はち
あの部屋で僕は眠らされたのニャ。これはもうわかっているニャ?
ここからはそのあとの事をお話するのニャ。ちょっと長くなるかもしれないけど、聞き忘れが無いようにしっかり聞いてほしいのニャ。
目の前が明るくなって僕は起きたのニャ。
いつのまに僕は寝たのだろうと寝ぼけながら思ったのニャ。でも起きたばっかりなのか、ただ忘れただけなのか思い出せないのニャ。
でもここが何処なのかはすぐに思い出したのニャ。
ああ、ここはお姫様に連れてこられたどこかの部屋ニャ! ここにはずっと話には聞いていた彼氏様の姿もあったのニャ。笑顔が素敵だったニャ、イケメンというやつかもしれないのニャ。
でも僕が起きて、部屋を見回しても彼氏様の姿はどこにも無かったのニャ。
もう出かけたのかニャ? 人間はいつも早起きして仕事へと出かけて行ってとても仕事熱心ニャ。どんな仕事をしているのかはわからないけど、毎日毎日を何をしているのかは気になるのニャ。ただ思うのは一生懸命働いて流した汗というのはカッコイイということなのニャ。お姫様の彼氏様もカッコイイ汗を流しているのかニャ。
そう思いながら僕は部屋を歩いたのニャ。
部屋は静かで、電気が点いていなかったのニャ。さっき目の前が明るくなったのは窓から射し込んできた太陽の光だったようなのニャ。
僕は太陽の光が好きなのニャ。太陽の光に当たっていると気持ちよくなって眠たくなるのニャ。でもそれは寒い寒い冬の話なのニャ。暑い暑い夏は太陽なんて嫌いなのニャ。
太陽よりもっともっと好きなのはもちろんお姫様なのニャ。
そういえばお姫様はどこにいったのニャ? 椅子にも座っていない、床に座ってもない、ベッドで横になっているわけでもないのニャ。
何処に行ったのニャ? 僕を置いては行かないはずニャ!
「ニャー、ニャー」
僕は主人であるお姫様を呼んだのニャ。何処にいるんですかお姫様! 僕はここにいるのニャ!
しかし何の反応も無くて、それが僕の心へと不安になってやってきたのニャ。お姫様は何処にもいないのかニャ、僕を置いて何処かに行ってしまったのかニャ、いやいやそんなことは絶対にしないのニャ。
そうは思ってもこの何処かわからない知らない部屋は余計不安になるのニャ。
「ニャー! ニャー」
僕は再び主人であるお姫様を呼んだのニャ。何処かにいるなら早く出てきてほしいのニャ! かくれんぼはお家でしたいのニャ! 僕はもうお姫様がいない毎日なんて考えられないのニャ!
しかし何の反応も無くて、僕はがっくりと肩を落としたのニャ。ああ僕は捨てられたのかニャ? 飼い猫になったのに、また野良に戻るのは何だか負けたみたいで情けないのニャ。
僕は俯いて、これかどうしようかを考えていたのニャ。
またあの家にお世話になろうかニャ。猫好きなのかよく餌をくれたのニャ。あの場所でまたのんびりと過ごすかニャ。次々と流れてくる人間をただ見るだけの毎日もそれはそれで楽しいのニャ。
僕は部屋を見回したのニャ。
お姫様との思いで、楽しかったこと悲しかったこと色々あったのニャ。そこには色んなお姫様の表情があったのニャ。暗くて笑顔なんて無かった顔、明るくて笑顔しかない顔、その正反対の顔が僕の心の中いっぱいに広がっていくのニャ。
ああ幸せなのニャ、とってもとっても幸せなのニャ、お姫様のことが僕は大好きなのニャ。
思い出を噛みしめて、僕はゆっくりと出口へと歩くのニャ。
さようならお姫様、今までありがとうニャ。野良だった僕を助けてくれて感謝してるのニャ、こんな僕が少しの間だけでも飼い猫の気分を味わえて嬉しかったのニャ。
また僕は野良へと戻るけど、あの屋根へと戻るけど、いつもお姫様のことは思っているのニャ。
僕はそんなことを考えながら野良に戻ろうとドアへと歩いていたのニャ。
そうしたら突然ドアが開いたのニャ。そのドアから人が出てきたのニャ。
僕はその人の裸足を見たのニャ。真っ白で綺麗な足なのニャ。
そして目線はだんだん上にいくのニャ。足、膝、腰、お腹、胸、顔。
「……プリンツ」
僕の目にはお姫様が映ったのニャ。
よかった僕は捨てられてなんかなかった、そんなことは絶対しないと思っていたけど不安がやってきて心をかき混ぜたのニャ。だから僕は捨てられたと思い込んでしまったのニャ。
お姫様とまた会えて僕は嬉しいのニャ。だから笑顔になるのニャ。
でもお姫様はどうやら元気がないみたいなのニャ。暗い表情で僕を見ているのニャ。どうかしたのかニャ? そんな顔は似合わないのニャ、お姫様は笑顔が一番なのニャ。
「ニャー! ニャー!」
僕は元気な声を出してお姫様を元気づけた。
しかしお姫様の表情は暗いままなのニャ。どうしたのかニャ、僕が眠っている間に何かあったのかニャ。彼氏様と喧嘩でもしたのかニャ。
