城を持てる零細領主などほとんどいない。村の中央にささやかな邸宅を構えるのがせいぜいである。主君である貴族の勢力争いに兵隊を差し出し、みずからも出陣を余儀なくされるという、悪く言えば板挟みの立場なのだ。


 このソテリオスとフィロスは、幼い頃からずっと一緒に育った、生まれながらの主従関係なのだろう。そんな彼らの小芝居を見せられたニケフォルスたちはあきれ顔になりながらも、二人のやり取りを見つめる。

 注目浴びることに快感を覚えたソテリオスとフィロスの問答は、なおも続く……。


「ほかの家々はまっ暗なのに、あの酒場の建物だけは鎧戸から光が漏れている。住民たちはみんな、酒場に集まっているのか?」


 目を細めたソテリオスが遠望する酒場の窓から、鎧戸の隙間からわずかな光が漏れている。

 あらゆる窓を閉めきり、鎧戸も閉めて灯火を見せまいとしているのだろうが、老朽化した鎧戸のほとんどは隙間だらけで、その役目を果たしていなかった。


「その通りです、お坊……いえ、ソテリオス様。およそ二百人ほどが集まっていますが……大半は老幼婦女子で、壮年の男といえば、歳を重ねたおっさんばかりです」


「男はおっさんばかりか……。ふむ」


 考え込みながらそう口走ったソテリオスだったが、おっさんという用語を耳にして複雑そうな顔になったニケフォルスと目が合った途端、慌てて目をそらす。

 気まずさからか、真顔で「ゴホン」と咳払いをしたソテリオスは、再びフィロスに顔を向けた。


「フィロス、君が滞在していた期間だけでいいから、見聞きしたことを教えてくれ。まず、彼らの指導者はどんな人物だ?」


 冷え込みそうになった場の雰囲気を変えようと、ソテリオスがさらなる質問を繰り出す。それを受けたフィロスは、顎に手を当てて、考えながら思慮深く答えた。


「――指導者と考えられるのは、座長と呼ばれる街区の領袖です。威厳がある一方で人望があり、剣の腕も立つようです。確かベンという名の、五十歳なかばと思われる大きな身体をした、色黒の男でした」


 難しげな顔でフィロスの回答を復唱したのは、かたわらでそれを聞いていたニケフォルスだった。


「剣の達人、色黒の男……。名前はベン……」


 ニケフォルスの記憶に残る「アフィリオン」というあの豪傑と同一人物なのか、それとも似ているだけの他人がいるだけなのか。目を閉じたニケフォルスは、あれこれと思索をめぐらせる。

 そういう男がこの街にいるという噂は、何度も聞いた。だが、この街区にいるとは限らない。それはよくわかっている。それほどまでに「アフィリオン」への執着を示す自分に対し、ニケフォルスは皮肉げにニヤリと微笑んだ。


 一方、その名前と存在の重みを知るよしもないソテリオスは腕組みをして黙考していたが、真顔でフィロスの目を見つめ直し、先をうながす。


「指導者には必ず、右腕となる人間がいるはずだ。フィロス、君は見なかったか?」


「右腕というならば……クルトという、座長と同世代の男がいます。ただ彼は不真面目な性格で、家業には無関心、飲み歩いてばかりいる不良中年のようですので、取るに足らない人物だと思います」


「ということは……この街区で要注意人物といえば、座長のベンという男、ということになるな」


 顎に手を当てたまま、フィロスの報告を反芻するソテリオス。しかしその顔には期せずして、笑みが浮かんでいる。何かの成功を確信したらしい。

 安易な予断が禁物であることは、傭兵の経験上よくわかっている。だがフィロスの報告を聞く限り、この街区の脅威は思ったほどではないようだ。笑みも浮かぼうというものである。


 だがそこで、フィロスが白皙の顔を上げた。本題はここからだと言わんばかりの表情である。


「ですがソテリオス様……。私が酒場に戻った直後、大広間で、ある出来事がありました」


 その表情と声に接したソテリオスは、思わずこぼれそうになった笑みを無理やり収めるなり、膝を屈してフィロスと同じ目線になると、眉間にしわを寄せ、まっすぐに彼の瞳を見つめた。

 そして生唾をごくりと飲み込んだソテリオスが先に、おそるおそる口を開いた。


「それは、例の……。『生け贄』に関すること、なのかい……?」


 なぜか腫れ物にでも触ろうとするかのような口調で「生け贄」という言葉を発しながら、よろめきつつ立ち上がるソテリオス。鬼気迫る表情で、フィロスに先をうながす。

 その問いに対し、フィロスはソテリオスに視線を向けたままポケットを探り、慎ましやかな表情で答えた。


「はい……。私は座長のベンを通じて住民たちに、魔術師の存在を吹聴したのです。魔術師の存在を暗示すれば必ず、彼らの中で魔術師と疑われている者が吊し上げに遭うだろうという、ソテリオス様のお言葉どおりに……」


