ご
出ていけと言われた。
それならもう出て行くしかない。この夢を見ている当人が望んでいるのだから。しかし本当に心の底からそう思っているのだろうか、今この瞬間だけそう思っているのだとしたら。
少年は頭を掻いた。
「どうしようかな、僕は邪魔者なんだよね彼女にとっては」
その時は何故かとてつもなくイライラして、言いようのないほど腹が立つときがある。そんな時はまわりは見えてなんかなくて、自分しか見えていない場合が多い。それも少し経つとおさまってきて落ち着いてくる。そんな時こう思う、なんであんなにムカついていたのだろうと。しょうもないことで怒ってしまった、あんなどうでもいいことで大きな声を出してしまった、なんだか恥ずかしい自分が怖い。
自分を見失っていたみたいになる。コントロールができなかったり、何をしたのか覚えていなかったり、自分が自分ではないかのように感じる。
そして思い出そうとする。自分は何をしたのだろうか、人が嫌がるような悪口を言ったのではないか誰かに暴力を奮って怪我をさせたのではないだろうか、そんなことをしてしまって申し訳ないごめんなさい。
一時の感情が人を悪魔に変えたのだろうか。自分は悪魔になったのだろうか、短い時間だとしても。
「まあ見捨てないけどね」
少年は大きく息を吸って、ゆっくりとはいた。気合を入れているようだ。
視界の先にとらえた人物は自分を忘れているのだろう、ドアノブに手を伸ばし開くかを確認しているだけのロボットのようになっている。決められた作業をただ淡々と、休むことなく止まってしまうまで動き続けるつもりだろうか。
そんなの意味がないことだ。この無数にあるドアのなかから、ただ一つしかない本物を見つけるなんて。
諦めないことは大切だ、しかしこれは無謀というものだ。それとこれとでは全然違う。
「もうやめなよ」
「……次」
「そんなことをしても意味ないよ」
「……次」
「どこまでもあるよ、この夢の中全体に」
「……次のドア」
「本物を見つけることは不可能に近いよ。諦めなよ」
「……次のドア」
「もう探さなくてもいい、だから早く学校へと戻ろう時間がない」
外は夜が終わり、朝へと近づいている。朝になれば目覚まし時計が女子生徒を起こすだろう。そうなったら夢から目を覚ます。そうなるとこの悪い夢から助けられなくなる。
夢に怯える毎日がやって来る。眠るのが怖くなる。そこに存在しないはずのものが見えたりする。夢と現実が同化してここは本当なのか嘘なのかわからなくなる。
最悪の事態だってありえる。精神が不安定になって、壊れてしまって、もう元には戻らないことも。
「……」
女子生徒はドアノブを掴みながら首だけ動かして、少年のほうへと向く。
「僕は出て行かないよ」
少年はただ悪い夢を見ている人を救いたいだけだ。悪い夢から開放された人が、そのあと外でどういう生活を送るのかはどうだっていい。少年は夢の中に現れる王子様なのだから。
「……」
女子生徒は少年と目が合った。しかしその場から動くことはなく、ドアノブを掴んでいる。
「君は新しい場所での毎日に怖がっているだけだよ。だから精神や感情が不安定なんだ、心だって痛んでいるかもしれない」
あんなに良い天気だった空は曇りはじめてきた。
「そんな弱っている人間を狙って、あいつらは夢の中で好き勝手するからこっちは困る。外で散々嫌な思いをしたのに、心と脳を休める場所である夢を黒く染めようとする」
今にも雨が降りそうだ。ゴロゴロと音が鳴り、あちこちで光っている。
「この夢を見ている人にとって嫌なものを見せる。あいつらはそうやって夢を支配しようとする、心を操ろうと精神を崩壊させようと。そんなやつらの言うことを聞くの?」
雨が降り、地面やドアを濡らす。風も吹いてきた。
「あれ見てみなよ、ああやって嫌がらせをするんだよ」
少年は指をさした。女子生徒はその指がさした先を見て、思わずドアノブから手を放した。そして後ずさりした。
指をさした先には学校がある。女子生徒が学校に入ろうと思ったら、何故か突然門が閉まった学校だ。さっきまではどこにでもある普通の学校だったが、今はそうじゃない普通ではない。
