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⑦ Me And My Shadow ~ It Ain't Necessarily So

    *      *      *


 私の顔はほころんでいました。

 多少なりとも、土井先輩にきちんと相手をしていただいていることがはっきりとご本人の言葉で聞くことができたからです。

 従来の私は、男の人が苦手でした。

 なのに不思議と、土井先輩にはすうっと言う感じで、なんの抵抗もなく言葉をかけることができたばかりか、自分の方から仲よくしていただきたいと思って、こうして今も隣を歩くことができています。


           *      


 どうして私は男の人が苦手になってしまったのか。

 思い起こしてみると、結局は自分の弱さに直結していると思います。

 私は、自分に自信が持てませんでした。

 容姿にしても、性格にしても。

 学校に通うようになると、勉強も運動も嫌いではありませんでしたから、そのためか成績は悪くありませんでした。

 それでも、小学校の頃からクラスの中に……団体の中にいることが苦手でした。

 これは、私がひとりっ子だということが原因かもしれないです。

 中学校に入ると、ただクラスにいるというだけでなく、部活動に所属することが奨励されました。

 強制ではありませんでしたし、やりたいことはなかったので、部活には入りませんでした。

 スポーツに興味はなかったし、文化系のものでも同じでした。


 音楽は物心ついたときから大好きで、本を読むのも好きでしたから、よく図書館に通っては本やカセットやCDを借りて、自分の部屋でひとりで楽しく過ごせました。

 ところが、学校では運動部からの勧誘が時期を問わずたくさんありました。

 私が部活に入ってないからでしたが、どうしたことか「大川さんならすぐレギュラーになれる」と言われたこともありました。

 そう言ってくださることはありがたいですが……私はそう前言してから、丁重にお断りしました。

 そんなことが何度も続きました。

 いくつもの部の人がやって来ては、同じことを繰り返す私でした。

 すると私の意志とは関係なく、私は目立ってしまうことになりました。

 それに、テストの結果が貼り出されたりすると、こちらでも目立ってしまうことになりました。

 中学も高校もそうでした。

 私自身は目立ちたくなかったのに、結果として目立ってしまったことは否定できません。

 また、年齢的なこともあると思いましたが、男の子から声をかけられることが増えて、ときには先輩や後輩からも声がかかるようになってしまいました

 私はひどく参ってしまうことになりました。

 声をかけてくれた男子に、その都度お断りしていくことがつらかったし、面倒でもありました。

 そのうち、女子からは、私の態度に反感を持っていた人もいたようで、仲間はずれのようにされることになりました。

 ひとりでいることが好きだからといって、親しい友だちがいないのはさびしいことです。

 大勢の友だちがいたわけではありませんが、自分では仲よしだと思っていた、友だちだと思っていた子までが明らかに私と距離をとるようになっていました。


 私はいろいろ気にしていました。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 すごく考えました。

 何も手につかないくらい。

 学校でのことはもちろん、家では食事をとることもなく、母からひどく心配されることになってしまいました。

 無理もないことでした。

 ただ、私には数日のうちに思い当たることが見つかりました。

 私が女の子らしくしているのが原因ではないか。

 きっとそうだと。


 私は髪を切りました。

 それまでは大学に入った今と同じくらい、肩を越えるくらいの長さだったのですが、そのときはものすごく短く、「ヴェリー・ショート」と呼ばれるよりも短くしたのです。

 大半の男の子よりも短かったと思います。

 それだけで、私の周りに起こっていた騒ぎは引き潮のように静まりました。

 男子だけではなく、女子も。