「ああ。恐怖にとらわれた集団は特に、自分たちにとって危険だと思われる存在を排除しようとする……。歴史がそれを証明しているからね。それで、結果は……?」


 その質問に対して無言でうなずいたフィロスは、ポケットから一枚の紙片を探し出すと、結果はこれだとでも言わんばかりに、ひざまずいたままの姿勢でそれを差し出した。

 薄汚れてはいるが、まだ白さを失っていない。火をつけるのに使ったのか、片方の端のみ少し焼け焦げている。


 汚物が満たされた落とし穴に落ちてもなお、必死に守り通した手みやげである。その紙片を差し出したときのフィロスの表情は、どこか誇らしげであった。


「これは……珍しいな。異国で開発されたという、植物製の紙のようだが、これがどうしたと……?」


 少し焦げた紙片を受け取ったソテリオスは、いぶかしげな目つきで何度もそれを裏返し、穴が空くほどじろじろと眺め続ける。

 それを見たフィロスが、爽やかにフッと鼻息で笑いながら、満を持して種明かしをした。


「魔力を持つ者が調べれば、持ち主の素性など、たちどころに分かるかと」


「魔力……? まさかこの紙片に、それが……?」


「はい……。生まれつき『魔力』を持った人間であれば、相手の想念がこもった道具を手にした瞬間、持ち主のことなど手に取るようにわかるだろうと『あの方』もおっしゃっていました。これを手に入れるのに、どれほど苦労したことか……」


 落ちていたものを運よく拾っただけなのだが、邪龍の巣に飛び込み、決死の思いで得たものであるかのような口調で爽やかに言ってのけるフィロス。

 それを聞いたソテリオスは一も二もなく信じ込み、震え上がらんばかりに興奮して叫んだ。


「なんだって……! で、でかした! さすが、僕の腹心だけのことはある!」


 そしてすかさず振り向いたソテリオスは、すぐそばに控えている人物を、興奮ぎみにわざわざ大声で呼びつけた。


「おい、『サンド』よ! 君の出番だ! こっちに来て、これを持ってみろ!」


 そう呼ばれ、ジャラッ、という金属音とともに立ち上がったのは、鎖につながれたみすぼらしい男たちの中でも「サンド」と呼ばれている中年男であった。

 すでに腕輪は外され、手首は自由になっているのだが、首輪につながった重い鎖だけはそのままである。


「…………」


 嫌な予感がするのだろう。差し出された紙片を少しためらいがちに見つめていた「サンド」だったが、ソテリオスは無言のまま、紙片を差し出し続ける。早く受け取れということなのだろう。

 命令には逆らえそうもないと覚悟したのか、「サンド」はやがて、おずおずと紙片に手を伸ばした。


 そして「サンド」の二本の指が、紙片の端をわずかにつまんだ、そのときだった。


「――うぐッ!!」


 今まで無言かつ無表情を保っていた「サンド」が、ビクッと肩をいからせ、短いうめき声を発したかと思うと、紙片を握りしめたままその場で急に苦しみだしたのである。

 その様子はまさに、即効性の猛毒を一気に飲み干したかのよう。周囲の傭兵たちは、それを目にしていっせいにどよめき出した。


「お、おいおい! 大丈夫なのかよ、こいつ?」


 さすがに泡を食ったニケフォルスが群衆をかき分けて飛び出すと、ひざまずいたフィロスを押しのけ、うずくまって苦悶する「サンド」にすかさず近づいた。

 だが主人であるはずのソテリオスは、苦しむ部下に手を差し伸べようともしない。それどころかただ腕を組んで、ニヤニヤして立っているだけである。


(この野郎……。司令部から預かっただけとはいえ、仮にも部下だぞ……?)


 紙片を握ったまま苦しむ「サンド」の身体は、奴隷もかくやと思わせるほど、骨が浮き出て痩せている。ニケフォルスはその背中をさすってやろうと、ニヤニヤするだけのソテリオスを睨みつけながらも、その身体に指先を触れた。


 そして、その瞬間だった。

 ニケフォルスの視界が、急に真っ白になったかと思うと、眼前にパチッと閃光が走ったのだ。


「――――ッ?」


 しゃがみ込んで「サンド」の身体に触れた瞬間、痙攣し動かなくなるニケフォルスの肉体。ニケフォルスもまた「サンド」の背中に手をついた姿勢のまま、凍りついたように動きを止めたのだった。


