じゅういち
まるで鋏で切ったかのように、滝はあるところを境に無くなった。
ここに来た時からずっと流れ続けていた滝の流れが止まったのは、何かこの塔で起きているのだと少年とプリンツは思った。
その何かとはお姫様のことだ。最後に滝に映し出されたのはお姫様で、目を真っ赤にしてヤツに向けて喋っていた。私は誰の物じゃないと。
目が赤かったのは泣いていたからだろう。お姫様を泣かしたのはヤツで、ヤツのせいでお姫様は苦しんでいる。
しかしお姫様の心はヤツの手の中にはなかった。ちゃんと自分の中にいて、それを大事に一生懸命守っていた。だからこそ自分の言葉を出すことができたのだ。
「滝が無くなったのニャ。ということは水はもう迫ってこないのかニャ?」
プリンツはそう言いながら下を覗き込む。
「うん、大丈夫そうだね。これなら溺れなくてすみそうだ」
少年は水位を確認しながらそう言った。
滝が止まったのはいいけれど、こっちはどうだろうと少年は階段を見る。無限階段では先には進めない。その場で足止めをくらうのはもういい。
「お姫様大丈夫かニャ……滝が無くなったから映像も観れないしニャ……」
プリンツはお姫様のことを心配している。ヤツに邪魔されて一番上まで一気に行けるエレベーターは使い物にならなくなった。しょうがないから長い長い階段を上ることにして先へと進んだ。途中にあったお姫様の記憶、それはプリンツにとってかけがえのないものだったり思い出したくないものだったり。
この塔にお姫様はいる、それなのに遥か遠くに引き離されたみたいでプリンツはさぞかし寂しかっただろう心細かっただろう。それでもくよくよなんてしてられない、プリンツはお姫様のSPなのだ。誰にもお姫様を傷つけたりなんてさせない、誰にもお姫様の笑顔を奪うなんてことはさせない。
少年はプリンツの小さな頭を撫でた。
「お姫様はヤツに負けたりしない、プリンツがいるのだから」
心と体を思いのままにされたこともあっただろう。それはヤツの巧みな話術と甘いマスクに惑わされただけのこと。暗闇の底からお姫様をすくい上げて、光があたるところで愛して愛して、大切にして離れられなくした。そうやって心を染めた、他の誰もが立ち入れなくするために。心を支配したヤツは次の段階へと進めた。それは暴力というものなのか、命令というものなのか、主従関係をハッキリさせたかったのだろう。
もう居場所はここしかない、いくら心を傷つけられようが体を汚されようがそんなことはどうでもいい。身を以て知らしめるのだ、お前はもう鎖に繋がれた犬のような立場にあるということを。
そうやって恐怖を与え続ける、そして頃合いを見てまた愛して愛して、大切にして離れられなくする。そうやって愛されることを格別なものだとわからせる、もうそれを知ってしまったら離れたくなくなるのだ。
プリンツはまた怒りがこみ上げ爪をたてた。
その怒りを全てヤツに向ければそれでいい、お姫様からヤツを助けられればそれでいい。
「それにしても静かだね」
「そうだニャ、滝の音がなくなったからとても静かなのニャ」
その静けさが怖いような気がする。嵐の前のなんとかみたいに。
少年は階段を見た。何も変わったところなんてない、さっきと同じでただの階段。いや無限に続く階段が螺旋になっている。
「ギャアアアアアアアアアアアアアア」
その時突然叫び声が聞こえてきた。少年とプリンツは体をびくっとさせた。
この声はお姫様だ、いったい何があった? ヤツに何かされたか? しかし助けには行けない。
プリンツは上を見て、鋭い目つきでシャーと威嚇している。お姫様がこんな叫び声を上げるなんて相当酷いことをされたに違いニャい、僕はヤツを許せない許すなんてことは絶対にしない。
叫び声はおさまらない。響き続ける、耳に飛び込んでくる。
耳をおさえたいほど心が痛い。こんな声を聞いているのに助けに行けないなんて最低だ、なんだか頭が痛くなってきた、フラフラしている、まるで地面が揺れているみたいだ。
それは気のせいではなく、階段は揺れていた。ゆらゆらと、グラグラと。
地震が起こっているのだろうか、この塔自体が左右に思い切り揺れている。崩れないだろうか? そんな心配をしてしまうぐらいの揺れだ。
すると何かが落ちてきた。それはたっぷと溜まった水へと落ちていき、水飛沫を上げた。
水飛沫は止まることがなかった。次から次へと落ちていく。
これは何だ? 少年は落ちている物体に注目した。
