プロローグ・間違いだらけの予想
「水上戦闘機、ですかい?イタリアのマッキ社とかが作ったような?あれは欧州大戦の地中海戦域でこそ活躍したが、そろそろ陸上機の発達に付いて行けんだろうに」
まあ、ゲンさんの考察はもっともだ。
しかしながら国際連盟より日本が委任統治している太平洋地域ではまさに地中海と同様な群島と海ばかりの地勢であり、熱帯の気候ゆえに滑走路の造成と維持が困難で陸上機の運用なんか出来たものじゃない。
それに、最近誕生した航空母艦という飛行機を載せられる船で運用する飛行機には、200mが精々の飛行甲板という滑走路長の制約故に大した性能向上が見込めません。
そもそも、陸上戦闘機こそ世界の主流にはなるでしょうけれど、それの開発は三菱や中島が一手に引き受けていて新興の私達が入り込む隙間など見込めないのです。
ならばこそ水上戦闘機です。
「まだ、水上戦闘機の天下はあと一世紀は続くわよ。水上機の利点が故にね。そして、これがこれから作る水上戦闘機の設計図よ」
自信溢れる言葉を言い切ると同時に、製図盤に被せていた帆布をバサリと捲り上げる。
「ま、また双発だ……」
「操縦席が密閉風防、しかもやたら後ろ、視界が狭そうだな……」
「お嬢、こりゃシュナイダー杯の競争機と間違えてないかい?」
「しかも要目に書いてあるベ式五〇〇馬力発動機って、あんまり良い評判を聞かないし、いいのかこれ?」
そうでしょう、そうでしょう。だが、これこそが高性能の秘訣になるのよ。
「これでいいのかって?こうでないといけないのよ。初号機の完成目標は6年後の1940年よ!分かった?これが陸軍に採用されれば、50席級旅客機の開発製造の予算確保なんて夢じゃ無いわ!」
「へ~い。全てはお嬢の言う通りに」
「だなだな。お嬢は変なことばかり言うが、最終的にはなんとかなるもんな」
「そんじゃあ、6年後の完成に向けてのんびり作りますか」
1934年4月14日。
この日、東京市荒川区に小さな飛行機製造会社が発足した。
その名も、東京飛行機株式会社である。
東京飛行機は、その前身である東京飛行機倶楽部から続く水上遊覧飛行機の製造販売を主力としている中小企業である。
そして、東京飛行機には世間の目を引く大きな点があった。
なんと、飛行機の設計をする技術部の部長が女性だったのだ。
彼女の名は汐端 扇都。
関東大震災や欧州大戦で大躍進を遂げた汐端財閥の令嬢にして、1922年には東北帝国大学に在学中の19歳という若さで三等飛行機操縦士免状を取得、日本での女性飛行機操縦士第一号という女傑である。
そして7年後、東京飛行機十五試水上戦闘機として世に現れたその水上戦闘機は正に歴史を変えた。
空に蔓延る陸上戦闘機や艦上戦闘機を、その水上戦闘機は一掃したのだ。
かの敵は我が目を疑ったという。
時代遅れで非力なBMWタイプの500馬力双発が、なぜ2000馬力を積んだ最新型にも勝るんだ?
艇体やフロートが性能の足を引っ張るはずの水上機が、なぜ身軽なはずの陸上機にも勝るんだ?
三等国のジャップが作った戦闘機が、なぜ合衆国の戦闘機にも勝るんだ?
「なぜ?なぜ?なぜ?」
ルーズベルトは晩年、何度もそう零したという。