に
桃色が並木道を埋め尽くしている。
通りがかる人達は皆顔を上げてそれを見て笑顔で、携帯で撮影したりじっくり見たりして、春を告げるその花に心を躍らせている。
空は雲ひとつなく、太陽の独壇場と言ってもいいぐらい光り輝いている。
いい天気で、ぽかぽかと暖かそうだが、風や空気はまだ少し冷たいのかくしゃみをしている小さな女の子が鼻水を垂らしている。お母さんは肩にかけたベージュのショルダーバッグの外ポケットからポケットティッシュを取り出して、小さな女の子の鼻のあたりにティッシュをもってきた。
ここにはどこにでもあるような街並みが確かに存在している。
しかしここは夢の中。そこに見えているあたかも現実のようなものは全て幻覚である。
例え熱いや寒いと感じ取ってもきっとそれは気のせいだろう。熱いわけがない、寒いわけがない、ここは夢の中なのだから。
風が吹くと木に咲いた桃色が飛び散る。それは宙を舞ってどこかに飛んで行き、やがて地面へと落ちる。地面には桃色があちらこちらに落ちていて、木に咲いた花が全部落ちたら桃色のカーペットになりそうだ。
そんな桃色のカーペットになる予定の道を、制服を着た生徒たちが歩いている。
生徒たちは皆ぶかぶかの制服を着ていて、表情は固く緊張しているようにも見える。生徒たちの横にはお父さんとお母さんが一緒に歩いている。
そこにある桃色も、そこにいる人達も、空も雲も風も全部夢が作り出したもの。
ここにあるもの全ては、この夢を見ている人が作り出した世界。現実世界で何かあるとそれが夢に反映されるのかしないのか。
入学式へと向かう生徒や保護者のなかに、少年の姿があった。
少年は木に咲いている桃色の花達を見ている。綺麗だなと思わず声を出したが、誰も気になんてしない。
ここにいる人達はそれぞれ役割を与えられている。その役割をただ果たしているだけで、それ以外のことは何もしない。
だからここに本来いるはずのない少年がいたところで誰も何とも思わない。
しかし夢によってはよそ者に危害を加える場合がある。今回はそれがなさそうだが今後はありそうだ。
「なんだか眠たくなってくる」
ぽかぽか陽気は眠気を誘う。お昼寝にはちょうどよくて、布団がそこにあったら直ぐに眠ってしまうだろう。
しかし少年は首を左右に振った。危ない危ないと声を出す。
夢の中で眠ってしまったら、夢に溺れてしまう。溺れてしまったらここから出られない、そうなってしまうと非常に危ない。早いことここから出れば問題ないのだが、夢の中に長いこと滞在をするとそのうち夢が自分を受け入れようとするのだ。今までそっぽを向いていた夢の中の住人が優しくしてくる、役割を与えられて夢の中の住人の一人となる、そして自分は外からやって来たのではなく初めからここに居たのだと記憶が上書きされる。
その他にも色々あるけれど、それもまた今後出てくるだろう。
とにかく夢に溺れてしまうのは非常に危ない。だからこそ少年は気をつけなければならない、最善の注意を払って悪い夢から救わなければならない。
「それよりどこにいるんだろう」
少年は辺りを見回した。この夢を見ている人を捜しているのだ。
誰がどんな夢を見て、そして何故苦しんでいるのかは夢にお邪魔するまでわからない。事前にわかれば楽なのだろうが、そういうものなので毎回一から散らばったパズルのピースを集めなくてはならない。
パズルが完成した時、悪い夢から開放されるのだ。
風が拭いて桃色の花が宙に舞う。これだけで絵になってしまうから、この花はなんだかズルイ気がする。
少年は元気な声が聞こえてくるほうへと歩く。
その声は門の前で新入生へとお祝いの言葉をかけている在校生だ。入学おめでとうございます、楽しい三年間が貴方を待っています、野球部に入りませんかなど。
お祝いとは関係がない声もあるが、勧誘するには絶好の場所なのだ。新入生全員がここを通って行くから。
「入学式か」
