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空を走る夜汽車は皆からは見えないのだろうか? 汽笛や煙、客車の明かりなんかですぐに気づくような。地上を見ればとくに慌てた様子はなくて、車は普通に走っているし人は豆粒みたいに小さいけど沢山動いている。
僕は窓から離れて再び椅子に座った。
前に座っている依頼主はシルクハットを目深にかぶっていて顔を見せてはくれない。人とお話する時はちゃんと目を見たほうが良いと思うのだけど。
この夜汽車へと連れてきてくれたお姉さんは何処かに行ってここにはいない。でもこの夜汽車のどこかにはいるはずだ。
「窓から見えたものはどうだったかな?」
「綺麗だった。夜景なんてあんまり見ないからね」
「あの光が人の命の光だとしたらどう思う?」
依頼主は手すりに手を置いてとてもリラックスしながら、僕にそんな質問をしてきた。
「沢山の命がキラキラしていて、皆生きているんだなと思う」
「生きているということは素晴らしいことなんだよ。美味しいものを食べることができて、綺麗な景色を観ることができて、仲良くなる友ができたり愛する人もできる」
「うん」
「片や胸の辺りにあるコレが動きを止めてしまったら、それらはもう何もできなくなる。未来も何もない、天からのお迎えが来て連れていかれていく。そこから先はどうなっているのかはわからないが、天国という所へ行くのだろうか」
「依頼主さんは死が怖いの?」
「当たり前だろう。いつまでも元気に生きていたいというのは人間の性だ。この不平等な世界に、死というものは皆平等に与えられている。歴史に残るような残虐なことを行った人物にも、富で溢れて贅沢三昧の毎日を楽しんでいる人物にも、その日食べるものを探すのに必死で常にお腹を空かせている人物にも、争いとは無縁の平和な国に生まれ特に変わったことが何もなく年を重ねている人物にも」
「悪人は地獄に落ちるんじゃないの?」
「落ちるかもしれないし、落ちないかもしれない。誰も地獄に行ったことがないのだからわからない。その考えは間違っているかもしれない、しかし合っているかもしれない」
「難しいですね。答えがわからない問題を考えるのは」
学校のテストのように、問題にたいしてちゃんと答えがあるほうがわかりわすい。そうなんだと納得できる、それを覚えておけば賢くなったような気でいれる、だから答えがない問題というのは難しく感じる。世の中答えがない問題ばかり、だから人は悩んだり考え込んだりするんだろう。
答えがないのだから答えなんて人それぞれ違う。十人いれば十通りの答えがあるはずだ。同じような答えにかぶってしまう時だってあるだろう。しかし考えて考えて、導きだした答えなら信念があるはずなんだ。
それが例え上手くいかなかったとしても、自分だけ一人がその考えだったとしても、誰になんと言われようがそれは間違いではない。自分が決めたことだ、それなら責任は自分にある、だから文句なんて言わせない邪魔なんてさせない。
回りに流されずに自分を貫き通す。それが信念というものなんじゃないのか?
