じゅうご
何か声を上げながらこっちへと歩いてくる。
ただ叫んでいるだけにしか聞こえない。言葉にはなっていない。
ゆっくりとしたスピードで歩く。
だからヤツから逃げる事なんて簡単だ。
しかし逃げようとしない。何故か二人はそこから一歩も動かない。
何故逃げない? 今すぐ逃げなければ二人ともぺちゃんこにされる。
「サトシ君、逃げよう」
少年はサトシ君の手を引っ張る。
「嫌だ、僕はもう逃げないんだ! 逃げたらまた馬鹿にされるから」
サトシ君は足に力を入れて踏ん張っている。
「あいつはどうにもできない。あいつは戦って勝てる相手じゃない」
「そんなの戦わないとわからないよ」
「時には逃げるのも有りなんだよ」
「それじゃあダメなんだよ。立ち向かわないとダメなんだよ」
サトシ君は勇気が出てきた。逃げも隠れもしないという勇気が。しかしそれが裏目に出た。
時と場合による、それがサトシ君にはまだわからない。
しかし少年は焦ることはなかった。まるでこうなることが初めからわかっていたかのように笑顔だ。
「例えばさ、ゲームとかでさ、初めの村を出ていきなり魔王が出てきたらどうする?」
「えっそれは無理でしょ。雑魚敵を倒して、次の村や町に進んで、各地にいるボスを倒して少しずつ成長しないと勝てないよ」
「そういうことだよこれも」
「え?」
「だから、あの大きな大きな五月人形は魔王みたいなもの。そして僕らは初めの村を出たばっかりのようなもの」
「だから敵わないって? でも僕達は戦いに勝ったよ」
「戦いには勝ったかもしれないけどそれはサトシ君一人の力?」
「……それは違う」
「一人の力は限られているよ。ゲームに例えると勇者がいて、魔法使いがいて、戦士がいて、遊び人もいるのかな。まあ仲間がいるから世界を救えるんだよ」
「弱い僕じゃ倒せないってこと?」
「サトシ君が戦う相手はもうここにはいない、外で待っているよね。だからもうここには用がないってことだよ」
「……確かに。あいつを倒したところで意味はないね。もう戦いは終わっているし」
「無駄な戦いはしなくていいんだよ。それだけが全てじゃない、話し合いで解決できる時もある」
「うん」
サトシ君はまた素敵な笑顔になった。
少年はその笑顔を見る。
大きな大きな五月人形は手を振りかざした。
「ねえ、この島から早く脱出しようよ。何かぷかぷか空を泳ぐものないかな?」
「ぷかぷか空を?」
「ほら、近所にも泳いでるでしょ」
「近所に……」
「可愛い目をしていて、風がないと干からびてるように見えて」
「……ああ、あれね!」
大きな大きな五月人形は目を光らせながら狙いを定めた。
叫び声を上げながらて手を狙いへと振りかざす。
その狙いとは少年とサトシ君で、手でぺっちゃんこにするつもりのようだ。
ドーンと大きな音が鳴った。地面に砂埃が舞う。
二人の姿は見えない。
狙いが定まってぺっちゃんこになってしまったのだろうか。
五月人形の目が光る。
その時砂埃から何か飛び出した。それは宙へと飛んで行った。
それは空をぷかぷかと泳いでいる。
五月人形は顔を上げた。
そして空へと叫び声を上げた。
空には魚のような物が浮いていて、その上に少年とサトシ君が乗っていた。
「助かった」
「うん、危なかったけどね!」
「よくできました」
「もうちょっとわかりやすく言ってよ。もうちょっとでぺっちゃんこだったよ!」
二人は鯉のぼりに乗っている。
二人を乗せた鯉のぼりは空を泳ぎ、空き地から離れて行っている。
五月人形は叫びながら手を伸ばしているが掴むのは何もない空だ。
「あいつはここでサトシ君をやっつけて、この夢を乗っ取りたかったんだよ」
「そうさせなくて良かった」
「サトシ君に勇気があったからだね」
「そんなことはないよ」
「立ち向かうのも勇気いるけど、逃げるのも勇気がいることだからね」
「うん」
「もう悪い夢見ないでね」
「見たくないけどもうお兄ちゃんには会えないんだよね?」
「そうだね。でも僕はずっと心の中にいるよ」
「……それ自分で言う?」
「恥ずかしいね」
「ははは、おかしいや」
「ほら、こんなに高い所にいるよ」
気が付けば二人を乗せた鯉のぼりは島を見下ろせる場所にいた。
上から見下ろしたら小さな島だ。
この場所で戦っていた。大勢の人が動かなくなった。
「所詮夢だから早く忘れることだね」
「うん」
「何か楽しいことがあればすぐ忘れるよ戦った事なんて」
「うん」
「さあ、行こうか。おっ仲間も来たみたいだよ」
あちこちから色とりどりの鯉のぼりがやってきた。
青、黄、赤、紫、緑、鯉のぼりたちは優雅に空を泳いでいる。
島の上空を泳ぐ鯉のぼりたちは少年とサトシ君の周りを回る。
ぐるぐる、ぐるぐる。
さあ行こうよ! 僕達の進むべき未来へ! 大きな一歩を踏み出そう! 私達が案内するね!
