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悪い夢の時間  作者: ネガティブ
霧に潜む化け物
68/72

じゅうさん

 少年は大きな化け物と目があった。

 しかし化け物は襲いかかることはなくピクリとも動かない。よく見れば胸の辺りに大きな穴が空いている。もう化け物は死んでいるようだ。

 ふぅと息をはいた少年は前を向いて、眼帯をしている女の子の回復に集中する。手と足が血だらけで、顔や服にも血が飛び散っている。何も見えない真っ白な世界で何があったのかはわからないが、化け物との戦いで手と足を失ったということはわかった。

 女の子の目は化け物みたいに赤くなっている。痛くて泣いたのだろう、悔しくて泣いたのだろう、怖くて泣いたのだろう。そして目が赤くなった。

「僕はこんなことしかできないけど、全然役に立たなかったけど、君は僕の力を借りるまでもなく強いじゃん」

「……そんなことないわよ」

「外で何があったのかはよくわからないけど、君の顔は晴れやかだからスッキリしたんだよね」

「……だから、そんなことないって」

「あんな大きな化け物を一人で倒すなんて凄いね。肝が据わっているというか、怖いもの知らずというか」

「……うるさいなぁ、少し黙ってよ痛いんだから」

「ごめん、ごめん」

 二人の回りに漂っている真っ白なものはだんだん薄くなっている。それはこの夢を見ている張本人の心に何か変化があったからだ。

 この夢はもう大丈夫。今回は気持ち悪い笑い声をすらヤツの姿を見なかっただけまだマシだ。ヤツが出てくると面倒くさくなるから。

 女の子は歯を食いしばって痛みを我慢している。少年は無事だったほうの手を握って少しでも役に立とうとしている。

「慰めも同情もいらないわよ……そんなのされたら惨めなだけじゃん」

「惨めだからしてるんだよ」

「……結構キツイこと言うね、こっちは怪我人だっていうのに」

「死なないから大丈夫だよ。死んだらこの夢から出られなくなるからね」

「死んだほうがマシだったかもしれないわよ。目が覚めたらまた来てほしくない明日が始まる、そうなったらまた酷いことを言われる」

「君は強いんだからさ、それぐらいのことじゃびくともしないでしょ」

「貴方は私のことを何だと思ってるのよ」

「大きな化け物を一人で倒した強い女性と思っているけど」

「……呆れて何も言えない」

「それが本来の君なんじゃないのかな? 外では何もできなくて一人で悩んで傷付いていたけど、それをこの夢で爆発させたんだからさ。外でも頑張れるよ、皆がびっくりするぐらい」

 少年は手をゆっくりと引いた。どうやら女の子の回復が終わったようだ。

 手と足から流れていた血は止まったが痛々しい姿なのは変わらない。このままの姿はかわいそうだから、少年は手に包帯を巻き始めた。

 ぐるぐると巻いていく。痛々しいところを隠すように巻いていく。

「結局ここでも私は隠さなくちゃいけないんだ……」

 女の子は包帯を見ながらそう言った。

「私はそんなに醜いのかな? 見るに耐え兼ねるのかな、見ると気分を害してしまうのかな」

 ぐるぐると巻いていく。手が終わると次は足だ。

「夢の中でもこうなるんだ、私はこれから逃れられないんだ」

 少年は黙々と包帯を巻いている。今は女の子に喋らせたほうがいいのかもしれないから。

 視界を狭くしていた真っ白なものはどんどん晴れていく。もうこの夢を曇らせるものは何もないからだ、女の子の心に光が射し込んできたからだ。

 月明かりがとても眩しい。辺りが昼のように明るく見える。心の変化でこうもハッキリと変わるものなのか。心というのはとても興味深い、とても繊細で扱いづらくていつも胸の辺りに居続ける不思議なやつ。

 形はないけれど、目で見ることはできないけれど、確かにここにあってここが痛くなったりあたたかくなったりする。面倒くさいから話しかけても何も答えてくれない、ここがしっかりと答えてくれたらこっちは何も悩まなくても辛い思いをしなくてもいいというのに。それができないから悪い夢を見てしまうんだきっと。

 それがわかってしまうとツマラナイ? 別につまらなくていいよ。傷つくよりはマシで疲れるよりもマシで迷惑かけるよりはマシだから。医学は常に新しくなっているとは思うけど、ここのことに関してはまだそんなにわかっていないような気がする。

 ここが痛まなければ何かに怯えることもない、ここが痛まなければ誰かに殺意を覚えることもない、ここが痛まなければ涙を流すことなんてしなくてもいい。お偉いお医者さん早く治してよ、お偉いさんお医者さんここの病気が完治する薬をください、お偉いさんお医者さんお金なら幾らでも出しますからお願い致します。

