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悪い夢の時間  作者: ネガティブ
蝉時雨のナカ
37/72

 お墓の横で体育座りをしている少女はおかっぱ頭で、あちこち汚れた服を着ていた。見たところ小学生で、低学年だろうか。

 少女は少年と目が合うと何だか切なそうな眼になった。何か言いたそうな、悩みがありそうな、そんな雰囲気を醸し出している。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、二人のお年寄りの念仏はまだ続いている。額から汗を流しながらただ一心不乱に唱えている。

 煙草を吸っているおじさんはその様子を静かに待つ。思う存分唱えればいいさ、祈ればいいさという心の声が聞こえてきそうだ。だから早くしろよと急かすことはない。

 少年は少女が何故そんなところにいるのか気になっている様子だった。誰のお墓なのかわからないその横で、沢山のお供え物があるその前で、念仏と蝉の声が降り注ぐこのナカで。

「そんなところで何をしているの?」

 少年はお墓の横で体育座りをしている少女へと質問を投げかける。

 少女はおかっぱ頭を下げて表情を隠した。その姿は縮こまって泣いているように見える。少年は何もしていない、何か悪口を言っただとか何か気にさわるようなことを言っただとか、そんなことは。

 ただ話しかけただけだ、お墓の横で座っているのは罰当たりのようなそんな気がしたから。それにお墓に来る目的とえば、祈ったりお供え物を供えたり、お墓を綺麗に拭いたり、そのまわりに生える草を引っこ抜くぐらいだ。

 しかしそれ以外の目的でやって来る人がいないとは言いきれない。お墓を見ると落ち着くという人もいる、そんな人はよく来るのだろう。

 少女はお墓の横で落ち着いているという感じはしない。さっきのあの切なそうな表情には何か訳がありそうだ。それを聞き出せたら心の中のモヤモヤが綺麗に晴れるだろう。

「君もここに眠る人を祈りに来たの?」

 少年はもう一度質問を投げかけてみる。

 念仏と蝉の声と煙草の匂いが混ざったなか、森を突き抜けるような風が吹いた。木々が揺れる、葉っぱが舞い散る、砂埃が舞う、お菓子が一袋飛んで行った。

 すると少女は顔を上げた。辺りをキョキョロと見回して、何か見つけたのか立ち上がった。そして歩いていく。何処に行くのだろうと少年は様子を伺う。

 少女は木が沢山並んでいる森の中へと入って行った。まだ日は明るいが森というのはそれでも暗い場所が存在する。木が光りを遮って暗くするのだ。そうなっていたら昼でも怖いと思えてくる。

 少年は森の中には入らずに、その場で少女の姿をしっかりととらえていた。見失わないように気を付けないと、まだ何もお話ししていないから。

 その時お年寄り二人の念仏が終わった。唱えることに体力を使ったのか肩で息をしている。肩にかけていたタオルで汗を拭う、帽子を外して髪の毛から汗を拭きとる。

 煙草を吸っているおじさんは煙草をその場に捨てた。そしてそれを足で踏みつけて火を消す。森の中で火事になんかなったら大変なことになるだろう。

 おじさんはお年寄りに水筒を渡した。暑い夏は水分補給はとても大切なことなのだ。熱中症になるとめまい、失神、頭痛、吐き気、気分が悪くなる、体温の異常な上昇、異常な発汗(または汗が出なくなる)などがある。最悪の場合死亡する事もある。だから気を付けなければならないのだ。

 お年寄りの一人が先にどうぞと譲る。そうしたらもう一人もいえいえ先にどうぞと譲る。素敵な譲り合いがお墓の前で繰り広げられている。

 どっちでもいいよとおじさんが言った。暑いからさっさと飲んでくれとも言った。するとお年寄りの一人が、では私が先に飲みますねとコップにお茶をドバドバ入れた。

 水筒の中身は冷えたお茶のように見える。お酒やジュースや水の色ではない。

 そうしているうちに少女は森の中から帰ってきた。手にはお菓子の袋があった。さっきの風で飛んで行ったものだ。

 再びお墓の横の指定席に座った少女はそこでお菓子の袋を開けた。

 袋に手を入れて一つ取る。そのお菓子は丸くて黄色だった。あの髭を生やして帽子を被っているキャラクターで有名なお菓子だ。

 お菓子を口に入れて口を動かした。するとお菓子を食べる音が聞こえてくる。

 それなのにお年寄り二人とおじさんは全く気づかない。目の前で食べているというのにどうしてだろうか、耳が遠いにしてもそこにいたら気づきそうだが。

 少年は首をかしげた。

「その人たちが気づくわけないわよ」

 そのタイミングで少女が喋った。少年はやっと喋ってくれたとひとまず安心しているだろう。

「何で気づかないの?」

 少年はお年寄りの横に立ちながら質問を投げかけてみる。

 一つ二つと次々口に放り込まれるお菓子たち。少女は食べながらその質問に答える。

「貴方も気づかれていないでしょう? それと同じことよ」

「同じこと……」

 この夢を見ている人は少女で間違いないだろう。お年寄りとおじさんからは心を感じなかった。この夢の中にいるただの登場人物の一人にしか感じない。しかし少女には心が見えた。見え隠れはしているけれど、心はちゃんとあった。

 少女が言った同じこととは一体なんだろう。貴方も気づかれていないでしょとその前に言った。少年が気づかれないのはこの夢にとってはただの部外者だからだ。この夢を見ている人にとっては何の関係もない、だから夢の中の登場人物は話しかけてこないしその存在に気づいてくれない。

