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汐端財閥~子煩悩が生んだSHIOBATAの缶詰~

 『汐端財閥』


 この財閥は、東京の荒川区で古くから染色を生業としていた汐端家が各種の事業に成功を収めた事によって形成された。


 その成長の発端は、1879年に千住製絨所が汐端家の屋敷兼染色場の近隣に建設された事にあった。これにより千住製絨所で生産された羊毛を染色して陸軍に納める事業が始まったのだ。

 さらに1900年代になると隅田川からの水利が良いこの地域に鐘淵紡績と東京紡績の大工場が建設され、これら紡績企業との提携事業も始めた事で更なる成長を果たしたのだ。


 さて、汐端家の事業拡大がここまであれば、地理に恵まれた一つの染色業者に終わっていたのであろうが、それで終わらなかったのが一つの要因となったのは「缶詰食品」事業である。


 だが、染色を専らの生業としていた汐端家が、なぜ缶詰に手を出したのかははっきりとしていない。

 また、当時の日本で缶詰は広く普及していた訳でも無く、北海道などで獲れたサケやマスの缶詰が海外に輸出されている他には牛肉の大和煮缶が軍に納入されている程度で、他の実業家の間でもあまり注目されている事業ではなかったのだ。


 しかし一説には、汐端家第十四代当主である汐端 峯雄が、1909年当時5歳であった娘の汐端 扇都に、土産に買い与えた舶来物である果物のシラップ漬け缶のお代わりをせがまれた事が発端であったとも云われている。


 こうして翌年の1910年には早くも汐端家の缶詰工場が建設されて稼動を開始し、築地市場から仕入れ隅田川の水運によって運ばれた各種の果物缶の製造が始まった。

 なお、この果物缶の第一号は峯雄が手づから扇都に食べさせてやったと云われている。


 さらに翌年には果物缶以外の製造も開始され、築地市場からの海産物や三ノ輪屠場からの食肉を缶詰に加工して果物缶と併せて海外へ輸出され、更には幾つかの缶詰については陸軍への納入も果たし、汐端家は新興財閥としての第一歩を踏み出したのである。


 そして1914年7月。

 欧州で戦争が勃発した。


 当初、年の瀬には終結するだろうと予測されていたこの戦争は、それどころか4年間もの長きに渡って欧州全域を戦乱の渦に巻き込んだ大戦争へと発展したのである。

 これにより協商国と同盟国の両陣営で様々な物資が不足する事態に陥り、協商国陣営の一国であるイギリスと同盟関係にあった日本は、協商国陣営から大量の軍需物資の援助を要請されたのだ。


 これに日本は応えるべく、大きな物では樺型駆逐艦(フランス名:アラブ級駆逐艦)12隻がフランスに輸出され、この他、被服や石炭など数々の物資が輸出されたのであるが、これに汐端財閥も目を付けた。


 欧州の地では戦乱によって農地や放牧地が焼け、さらには軍に若者が動員された為に食料生産への従事人口が減っていた事もあって食料が不足していて、食料輸入は急務であったのである。

 このような状態に陥っていた協商国陣営の各国は殊更に海外からの食料品を求めていて、汐端財閥など日本の企業が手掛けていた缶詰食品は喉から手が出るほど欲しかったシロモノであったのだ。


 なにせ、新大陸の合衆国の飯は英国よりはマシとはいえマズイものには変わりなかったが、日本では極東の小国の癖して食に対しては旺盛な姿勢で欧州の料理もよく研究されていて期待が持てていたのである。


 こうして汐端財閥から欧州への第一便としてはまず、既存の製品から欧州の食文化にも合うであろうモノを選別、魚類の油漬缶や野菜の甘露煮、乾パン、バターやジャムの缶詰などが輸出された。

 これらはまずまずの好評を得たのであるが、しかしながらどうにも種類が少なすぎた。


 聞くところによれば、ガリポリという戦線での上陸作戦においてフランス軍のとある大隊に汐端の缶詰ばかりが供され、一週間に渡って乾パン、鰯の油漬け、人参の甘露煮、無花果のジャムという単調に過ぎる献立に陥ったこの大隊で士気が崩壊。総崩れとなり上陸作戦の要であった橋頭堡の一つを確保するのに失敗してしまったという。


 この大隊には質、量の共に問題の無い補給体制が整っており、訓練も十分で練度も問題無かったはずなのだ。それなのに部隊の士気が崩壊したという有様にフランスは驚愕し、その原因となった一因である缶詰を製造した汐端財閥に缶詰の種類を増やすように、最低でも1週間は献立が重複する事の無いよう7種類以上のバリエーションを要求する事となった。


 だが汐端財閥にしてみればこの第一便は、欧州人の舌に自分達が作った缶詰が合うかどうかの試供品のつもりであったのだ。

 その試供品が中味を検める事無くそのまま最前線へと送られてしまったのだから此度の欧州における戦争の苛烈さが伺えるというものである。


 これを受けて汐端財閥では近隣の洋食店から料理人を招いて、シチュー、ポワレ、ポトフ、ブイヤベースなど数々の欧風缶詰を開発、更には既存の国内向け缶詰をも数合わせとした。


 そしてこれら各種の缶詰を、本来であれば種類別に分けて梱包していたのに対し、欧州へ輸出する際にはバラバラにして木箱に梱包し、もし木箱が開梱される事無く最前線へ様にしたのだ。




にとアソートメントに加える事とした。


 こうして

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