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悪い夢の時間  作者: ネガティブ
星夜に走る夜汽車
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 依頼主はフォークで野菜を突き刺して、くちゃくちゃと音をたてながら食べている。食堂車に流れている素敵な音楽とくちゃくちゃは正反対の位置にいそうで、とてもじゃないがコラボレーションなんてものはできない。素敵な音楽にとっても失礼だ。

 相変わらずシルクハットを目深にかぶっていて表情が伺えない。何かを食べるとき、飲むとき、その時は口元は見えるがそこから上はなかなか見せてはくれない。

 隠しているのか恥ずかしいのか、傷やニキビなどがあってあまり見られたくないのか。顔が見れたからって依頼主のこの、頑固というかめんどくさいというか関わりたくないというのは何も変わらないだろうけど。何か変わるとしたならシルクハットで隠れているその顔を見たい。

 窓の外はキラキラしている。下も上も星のように綺麗だ。だからこの夜汽車は星と星の間を走っている。

 こんな素敵な世界にもし恋人といたら二人の仲はより深まるだろう、気になっている異性といたら何だか上手くいけそうな気がしてくるだろう。僕にはそんか経験がまだないけど。

 しかし目の前にいるのは恋人でもなくて異性でもなくて、僕を呼び寄せた依頼主だ。僕は依頼主と食事中、お話をしながらゆっくりと流れる時間の中にいる。

「サラダには血液をアルカリ性にする働きがあるということを君は知っているかな?」

「いいえ、知りませんでした」

「ふん、そんなことだろうとは思っていたがね。君は知らないことが多すぎないか? 無知というのは何かと不便だぞ」

 ごちゃごちゃ言わずに早く教えてくれればいいのに、と言いたいけどそれはぐっと堪えることにした。わざわざそんなことを言っても疲れるだけだ。

 全てにツッコミを入れていたらきりがない。ツッコミをしないことも大切だ。

「教えてやろう、僕は君の知らないことを沢山知っているからな。このあと出てくる肉料理には血液を酸性にする働きがある、だからあらかじめ先にサラダを食べて血液のバランスを取るってわけだ」

「なるほど」

「理解したのか? それも疑わしいところだがまあいい」

 そう良いながら次々とフォークで野菜を突き刺していく依頼主。僕も野菜を突き刺して食べる。

 サラダにはドレッシングがかかっているから食べやすい。しかし野菜嫌いの子どもにとってはドレッシングぐらいでは克服できないだろう。味や見た目、それを隠して形を変えたり混ぜ混んだりすれば食べられるかもしれない。

 因みに僕は野菜嫌いではない。例えそれがウソだったとしてもここでは、目の前に座っている依頼主の前なら好きになることができる。何か欠けていたらそれにたいしてちくちくと刺してくるから。それならウソをついたほうがちくちくされなくてすむ。

 それは別に僕のことを嫌っているからとかそういうことじゃない、もうこれは持って生まれたものなんだ。そういうのは本人の努力で変化させることができるだろう、それが負担になり気にかかり心にマイナスを生み出してしまって悪い夢を見ているのなら僕が変化へと導かなければならない。

 人の心を動かすというのは簡単なことではない、とても難しくて大変なことだ。夢の中ならなおさら大変だ、ここはその人が作り出した世界であり僕は勝手に入ってきた部外者だから。関係があるといえばあるけど、関係がないといえばない。僕はおせっかいなんだろう、でも無視することはできない。

 外では助けてくれる家族や友達がいるかもしれない、しかし夢の中では家族も友達も助けることはできない。他人の夢に入ることはできない、一つの夢を共有することはできない、だから僕がいる。

「そもそも僕が話している言葉は全て正しいのか? いや正しいとはいったい何なのだ、誰が正しいと決めるのだ正しい基準とは何なのだ。わからなくなってきた、そして恐ろしくなってきたよ」