 私はその後はまた髪を普通にのばしましたが、仲間はずれと言うよりは孤高の存在になれたようで、高校を出るまで静かに過ごせました。

 それからは、女の子らしくしているのはよくない、という思いが強かったので、公の場での服装はスカートをやめてパンツルックをメインに、男の子っぽいものに替えました。

 そして今につながってくるのですが……。


 大学に入ったら、これまでの自分を変えようと思っていました。

 幸いなことに、私が入りたかったこの学校を志望する人は、私がいた高校には他に誰もいませんでした。

 勉強ができたことが初めて役に立ったと思えました。

 これで、私のことを知らない人たちの中にいける。

 新しくスタートが切れると感じました。

 もちろん、不安はたくさんあるけれど、頑張ってみよう。

 学びたかったことが学べるようになるのは充分に幸せなことですが、これだけで満足しては私は成長できない。

 まだまだ、まだまだ成長しなくてはだめ。

 小さく縮こまっていてはだめ。

 小さな種が弱々しいながらも頑張って芽を出して、大きく伸びていくように、私も伸びていきたい。

 私は前向きにそう考えました。


 私は以前から直接指導を受けたかったK教授を思い切って訪ねました。

 入学したばかりの青二才ではありますが、頑張っていこうという意志を自分でいつでも確認できるように。

 K教授は私の意志を認めてくださり、研究室への出入りも認めてくださいました。

 入学時のオリエンテーションで友だちになれた子もいましたが、私のようにいきなり研究室の中へ飛び込んでしまうような子はいませんでした。

 なので自然と私は同級生の子と一緒にいるよりも、研究室にいる時間が増えて、研究室にいらっしゃるAさんやそこに出入りされる先輩方と打ち解けていきました。

 やがて私は、研究室の先輩方全員にご挨拶することを思いつきました。

 積極的にみなさんと関わっていくことは、自分の壁をひとつ乗り越えることになると考えたのです。

 私は講義の合間や日々の講義の終了後に、なるべく研究室に行きました。

 そうすれば、自ずと先輩方に会えると思ったのです。

 この考えは当たっていました。

 Aさんに助けていただきながら、ほとんどの先輩方に挨拶ができたからです。

 けれど、挨拶ができたとは言っても、先輩方にも様々な方がいらして、単なる新入りの私はほとんど相手にされませんでした。

 私はそれでも自分に課したことを前向きにこなせることにやりがいを感じていました。

 ですから私は決意できました。

 最後に残ったおひとり……土井先輩には自分から進んでアプローチをしよう。

 そして壁をきちんと乗り越えよう。

 と。


 土井先輩は、Aさんをはじめ私と話をしてくださった先輩方によると、変わり者だということでした。

 ゼミの行事にはまず出てこない。

 不真面目。

 ひとりでいるのが好きらしい。

 暗い。

 人づきあいは嫌い……。

 決してよいイメージではありません。

 ただ、私にはそれらのイメージは他人事ではなく、従来の私にすべて当てはまるものでした。

 私は土井先輩に興味を持ちました。

 ものすごく変わった人かもしれない。

 でももしかしたら、私に近い人なのかもしれない。

 できるなら、ひとことでも、ふたことでも、話をすることができたら。

 私は最後にそんな先輩がいてくださることが何故か嬉しいことに思えてきました。

 勝手に親しみを感じて、いつしか勝手に好意を持ってしまって、早く土井先輩に会ってみたいと思っていたのです。


 時間はかかりましたが、桜の花が風に散り出した頃に中庭のそばで土井先輩に挨拶ができました。

 初対面の私を当然であるかのようにまっすぐに見てくださり、言葉をかけてくださいました。

 私がこれまで会ったことがないタイプの人、しかも男の人。

 なのに私は苦手だと感じるどころか、土井先輩に好意を感じていることをあらためて思い出し、自分に驚くことになりました。

 壁は苦もなく超えていました。

 しかし、私には次の課題になりそうなことが目の前に見えていました。

 妙なことも言われてしまいましたが、私がうかがっていたイメージとはまったく似つかないユニークな存在、土井先輩はいったいどんな人なのか?