まあ僕にはそれが有るのか無いのか、そんなのわからないけど。だけどこれだけはハッキリと言うことができる。僕は紛れもなく僕だということを。
「この世界はそんなのばっかりだ。政治家の国民を無視した政治をどうにかできないですか? 隣国の暴挙を許せないのですが何故それについて何も対抗しないのですか? 火山の噴火や激しい大雨や何もかも吹き飛ばす台風や大地を揺らす地震がいつ起こるのか正確な時間を教えてくれませんか? 人の心が悪に染まると誰かを傷付けますが人の心が善に染まると誰かを救ったり助けたり癒したりするのでしょうか? そんな問いを投げ掛けられても簡単には答えられるわけがない」
「でも僕らの答えでこの世界が変わるとは思えないけど」
「君はとても消極的だな、それじゃあダメなんだよ馬鹿にされてしまうぞ。誰も真剣には聞いていないよ、だから適当に答えればいいんだよ」
「でもさそんな質問をした人にとってはとても重要なことなんじゃないの?」
「そんなの知らないよ」
「えっ……知らないって」
「君はエスパーか何かかな? 他人の心を読み取るなんて芸当僕にはできない。そんなことが出来てしまったら外を歩けなくなってしまう。誰かが横切るたびに心を読めるんだぞ」
「……そんなこときいてないけど」
「嗚呼誰かの心の声が聞こえてくる、この声は気になる人へと思いを伝えるかどうか迷っている。僕はここでそっと背中を押してあげるべきなのか、どうせ失敗するから悲しむだけだそんなことをしても傷が付くだけで何も良いことなんてないだからやめろと言ってあげるべきか。嗚呼どうすればいい、嗚呼誰か僕に教えてくれないか、嗚呼この声が誰かに届きますように」
そう言いながら依頼主は手を左右に広げた。僕はその様子をただ驚きながら見ていた。彼の行動は予測不能だから。
話も何だか上手く噛み合わない。というか話にならないような、いやそもそも話になっていないような。とにかく向こうの調子に乗せてはいけないということだけはわかる。わかるけど調子に乗せてしまっているのは僕の体力や精神力がどんどん奪われているような気がするからなのか。
依頼主の表情はシルクハットで隠れているけど、きっと笑っているだろう。だって両肩が小刻みに震えているし。何がそんなに面白いのか僕にはサッパリわからない、きっと僕以外の人にもそれはわからないと思う。依頼主のことをわかる人なんて本人だけなのかも。
自分のことを、自分ではない誰かにわかってもらうのはとても難しいことだ。その誰かは僕のことをどんなに愛してくれたとしても僕のことはわからない。僕は僕だけのものだから、誰かのものではないから。誰かが僕になれたらとしたら僕のことがわかるのだろうけど。
例え僕に関するあらゆることがわかっていたとしても、それでも僕の全てをわかることなんてできない。僕自信がまだ僕という人間のことをちゃんとわかっていないから、だから誰かにわかるはずなんてないのだ。
そんなに全てを知らなくてもいい、僕も近くにいる人の全てをあまり知りたくはない。知らなくてもいいこともあるだろうから。もしそれを知ってしまって、ギクシャクしたら空気が悪くなってしまう。
しかしそんな僕の願いを無視してこっちに向かってくるのはありとあらゆる……そういう運命の中に僕はいる、だから丸見えだけど許してね。
話が逸れてしまった。依頼主はまだ何やら話している。でも何を言っているのかは耳に入ってこない。彼との話はもううんざりだと拒絶しているのだろうか。
身振り手振りで何かを熱く話している。せっかくそんな熱くなっているのに全然聞こえてこないのは申し訳ない。話を聞いていないことがバレたら怒るかな、そのことについてよりいっそう熱くなるかもしれない。
熱くなると回りがよく見えなくなる。その熱くなっていることへと強い視線が送られて突き進む。どんなに騒がしくても、邪魔をされても、関係ないねと言わんばかりに。
「空疎な話はこれぐらいにして、そろそろディナーでも食べないか?」
お腹をパンパンと軽く叩きながら、依頼主は明るい声でそう言った。
やっとこの話から解放されると思うとホッとするけど、食事をしながらお話をするんだろうなと思うと食事どころじゃない。せっかく招待されたのだから食事を楽しみたい。しかし何故か招待してくれた依頼主は、僕を楽しませてはくれなさそうだ。
悪い人では決してない、それはわかったけどいい人でもなさそうだ。
それにしても空疎って!