「急にどうしたんですか?」

「急ではないんだよ、君と僕の時間軸は異なっている。君は急と言ったが、僕は君よりも長い時間ここに座って姿が見えない悪魔に怯えていた」

「悪魔?」

 それはこの夢を悪くしているヤツらだろうか。それとも全く違うものか。

「僕はいつもこの夜汽車に乗っている、気付けばここにいる、そしてずっとずっと客人を待っていた」

「その客人って……」

「ああそうだ、君のことだよ。やっと来てくれて嬉しいのだが何かが起こりそうで怖いのだよ」

「それが悪魔?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。君が来たことによって日日是好日だった毎日が崩れていくなら、それは君が悪魔だということにならないか」

 依頼主は酷く震えている。頭を、歯を、肩を、手を足を、全身を震わせている。

 しかし椅子から立ち上がろうとはしない。僕がもし悪魔だと言うのならここから離れたいはずだ、僕へと攻撃をしてもいいはずだ。

 何故それをしない?

「君は悪魔なのだろうか、そうじゃないのだろうか。さっきまでよく見えていた顔がわからなくなってきたよ」

「大丈夫?」

「……君はそんな声だったか、もっと高い声だったような。ああ頭が痛くなってきた、なんなんだこれはどうなっているんだ」

 両手で頭をおさえている依頼主は誰が見ても辛そうだ。シルクハットで表情は見えないがそれはわかる。

 僕は立ち上がって依頼主へと駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「やめてくれ! 触らないでくれ! 汚れてしまう! 僕は美しい存在なんだ、だから誰にも触られたくはない」

「わかった、席に戻るよ」

「ありがとう、君は悪魔ではなさそうだ。悪魔ならこのタイミングで僕を丸飲みにしただろう」

「とりあえず飲み物を飲んで落ち着こうよ」

「そうだね、僕は今不安定の中に立っているから。綱渡りをしているパフォーマーの足下のように、綱がゆらゆらと揺れていて地面へと落下しないか気にしているみたいだ」

「自分を見失ったらいけないよ」

「ああそれはわかっている、だから悪魔に心を持っていかれないように注意しなければならない。いつ飛び出してくるかわからないから」

 肩で息をしている依頼主はグラスを手に持ちながら落ち着くのを待った。そして飲み物をゆっくりと飲む。

 赤というか青というか、黒というか茶色というこの飲み物が、体の中へと入っていって果たして落ち着けるのか。飲み物のなかには心を落ち着かせるものがあるけど、この飲み物は見た目がとにかく悪いから落ち着けるようには思えない。

「はぁ……はぁ……」

 グラスをそっとテーブルに置いたが荒い息を出している。飲み物を飲んだぐらいでは落ち着けないということだろうか。

「落ち着きましたか?」

「ああ、少しは落ち着いた。僕はいったい何故こんなに慌てていたんだ、何も怖いものなんてないはずなのに。ここは僕の夢の中なのだから」

「でもここは悪い夢ですよ」

「そうだとしても僕の夢だ。ここでは僕が一番偉い、現実の世界でもそれなりに偉いが面白味がない世界だ。それにたいしてここは面白い、夜汽車に乗って何処へでも行ける」

「夢の中で旅行を?」

「現実の世界では忙しくてな、眠っている間に旅行に行けるのは時間短縮ができる。残念なのはお土産や写真、それらは夢から覚めたら全て消えているということだ」

「心に残るから良いじゃないですか」

「心に残してどうする? 思い出して懐かしんで切なくなるだけだろう。そうしないために上書きしていくんだよ、そうしたら綺麗なあの景色はすぐに忘れてしまえるから」

「なるほど」

 いやいや全然納得できないから! 僕は思い出というものは大切にしたい。思い出したくないこともちゃんと。

 大げさかもしれないけれど、思い出っていうのは今まで歩いてきた道みたいなもんじゃないのかな。緩やかな道の時は楽しかった思い出があって、険しい道には辛かった思い出があった。良いことも悪いことも今日という日まで一本道となって続いている、そしてこれからも道は続いていく。そういうものなんじゃないのかな。

