第一話 失ったもの
妻、デルフィナ・ローレントの病気が発覚したときには、もう手遅れだった。
大戦の終結から少し。妻が二十二、僕、テューイが二十三の歳だった。
「御気の毒ですが、二年もてばいい方でしょう」
冷淡な口調で小太りの医者は告げた。その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
「しかし、今まで妻は元気に――」
失礼ですが、と医者が眼鏡の位置を直しながら僕の話を遮る。
「経済的な面で苦労されてますよね」
この医者に金の話はしていない。それでも、一目見てわかるくらいに、僕の服はボロボロだった。
「はい。その、軍役に就いておりまして」
その一言だけで、医者は察したようだった。
「そうですか。まあ、このご時世ですしね。奥さん、大分前からガタがきてたと思いますよ。この感じだと、恐らく一年前くらいからは。もう少し発見が早ければ、まだ治療の施しようもあったんですがね」
興味もなさそうに医者は告げる。この医者にとって、妻は取るに足らない患者の一人だ。金にならないと分かれば、もう用はないのだろう。
一年前。あの頃はまだ、僕たちが戦争に勝つと信じていた。妻のため、国のためと言い聞かせ、無我夢中で敵を殺し、そして生きた。
最近になって、ようやく五年にも及んだ戦争は終結を迎えた。我が国の無条件降伏、という形で。
首脳や軍幹部らが処刑されると同時に軍は解体。軍人たちはみな一様に職を失った。
国民たちは、怯え、絶望した。この頃は自殺する者が後をたたなかった。軍から言い聞かされていた敗戦国の末路は、想像するのも恐ろしく、敵国の軍門に降るくらいならば死を選べと教えられていたからだ。
しかし、経済も社会も、悪化するどころか発展した。
敵国から新しく入ってきた制度、物資、技術……。それらすべては僕の国のそれとは大違いだった。怯えていた国民たちも、だんだんと現状を受け入れ、新しい生活、文化に慣れ始めていた。
それからというもの、僕たち元軍人の扱いは酷いものだった。
戦時中、勝利の為と国民から搾取し続けたツケがまわってきたのだ。職業軍人のみならず、少しでも軍に関わった者には反国民のレッテルが貼られ、忌み嫌われるようになった。
元軍人と分かれば、指を差され、石を投げられ、家を追い出される。そんな中で再就職先を探すなど不可能だった。生活の術を失った僕たちは、どんどん瞳から光が消えていった。実際、自殺者の半数以上は、元軍人だった。
唇を噛み、手を震わせる。
一番つらいのは、信じていたものに裏切られたことだ。
なんのために僕たちは戦っていたのか。国は滅び、民からは裏切られ、デルフィナは床に臥せている。どうしようもない何かが、体の内から沸き上がるが、行き場を失いぐるぐると頭の中で暴れまわる。
「あの、妻には伝えないでいてもらえますか。僕から、機を見て伝えますので」
「しかし……」
「どうか、お願いします」
そういって、僅かばかりの小銭を医者に握らせる。この医者にとっては今晩いい酒が飲めるくらいの額だろうが、僕にとっては一か月分の生活費だった。
本来ならば新しく制定された法で、病名は正しく患者に打ち明けなければならないが、医者は少し悩んだ後、わかりました、と言って小銭を受け取った。