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悪い夢の時間  作者: ネガティブ
星夜に走る夜汽車
52/72

なな

 お姉さんがそっとテーブルの上にお皿を置いた。そこにはステーキが乗ってあり、依頼主とのディナーもついにここまでやってきた。美味しそうなにおいが僕の鼻に入ってくる。

 依頼主とのお話は、話にならない話だったのかただ単に噛み合ってないだけだったのか、僕の理解力が足りないのかこの悪い夢に遊ばれてしまっているのか。それとも星が光輝くこの空に目も心も体も奪われてしまったのか。

 この悪い夢は出口がない迷路っていうか、答えがない問題用紙というか、終着駅がない電車というか……ん、この夜汽車は何処へ向かっているんだろう。さっきもそれを考えたような気がするけど。

「君はレア、ミディアム、ウェルダン、どの焼き方が好みかな?」

「どれでもいいですよ」

「このステーキはまだ焼き方が決まっていない。食べる人の好みに応じて勝手に焼き上がってくれる」

「それじゃあ決めなくていいから便利ですね」

「そうだろうか? 何でも自分の意思とは関係無しに決められるのは気持ち悪くないか。この世に生を受ける時に人になるか植物になるか動物になるか生物になるか、性別はオスなのか女なのか両方なのか、人だとしら肌の色や髪質や体力や頭の良さなんかも適当に決められる」

「それなら全部良くしますよ、容姿端麗に頭脳明晰のほうが良いこと多そうですし」

「そんな人間ばっかりだとつまらなそうだな。誰も見下せないじゃないか、人は誰かを見下すと気分が良くなるだろ。それをできなくなるとストレスが溜まりにたまる」

 依頼主はナイフとフォークを慣れた手つきで使って、一口サイズにステーキを切って口へと運んだ。

 モグモグと咀嚼して口の中にステーキを広がらせている。僕もナイフとフォークを使って食べることにする。

「美味しいな、このステーキは高級な肉を使っているからな。やはり高いものは良い、僕に合っているし仲良くできる。もっと仲良くしたい、愛してしまうぐらいにね」

「溶けますね、美味しいです」

「満足してくれたか? それは良かった、僕も嬉しいよ。君を招待してよかった、ここに来てくれてありがとう」

「いえいえ」

 なんだか急に優しくなったような気がする。だから気持ち悪いというか不気味というか、何か企んでいるのかなと勘ぐってしまう。

「さて、満足してもらえたから言うが君はさがしものを見つけることができたのかな?」

「さがしもの……」

「この夢に隠れている悪のことだよ。君はその悪を消し去りにきた、それが君の役目であるから」

「その通りです」

「しかしこの夢に悪が隠れているのかは疑問だ。素敵な汽車、綺麗な星、美味しい料理、悪なんてここには居ないんじゃないのか」

「悪はいます、ヤツらはこの夢に確実にいます」

 僕がここにいらのが決定的だ。僕は悪い夢にしか現れない、ヤツらが僕を引き寄せているのか僕がヤツらを呼んでいるのか。

「なるほど。じゃあどこにいるのか教えてくれないかな、わからないのならここには居ないということだ」

「それは……」

「どうしたんだ、もうどこに潜んでいるのかわかっているんじゃないのか。わかっていないふりをするのはやめなさい、僕をからかうのは良いことじゃない」

「からかっていません」

「そう言うなら早く言いなさい。さあさあ、世が更けてしまうその前に言いなさい」

「……」

「君が黙ると僕はやることがないからこのステーキを食べ進めるぞ。そうしたら次はデザート、楽しいディナーはおしまいなんだよ」

 シルクハットを目深にかぶっている依頼主は、僕がまだヤツらの居場所を特定できていないのを知っているのだろうか。だからそうやって急き立てる。

 この夢には悪がいる、それはわかるけど何処にいるのかが全くわからない。悪に染まっているところなんて何処にもなさそうだ、この夢は星空を空飛ぶ夜汽車で走っていて心地よいだけだ。

 この心地よさは悪ではない。しかしあまりにもどっぷり浸ってしまうと夢に捕らわれてしまう。そうなってもダメだ、悪にも夢にも捕らわれてはいけない。

 依頼主のナイフとフォークのスピードがあがる。僕が黙っているから、やることがないから、だからステーキを食べ進めるのだ。

 悪は何処にいる? この夢の何処にいる? 見落としているはずだ、しっかりと見つけないと。

「美味しいなあ、この肉は本当に美味しいなあ。君もそう思わないか」

「そうですね」

「なんだ、全然ステーキが減ってないじゃないか。もう満腹なのか、それとも肉より魚のほうが好きなのか」

「魚はもういりません」

「肉も魚もいらないということは君は野菜が好きなのか、ひょっとして菜食主義なのか。野菜だけしか食べないというのは想像ができない、嫌いってわけじゃないが色んな食べ物を食べたいという欲は出てこないのだろうか」

「肉も魚も嫌いとは言ってないけど」

「朝起きたら野菜、昼も野菜、もちろん夜も野菜。毎日野菜を食べる、他は何もいらない、野菜だけあればそれでいい。そんなに野菜ばっかり三日で飽きる」

「甘いものも食べたいよね」

「まだメインディッシュを食べていないのにもうデザートのことを考えているのか? ならもうその肉は下げてもらおうか」

 依頼主は振り向いて、お姉さんに向けて手招きをした。するとお姉さんはにこにこしながら歩いてきた。

 このままお皿を下げられたらいよいよ最後、デザートの時間になってしまう。この夢の終わりがそこならもう時間がない。

「下げるけどいいかな?」

 お姉さんは僕に確認をとってくれた。

「まだ食べている途中です」

「そうなの? でもほら、彼はつまらなそうにナイフとフォークで音を鳴らしているよ」

「それでも食べるよ。だって捨てるのは勿体ないから」

「ふーん、ぐちぐち何か言われるのにね。そのことがわかっていてわざわざやるかなあ」

「それがやるんですよ」

「ふふ、可笑しいね。変だって言われない?」

「さあね、聞き流すから」

「じゃあ下げないね。もう少しの我慢だから頑張ってね。少年は何もしなくてもいいから」

「えっ」

 お姉さんの最後の言葉が気になる、しかしドアの向こうへと行ってしまった。僕は何もしなくてもいいのか、そんなことってありえるのか、いや何かしないと誰がこの悪い夢を助けるんだよ。