黒々としたものが学校から出ていて、校舎には目と口があった。目は笑っていて、口も笑っている。
「……なにあれ」
学校は高層ビル並みの高さまで高くなっていた。そんなに背の高い学校はあるのだろうか。
「あれは人の夢に現れて、心や感情や精神のマイナスの部分が大好物で弱いものいじめしかしない最低なやつらだよ」
やつらは夢を黒く染める。そうやって夢を見る人に悪い夢を見せるのだ。外で存在する様々なマイナス、それらを好み追い打ちをかけてくる。バラバラな家族、すれ違いのカップル、仕事での失敗の連続、慣れない環境の変化、変わらない現状の苛立ち、マイナスはどこにでもある溢れている。
そんなマイナスだらけの世の中から、弱っている人を見つけてとどめを刺すのがやつらだ。それを止めるのが少年ということだ。
『モウ諦メロ。ソノ子ハ頂イタ』
気持ち悪く、恐ろしい声が鳴り響く。
「あげないってば」
少年は女子生徒の手を掴んで歩き出した。
『ソノ子ハ怖ガッテイル、外ガ嫌ナノダ父ガ嫌イナノダ』
校舎にある目と口がニタニタと笑う。
「ちょっと、どこに行くのよ!」
「どこにって学校に」
「嫌だよ! あんな恐ろしいものがあるのに!」
「あれは君が作り出したマイナスだよ。怖いけど我慢してね」
「そんなの無理だよ、私には……できないよ」
風は強く、容赦なく少年と女子生徒に当たる。踏ん張っていないと飛ばされそうな勢いだ。
「できるって君なら」
「……そんなの何でわかるのよ」
「簡単だからだよ」
「何が簡単なのよ、私は悩んで落ち込んで毎日辛いんだから」
「外のことはわからないけどさ、とりあえずこの悪夢をどうにかしようよ」
「なにそれ」
「僕は夢王子って呼ばれて噂されてんだよね? じゃあわかるはずだよね」
「……」
「僕は夢しか救えない、悪い夢しかね」
雨は小雨からどんどん勢いが増している。今はもうまるで滝のような雨だ。
「さあ、早くしないと朝になるよ」
「……わかってるよ!」
「え、なんて? 雨が凄くて聞こえない」
「だから、王子様の役目は何なのかわかってるって!」
「なんて? 本当に聞こえない」
「あーもう、イライラする」
「そのイライラをあいつにぶつけてよ」
「ちょっと、聞こえてるじゃない!」
「今のは本当に聞こえたんだよ」
「あームカつく。私を助けてくれるんじゃないの?」
「助けるけどさ、その前に風と雨が強くて進めないんだよね」
校舎にある目と口は馬鹿にしたように笑っている。この強い風も雨もあいつの仕業だ。あいつが妨害しているんだ。そうやって時間稼ぎをして、朝が来るのを待っているのだ。なんてセコイやつだ。
「どうにかしてよ、悪い夢を助ける王子様!」
「それはできないよいくらなんでも」
「はあ!?」
「ここは君の夢だから、君がどうにかしないと」
「何よそれ王子様が助けるんじゃないの」
「天候は変えられないよ。それはこの夢を見ている君にしかできない」
「そんなこと言われても」
「できるよ、君なら」
「……本当かな? 私にできるかなそんなこと」
「できるできる、ここは夢だよ何だってできてしまう」
「現実では何もできないのに? 文句の一つも、言いたいことも言えなくて、ただ黙っているだけで、そんな私にできるのかな」
「だからできるって、ここは夢なんだから」
「……夢か」
「そうだよ、君が見ている夢の中」
「私にもできるかな」
女子生徒は前を向いた。すると二人の足元にレッドカーペットが現れて、それは学校まで伸びている。
風も雨も二人には当たらなくて、雨は不自然な曲がり方で地面へと落ちている。レッドカーペットの左右はちょっとした川みたいになっていた。
校舎にある目と口は笑うのをやめた。目が大きく驚いてるようで、口はぽかんと間抜けに開けている。
「ね、できたでしょ」
「ほんとにね。超簡単だった」
「夢だから難しいことでも簡単にできる」
「じゃあ編み物とか、フルコースのイタリアンとか、家とかパズルとかもできるかな」
「そんなのすぐにできるよ」
「外でも簡単にできたらいいなー」
「できるよ、君なら」