第7話 はぐれ魔獣
魔導の集落の郊外にある広場に数日に1回集まる彗星らは、JPSにいたころのことを時々話すようになった。できれば思い出したくない施設での生活ではあったが、やはりいくつかの思い出は持っているようであった。
そもそも、施設にいるときはそれほど虐げられているとか不自由であるとか感じなかったように思うが、ここJPPでの生活に慣れて来るに従い、心のどこかでは不自由さを感じていたと思うのであった。
それが、まんまと順の思惑にはまった原因だと彗星は思っていた。あの時、拒もうと思えば拒めたはずなのである。しかし、順にも脱走しようという明確な思惑があったとは思えない。なにげにどこかに行きたいと思った結果が今なのだと思うのである。ましてや水姫はとばっちりを受けただけなのであろう。
それでも、彗星は(これでよかった)と思っている。何がよかったのかはっきりしないが、まずは息苦しくないことと知らないことを知ることができるということが、十分なよかったなのだと思うのであった。
「ねぇ、澄ちゃんどうしているかな?」
澄ちゃんは施設での水姫の数少ない友達の一人であった。とはいえ、施設の子供たちは概して口数が少なく会話を得る機会はそう多くなかった。
その中で澄ちゃんは「カーちゃん見せて」と時々、水姫に話しかけるのであった。
「うん。いいよ。カーちゃんはおりこうさんなんだよ」
「へ~」
「さみしいときには慰めてくれるし、オネショはしないし」
このとき澄ちゃんにとって、どうやって慰めてくれるのかより、オネショの方が問題であった。
「姫ちゃんもオネショするの?」
「去年1回したかな」
「これ内緒よ。わたし昨日しちゃった」
「先生には?」
「言ってない。叱られるもん。乾くまで我慢するんだ」
「冷たくない?」
「冷たい」
「ふふ」
「ふふ」
彗星はなおさら友達がいなかった。施設の子供たちは12歳以下がほとんどで14歳の彗星は浮いた存在だったのである。話しかけてくる子供たちはおらず、ただ順と水姫だけが慕ってくれた。そのため、彗星には思い出らしい思い出がない。
順は好奇心旺盛な子供で誰にでも話しかけ、いたずらを仕掛けていた。だから思い出を一番持っているのは順なのかもしれない。
広場に数人の村人が向かってきた。
「はぐれが、村の近くに現れたらしい。僕たちも早く帰んな」
「おじさんたちは見回り?」
「そうだよ」
「ついて行っていい?」
「そりゃ、だめだ」
そのとき、カビウもやってきた。
「彗星君、今日は帰れないわ」
「どうしたの?」
「はぐれを捕まえる作戦会議があるのよ。家には伝言を飛ばしたから今晩はここでお泊りよ」
「じゃあ、3人一緒でい~い?」
「もちろん」
「やったー」
作戦会議は長引いていた。
「はぐれを殺るだけならわし一人で十分だ。問題はこちらの被害をゼロにすることだ」そう言うのは、ノユクであった。
「で、本庁には何を依頼すればいいのかしら?」カビウが尋ねる。
「シールド能力者か結界能力者、捕縛能力者を何人か応援に頼みたい」
「すぐは無理だと思うわ」
「2、3日中は無理か?」
「難しいわね。頼んでみるけど...」
「仕留めそこなって逃げられると手負い化して凶暴さが増していく、1回の決行でけりをつけたいんだ」
はぐれ魔獣とは、何らかの理由で主を失った魔獣のことである。通常、魔獣に限らず魔のものは主を失えば、この世界から姿を消すのだが、どういうわけか、魔のものだけがこの世界に残ることがある。主の残留思念が強いためであるとか、無念を残して主が亡くなったためとか囁かれているが、真実はわからない。
JPPには存在しないが、JPMには野生の魔の巣窟が存在するという噂があるから、魔のものは主なしでもこの世界に存在できるのかもしれない。
季節は夏で、彗星らは村人数人と丸太を組んだ炎を中心に食事をし、雑談をしていた。大きな炎を真ん中にしているのは、はぐれ魔獣対策として十分な明るさを保つためであったが、これが逆にはぐれ魔獣を呼び込む結果となってしまった。
はぐれ魔獣は中心の炎の明かりが届かない闇に潜んでいた。そもそも、はぐれ魔獣の目的など誰も知らない。おそらくはぐれ魔獣自身も知らないのであろう。よって、はぐれ魔獣の次の行動を予測することはできない。
これに気づいていたのはカーちゃんただ1匹だった。しかし、カーちゃんの使命は水姫を護ることにある。カーちゃんはうなることもなく、水姫の胸に抱かれていた。
災難は些細なきっかけで起こることが多い。このときも村人の一人が尿意をもよおし、藪際に向かったことが始まりだった。
村人には少量のアルコールが入っていたが、それでも闇に光る2個の物体を見逃さなかった。というより、目と目が合ってしまった。驚いた村人は、声も出せず腰を抜かしたが、それ以上に驚いたのははぐれ魔獣の方だったかもしれない。
はぐれ魔獣はただただ、水姫に向かって突進した。水姫の胸に抱かれたカーちゃんはこれに反応して巨大化してしまった。
突然に目の前に現れた2匹の魔獣に村人は茫然とするだけであった。予兆があれば、村人もなんらかの策もあったであろうが、今はなすすべもない。むしろ、この異変を感じ取ったのは作戦会議中のノユクであった。そして、お婆も気が付いた。
カーちゃんとはぐれ魔獣はただ対峙し、睨み合っているだけだった。はぐれ魔獣は水姫に突進したのではなく、カーちゃんを同族と見てかけよっただけだから、もとより争うつもりはなかった。カーちゃんも水姫を護ることが使命であるから好んで争いを仕掛けるつもりはない。そして、互いに力量が接近していることを感じたことが睨み合いの最大の理由だったかもしれない。
「カーちゃん、その場所譲って」水姫がカーちゃんを1歩下がらせた。カーちゃんは渋々であったが、主の命は絶対である。
水姫ははぐれ魔獣と目を合わせた。そして、目を捕らえたと思った瞬間、印を結び始めた。はぐれ魔獣は最初抵抗していたが、やがて目がうつろになり、膝をついてしまった。すかさず水姫ははぐれ魔獣の頭頂に手を当て、
「あなたは今日からわたしの僕よ。名前はウタリよ」
と命じた。
ノユクもお婆もこの様子を途中から見ていたが、介入はできなかった。そして、お婆が言った。
「この子は調伏の法をどこで覚えたのじゃ」
この集落の村人で『調伏の法』を知るのはお婆だけであった。しかも、お婆は使い魔などの小物しか調伏できない。
「この子はここに災いをもたらすのか?神となるのか?わしにはわからん」
水姫はこの日から『ポンカムイ(小さな神)』の称号をもらったが、同時にこの集落から旅に出そうという意見が大勢をしめるようになった。皆、何かが恐ろしいというのである。
「もう少し様子をみよう」というノユクとお婆の言はかきけされることになった。
このことをカビウは本庁に伝えた。