 それと同時に、金縛りに遭ったかのようにまったく身動きできなくなったニケフォルスの身体。

 そしていつの間にか、ニケフォルスの視界は、これまでとはまったく違う光景を映し出していた。


 耳に喧噪が届いてくる。数多くの言語が飛び交う、大衆酒場の光景が見える――。


 大広間が狭く感じるほど多く並べられたテーブルで、たくさんの旅行者や商人たち、そして仕事終わりの職人たちが思い思いの席につき、大声で談笑しながらも肉やパンを食い、ワインやビールを流し込むように飲んでいる。

 見たこともない場所だが、窓の形や広間の面積などから推定するに、第十七区の中心にそびえる宿酒場の内部なのだろうと思われる。


(まさかとは思うが……。敵の本拠地だっていう酒場に、オレだけ入り込んじまったってわけ、じゃねえよな……?)


 妙な世界に放り込まれながらも、ニケフォルスの意識は明瞭である。それなのに視界はひとりでにどんどん動いていく。談笑する男たちの間を走り回っているのか、器用にすり抜けていく自分の視線。まるで目だけが、誰かの身体に乗り移ったかのようだ。

 音はまったく、ニケフォルスの耳に届いてこない。だが大きな木のジョッキを二個、両手に持って運んでいることから、この視界の持ち主が酒場の従業員であることはわかる。


 いくつも並んだテーブルの車座をすり抜け、やがて目的地であるテーブルに到着したらしく、ジョッキを二個同時にドンと置くなり、すぐに視界が移動し、足元を捉えた。ぺこりとお辞儀をしたらしい。

 そのときニケフォルスの視界に映ったのは、薄汚れた革のエプロンと、上等な布で仕立てられたと思しき青いスカートの端。それとは対照的に、くたびれた男物のブーツだった。


(この目の持ち主は、酒場で働いている娘、というわけだな……。だがオレはどうして、こんなものを見ているんだ……?)


 身体と視界の自由を奪われながらも意識が明瞭であるニケフォルスは、状況を理解しながらも、このような状態に陥った自分をもどかしく感じていた。

 そうしている間にも、この目の持ち主は、ニケフォルスの思いなど無視するかのように移動し、刻々と視点を変えていく。


 若い傭兵たちに呼び止められ早口の注文を聞き取ったり、顔なじみらしい酔っ払いの中年男性に話しかけられたりしながらも、視界の持ち主である娘は厨房へと戻っていく。目が回るほどの忙しさとはこのことである。


(それにしても、この娘は本当によく働くな……。怠け者の隊員に、見せてやりたいくらいだ)


 ニケフォルスがそう思ったとき、途中で娘は足を止めた。その場に立ち止まり、奥のカウンターに注目しているようだ。

 そこに一般の客はあまり近寄らないらしく、背の低い太った老人とニヒルそうな中年男性が何か語り合い蒸留酒をくみ交わしている一方、端の席では、薄赤色をした長い髪の少女が、真っ赤な顔でワインの瓶をのぞき込んでいるのが見える。


 娘はそれをじっと見つめているが、ニケフォルスはそんなものに興味がない。そもそもいまだに、この体験の意味が分からない。だんだん退屈になってきた。


(まったく……。居心地が悪いったら、ありゃしねえ。ソテリオスの奴はどういう魂胆で、オレにこんな……。ん?)


 敵の本拠地をのぞき見るという奇妙な体験をしながらも、知らない場所というのはどうも落ち着かないようだ。ニケフォルスが心の中であくびをしたそのとき。

 娘の視界に入ってきた大男の姿を認めた途端、ニケフォルスの意識はその肉体にくぎ付けとなった。


(こ、こいつが……。ベンとかいう、街区の座長、なのか……?)


 浅黒い肌、たくましい筋骨ながらも古傷が数多く刻まれた腕、そして服の上に浮き出た胸板と、六つに割れた腹のみごとな筋肉。

 胸までしか届かなかった娘の視界が、徐々に上がっていく。大男の顔へと視線が向いていく。


 ニケフォルスは、心の中で固唾を呑んだ。その大男の容貌は、果たしていかに……?


 これが、二十年前に真剣をもって渡り合い、彼を敗北させた剣豪「アフィリオン」なる人物なのだろうか。

 いくつかの情報によれば、剣豪アフィリオンはまだ生きているという。もしそれが酒場の主人「ベン」と同一人物であるならば、再戦を望むニケフォルスの宿願が成就する。


 徐々に上を向いていく、娘の視線。ベンの顔が視界に入るまで、もうあと少し!