するとそれは何かの瓦礫だった。どこかで見たことがあるような気がする、ずっと見ているような気がする。
プリンツは何処だと少年は辺りを見回す。するとプリンツは何処にもいない。
何処に行った? 少年は名前を呼ぶ。プリンツ、プリンツ。
すると声が聞こえてきた。ここにいるのニャ。
少年は声がするほうへと目を向けた。
プリンツは階段の端っこへと手を伸ばして耐えていた。さっきの揺れで宙へと投げ出されたのだろう、落ちなくてすんだのは身体能力が良いからだろう。
少年は急いでプリンツを引っ張った。
「ありがとうニャ……死ぬかと思ったのニャ……」
プリンツは肩で息をしている。落ちないように必死に掴んでいたのだ。
「死なれたら困るよ、誰がお姫様を守るんだよ」
大きく息をはいてほっとする少年は笑っている。
少年とプリンツは落ちないように壁側へと寄った。はじめからそうしておけば落ちる心配などしなくてよかったのだ。
「それにしても何で急に揺れたのニャ? それにあの叫び声は……」
揺れて落ちてきたあの瓦礫は何なのだろう。叫び声はお姫様だろう。
「お姫様がこの夢を動かした、それがこの揺れに繋がった」
「それはどういうことニャ?」
「あの瓦礫はひょっとしたら無限階段のものかもしれない。もしそうだとしたら僕達は先に進むことができる」
少年は次から次へと落ちていく瓦礫を見ながらそう言った。
「ニャニャニャ! じゃあ早く上るニャ!」
プリンツは疲れを忘れて勝手に上っていく。ぴょんぴょんと軽やかに飛んでいる。
少年も後に続く。置いていかれたらまたプリンツが落ちそうになるかもしれない。
叫び声はまだ続いている。いったい上では何をしているんだ、考えたくもないが考えてしまう。この叫び声がプリンツにとって絶望となるのなら、お姫様にとってもそれは同じことでこの夢がさっきの揺れみたいに大きく揺れることになる。
そんなの考えたくない、しかしここは夢だ。何が起きてもおかしくはない、何でも起きてしまうのが夢というものだ。
螺旋階段を上り続ける少年とプリンツ。
無限階段は終わったはずだ、それなのにまだ先が見えないのはヤツがまだ何か仕掛けているからか。
叫び声とともに笑い声も聞こえてきた。こんな声は聞きたくない、ヤツの声など聞きたくない。
何がそんなに可笑しい? 何がそんなに楽しい? お姫様を苦しめることがそんなに面白いのか? ヤツは人間の姿をした化け物だ、ここにいるヤツも外にいるヤツも。
ヤツは生きている価値などない。そんなことは思っても口に出しちゃいけないことだけど今回だけは許してほしい。
「アハハハハハハハハハハハハハハハ」
ヤツの笑い声が響き渡る。耳へと飛び込んでくる。
怒り狂ってどうにかなってしまいそうだ。頭の中で思い描いた様々な殺し方をいくら試してもこの怒りはおさまらない、怒りは減ることが無くて増え続けていく。
少年は落ち着きなよと言う。そんな状態じゃないかもしれないけどとも言う。
わかってるニャとプリンツが言う。でももう臨界点突破したのニャとも言う。
その言葉で少し落ち着いたのかもしれない、しかし増え続ける怒りの前ではそんなもの全く歯が立たなくてすぐに消える。
怒りはぶつけることでしかおさまらない。我慢して留めておくといずれ誤爆する。そうなると関係のない人を巻き込む恐れだってある。
ここは夢だ、本当にお姫様が傷つけられてるわけじゃないと少年が言う。
わかってるニャ! でもこの夢はお姫様が生み出した世界なのニャ、お姫様の心の中は相当まいっているのニャとプリンツが言う。
もう少しだ、さっきより声が近いよと少年が言う。ヤツにもうすぐその怒りをぶつけられるとも言う。
もうすぐ僕が行くニャ、だからもう少し待っていてほしいのニャ、お姫様は僕が助けるのニャとプリンツが言う。僕はお姫様のSPなのニャとも言う。
少年とプリンツは階段を駆け上っている。こけないように、急ぎながら。
少年が何も流れてこない塔の真ん中に何を一瞬見た。すると何か流れていた。
プリンツにもそれに気づいたらしくこけないように気を付けながら見ていた。
初めは少しだけだった、しかしそれは次第に多くなっていった。
少年は目を見開いた。これはひょっとしてと思う。
プリンツも目を見開く。目に映ったそれは赤かった。
赤い水が流れている。ごーごーと音を鳴り響かせて流れている。
赤は下に溜まった青を染めていく。そうして少しずつ紫へと変えている。
この赤はいったい何だ? 次から次へと流れてくるこの赤は?
