じゅう
化け物の死体がいくつも転がっている。
頭がないもの、手足がないもの、お腹にぽっかりと穴が空いているもの、肉片が散らばっているもの。見ていて気持ちがいいものではない、この惨状が記憶の一つとして残って目を閉じたときに写し出されるかもしれない。そうなったら気分が悪くなる、頭がおかしくなる、精神が不安定になる。
この生臭い臭いも気持ち悪い。臭いが肌に付きそうで嫌になる。できれば今すぐに消臭スプレーをこの辺りに吹き掛けたい。それでも臭いが消えないときは木に火をつけて燃やしたい。
火によってこの臭いも、散らばっている化け物の死体も、全部全部燃やしてくれるだろう。自然破壊だと怒る人はいるかもしれない、それならあとで木を植えればいいことだ。
新しい木になれば嫌な記憶も書き消される。木のまわりに花を植えればまた書き消される、何処かに行った動物たちが帰ってきたらまた書き消される、すっかり元通りになった森の中を歩いているとまた書き消される。
そうして忘れていく。時間は常に進み続けているから。昔ここで何があったのか、昔ここで誰が住んでいたのか、昔貰ったこのハンカチは誰がくれたのだろうか、昔あの角を曲がるとパン屋さんがあったけど何て名前だったか。
何年後か知らないけど、そのときは自分のことを忘れずにちゃんと覚えていてくれてる人はいるのかな。もし誰も、誰一人として自分のことを覚えていてくれなかったらどうしよう。みんなみんな忘れてしまったら、みんなの記憶から消されてしまったら。
寂しい、悲しい、辛い。
まるで自分という人が存在していなかったように感じるから。誰も覚えていないということは、それだけ自分が影が薄かったのか印象に残らなかったのか。みんなの記憶から消されたということは、記憶に残していても意味がないからなのか。
そうなったらもう自分がどうなろうが誰も気にしない。例え銀行に立て籠ろうとも、例え笑いながら刃物を振り回して次々と道行く人を殺していこうが、例え今から飛び込むなうと呟くと同時に電車に飛び込もうが、例えどこかで野垂れ死んだとしても。
冷たい世の中だ。みんな見て見ぬふりをするから、みんな手を差し伸べてもくれないから、みんな気付いていないふりをするから。関わることによって巻き込まれるのが怖いから、巻き込まれるぐらいなら初めから関わらなければいいのだから。
自分はあんな酷い目に合わなくて良かったと胸を撫で下ろす、僕はアイツらとは違うから大丈夫だと右手の力を抜く、私はスキップでもしながら無関係なのよとアピールする。みんな自分ばかり、みんな自分が大好き、みんな自分のことだけ。
「こいつに仲間が殺された! こいつが仲間に恐怖を与え続けている! こいつが憎い、こいつらが憎い!」
大柄な男は化け物の頭を思いきり蹴飛ばす。
「お前たちがこうなって僕はとても嬉しいですよ。今まで人間をさんざん殺してきた気分はどうでしたか、ねえ答えて下さいよさっさと答えて下さいよ。何も言わないんですか無視ですか、ああもう死んでいますね」
眼鏡をかけた知的そうな男は化け物の死体へとカメラを向ける。
「……」
眼帯をしている女の子は何も喋らずに皆に背を向けている。
少年はその後ろ姿を気にしている。女の子は今この瞬間、いったい何を思っているんだろうと。
化け物を狩ったのは女の子、死体を沢山転がしたのも女の子、引き金を引いて何体も殺したのも女の子。例え憎むべき相手であっても殺したことに対して後ろめたさがあるのだろうか。
いやそんなはずはない、人間を化け物に変えていたじゃないか。人間の姿だと殺しにくいから化け物の姿にしているんだ。それなら引き金を引くときも躊躇ったりしないから。
何故女の子はそんなことをするんだ? 何故人を殺すんだ。
「死んだ化け物なんて何も怖くないな!」
「そりゃそうですよ。もうこいつらは死んでいますからね、動くことはないのですから」
ひょっとして二人の心を悪に染めるためなのか。二人の顔を見ると猟奇的な何かを感じるから。
