序
少しずつ……頑張りまふ(・ω・;)
生暖かい目で見てやってくだされば……
―――嘗て、一人の皇がいた。
たった一振りの刀を携え、戦乱渦巻く世を、ただの一代で平定した皇が。畏怖と尊敬を込め、人々は彼の皇を覇皇、彼の皇の携える刀を破国一刀と呼んだ。
平定されたその大国を『和』と言う。
和暦5年、破国一刀は失われた。皇は嘆き悲しみ、その代わりにと五振りの刀を作らせた。この五振りを傾国五刀と呼ぶ。一振りあれば国を揺るがせ、五振り揃えば新たな国が生まれるとされた。
―――だが、例え五振り揃おうと、破国一刀には遠く及ばぬものであったという。現代に現存するものは傾国五刀であり、それぞれが然るべき者へ託されている。
破国一刀に関してはあまりにも記録が少なく、失われた経緯やその後の行方は、和暦300年を数える今日に至っても依然として知れない。
しかし、彼の皇の死を看取ったとされる者が残した文に、次のような記述が残されている。
「皇、酷くか細い声で仰られる。我が神刀は、いずれ世に現れる。いずれ、いずれ。」
後世の解釈では、この「我が神刀」とは破国一刀の事であり、皇が手元に置いておく事が出来ず、仕方なく手放したのではないか、と言われている。数多くある推測の中でもこれが最も有力な説であるが、結局のところ推測の域を出ない。
考古学者ですら本気で破国一刀を手にすることが出来れば国を作り上げることができる、などと言う考えを持っていたり。
破国一刀の話はさておき。
傾国五刀。破国一刀なき後、皇が作らせた至高の五刀。五刀には、それぞれ皇自らが刀銘を付けたとされる。
『焱車』、『紅天女』、『燕切』、『朧月』、『空影』。
五振り全てが刀とは名ばかりの、他に類を見ない型をしている。
扱うにはあまりにも人間離れした技術が必要であり、故に五刀それぞれに流派が生まれた。
『焱車』には「焔」。『紅天女』には「麗」。
『燕切』には「迅」。『朧月』には「幻」。
『空影』には「空」。
それぞれの流派は、五刀を使うために五つの剣技を編み上げた。
その総てを修めた者は、各流派の頂に坐す『覇道五刃』と呼ばれる存在に挑む権利が与えられ、勝利すれば国を挙げた大々的な祝宴の後、修めた流派に縁のある一刀を皇より賜る。
そしてその者が新たな覇道五刃と呼ばれるのだ。
とはいえ、そこに至る道程は尋常なものではなく、大半の者は挫折する。剣技を一つ極める事すら修羅の道。
その剣技を破国一刀を以て秘剣にまで昇華させ、己の技と成す『覇道五刃』とはその存在自体が皇と同一ないしそれ以上のものだ。
だが、流派が五つという事は、其処には言わずもがな蟠りがある。
現に今、和は大規模な内乱の中にあった。和の内部に五流派に分かたれた小国が生まれ、天下を賭けた戦が目まぐるしく行われている。
その戦乱の中で、『空』が『焔』に敗れたことにより、実質『空ノ国』は消滅し、どの流派にも属さぬ『空ノ国』とは名ばかりの地方小国と成り果てた。その土地が『焔ノ国』に含まれずにいたのは、紅蓮神楽と呼ばれた二人の覇道五刃の争いで、『焔』が瀕死の状態になったからに他ならず、紅蓮神楽から一年を数える今日、『空ノ国』と『焔ノ国』との合併は避けようのないものに思えた。
―――物語は、そんな地方小国にて始まる。
もし宜しければ御指導、御鞭撻のほど、宜しくお願いしますm(_ _)m