再び水が迫ってくる。無限階段が崩れたことでまだ余裕はあるが、そのうち全てを飲み込むだろう。
「あの水は何なのニャ! お姫様に何かあったのかニャ!」
プリンツは何が起こったのかわからなくてパニックになっている。
「あの水は……」
少年はわかっているみたいだが言いよどんだ。
「知っているのかニャ? それなら黙らないで教えてほしいのニャ!」
プリンツは知りたい、いずれそれを目の当たりにsるのだろうが早いか遅いかの違いだけだ。
「あの水は血かもしれない」
少年のその一言でプリンツの中で何かがぱりんと砕けた。
だから駆け上ることをやめた、魂が抜けたかのように動かなくなった、それほどの衝撃だった。
だから言いたくなかったと少年は思ったが、いずれわかることだ。
もうお姫様がいる場所は近い。
少年はプリンツを抱きかかえて先を急いだ。
◇
赤で染まった真っ白だったドレス。
これは初めからこういう色だったのかと納得してしまうぐらいに有っている。
どんな姿になっても君の美しさは変わることはない。
顔にも赤が付いているよ? ふいてあげようか? 舐めてあげようか?
何の反応もないけどそれはイエスってことでいいのかな。
まあそうしたところで君から流れ続ける赤を止めることはできない。
それならば体の中を流れる赤を全部外に出してあげよう。
スッキリするはずさ、嫌なことも苦しいことも悲しいことも全部出せるさ。
君が何に対してそんなに怖がっているのかわからない。教えてほしかったな。
ぎゃーぎゃーと叫ぶ君はとても五月蠅かったね、まるで赤ん坊だ。
赤ん坊は泣き疲れたら静かに眠るけど君はどうかな?
今のところ静かだけどまた騒がしくなるのかな?
美しいものはどんな時でも美しいというのは本当だったようだ。
君がそれを証明してくた。ありがとうと頭を下げるよ。
もう笑ってくれない、泣いてもくれない、怖がってもくれない、その表情を見れないのは寂しいけど。
あと快楽に溺れている顔も素敵だったな。喘ぐのも良かった。
なんだかゾクゾクするんだよね、楽しくなっちゃうんだよね。
こんな僕は変わり者かな? 正常だとは思うんだけどね。
さてともうそろそろ行かないと。
この姿を見たら君の王子様はどう思うのかな。それを想像すると笑えるよ。
怒り狂って発狂するかもね、自分を見失ってまるで何かに憑りつかれたかのようになるだろうね。
アハハハ、面白くてお腹が痛いよ助けてよ。アハハハ、アハハハ。
じゃあもう行くね。
楽しかったよ、君との出会いや鎖で繋いだ日々は。
でもすぐに忘れるだろうな、君にやってきたことはただの暇つぶしだからね。
僕に心を奪われたのが悪いのさ、僕に目をつけられたのが悪いのさ、僕と出会ったのが悪いのさ。
じゃあさようなら、永遠にさようなら。