 だから思い出に捕らわれて立ち止まってしまう人もいるっていうのはわかる。そんなことをしたくないから依頼主は上書きをしていく、そういう気持ちもわかる。思い出という過去を気にせずに今を歩ける人ばかりではない。

 僕もそうなったかもしれない。今での心の何処かで思い出がチカチカ光る。まるで僕を誘っているみたいに。

「僕はさっき少しおかしかったのか?」

「えっ」

「記憶にないのだがついさっき僕は我を忘れていたただろ、それはもう過去のことだ忘れてくれて構わない」

「……忘れろと言われても気になりますよ」

「いつまでも過去の遺産にしがみついているヤツがいる、たいした事もしていないのに歴史に名前を刻んだヤツがいる、何故か知らないが知名度だけは馬鹿みたいにあってそれで老いぼれてもどうにかなるヤツがいる。そいつらは全員過去に捕らわれてもう今は枯れきっているんだよ」

 汽笛が鳴った音が聞こえた。モクモクと煙を出しているだろう。

「枯れ木に花は咲かない、枯れるっていうのは死んだと同じだ。僕はそんな死人と同じようになりたくない、僕は綺麗な花をこんなにも咲かせている、僕は今を生きているそして手に入れた地位だ文句を言われる筋合いはない」

 窓には綺麗な星が沢山見える。キラキラと光っていてまるで宝石のよう。あの一つ一つが宝石だとしたら全部で総額幾らぐらいになるのだろう。

 テレビも冷蔵庫も簡単に買えるかな、車や家も余裕で買えるかな、土地や企業も笑いながら買えるかな。人さえも買えてしまうのかな。

 お金に溢れるとおかしくなりそうだ、想像しただけでもおかしくなりそうだ、欲なんて人を狂わせる麻薬みたいなものだ。ひょっとしたら麻薬よりもきついかものかもしれないけど。

 僕は依頼主とお話をしていると、僕ではない僕へと変わってしまいそうだ。

 その時ドアが開いてお姉さんが歩いてきた。手にはまた新たなお皿を持っている。そこにはまた新たな料理が乗っている。

「さあ僕との楽しい食事は折り返しだ、この食事が終わるまでに君は何ができるだろう」

「それがタイムリミット?」

「君はこの夢のどこに悪があるのかまだわかっていない。何故わからない? 君には不思議な力があるのだろう、悪い夢を救うという使命があるのだろう」

 依頼主が話したいる間にも、お姉さんはにこにこしながらお皿を下げて新しいお皿を置いている。

 テーブルに新たに置かれたお皿には魚が乗っていた。何の調理もしていない、海や川で釣り上げてそのままここに持ってきたような魚。三枚に下ろされていなくて、このまま海や川に放したらすいすいっと元気よく泳いでいってしまいそうな魚。どこからどう見ても魚、誰が見たとしても魚、肴じゃなくって魚。

 なんなんだこの適当な感じは。お姉さんをチラッと見たらにこにこしていたが、お姉さんがこんなふさげたことをしたとは考えにくい。だとしたらこんなことをしたのは。

「君は今何を思っているのか。時間がない、この魚はなんだ、それよりも早く悪を見つけ出さないと、いやフルコースを楽しまないと失礼だ、そうやって考えをぐるぐる旋回させているのだろうか」

「……」

「君は黙っているな、この突然降りかかった難題にパニックになっているのだろう。それも無理はない、だがこの難題を潜り抜けないと君は前に進めない」

「……」

「さあ魚料理をどうぞ、僕は少し休憩してから食べるよ。だから君から食べなさい、遠慮などいらない」

「……」

「黙っていては何も起こらないぞ、そうやって黙り続けて空気と一体化するつもりなのか? それはそれで君の勝手だが、空気になってしまったら食事相手がいなくなってしまう」

「……」

「君が黙り続けるのなら僕も黙ろうか。そして二人とも空気となってこの場からいなくなってもいいか」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……魚臭い」

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