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悪い夢の時間  作者: ネガティブ
桃色の花が咲く季節
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よん

 少年は静かに頷いた。

 なるほど、女子生徒はそのことが原因でこの悪い夢を見てしまっているのか。そうだとしたら解決は案外早いかもしれない。外のことはわからない、でもこの悪い夢を消し去ることならできる。僕はそれしかできない、僕はそれが役目なのだから。

 その場に座り込んで泣いている女子生徒、泣いても何も変わらなくて目の前に広がるのはただの夢であって。女子生徒がこの夢から目を覚ました時、そこに広がる世界は夢なんかじゃなくて現実であって。夢のことはいったん忘れてくれれば良いけどそうじゃなかったら、現実にまでも引きずって持って行ってしまったら。

 夢うつつで自分がどこにいるのかわからなくなったら、ここはドコであれは本当なのか嘘なのかわからなくなったら。

 しかし外のことはわからない、少年は夢に現れる王子様なのだ。そう巷では噂されているらしい。

「もう泣き止んでよ」

 さっきから泣き続けている。少年はその悲しい声や表情を見るのが嫌みたいだ。誰だってそんな表情を見続けたい人なんていない。悲しいというのは幸せではない状態なのだから。

「……わ、わたしは……悪くなんかない」

 それはもうわかった、悪いのは君のお父さん。お父さんが全部悪くて、こんな悪い夢を見てしまったのもお父さんが悪い。だからもう泣かなくてもいい、悪いのは君じゃなくて君のお父さんだ。君は悪くない、一つもこれっぽちも何も悪くない。

「今まで通りでよかった……なのに、どうして……」

 それは君のお父さんにしかわからない、お父さんに直接聞くしか真実はわからない。でもこうなんだろうなと予想することは僕にだってできる。

 君は何故泣いている? それはお父さんの力で合格したから。合格したことが原因の一つだとするなら、君は本当は合格なんてしていなかったんじゃないのかな。それを君のお父さんが捻じ曲げて、不合格から合格となったわけだ。そんなことをしたお父さんを君は怒っているのか、最低だと思っているのか、それで泣いているのか。

 それとも君が悪い夢を見てしまった原因はほかにもあるのか? そうだとしたらいじめられたとか。君が合格した経緯を誰かが知って、それが広がっていって君は孤立して。本来居ないはずの人間がいるのだからそれはとても不思議で、違和感もあるし少し怖い。黒々とした何かが皆を包み込んで君はいじめられたのかもしれない、もう君自身がいないものだと扱われているのかもしれない、そのどちらかもしれない。

 無いはずの物がそこに有る、それはとても怖いことだ。でも大事なものがいつの間にか無くなっていて、それがたまたま見つかったら嬉しくなる。これとはまた違うのだろうか。

「ねえ、ハンカチとティッシュどっちがいい?」

「……なにそれ」

「涙をふいて、鼻水もちゃんととらないと」

「……」

「もう朝は近いよ」

「え?」

「朝が近いから急がないと。朝になると目覚まし時計が鳴るでしょ、それで起きなくても起きてこなかったら誰かが起こしに来る」

「そうなると起きちゃう……」

「そういうこと。だから急がないと、君次第でこの悪い夢からさよならできるんだから」

「????」

「そんなに悩まなくていいよ、ここは君の夢なんだから」

「王子様は何を言っているの」

「もう一度聞くよ。ハンカチとティッシュどっちがいい?」

「どっちも」

 少年は女子生徒にどっちも渡した。ハンカチは青と黄色のチェック柄だ。

 女子生徒はハンカチで涙をふいて、ティッシュで鼻のあたりを綺麗にふいた。ハンカチはありがとうと言って少年へと返した。ゴミとなったティッシュは捨てたいけれどこの場にゴミ箱なんてなくて、しょうがないからそこらへんにポイと投げて捨てた。

 夢だから良いけど外ではきっと駄目だよねと少年は呟いた。ゴミはゴミ箱に。

「なんだかスッキリした」

 女子生徒の表情は雨上がりのようにスッキリしている。目は赤いけど、涙が出てくるような心配はなさそうだ。

「泣くとスッキリするらしいね」

「そうだね。何故だろう?」

「僕は知らないよ」

「私も知らない」

 ふふっと女子生徒は笑った。少年もふふっと笑った。なんだか面白い、可笑しい。ギャグを言ったわけではないのに、巧みな話術を使ったわけではないのに。なんだかオモシロイ。