 知りたい。


 私の両親は、私が中学生のときに離婚しています。

 K教授を筆頭にみなさんが私を呼んでくださる「大川」という苗字は、父方のものです。

 私は母と暮らすようになり、母が気を遣ってくれて、苗字は変えずにいてくれたのです。

 ところが私は父と同じ苗字でいることに抵抗がありました。

 母には悪いのですが、私は父が大嫌いだからです。

 ですが、こうした私的な理由をいちいち話すわけにもいきませんから、せめて仲よくしてほしい人たちには、私を「タマキ」と呼んでほしい。

 私は自分の思いのままにいつからかそう決めていました。

 高校のときはそこまで仲よくしたい人はいませんでしたし、同じ大学に進学を決めた人もいませんでしたから、そうしたこともよいきっかけになると思えました。

 まず土井先輩にファースト・ネームを気楽に呼んでもらえたら……「タマキ」と呼んでいただければ、きっと親しくなれる。

 私は素直にそう思うことができました。

 そして。

 土井先輩は、私を家族以外で「タマキ」と呼んでくださった初めての人になってくださいました。


           *      


「どうしてわざわざ挨拶に来てくれたんだ?」

「あ、そうでした。お話してませんでしたね」


 私は土井先輩の左側を歩きながら、また、各駅停車のシートで土井先輩の左に腰を下ろしたときにも、思ったままに話しました。

 私が土井先輩に抱いていたことや、私の両親と苗字のことは、すべて省略しましたけれど。


    *      *      *


 タマキはもうにこにこしていた。

 表情がよく変わる。

 とてもタマキらしいと思った。

 ボクにとってのタマキはかくあるべし、なのだ。

 ボクはひと息ついた。

 さっきタマキに「久しぶり」なのだと言われた。

 学食でB定食を食べながら音楽談義をして以来だ。

 そのあとからボクは出席を減らしだして、そろそろ10日くらい経ったろうか。

 その前となると、同じ電車で帰った日になるのだろう。

 今みたいに一緒に駅まで歩いて……ボクはまだタマキの話を聞いてなかったことを思い出した。


「タマキ」

「はい」


 ボクの左側を歩いているタマキに、こう言ってみた。


「まだ答えてもらってなかったよ」

「え?」


 タマキは立ち止まった。


「うん、まだ聞いてない」

「すみませ……」


 下がりかけたタマキの頭が微妙な位置で止まった。


「タマキ」

「は、はい」


 タマキはおどおどした表情になっていた。


「もういいよ」

「でも」

「いいってば。とはいえ、あんまり頭を下げてほしくないことに変わりはないな。態度を変えるなんて、子供じみたことはしないけどさ」

「安心しました」


 再びにこにこした表情にもどった。


「土井先輩に嫌われたくありません」

「嫌ったりなんかしないよ」

「本当、ですか?」

「嘘じゃないよ」


 タマキは挨拶に来てくれたことを、ボクの後輩になる前のことから話してくれた。

 話に出てきたのは数年間の長いことだったのに、タマキの話はコンパクトに要点をまとめたものだったから、ボクの最寄り駅につく前に余裕を持って終わっていた。


「なるほど」

「え?」


 研究室にいたなら普通は全員に会えるかもしれないけれど、ボクが研究室に入ることなんか年に何度もなかったから、ボクだけ捕まらなかったんだな。

 ボクはそう理解した。

 それでAさんにお願いして写真までチェックして、苦労して捜して、見つけたと思って声をかけても逃げちゃって……。


「逃げてたんですか?」


 タマキはびっくりした様子で言った。


「そんなことないよ」


 ボクはとにかくとぼけた。


「でもまあ、面倒をかけたみたいでゴメン」

「そんな、やめてください。謝っていただくようなことではないですし、土井先輩の貴重なお時間を私のために割いていただいたわけですし」


 ボクは人の縁について考えていた。

 約1年前に起こったことも含めて。

 ボクが決して想像できるはずもなかったはるか彼方からやってきて、どういうことか今、ボクの隣にいるタマキという後輩。

 タマキから見れば、なんだか得体の知れない先輩らしきボクが隣にいたりする。

 これを不思議と言わずになんと言おうか。

 ボクの4月は不思議な思い出として完成されつつあるのだと、もう認めるしかないと感じていた。

 単なる事実、そのひとことですませるのは無理だ。

 こんな話、どこにでもあるはずではないのだから。


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