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悪い夢の時間  作者: ネガティブ
水が流れる塔
27/72

 塔の中に現れた教室。

 黒板には何も書かれていなくて綺麗だ、机の上には何も置かれていない、椅子には誰も座っていない。誰もいない教室というのは何だか寂しい。

 考えるのはまず座ってからにしようと適当な椅子へと腰をおろした。

 プリンツはぴょんと飛んで前の机に飛び乗った。

「この教室は何?」

「ここはお姫様の思い出の場所なのニャ」

「思い出?」

「そうニャ、思い出ニャ。出会わなくてもいい人と出会ってしまった場所ニャ」

 プリンツは伸びをしながらそう言った。

 その言い方だとこの場所はあまり良い思い出ではないみたいだ。出会わなくてもいい人、それはつまりさっきの。

 あの男は一体何者んあんだ。まずあの男の事を知らなくてはいけない。

「お姫様はさっきのヤツとここで会ったの?」

「そうニャ、ヤツはお姫様が通っていた学校で先生をしていたニャ」

「先生……」

「お姫様は女子高という女の子ばかりが通う学校に通っていたニャ。回りはどこを見ても女の子、だからちょっとかっこいい男がそこにいたら油断しちゃうのニャ」

「それでお姫様はどうしたの?」

「焦らず聞くニャ、焦っても良いことなんて何も無いのニャ」

「焦ってはないけどね」

「お姫様は思春期というやつだったのニャ、異性のことがとても気になっちゃうのニャ。僕ら猫でいうところの発情期みたいなものかニャ?」

「……知らないよ」

「まあとにかく異性に興味津々だったのニャ。そんな中ヤツが学校に来たニャ」

 プリンツはぴょんと前の机に飛び移った。僕はその場から動かない、立つことすらしない。

 ごーごー、音が聞こえてくる。

「ヤツは瞬く間に女の子たちの心を奪ったのニャ。今まで逃避が涼しそうなおじさんや、小太りなおじさんしか男の先生がいなかった中にカッコイイお兄さんが来たのニャ。そりゃもう異性に興味津々なお年頃の生徒たちは心が躍るニャ」

「それだとライバルが多そうだけど」

 イケメン先生が現れて一目ぼれする、そこまでいかなかったとしても気にはなるだろう。そしてそれが異性に飢えている生徒達、それって全校生徒なのかもしれない。興味無い人も中にはいただろうけど興味有る人のほうが多いだろう。

 異性に飢えているのは男子校の野郎どもだけだと思っていた。

「そうなのニャ、その通りなのニャ、ライバルが多くてとてもじゃないけどお姫様には戦える力が無いのニャ」

「それは何故?」

「お姫様は自分の事をブサイクだと、根暗だと、長所なんて一つもないと、誰からも好かれないと、生まれてきたのが間違いだったと、お父さんとお母さんに申し訳ないと貶していたのニャ」

 なるほどそれでお姫様には戦える力が無いのか。

 自分に自信がない、そこに気になる異性がいてもこんな自分じゃ相手にさえない。そしてライバルは皆可愛かったり綺麗だったり、自分より遥かに女子力があって敵わない。

 プリンツはまたぴょんと前の机に飛び移った。その軽い身のこなし、美しい飛び方、絵になる。

「じゃあお姫様とヤツは関係ないんじゃないの?」

 自分を貶す、ライバルいっぱい、この状況でどうヤツと関わり合いがあるというんだ。

「どうしてそう言い切れるのかニャ?」

「だってほら、自分に自信がないなら前には行かないかなって」

「どうしてそんなことが言えるのニャ?」

「ライバルは多いよね、だったら自分の殻に閉じこもっちゃうかなって」

「……」

 プリンツからの言葉は無い。何も言わずにまたぴょんと前に飛んだ。

 そして教室中を見渡せる教壇へと飛び移った。

 そこから見える景色はどんなものだろう、大勢の生徒がいて黒板に文字や数字を書くのは。

「お前はとても失礼なやつニャ」

 プリンツが教壇に横になって体を舐めながらそう言った。

「お姫様は確かに自分のことをこれでもかと貶していたニャ、でもだからといって殻になんか閉じこもらなかったのニャ。学校から帰ってくると僕に向かって心の中で暴れる思いの丈をいっぱい飛び出させていたのニャ」

 プリンツは欠伸をした。

「私はブサイクだけど先生のことが好きになっちゃった、根暗だけど好きになっちゃった、長所なんて一つもないけど好きになっちゃった、誰からも好かれないけど好きになっちゃった、生まれてきたのが間違いだったけど好きになっちゃった、お父さんとお母さんに紹介したいぐらい好きになっちゃった。そうお姫様は言ったのニャ」