「霧が晴れていくよ。それがどういうことかわかるよね」

「……うん」

「心に溜まった悪いものはスッキリしたと思うよ。それでも不安はあるだろうけど、そんなに悲観的にならなくてもいいよ」

「化け物倒したからね、私は」

「そうそう。それがもう克服の第一歩だよ」

「外とここでは違うけど」

「形は違うけど同じものだよ。悪い夢は外での嫌なことや思い出が影響してできる世界なんだから」

「……うん」

 眼帯をしている女の子は光輝く月を見上げた。

 月は明るく眩しくて夜道を照らしてくれる。どんなに暗いところでも、どんなに深いところでも、どんなところでも導いてくれる。

 澄み渡る夜の森の景色は怖いような幻想的なような、いつもと違う顔を見せていてとても面白い。静かだけど風が吹くと気持ちよくて、目を閉じて風の音だけを楽しめて、お腹を空かせた小動物が何かちょうだいと可愛い顔して走ってきたりもして。

「……私はさ、私から逃げられないんだよね」

「うん」

「逃げることはさ、負けたってことになるよね。それは何だか嫌だな」

「うん」

「私は勝負事に負けたくないから、どうせなら勝ちたいから。誰だってそうでしょ」

「そうだね。勝ちたい」

「……頑張ってみるよ。あんな大きな化け物倒せたんだから、一人で倒せたんだから。それと比べたらあいつらなんてちっとも怖くないよ」

「応援してるよ」

「ありがとう。でも貴方は貴方のことを頑張ってよ、私は私のことを頑張るから」

 眼帯をしている女の子はニコッと笑った。

 そして顔の方へと手を伸ばした。眼帯をしっかりと掴んで、それを取り外して今までずっと隠れていた目が恥ずかしそうに出てきて夜のひんやりとした空気に触れる。

 その目を見た少年はびっくりしたが、それについて何も聞くことはなかった。それが女の子が悪い夢を見てしまった原因なのだろうから。わざわざつつかなくてもいい。

 自分を隠すことなく、自分を曝け出した女の子は笑顔で走り出した。静かな夜の森に女の子の笑い声が響く。あははは、おほほほ、うふふふ、とても楽しそうだとても幸せそうだ。

 少年はその様子を静かに見守る。しかしこっちにおいでよと呼ばれてしまった。

 この夢から目を覚ました女の子はまた現実に戻る、そこではまだ何も前に進んでない状況のままだ。でも大丈夫、女の子は強くなったから。外で何があろうと見事に跳ね返すだろう。

 早く来なさいよと女の子に呼ばれる。わかったから待っててと少年は声を出す。遠くの方から女の子を呼ぶ二人の声も聞こえてくる。

 やがて静かな森には楽しそうな声が響く。その様子を月はあたたかく見守る。


 ◇


 目を開けた少年はクローゼットの前で横になっていた。

 木製の長い板のようなドアが四枚並んでいて、中に収納しているものを見えないようにしている。最近は見せる収納というものも流行っているが、そんなお洒落なことはしていない。

 少年はすぐには起きずに横になったままだ。フローリングのひんやりを楽しんでいるのだろうか。

 開いている窓から涼しげな風が入る。もう夏は終わりなんだと感じる。涼しくなるから長袖を出さないと、その前に扇風機を洗って干して乾かさないと、いやそれよりも半袖をまずどうなかしないと。やることが多くて何からやればいいのか迷いそうだ。

 耳を澄ますと虫の鳴き声が聞こえてくる。リンリンリン、ピッピリリピッピリリ、コロコロコロ、ガチャガチャガチャ。彼らは何て言っているんだろう、虫の言葉は習っていないからわからない。

 そういえばユミちゃんは来ているかな。シュウ君が寂しそうにしていたけど。そこでようやく少年は起き上がった。

 少年は空いている窓を見て、少し寒いなと呟いた。寒いのなら着込めばいい、何か羽織ればいい、窓を閉めればいい。だからまずは窓をしっかりと閉めた、鍵も閉めた、これで戸締まりバッチリだ。普段からバッチリのはずだが何故開いていたのかわからない。

 さて次は着込むものか羽織るものだが、それはクローゼットにあるだろう。暑い時期はゆっくりとここで休んでいたけど、涼しくなったり寒くなったら出番が多くなるアウターやパーカーやカーディガンなどはここに収納してある。

 木製のドアの一つを開けてクローゼットの中を見る。そこには色んなものがハンガーにかけてあったり、棚に置いてあったりしていた。

 カーキのモッズコート、まだ箱から出していない新品のオフホワイトのニット、月桂樹のロゴが胸の辺りにある青色のカーディガン、柔らかな手触りとナチュラルな風合いが特徴の上質なラムレザーを使用している茶色のライダースジャケット、金色の砂が落ちている砂時計、アウトドアブランドの黒色のダウン、誰かに貰った高そうなベージュのショルダーバッグ、ダンボールニットを使用した汎用性の高い黄色のパーカー、着こなすのが難しそうなパープルのメルトンPコート、鮮やかなワインレッドが目を引くチェスターコート。その中から一つのものを手に持った。

 それに袖を通して、寒さ対策をした少年はこれであったかいと呟いた。全身を映すことができる大きな鏡の前に立って何やら確認している。

 するとよしと納得して部屋を出た。何に納得したのか全くわからないが。

 螺旋階段の上から下を見るとそこには四人と動物の姿が見えた。そのうちの二人はブランケットをかけて眠っているようだ。残りの二人はトランプをしている。動物は静かに横になっている。