化け物の死体を蹴飛ばしたり、唾をはいたり燃やしたり。死者への冒涜だ。さんざん人間を殺した化け物なんだから冒涜されても文句は言えないということなのか。
その化け物たちは人間なんだよ。二人の知った顔もいるかもしれない、二人はその人達のことを忘れていないはずだ。知った顔でなくても人にはかわりない。
その事実を知ったとき二人はどう思うのか。今その事実を言ったほうがいいかもしれない、言ったところで化け物を殺した事実は変えられないが。
「…………」
眼帯をしている女の子は何も喋らずに皆に背を向けている。
少年はその後ろ姿を気にしている。女の子は今この瞬間、いったい何を思っているんだろうと。
回り込んで女の子の顔を正面から見たい。そしてその顔がどういうものかを確認して判断したい。
悲しんでいるならあの映像は嘘かもしれないと思える、笑っているならそこに人の心はすでになくて悪にとり憑かれているんだと思える。それは後ろ姿ではわからない、振り向いてくれるとも思えない。
眼帯をしている女の子の心は正義か悪か。マイナスの塊は女の子に化けているのか。証拠はあるがまだ弱い、もっと確かな確証をつかみたい。
「新人は怖がっているのか?」
「えっ」
「さっきから黙ってるからよ、怖がってるのかと思うじゃないか」
「怖がってはいませんよ」
「そうか、それならいいんだが」
大柄な男は少年の肩を軽く手でポンと叩いてまた化け物を蹴飛ばしはじめた。
「リーダーは凄いですね」
「えっ」
「化け物たちをあっという間に一掃するんですから。可愛い顔して一番怖いですね」
「怒られないようにしなくちゃいけませんね」
「新人までそこを突きますか。まあいいでしょう。あれはしょうがないんですよ、もう昔からずっとこうなんですから。負けられません、勝ちたいですから」
眼鏡をかけた知的そうな男は少年の肩を軽く手でポンと叩いてまた化け物へと唾をはいている。
そのとき少年は何だか怖くなった。この異常な光景に、二人の変わりように、女の子の胸の奥深くに沈んでいるものに。
化け物ってなんだ? 人間ってなんだ?
殺されたから殺して、殺したから殺されるのか。
憎しみが増えて人は人でなくなり悪魔になる。人の姿をしていない化け物は悪魔なのか。
どっちが正しい、どっちが間違っている。
泣いている、笑っている。動いている、もう永遠に動くことはない。
嘘とか本当とか、偽物とか本物とか、黒とか白とか。
少年は頭をおさえた。この夢は僕の心を悪くする、落ち着いて対処しないといけないのにそうはさせてくれない。ここにいたら何が本当なのかわからなくなってくる。
人間を殺す化け物は酷い、じゃあ化け物を殺す人間は酷くないのか。どちらも命あるものを仕留めているじゃないか。姿や形が違うだけでそれは許されるというのか、姿や形が違うだけで暴言をはいたり非難したり嫌がらせをしても許されるというのか。
人間とは何様なんだ? 神にでもなった気でいるのか。
人間というものは勝手に彼らの領域に入り込んで、そこを支配して道を切り開いたり彼らを捕まえたり便利な道具を作ったりする。彼らには残念ながらそんなことはできやしない。人間だけができることだ、他の動物とは頭の作りが違うのだろうか。
そうやってどんどん彼らの領域に手を出していく。住みかが奪われる、自然が奪われる、人間に何もかも奪われる。そんな人間に彼らはどう思うのか。そんなこと考えなくてもすぐにわかる、好意的に思っているはずなんてないのだ。
人間は肉を食う、牛や鳥や豚を食べる。人間が食べるために殺される命はいったい幾つあるのか数えることなんてできない。魚だって食べる、虫も食べる人はいる。食べられる側からしたら人間は恐ろしい存在なのだろうか。
化け物が人間を殺していることもそれと同じではないのか。化け物からすれば人間は他の動物と同じで餌だ。だから殺すのだ、生きるために殺すのだ。化け物は何も間違ったことをしていないのか。
