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この夢は子供の頃の記憶をもとに作り出した世界。だとしたらおかっぱ頭の少女の本来の姿は、この可愛らしい顔から時を積み重ねていったものとなる。
早送りのボタンを押すとそこには皺があるのだろうか、たるみはあるのだろうか、年齢を忘れてしまうぐらいの美しい肌をしているのだろうか、面影は残っているのだろうか。
だから子供っぽくない喋りかただった、だから時々大人っぽい表情を見せていた。そして少女はこの場所を懐かしんでいるような感じにも見えた。
心の中に蠢いた子供の頃の記憶に呼び出されたのか引き寄せられたのか。だから夢としてあの頃の思い出をここに作り出している。
そしてそれは良い思い出ではないようだ、少年がここにいるということはそういうことになる。少年は悪い夢にしかお邪魔しないから。
嫌な思い出を夢の中に作り出す。何故少女はそんなことをわざわざするのだ、過ぎ去った時間は過去のものとして流れていくのに。何かやり残しがあるのならもっと早くにいくらでもどうにかできたはずだ。それを今の今まで何故してこなかったのだろうか。
それは別に悪いことではない、遠い日の出来事を思い出すのに遅いも早いもない。ただ少年には何か引っ掛かることがあるみたいだ。何か考えているような顔をしている。それは嫌な予感なのか、それともただの勘違いなのか。
「私は本当はおばさんなのよ、こんな可愛らしい顔ではもうないのよ」
悲しげな寂しげな言い方だが表情は曇ってなんかいなくて晴れやかだ。
「今の自分が嫌いなの?」
少年には長い時の流れというものがわからない。そこにあった物が朽ちていき、あそこにいた人が老いていき、やがてそれは自分にも襲いかかるということを。
「時の流れというものは残酷よ。ある所を過ぎたらもうあとは何もないのよ、だからそれが厭わしくてしょうがない」
少女はお菓子の袋を適当に掴む。
「やがてやって来る終点、そこへ向かうだけの列車に乗ったら最後。途中下車なんてできない、列車は止まることなく進み続ける」
袋を開けてそこから一つ摘まみそれを食べる。
「逃げることは決して許されない。もし逃げたとしたら行き着く先は地獄。そこには楽なんてない、喜びもない、あるのは想像できないような恐ろしいことだけ」
バリバリと音が聞こえる。蝉の声に溶け込むことなく聞こえてくる。
「少年には私の気持ちなんてわからないさ。誰にもこの気持ちを理解してくれる人なんていやしない、これは私の問題なのだから」
そう言いながらお墓を優しく撫でた。
夢というのは外での影響が夢として現れる場合がある。外で見た風景や景色、外であった出来事、外で出会った人々、心に残った物がそのままリアルにまたは断片的に作り上げられる。しかしそれがただの夢ではなくて悪い夢だとするならば、できればあまり見たくはないものであったり思い出したくもないものであったりするものを見せられるのだ。
少女は見たくない物を見ているわけではない、忘れていた大切なものを取りに来たと言っていた。外ではそれが叶わなかったからそれを夢で叶えようとしているのだろうか。もしそうだとしたら非常に危ないかもしれない。
外では何の充実感もなくただ時間が流れていき、その中をただ過ごしているというのはとても空しいことだと感じてこの世に生きているという事に対してどうでもよくなった。それが話しに出てきた残酷だとしたら、終点だとしたら、地獄だとしたら。もう頼るのは自らの夢だけ。毎夜目を閉じたら行くことができるその世界だけ。
そこで埋まらないパズルの欠片を探すように、完成するまでどっぷりと夢に溺れてしまったら。そして夢から出られなくなってしまったら。
まるで世捨て人のようだ。外との繋がりをなくして自らの夢に篭もるというのは。
少年はさてどうしようと考える。
この先の出来事が良い方向に向かっていってくれればそれでいい、何の心配もなくいつも通りに悪い夢から解放できる。しかしそうではなかった場合、悪い方向へと向かってしまったらどうする。
自分の意思でこの夢を見ている、そしてそれが悪い夢である。マイナスの塊であるヤツが現れても、気持ち悪い笑い声を響かせても、少女は気にすることなく笑うのかもしれない。
「ここが悪い夢だという事はわかっているよね? 受け入れてはいけない、それを続けてしまったらヤツの思う壺なんだ」
強くて固い意志を曲げるのは簡単なことではない。そこに行き着いてしまうとそれが正しいことなんだと決めつけてしまう。そうなるまで自分の中で暴れまわる心の怪物と散々戦ってきたのだから。散々傷つき痛い思いをして、そしてやっと辿り着いた結論は揺るぎ無いものだ。
「それは坊やの都合でしょ? 私にはそんなことは関係がない。この夢を私は悪いものだとは思わない、ここは懐かしい匂いが漂う場所なのだからさ」