 しかし前にお邪魔した夢は部外者である少年に気づいてくれた、それはどういうことだろう。気づいてくれたりそうじゃなかったり、その違いはどこにあるのだろうか。

 そんなのは誰にもわからない。夢と言うのは何でも有りの世界なのだから。ただ今回がそういう夢だということだ。

「君はこの夢とは関係ないのかな?」

 少年はとりあえず導き出した答えを出していくしかない。

「そんなことはないわ、ここは私が知っている場所だもの」

 導き出した答えはどうやら間違っていたようだ。他の答えを導き出す必要がある。

「じゃあ何故気づかれないの? それを教えてよ」

「それを直ぐに教えたら面白くないじゃない。私が何者か当ててみなさいよ」

 フフフと悪戯っぽく笑って少女は楽しそうだ。その笑え声もお年寄りとおじさんには届かない、

 お茶を飲み終わったお年寄りは、はいどうぞともう一人へと渡す。また水筒からはドバドバとお茶が出てくる。

「面白いとか、面白くないとかの問題なのかな」

 ここは悪い夢、だとしたらそんな事をしている場合ではないはずだ。この夢を悪に染めようとヤツが動き始めている事だろう。

 まだその存在は感じない。だから今はひっそりと息を潜めて隠れていて、頃合いを見て出てくるのだろう。何て嫌なヤツだ、だから嫌われるんだ少年から。

 毎回毎回誰かの夢に入り込んでは悪さをするマイナスだらけのヤツ。それは人が生み出したモンスター、彼らは簡単に人の心を住処にする。

「私が楽しければそれでいいんだよ。それに坊やが最後の話し相手だからね」

 その言い方はなんだか引っかかる。少年はそう思いながら話を続ける。

「最後の話し相手とはどういうこと?」

「坊やは日本語わからないのかな、英語やフランス語のほうがいいのかい。それともスワヒリ語かい」

 いたずらっぽく笑う少女は大人っぽく見えた。小学生のはずなのに、低学年のはずなのに。

 二人のお年寄りはお茶を飲み終わってふぅと息をはいた。おじさんはさっさとこんなところからは離れるぞとイライラした口調だ。

 少女は目をいからしてじっと見ていた。それは僕に向けられたものではない、二人のお年寄りでもなくておじさんだ。

「あのおじさんを知っているの?」

「ああ、よく知っている。私の記憶の中のアイツは優しくて良いヤツだよ」

「それなのに何故そんな目付きをしているの?」

「子供の頃の私はまだ何もかもがわからないでいた。この森のこと、村の人達のこと、消えてしまった妹のこと」

 少女は歯を食いしばり、お供え物として置かれていた缶ジュースを手に取る。それをおじさんに向けて投げた。

 缶ジュースは真っ直ぐ勢いよく、野球でいうところのストレートでは向かっていかなくて放物線を描いていた。それはおじさんのすぐ横に落ちて地面に横になった。

 おじさんは缶ジュースに気付かない、見えていないようなそんな感じがする。

 チッと舌打ちした少女はまた別のものを投げる。しかし見事に当たるなんてことはない、また外れてどこかの地面へと落ちる。

 また投げる、次々投げる、当てるまで投げる。

「ねえ、君とあのおじさんの間に何があったの?」

 少年は少女へと質問を投げかける。

「深い深い溝ができちまったのさ。長い時の流れの中でできなくてもいい溝がね。今更わかっても遅いというのに」

 少女のその表情は悲しげだった。顔を上に上げて、木と木の間から見える空を見ている。森の中では空が小さく見えてしまう、空とは本来果てしなく広いはずなのに。

「空だけは流い時が流れても変わることはないね。いつも私の上にいて、それはこの世界にどこまでも繋がっている」

 子供っぽくない少女のしゃべり方はなんなのだろうか。子供の頃の私と言っていたのはなんなのだろうか。長い時の流れとはなんなのだろうか。

 おじさんは一人でさっさと歩いていく。振り向くことはなくて、森を抜けた場所で待ってるからなという大声を残して。二人のお年寄りは足元に気を付けながらゆっくりと歩く。杖をついている。

 地面に散らばった缶ジュースやお菓子やおもちゃ達、それらをお年寄りが踏んだとしても決して気づくことはない。そこには缶ジュースなんて存在しないかのように、ここには何も散らばっていないかのように。 少女は投げるのをやめた。おじさんはもうここにはいないからもう投げる必要がなくなったのだ。

 すると少女はお墓の横に座った。指定席に落ち着くとため息をついた。はぁという声なのか音なのかわからないものが聞こえた。

 森の中に静かな時が流れた。お年寄りはもうすぐ見えなくなる、それだけでここがなんだかとても暗い場所に思えてきた。それは木々が聳えて光を遮っているからだろうか。

 少年はお供え物が置かれた前で少女を見る。少女は少年と目を合わせてはくれず、別のものを見ている。

「ここはどこなの?」

 少年がそう少女に尋ねると、森の中に生ぬるい風が突き抜けた。木が揺れる、砂埃が舞う、葉がヒラヒラと躍りだす。

 少女は顔を上げて少年と目を合わすと、いたずらっぽく笑いながら言った。

「ここは私の子供の頃の記憶をもとに作り出した世界。私はここに忘れていた大切なものを取りに来たのさ」

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