 お姫様は殻には篭もらなかった。篭もらずに突き進んだのだ、自分を貶しながらも突き進んだのだ。

 僕は誰かを好きになった事なんてないからその気持ちがわからない。誰かを好きになると止まらずに進んでしまうものなのかな、ブレーキは付いていないのかな。

 もしブレーキが無いなら当たってしまうような気がする。当たったらどうなるんだ。

「お姫様は思いの丈を伝えたの?」

 僕がそう言うとプリンツは静かに頷いた。

「お姫様凄いね、あんなに自分のことを貶していたのに」

 僕がそう言うとプリンツは笑っていた。

「そこがお姫様の良い所なのニャ。長所はちゃんとあるのニャ」

「それで結果は?」

 それが今一番気になる。先生のことが好きになったお姫様は突き進んだ、そして思いの丈をしっかりと伝えた。怖いものなど何もない、恐れなどいらぬ、当たって砕けたらその時考えよう、そんな男前の性格に見えてきた。

「……それを言うのは野暮というやつニャ」

「やぼ?」

「まあとにかくお姫様はヤツに心を見事に奪われたのニャ。一度奪われた心はなかなか取り戻せないのニャ、だからこんな所にまでヤツは現れるのニャ」

 それは違う、さっきのヤツは本物ではない偽物なんだ。しかし限りなく本物に近い偽物。それはとても厄介なことだ。

 ここはお姫様の夢、夢は外の世界に影響されて作り出される。だから外であった出来事、外で食べた物、外で出会った人、それらが忠実に再現される。

「さあ休憩はもう終わりニャ。お姫様を助けに行かないといけないのニャ」

 プリンツはぴょんぴょんぴょんと教壇から机を飛び移って、僕のところへと飛んできた。

 それは一瞬の出来事だった。早くてあっという間だったからスロー再生して見てみたいぐらいだ。

 僕とプリンツは教室を出た。そしてまた階段を上っていく。

 長い長い階段はまだまだ続いている。

 塔の真ん中にはぽっかりと穴が空いてあり、その穴に落ちるようにして水が流れている。

 水は上から落ちてきている。どこから流れてきているのか見上げてもわからない。

 ヤツは宙に浮いて昇って行った。目的地はお姫様だろう。

 もうヤツはお姫様の傍にいるのかもしれない、お姫様の心を夢の中でも奪っているのかもしれない、早く助けないとこの夢が悪に染まってしまう。

 プリンツは何も言わずに上っている。僕も何も言わない。

 淡々と黙々と階段を上る。そうしていたらいつの間にか目的地に着くかもしれない。

 そうなったらいいなと前を見るがそこには階段しか見えない。

 何か喋ろう、喋っていないともたない。

「あの続きを教えてほしいな」

「続きとは何のことニャ?」

「さっきの教室の、その続き」

「あーその続きニャ。まあ暇だしいいのニャ、足元に気を付けながら聞くニャ」

「足元よりこの階段に終わりがあるのかどうか」

「二人は禁断の関係となったのニャ、生徒と先生の関係なのにその関係を超えてしまったのニャ。それがもしバレてしまったらヤバイのニャ、バレませんようにと僕はこの時よく願っていたのニャ」

「あれ、プリンツはヤツのこと嫌いなんじゃないの?」

「この時はまだ嫌いじゃなかったのニャ、嫌いになったのはもう少しあとニャ」

「そっか」

「二人のデートは地味なものだったみたいだニャ。二人で遊園地、映画館、ショッピング、とてもじゃないけどそんな所には行けないのニャ。バレる恐れがあるのニャ、そんな危険なことはしないのニャ。だから二人は誰もいない放課後の教室や準備室、学校でデートしていたのニャ」

 学校でデート、それが一番危険のような気がする。学校には生徒もいる、先生だっている、すぐにばれそうだけど案外ばれないものなのかな。

「二人でどこにも出かけられなくてゴメンねとよくプレゼントを貰ったニャ、それをよく僕に見せてくれたのニャ。綺麗なネックレスだったり、可愛い靴だったり、高そうな鞄だったり、お姫様はとびきりの笑顔で見せてくれたのニャ」

 お姫様は学校デートを楽しんでいた。ヤツはお姫様を喜ばしていた。

「僕はこの時思ったのニャ、お姫様の彼氏はプレゼントをあげてお姫様を喜ばしているのかニャと。そう思っていたらお姫様が言ったニャ、彼はプレゼントをよくくれるけど愛もくれるんだよってニャ」

 愛もくれる? 子どもの僕にはそれが一体何なのかよくわからない。

「僕はこの時思ったのニャ、お姫様の彼氏は先生なのに心だけじゃなくて違うものまで奪ったのかニャと。そう思っていたらお姫様が言ったニャ、彼は優しいんだよ私の王子様なんだよってニャ」

 もう着いていけない。子どもの僕には全くわからないお話だ。僕がこの件に関わっていいのだろうか不安になってきた。

 それにしてもお姫様はなんだか人が変わったみたいだ。先生が現れるまでは自分のことを貶していたのに、突き進んで先生とデートするようになってから別人のようだ。

 変われたことに関しては良いことだけど何か引っかかる。それがこの悪い夢なのだろうか。

 心の中で考え事をしていたらまた開けた場所に着いた。

 さっきは学校の教室だったけど今度はどこかの部屋だ。高そうな家具があちこちに置いてある。

 プリンツは目を見開いて駆けて行った。ここを知っているのだろうか。

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