「はい、お腹空いてきました」
僕のその一言で依頼主はすっと立ち上がった。立ち上がった時の勢いで頭にかぶったシルクハットが飛んでいってしまってはいけないから手でおさえていた。
依頼主なシルクハットを押さえながら歩いていく。もう押さえなくても飛ばされる心配なんてないような気もするけど。客車に風は吹いていないから。
窓を見ればキラキラと光輝いてるものが上にも下にもあった。そうか人が作り出した人工的な光だけじゃなくて、この広大な世界が作り出した光もあったんだった。
夜になると空に現れるキラキラと光輝いてるもの。それはあちこちに散らばっていて、何かの形になっていたりする。さそりだったり牡牛だったり。今は夏の終わりだから何が見えるのだろう、冷たいものを飲みながらゆっくりと見つけていきたい。
いつまでそこに座っているんだ、依頼主の声が聞こえた。僕は急いで立ち上がって声がしたほうを見る。すると依頼主はもう扉の前にいた。足でリズムをとっているのは、まだかまだかという苛立ちだ。
すみません、僕はそう言って依頼主のもとへと歩いていく。そんなにイライラしなくても僕はディナーを頂くのに。もうこんな夢は嫌だと投げ出してここから出ていくこともないのに。
僕が扉の前にやって来たことによって、足でリズムをとっている苛立ちが止まった。遅いんだよ僕を待たせるなよと言ったあとに、チッと舌打ちをした。依頼主はなんて自分勝手なのだろう。それはもう十分わかってはいるけど。
「君はチキンがいいか? それともフィッシュか?」
扉を開けながら僕にきいてくる。
「悩みますね」
僕と依頼主は客車から食堂車へと入った。
客車とあまり変わらない内装だが、車両の真ん中辺りに高そうなテーブルと高そうな椅子があった。他にテーブルと椅子はないからここに座れということなのだろう。
本当に二人きりなんだと思うと胃の辺りがキリキリする。せめてお姉さんもいてくれたら、それならまだ少しは楽なんだけど。お姉さんはテーブルの横に姿勢よく立っていた。ニコニコしていて和ませてくれている。
依頼主が来るとお姉さんが椅子を引いた。依頼主は礼も何も言わずに座ると、僕に向けて手招きした。さあ早く座れ少年。
そんなこと言われなくても座る、立ったままで食事は行儀が悪い。そうなると立ち食いとかは行儀が悪いってことになる。
お姉さんが椅子を引いてくれた。僕はありがとうとお礼を言って、そして座った。何か一言あったほうが僕も相手も気分がいいと思う。
「飲み物はどうするかな?」
「何があるんですか」
「そういえばここにはメニューが置いていないな。おい、早くメニューを持ってこい」
依頼主はお姉さんに向けて偉そうだ。主人と雇われの身、そんな立場なら偉そうにするのもごく普通のことなのかもしれない。だからお姉さんは嫌な顔をせずにニコニコしながら、はいと返事をしてメニューをさっと出してテーブルへとそっと置いた。
依頼主はチッと舌打ちをして、客人である僕より先に自分が先にメニューを見る。これは違うな、これは今飲みたくないな、これは酔いそうだ寄ってしまったら自分を見失う、これは甘すぎるこれは苦いだろうなこれは酸っぱいだろうか。これはこれはこれは、何かと文句をつけて独り言を続けている。
こんな人いるよね、なかなか決められない人。こっちも食べたいけどあっちも食べたいな、こっちの鞄がカッコいいけどあっちのもカッコいいんだよね、プレゼントはこっちとあっちどっちが良いかなどっちも可愛いから迷うよ。そんなことをしているといつまでも決まらないのだ。
別にそれが悪いことだとは言っていない。二者択一に惑わされるとその罠にハマってしまう。そうなると時間が奪われる、ああでもないこうでもないと考えを巡り巡らせて最良の選択ができたら良いのだが。
最終的にこっちでもあっちでもなくて、全く新しいそっちを選んでしまう時だってある。選択できたのだから喜ばしいことだけど、何故この二つで自分はこんなにも悩んでいたんだと呆れてしまう。
一度過ぎていった時間は二度と取り戻せない、返ってこない、時間というのも死と同じでこの不平等な世界に皆平等に与えられている。一日を短く感じる人、一日をとても長く感じる人、色んな人がいる。一日という時間に縛られていない人もいるだろう。
ここだってそうだ、ここは依頼主の夢の中でここで僕が過ごせる時間は依頼主が目覚めるまで。目覚めてしまったら夢は終わるから。それまでに僕はこの夢に蔓延るマイナスの塊のヤツらを探し出して消さなければならない。
しかしここは悪い夢ではなくて、そうじゃない普通の夢のように見える。僕とお話がしたいから呼んだ、ただそれだけなら僕が来たからって悪い夢になるのだろうか。いや僕が来たからここは悪い夢なのだ。僕は普通の夢には現れない。
まあ食事をしながらも注意はしよう。いつどこからヤツらが現れるのかわからないからね。
依頼主は飲み物をどれにするのか決めたのか、メニューをテーブルに寝かせていた。僕はメニューを手にとってどれを頼むか選ぶことにした。