ああ心が曇る。僕は心を綺麗に保っていないといけないのに。惑わされてどうする、この夢がこのまま悪に染まってもいいというのか。いやそれはダメだ、まとわりついた嫌な空気を取り払おう。
「また霧が濃くなってきたわね」
女の子のその言葉通り、辺りがまた見えにくくなってきた。タイミングが良すぎる、まるで女の子が自由自在に霧を操っているみたいだ。
やっと顔を見せた女の子は真剣な顔つきをしていた。笑ってもいない、怒ってもいない、化け物を狩ることに集中していた。
なかなか隙を見せてくれない。もう僕の正体に気づいているのかもしれない。そうだとしたら僕も隙を見せてはいけない。
「まだ化け物はいるのか? もう狩り尽くしたんじゃないのか」
「……まだいますよ」
「そうなのか? お前何か心当たりでもあるのかよ」
「前回森に来たときに遭遇したじゃないですか、あんなに印象的な化け物なのに忘れたのですか?」
「印象的……やつらはどれもこれもそんな感じだぞ。恐ろしい顔をしている」
「いやそうじゃなくて、それも印象的ですが。本当に覚えてないのですか? 冗談ですよね」
「俺は今は真剣だ」
「あれそうですか……おかしいな、確かに印象的な化け物いたんですけど……見間違いかな」
眼鏡をかけた知的そうな男は口をぽかんと開けたまま止まった。
僕はどうしたんだろうと声をかけようとしたが、その前に女の子が眼鏡をかけた男の前に来た。
女の子が邪魔で様子が見えない。何をしているんだろう、キスでもしているとは考えられない。そんな雰囲気はどこにもないから。
「何をぼーっとしているのかな?」
「……あれ、僕はいったい何を考えていたんだろう。あ、リーダーおはようございます」
「この霧で頭がやられたのかな? ちょっと飲み物でも飲みなさい」
「はい、わかりしました。ちょうど喉がかわいていたんですよね」
なんだこれは? 明らかにおかしかったぞ。
眼鏡をかけた知的そうな男は何か見たのか。そのことに大柄な男は何も知らなかったみたいだ。僕だってそのことは知らない。
しかし眼帯をしている女の子は知っているのか眼鏡をかけた男に近づいた。そして何かをした。
その何かで眼鏡をかけた男はボーッとしている。ついさっきまで眠っていたみたいに、今まさに夢から目を覚ましたみたいに。
さっき言っていた言葉の中に隠したいものでもあったのだろうか。それが露になるとまずいから女の子は何か力を使って記憶を操作でもしたのか。
さっきの二人の会話は確かこんな感じだ。大柄な男が、もう化け物は狩り尽くしたんじゃないのかと言った。そしたら眼鏡をかけた知的そうな男はまだいると言った。そのあと一緒に会ったと言った印象的な姿をしていととも言った。
それはいつだ。僕が三人と出会ったときのことを言っているのか、それともその前なのか。
一人でこの森に来るとは思えない。一人でこんな所に来たら霧に覆われて道に迷うだけだ。皆で化け物を狩りに来たときに見たのだろう。忘れられないぐらい印象的な化け物を。
「あれ、誰かあっちにいませんか?」
「どこだよ。この森に来るのは俺たちだけだぞ」
「あっちにいませんか、ほらあの木と木の間に」
「だからどこだよ。霧が邪魔してよく見えないよ」
「ちょっと見に行ってくれませんか。貴方ならもしものことが起きても大丈夫ですし」
「まあ俺は強いからな。じゃあさっさと見てくるよ」
大柄な男はそう言って走っていった。
僕は木と木の間にいるかもしれない誰かをここから捜す。霧が邪魔して視界が狭いからよく見えない。こんな中でよく見つけたな。
大柄な男は走っていって見えなくなった。そこにいるんだろうけど霧で見えない。
森に勢いよく風が吹いた。少し霧が晴れて向こうの様子が見えた。大柄な男が走ってくる姿が見えた。
なんだかその顔は必死だった。何かから逃げているような。そして何か叫んでいるような。しかし風の音で何も聞こえない。
何気なく女の子を見たら、その表情は怖いものだった。睨んでいるようなそんな感じ。
何かいるのかと前を向くと、そこには大きな何かがいた。