 カチカチと音が鳴るので僕はステーキをさっさと食べることにする。もう冷えたかなと一口サイズに切ったステーキを口に運ぶと、まるで出来立てのように熱くて美味しかった。

 メインディッシュは特別っていうことなのか。まあ冷めてるよりはいいけど。

「何を話していたか知らんがあれは僕の女だ。手を出したら許さないからな」

「お話していただけですよ」

「何の話をしていた? 内容によっては今すぐ君をここから放り出さないといけない」

「僕は客人ですが」

「そんなこと知るか。僕の機嫌を損ねた原因が君にあるのならしょうがない」

「……自分勝手ですね」

「何とでも言え! 僕に逆らうやつは誰であろうと許さない、許しておけない徹底的に潰してやる! そうしないと気がすまない、喉がイガイガしてるみたいになる」

 依頼主はまためんどくさくなった。情緒不安定なのか、二重人格なのか、そのどちらもあるのか。

 この夜汽車に乗ってから依頼主の人格が変わる光景は何度も見た。怒ったり優しくなったり厳しかったり、それらが頑固というかめんどくさいというか関わりたくないことに繋がる。

 もし依頼主に悪が取り憑いているのなら、情緒不安定なのも二重人格なのも納得できる。そして時々本当の依頼主に戻っている。依頼主は戦っている、心を奪われないように悪と戦っている。

 それなら何故それを言わないんだ。さっさと言ってしまったら戦わなくてもいいのに、辛い思いも苦しい思いもしなくてもいいのに、何故それを選んでまでわざわざ。

 そこには僕にはわからない複雑な事情があるのだろう。あくまでもこれは僕の考え、だから本当に依頼主に悪が取り憑いているのかはわからない。しかしその可能性は高い。

「……すすすすまない、僕は何てことをしたんだ。客人にたいして失礼極まりない。ああこんな自分が情けない、惨めだ、かわいそうだ、腹立たしい。許してもらえるなら頭をいくらでも下げます、すみませんすみませんすみませんすみません」

 突然土下座をして頭を勢い良く下げた。勢いがよかったから床に頭をぶつけた。

「やめてください」

「やめられない、こんなことではこの過ちが許されるわけがない。もっともっと誠意をもって許してもらわないといけない、僕はそれほど最低なことをやったのだから。すみませんすみませんすみませんすみません、いくら謝っても足りないいくら頭を床に付けても足りない」

「謝らなくていいです、だから顔を上げてください」

「君のその親切は本当に有難い、しかし僕はそれを受け止めることはできない。それで許されてしまうなんて甘すぎる、これでは人としてどうかしてる、罪というのはちゃんと裁かれなければならない」

「大げさですよ、僕は依頼主と楽しいディナーをしていただけですよ」

「楽しくなんかなかっただろう。君は心の中で僕のことを、頑固やめんどくさいや関わりたくないと思ったはずだ。それを我慢して、食べたくない料理にも嫌な顔ひとつせずに付き合って、嫌がらせでしかないただの魚にも文句を言わなくて……なんていい人なんだ? どうやったらそんなにもいい人になれるんだ? 教えてくれないかな、いい人になる秘訣を」

「ちょっと待ってください、なにがなんだかわからなくって」

「難しいことなんかじゃないんだ、君はいい人で僕は悪い人。ただそれだけのことだったんだよ。それなのに僕は偉そうに君に言葉をぶつけてしまった、言葉の暴力ってやつをしてしまった、身体的には傷は付かないが精神的に傷を付けてしまった」

「僕はどこも傷付いていません。だからそんなに自分を責めないでください」

「……君はなんて優しいんだ、暖かいよ君はまるで太陽みたいだよ。僕は誰かにそうやって優しくできていたのだろうか、いつも口うるさくて怒ってばっかりだった。ああ全然優しくしていない、そりゃ恨まれる嫌われる嫌がられる疎まれる」

「もういいですよ、そんなこと言わなくても考えなくても」

「よくはない、考えないといけない、ちゃんと自分と向き合わないと何も解決なんてしない。自分のことは自分でどうにかするしかない、だから謝るしかない誠意を見せるしかない。許されるのには時間がかかるだろう、一生僕に付いてくるだろう、しかし逃げることなんてできない」

 そう言ってまた頭を床に付ける。勢い良く下げたから床に頭をぶつけた。それを何度も何度も繰り返している。見てられない、もうこんなの見たくない。

 謝っているのは僕に投げ付けてきた言葉に対してなのか、今まで自分に関わってきた人に対してなのか、自分自身に対してなのか。そんなのどれでもいいんだけど、僕はこの姿をいつまで見ればいいんだろう。

 すみませんすみません、その言葉と同じぐらい床に頭をぶつける。すみませんすみません、それでもシルクハットは目深にかぶっている。すみませんすみません、僕は今すぐ手を引っ張って止めるべきだろう。

 そしてハッキリと言わないといけない、依頼主は悪に取り憑かれていると。

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