風が吹いた。そうなると木が揺れる、まるで少女のことを歓迎しているかのように。
少年は歓迎されてはいない。ここから出て行け、邪魔をするな、勝手に心に入り込むな、そう誰かが言っているような感じがする。
「都合でも何でもいい、僕には悪い夢を助けるという役目がある。悪い夢に溺れてしまったらもう元には戻れないから、そうなったらおしまいだから」
少年は歯に力を入れて、そして手にも力を入れて握り拳を作った。
「だからそんな事は知らないよ。坊やのその役目はとても素晴らしいことだと思うよ。でもね相手のことを何も考えないで、おせっかいで助けるというのは有難迷惑ってやつじゃないのかねえ」
「それでもいい、助けることができるのなら何でもする」
「はは、助けるだって? 可笑しな事を言う坊やだよ、笑っちゃうじゃないか。それは今流行っている新しいギャグかい? 面白いよ、流行語に選ばれるといいねえ」
「そうじゃない、心から助けたいと思っているんだ!」
「それはわかっているよ。私もそこまで馬鹿じゃない。でもね坊のそのおせっかいは私には迷惑なのさ」
「……それなら何故?」
「さっきも言っただろ、もう忘れたのかい」
「……」
「忘れていた大切なものを取りに来たのさ。それは私の心残りでね、どうしても取りに来たかったのさ」
そう言いながらお墓を優しく撫でた。
このお墓は少女にとって大切な人が眠っているのだろうか。その誰かのことをずっと思い続けていた。しかし外ではどうすることもできないから夢でそれを叶えることができたということか。
お墓にはいったい誰が眠っている。
「もう何も思い残すことなんて無い。だからぱーっとお金を使ったのさ。お酒、競馬、パチンコ、ホスト……刺激的な数日間だったね。賭け事なんてあんまりやったことがなくてね、胸の辺りがドキドキしっぱなしだったよ。このまま私はぽっくり逝ってしまうんじゃないのかとさえ思ったね。でもそんな事にはならなくて、私に刺激を与え続けてくれたね」
「その刺激はどうだったの?」
「坊やにはこの刺激はまだまだわからないものさ。あれはとても気持ちがいいものだったよ。男女が交わりあうソレとはまた違った快感があったね。体が熱くなって、刺激が走り抜けていって、そして満たされるんだよ。強いお酒を昼間から馬鹿みたいに呑んだ時とか、馬券が当たった時とか、大当たりが来た時とか、良い男が短い時間でも私を女として扱ってくれた時とか」
少女はなんだか楽しそうだ。刺激的な数日間はとても楽しかったのだろう。
喉が渇いたのか缶ジュースを手に取った。プルタブを開けてゴクゴクと一気に飲んでいる。
「それでここに来たの?」
「ああそうさ、もう思い残すことは何もないからねえ」
「家族や友達が寂しがるよ」
「泣き落としかい? 坊やにそんな事されても私は動じないよ」
「いつか戻ってくるその時まで待ち続けるよ。何日でも何か月でも何年でも」
「別にいいさ、私の最後のわがままなんだからさ」
「人は一人ではない、必ずどこかに繋がりというものが存在している」
「坊やに何がわかると言うんだい? 私はその繋がりというものを断ち切ったんだよ。だからもう私は一人なのさ。何をして自分の責任、何をしても独り占め、何があっても誰にも気づかれない。それでいいんだよ決めたのだから」
「強がっていない? そうやって逃げていない?」
「泣き落としの次はそれとは舐められたものだねえ。私が怒りを込み上げて反論すると思ったかい、それで意思が曲がると思ったかい、そうやって心を揺さぶるつもりだったのかい」
少女はいたずっらぽく笑った。
「……全てお見通しなんだね」
少年は苦笑いをした。お手上げだ、やはり強くて固い意志というものは曲げることはできない。
しかしこのまま、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。少女のその意思も尊重はしたい、夢に溺れても良いのだと言っているのに無理矢理引っ張るのは自分勝手だ。
少年は確かに悪い夢から解放するという役目がある。それは悪い夢を見ている人の助けになりたいから、せめて夢の中だけでもゆっくり休んでほしいから。少年にも意思はあるのだ。
もうこの夢は悪に染められてしまうのだろう。少年の助けはいらない、それはおせっかいになるから。だから少年の役目はもうこの夢が真っ黒になっていく様を見届けることしかできない。それもまた少年にはやらねばならないことなのだ。
ため息が一つ出た。もう助けられない、そうわかってここにいるのはキツイ。
「坊やが悲しむことはないよ。心配することもない、気にすることもない。だからすぐに忘れる事だね、こんな馬鹿なおばさんのことなんか」
そう言いながらお墓を優しく撫でた。