少年は腕を組んで何やら考える。この夢を見ている人は入学式と関係している、それは何故だろう? 新しい場所が怖いのか、馴染めないから毎日楽しくないのか。
新入生がこの夢を見てるとは限らない、在校生かもしれない先生かもしれない。後輩が入ってくるだろうかと不安になる運動部、私より後輩のほうが上手かったらどうしようと焦る文化部、また問題児が今年もいるんだろうなと頭が痛くなる先生、親に何か言われたらどうしようネットに僕の悪口を載せられたらどうしようと今にも泣き出しそうな新任の先生。
「……皆大変だな」
苦笑いをするしかない少年だった。
それは少年の考えであって、実際はそうとは限らない。ホントはもっと前向きなことを心の中で思っているかもしれない。
友達百人作るという目標を掲げた新入生、後輩をビシバシ鍛えて安心して後を任せるようにしようとしている主将、ピアノが上手いと噂の新入生が入部するらしく負けてられないと気合を入れた三年生、最近の子は皆素直で可愛くて楽だわと喜ぶベテランの先生、私も新人で皆も新人だから多少失敗しても大目に見てくれるはずと前向きな新任の先生。
それぞれの思いはどういう結果を齎すのであろうか。それはこれから始まる新しい日々でわかることだ。
良かったのか悪かったのか、楽しいのかそうじゃないのか、善し悪しで決められない微妙な位置なのか。結果なんて誰にもわからない、自分にもわからない、それが果たして答えなのかなんて。自分が納得さえできればそれでいいとは思う。
「ここにはいないみたいだ」
少年は大声から離れた。入学式と書かれた看板を背にして、並木道に咲く桃色達を見る。
この桃色達は皆ソメイヨシノだろうか? この花には色々種類があるみたいだけど、それぐらいしか思いつかない。
次々と新入生と保護者が流れてくる。その流れに逆らうように少年は歩く。どこかにいるはずだ、この夢を見ている人物が。
すると前から走ってくる女子生徒が見えた。
女子生徒の隣には保護者はいない、後ろにもいない。保護者は用事で来られなかったのだろうか、それとも在校生なのか。
少年は歩道の真ん中でその様子を見ている。
そんな所にいたら邪魔なのだが、次々と流れてくる新入生や保護者は気にしていない。ひょっとしたら少年の姿は見えていないのかもしれない。
女子生徒は息を切らして止まった。肩で息をしている。
歩道の真ん中でしゃがみこんで落ち着かせる。
少年はうんと頷いた。そして女子生徒に向かって歩き出した。
「またこの夢だ……はあ……」
入学式へと向かうために新入生と保護者は流れている。
「……はあ……私は悪くないのに」
握りこぶしを作って、顔をあげた。
「私が何をしたって言うのよ」
女子生徒はそう呟いて、走り出そうとしたが前方からやってくる少年の姿をとらえてやめた。
少年は女子生徒と目が合った。するとニコっと笑顔で立ち止まった。
少し強い風が拭いて、少し多めに桃色の花が宙を舞った。
「君だね、この悪夢を見ているのは」
突然の彼の登場に、女子生徒は驚いて一歩後ろに下がる。
「そんな驚かないでよ僕は助けに来ただけだよ」
そう言って彼は一歩足を前に出した。
「ちょっと待って、意味がわからない」
女子生徒はまた一歩後ろに下がった。
「まあ驚くのは無理ないけどさ、早く受け入れてくれないと困るよ」
宙を舞っていた桃色の花の一つが、彼の頭の上に乗る。
「……これ本当なのかな? これが噂の」
そう言って彼女は後ろへと下がるのをやめる。
「僕は噂されてるのかー、知らなかった」
少年は苦笑いをした。
「あの、貴方が噂の少年だよね? 噂どおりだから本当だと思うけど」
彼女は自ら少年のほうへと近づいてきた。
「因みにその噂では僕って何て呼ばれているの?」
少年は興味本位で聞いた。そりゃ聞くだろう、自分が何て呼ばれているのかどういう噂をされているのか気になるから。
すると女子生徒は顔を少し赤くして、恥ずかしそうにしながらこう言った。
「夢王子!」