 少年は伸びをしてから階段を降り始めた。いちいち降りるのは大変だ、だから飛び降りたほうがすぐに下へ行けるのにそうしないのは何故だろう。

 この一段一段が大切な何かなのか、それとも意味なんてなくてただの階段なのか、まさかこの階段は悪い夢を助けるたびに一段ずつ多くなっているのか。そんなことはないだろう、でも何かあるんじゃないのかと思えてくる。

 意味のないものでもそこには何かあるんじゃないのかと疑ってしまう。そんなことをしていたら本当に意味のあるものに気づかなくなってしまうかもしれない。そしてそれが最悪の事態を巻き起こすことになってしまったら……いやいや考えすぎだ、そんなことは起こるはずがない。もしそんなことが起きても少年がどうにかしてくれるはずだ。

「おばば、ユミちゃん、ただいま」

 少年はトランプをしている二人に声をかけた。

「おかえり。テーブルにスイートポテトがあるから食いな」

「お帰りなさい! やっと帰ってきた。私は暇で暇でスライムになってしまいそうだったわ」

「スライム?」

「だってこんなにも暇なのよ、びっくりするぐらい何もすることがないのよ、怖いわよ恐ろしいわよ! トランプをしてもそれは同じだったの」

「それはおばばに失礼じゃない」

 クスッと笑いながら床に腰を下ろした。白いソファーはシュウ君と梓さんが寝息をたてて眠っている。

「どうも話が合わないのよね。年齢差がありすぎるのよ、何歳離れてるかはいちいち計算しないけれど」

「あはは、そりゃそうだ」

「おばばそこは笑うところじゃないと思うよ」

「まあとにかく私は暇で暇でスライムになるところだったの。それをお兄ちゃんが助けてくれたのよ! ありがとうと言っておくわ、たまには役に立つのね」

「はい、どういたしまして」

 お皿の上に乗っているスイートポテトを、ラップを外して一つつまむ。楕円形の黄色のソイツはとても美味しそうで食欲をそそる。

 それを半分ぐらい食べる。一口でもいける大きさだがまずは様子見といったところか。モグモグしたら口の中に美味しさが広がっていく。

 すると少年の顔は幸せそうな顔になっていた。美味しいのだ、不味かったらこんな顔にはならない。残りも一気に食べていく。

「スイートポテトはどうだい? まあその顔を見たら聞くまでもないか」

「美味しいよ、ありがとう」

「ふん、当たり前の事をしただけのことさ。礼は要らないからもっと食いな、皆の分はちゃんとあるから遠慮はするな」

 あぐらをかいてニッと笑うおばばはなかなかカッコいい。

 青色のジャケットに、白色のシャツに、ベージュのパンツをはいている。どこで買ったのかわからないような派手派手な服は着ていなくてお洒落だ。

「ねえお兄ちゃん、私と遊びなさいよ! シュウは寝ちゃったのよ、ほんと役に立たないわ」

「シュウ君はユミちゃんが来るのを待っていたよ」

「そうなの? でも寝たら意味ないよね。起きてないと意味ないよね」

「そうだけどさ……これいる?」

 スイートポテトを一つつまんでユミちゃんにすすめる。

「いらないわよ。今何時だと思ってるの? この時間帯は食べたら太りやすいのよ。そんなことも知らないの?」

「……はい」

「ほんとに無知ね、男ってやつは何でこう何も知らないのかしら。まあそういうところが可愛らしくもあるんだけどね」

「……」

 ユミちゃんは怖い子だと少年は思っているだろう。

「それよりさ、見てよこの二人の寝顔」

「寝顔?」

「二人とも可愛いよね。シュウはいつも子供だけど寝顔はさらに子供ね。梓さんはいつもな大人の女性て感じだけど今は少女って感じ」

「ユミちゃんの寝顔も可愛いと思うよ」

「そんなの当然でしょ、今更何言ってるのよ」

 ユミちゃんのお嬢様キャラは絶好調だ。誰にも止められない、いや止めるなんて申し訳ない、お嬢様にそんなことをしたら失礼極まりない。

 おばばはまた笑っている。別に悪いことをしているわけじゃないから起こることも止めることもしない。ちょっとその性格直しなさい、とかそれぐらいは言ってもいいような気がするのだが。

 動物たちは静かに人間の様子を見ている。話しかけたらユミちゃんに何を言われるかわからいから大人しくしているのだろうか。

 恐るべしユミちゃん、お嬢様ユミちゃん、やりたい放題のユミちゃん。誰か注意してくださいそうしないと少年の疲れが全く取れません。

 そう思っているのはここにいるシマウマだったり、リスザルだったり、リクガメだったり、モモンガだったり、ワラビーだったり、ライオンだったり。ここにいる動物たちは少年の味方なのだ。

 ここにいるライオンはイケメンだ。カッコいいライオンのことではない、イケメンという名前のライオンだ。顔が良いか悪いかは今はどうでもいいことだ。

 そんなイケメンが少年を見て呟いた。きっと誰にも聞こえていない。

「そういえばご主人様、最近オイラにかまってくれないなー」











 ☆霧に潜む化け物 おわり☆

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