「ねえ、振り向いて」

 女子生徒は少年に言う。振り向いたらそこには並木道があって、桃色の花がいっぱいあって、どこにでもあるような街並みがあるはずだ。

 しかし少年が振り向いたらそこにはドアがあった。それも数えきれないぐらい沢山。

 さっきまでそこにあった街並みは消え去って、変わりに現れたのはどこまでも広がる草原。遠くのほうにもドアがあって、きっと見えていない場所もドアがあるのだろうと思う。

「ドアだね」

 その種類は様々で、木製や鉄製や観音開きや電子ロックがついたものがある。形だって色々ある、丸だったり長方形だったり三角だったり。

「ここから学校へと通じる本物のドアを探さないといけないの」

 女子生徒は立ち上がると、数歩歩いて沢山あるドアを見渡した。どこを見てもドアだ。

「そりゃ大変だ」

「私がお父さんの力を使って合格したからこれはその罰なの」

 女子生徒の後ろに佇む学校はなんだかさっきより大きく見える。気のせいだろうか。

「正門はぴくりとも動かない。それは私が本当は合格していないから」

 一歩、また一歩とドアに向けて歩く。その後ろ姿を少年は見ている。

「だから私は正門からは学校に入れない」

 一つのドアの前で足を止めた。ドアノブへと手を伸ばす。

「裏口を見つけないといけない」

 ドアノブを引いたが開くことはない。押してもそれは変わらない。

 また違うドアへと歩いて行って、ドアノブに手を伸ばした。しかしまた開くことはない、押しても同じだ。またまた違うドアへ、しかし三度目の正直なんて無くて開くことはない。押しても無駄だ。

 一つ一つ確認していったらいったいどれぐらいの時間がかかるのだろう。そんなのは考えたくはない。いつ終わるのかわからない果てしないことだ。

 それでも本物のドアを探さないとこの夢は消えない。また明日も明後日も、その次の日も来週もいつまでも現れる。だから探し出すしか悪い夢を消せる方法はない。

 ドアノブへと手を伸ばす、開かない。ドアノブへと手を伸ばす、開かない。その様子を見ている少年は歩き出した。

 例え開かなくても落ち込むことはない、開かなかったらそこにあるドアを確認すればいい。そこがダメだったら次はあっち、あっちも駄目ならそっち。そんな感じで女子生徒はひたすら手当たり次第に本物のドアを探している。

 こんなのは数撃ちゃ当たれだ。狙いなんてない、定めてもいない、そのうち本物が当たるだろうと思っている。

「これは罰なんだ。一人だけ楽して合格した」

 女子生徒は少しずつ学校から離れていっている。

「皆努力して、頑張って合格したのに私は」

 女子生徒は無我夢中でドアノブに手を伸ばしている。

「私が合格したことによって、本来合格するはずだった人が落ちてしまった」

 女子生徒を見下ろすかのように学校は佇んでいる。

「その人は今どうしているだろう。ほかの学校で楽しく笑っているかな」

 女子生徒の足は止まることなく次のドアへ、手も休めることなく次のドアノブへ。

「それとも落ちたことがショックで……」

 目つきがかわった。まるで何かに憑りつかれたかのようにスピードを上げてドアを確認している。

「私を恨んでいるかな、お前のせいで私は合格できなかったって」

 ガチャガチャ、鍵が閉まって開かない音が次々聞こえる。

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 また次のドアノブへと手を伸ばした。

 しかしその手はドアノブを掴むことはなかった。何故なら、少年が女子生徒の手首を掴んでいるからだ。女子生徒は少年を見つめている、その目は悲しくも怒りもなくどれにも属さないものだ。

 抵抗することはなく、女子生徒は少年に本物のドアを見つけるという役目を止められている。

「もうやめよう」

「……」

「こんなことをしても意味はない」

「何故?」

「本物はこの中から一つなんでしょ? それを見つけるなんて至難の業だよ」

「それでもやるしかないの」

「だからそれが無意味なんだって」

「難しいことでも、いつ終わるかわからなくても、これが私の罰なんだよ」

「それは違うよ」

「何が違うの? 私の役目を奪わないでよ。ここは私の夢なんだから」

「このままじゃ君は夢に溺れてしまうよ」

「そうなったとしても、私に何か言う資格なんてないよ」

「そうなったら辛いよ」

「もう覚悟したほうがいっそ楽。スッキリしてそういう考えになったの」

「楽なんかじゃない。夢なのか現実なのかわからない毎日がやってくる。そうなったら心が壊れてしまう」

「それで私がどうなろうともういいよ。お父さんが全部悪いんだから思い知ればいい」

「君はそれで満足なの?」

「もうこの現状は良くならない、だったら悪くなったほうがスッキリする」

「それはただ意地を張っているだけだよ」

 少年がそう言った瞬間、女子生徒は手を振り上げて自由になった。少年の手は手首を掴んでいない。

 二人の傍にはドアがある。まるで二人を囲んでいるようにも見える。

「もう王子様はいらない」

 声はハッキリと聞こえる。ここには二人以外誰もいないのだから。

「今すぐに私の夢から出て行って!」

 遠くのほうまでよく聞こえそうな、それぐらい大きな声でそう叫んだ。


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