「……プリンツ」
「ニャー、ニャー」
どうしたのかニャ、何か言いたいことがあるなら言ってほしいのニャ。僕とお姫様は心と心で繋がっているはずだけど言葉でないとわからない事もあるのニャ。
「……プリンツ、私ね」
「ニャー」
うんうん、ゆっくりでいいのニャ。僕はしっかりと聞いているのニャ。
「……とても怖かったの」
そう言ってお姫様は僕を持ち上げて、そして抱きしめた。強くぎゅっと抱きしめられて少し痛いのニャ。でも僕は幸せなのニャ、お姫様の心を癒せるのなら役に立てるからニャ。
何に怖かったのニャ? お姫様は僕を抱きしめて泣いているのニャ。
涙が出るほど怖いこととはいったい何なのニャ。お化けが出たことかニャ、いじめられたのかニャ、小指を角にぶつけたのかニャ。
「怖かったよ……私、殺されるのかと思ったの」
「ニャ!?」
今何て言ったのニャ、僕の耳がおかしくなければ殺されるって聞こえたのニャ。どれはどういうことニャ、何でそんなことになったのニャ。
「プリンツが眠ったあとね、彼が……」
お姫様は震えていた。そしてまた僕をぎゅっと強く抱きしめた。
「……彼がね、人が変わったかみたいになったの」
人が変わった? あの優しい彼氏様がどう変わったのニャ。
「私をね、押し倒して……大人しくしろって、そうすれば何も怖くないって……」
お姫様は何の話をしているのニャ。もう全然頭に入ってこないのニャ。
「私は怖くなって泣いたの。それを見た彼はね、女は泣いたら何でも許されると思い込んでいるんだ、俺はそれに苛々するんだよって言ったの……」
お姫様は彼氏様のお話をしているのかニャ? まるで別人のようニャ。
「その時の彼の表情はあまり思い出したくない、それぐらい恐ろしいものだった。私は震えていた……手や足、唇だって。彼は言った、大人しくしろと言ってんだよと」
上から水が落ちてきた。雨漏りかニャと思ったけれど、これはお姫様の涙だったのニャ。
「……私は怖くなって泣いた、彼は泣くなと怒鳴った。私は泣き声を出した、彼は静かにしろと怒鳴った。私は怖かった、彼が何故突然こんなに怖くなったのかわからなくて」
涙はぽたぽた落ちてくる。止まることが無い、止まる気がしない。
「そして言われた。大人しくしろ、お前を殺すことなんて簡単なんだよって」
その時僕の何かがぷつりと切れたのニャ。
お姫様を殺す? 何を言っているのニャ、信じられなくて僕はまだ何かを喋っているお姫様の言葉が聞こえなくなったのニャ。心がここじゃない何処かへと行ったみたいに、ふわふわと空に浮かんでいるみたいに、ゆらゆらと揺れているみたいに。
お姫様を怖がらせるなんて許せないのニャ。怖がらせるどころの話ではないのニャ、殺すとまで言ったのニャ。そんなヤツは万死に値するのニャ。
僕が怒りを込み上げていたら、心がここへと戻ってきた。
「ねえ、プリンツ! 聞いてるの?」
「ニャニャ!」
「しっかりしてよ、私は怖くてしょうがないんだから」
「ニャー!」
「お前だけだよ私の親友は。プリンツはどんな時でも私の傍にいてくれるから」
「ニャニャー!」
「うん、そうだよね、プリンツは私の弟みたいな存在だもんね」
「ニャニャ」
「あーでも猫は成長早いんだよね。じゃあプリンツは私よりお兄さんなのかもしれないね、ひょっとしたらお父さんと同じぐらい年かもしれないけど」
「ニャニャニャーン」
「何だか落ち着いてきたよ」
「ニャー?」
「ありがとうね、プリンツ」
お姫様は笑顔でそう言った。僕はその顔が一番好きなのニャ。
◇
少年はプリンツの話を静かに聞いていた。
プリンツはぴょんぴょんと下の段へと下りた。そしてぴょんぴょんと上ってきた。
「落ち着きがないね」
少年はプリンツのその行動を見てそう言った。
「いつでも走れるように準備運動をしているのニャ」
早くお姫様のもとへ行きたい。その気持ちは準備運動という行動によって現れている。
この階段は無限階段かもしれない、そう少年に言われて上るのをやめたのだ。
だからプリンツはこうやって話をしている。お姫様のお話を、お姫様の彼氏だった男の話を。
男は殺すと言った、そしてお姫様は震えていた怖がっていた。そんな状態だ別れるのが普通だろう。
「なあプリンツ」
「何かニャ?」
「お姫様は何をされたの?」
「……そんなの言えないのニャ」
「何故?」
「何故って……少年にはわからないのかニャ?」
「うん、わからないから聞いているんだ」
「それならわからないままでいいのニャ」
「え、何で」
「さあ続きを話すのニャ」
「ちょっと待ってよ、まだわかっていないことがあるんだけど」
ごーごー、音が聞こえてくる。
少年と黒猫のプリンツは階段に座っている。