 ――しかし。その宿願が成就するかと思われる寸前。


「ウググ!」


 苦しげな声を上げた「サンド」が、何かに耐えるようにぐんと身体をのけ反らせたのだった。


 その拍子に、背中に触れていたニケフォルスの手が「サンド」から離れた。瞬間的に元の視覚と感覚を取り戻したニケフォルスは、あと少しのところで、現実に引き戻されたのだった。

 しばらく呆けた後、ようやく状況を理解したニケフォルスは、地面の石畳を悔しげにひっぱたいた。


「――ああ、くそッ! もうちょっと早く、上を向けってんだ!」


 奇妙な体験が突如として終わり、地面にへたり込んだまま何度も石畳を叩くニケフォルスを尻目に、「サンド」も息を整え、徐々に落ち着きを取り戻していく。背中に触れたニケフォルスが離れたことで、負担が減ったのだろう。

 それを見たソテリオスが、残りの部下とともに作り笑いを浮かべつつ、二人に近づいてきた。


「隊長、お疲れさまでした。魔術的なのぞき見体験は、いかがでしたか?」


 さらりと言ってのけるソテリオス。彼はこの現象を見越した上で、ニケフォルスに「サンド」の介抱を許したのだろう。

 切れ者にまんまと一杯食わされたような気がしたニケフォルスは、いまいましげな顔つきで、キュリロスの助けを得て立ち上がった。


「……まったく、のぞき見なんざ犯罪者のやることだ。やらせる方も同罪だぜ」


 そう不満を述べるニケフォルスだが、あの酒場の光景は脳裏に焼きついている。酒場が営業できる状況ではないことから、あれはおそらく現在の様子ではなく、あの紙片の持ち主が最近目にし、その記憶として残った、つい最近の光景なのかもしれない。

 その情報を映像として引き出した「サンド」もすごいが、彼が持つ紙片を眺めたニケフォルスは、あれだけの情報を紙片に宿らせた持ち主に対し、ひそかに舌を巻いていた。


「――それで、あの紙片の持ち主は、どんな人物でしたか? 隊長」


 そんなニケフォルスの心情を知ってか知らずか、にこやかな表情を崩すことなく、間髪入れずに尋ねてくるソテリオス。手段が問題だとニケフォルスは思ったが、早くそれが知りたいソテリオスの表情は、きらきらしている。

 少し意地悪でもしようかと考えていたニケフォルスだったが、部下のそんな顔を見せられてはたまらない。心の中でため息をつきながらも、正直に答えるしかなかった。


「オレが見ていたのが持ち主の視線だとするなら……。娘だ。青いドレスを着ていた」


「娘――ですか!」


 おぼろげだった紙片の持ち主に関する情報がようやく、掴めたのだ。ニケフォルスの証言を耳にしたソテリオスは、興奮ぎみにそう叫ぶやいなや、すぐさまフィロスの顔に視線を向け、真偽を確かめた。


「フィロスよ! 君の目の前で魔術師だと疑われたのは、青いドレスの娘なのか……ッ?」


 射るようなそのその視線と問いに応え、したり顔でニヤリとしたフィロスは大きくうなずく。無言のままだが、さすがご名答だとでも言いたいのだろう。

 その反応にますます気をよくしたソテリオスは続いて、ふうふうと息を吐きながらひざまずいている「サンド」の方に向き直った。


 よほど体力を消耗したのか、痩せ細った身体に大量の汗を浮かべた「サンド」は、紙片を握りしめたまま再びひざまずいて、フィロスの脇に控えている。だが、主人を見上げる彼の瞳は鋭い。

 その瞳を目にした途端、背筋をぞくりとさせたソテリオスだったが、ふっとひと息を入れると威儀を正し、控えている「サンド」に尋ねた。


「さあ、『サンド』よ……。君が見てきたことを、話すんだ」


 噛んで含めるように命じるソテリオス。「サンド」にはまだ、この国の言葉がわからないらしい。

 そのせいか「サンド」の返答も、単語を並べたものにならざるを得ないようだった。


「娘……。日曜学校、教師……。森の、中……。誰かの、男の、声……」


 ひとつずつ言葉を探し出すようにして、頭の中に浮かんだ光景を並べていく「サンド」。その表情は真剣そのもので、ニケフォルスをはじめ見守る周囲の傭兵たちも、静まりかえってごくりと固唾を呑む。

 だが彼が語る風景は、ニケフォルスが見てきたものではなかった。どうやら、その娘の遠い記憶にあった光景が、「サンド」には見えていたのかもしれない。


 そして最後に「サンド」が語った三つの単語を耳にしたソテリオスは、その直後、深夜の大通りで狂喜乱舞することになる。

 その単語は、ソテリオス以外の誰も知らないような、外国の言葉だった。


精霊王(レクス・スピリトゥス)煉獄の王ドミヌス・プルガトリイ……。『選ばれた者』(スペクターレ)……」

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