鯉のぼりたちはサトシ君へと優しく声をかけた。
そしてどこかに向けて泳ぎ始めた。
島から離れていく。島はどんどん小さくなっていく。
真横を鳥が飛ぶ、雲が浮かぶ、邪魔する物は何もない広い大きな空間。
風に乗る。スピードが上がる。落ちないようにしがみ付く。
キラキラと輝く海を真下に空を駆け抜ける。
サトシ君は楽しそうだ。見るもの全てが素敵なのだろう。
例えここが夢であっても、こんな光景はなかなか外では見られない。
少年も笑っていた。今度こそ安心したのだろう。
この夢は悪から解放された。
もう大丈夫、サトシ君は強い。ゲームのようにレベルアップしたんだ。
少年は手助けをしただけ。ただそれだけのこと。
◇
目を開けた少年はデッキチェアに座っていた。
眠そうな感じはしなくて、微睡んでいる様子も欠伸が出る気配もない。ただじっと前を見ている。
少年の目に映る空は黒色の絵の具で塗りつぶされたかのように暗い。
しかしとこどころに光があって、その光はとても綺麗だ。その中でも一際輝いているのが太陽からバトンタッチされた月だ。
月は少年を見下ろしている。何だか偉そうだが好きで見下ろしているわけではない。
少年は月に話しかける。
「こんばんは、今日も輝いているね」
すると月は少年にこう話す。
「疲れてはいないかな? あんまり無理するなよ!」
なんだかチャライ感じの喋り方だが、月とはこういうものなのだろうか。
「君のほうこそ毎晩輝いていて疲れていないかい?」
「それがオレッチの役目だからね! オレッチが輝かなかったら世界が暗くなるぜ」
月はオレなのか、ワタシではないのか。そんなことはどうでもよいが。
「ありがとう、世界を照らしてくれて」
「礼なんていらないぜ! それよりお嬢ちゃんとぼっちゃんが騒がしかったぜ」
「ユミちゃんとシュウ君が?」
「早く続きをやりたいんだとさ! 今朝やってた遊びのことじゃないか?」
「あーおままごとね」
「修羅場はままごとだったのか。やけにリアルだったから太陽のやつが慌てていたよ」
「ゴールデンウィークにどこも出かけられないかわいそうな私ってタイトルだったかな」
「……タイトルまであるのか?」
「ませているんだよ」
少年は伸びをして立ち上がり、月に背を向けた。
「ちょっと待てって。まだ話は終わってないぜ!」
「まだ何か?」
「冷たい奴だな。ライオンのやつが草食動物に襲い掛かったみたいだぞ」
「イケメンがそんな事……」
「野生の何かが戻ったのか、しかしライオンのオスは狩りなんてしないからな」
「狩りはメスがするよね」
「だから何が目的なのか太陽が気にしていたが、さっきその理由がわかった」
「何?」
「ノミが飛んでいたから教えてあげようとしたみたいだ」
「……なんだそれ」
「まあ彼は優しいから、でもライオンだから、不運だな」
「あとで慰めるよ。じゃあまた、お月様」
「おう、またな!」
部屋に入った少年は壁や床や棚を見た。そこには色んなものが置いてある、飾ってある。
手作りのマフラー、土で汚れた体操服、落書きがいっぱいの教科書、金色の砂が落ちている砂時計、ねんどで作られた魚、電池が入っていない携帯ゲーム機、可愛い熊のぬいぐるみ、使われた様子がないコースター、チラシの裏に円を描いているコンパス、封を切られている封筒。
少年はその中からねんどで作られた魚を手に取った。
魚を宙に泳がしてみる。本当に泳いでいるわけではない、手で掴んで泳いでいるように見せているだけだ。
どこでも泳ぐ、溺れることは無い。魚だから。
この魚が淡水魚なのか海水魚なのかはわからない、しかしそんなこと少年にはどうでもよかった。
泳いでいる魚は喜んでいるように見えた。今までずっと泳いでなかったから気持ちいのだろう。
すいすい、すいすい、部屋中を泳ぐ。
海の底には何があるのだろう? 最近よく見つかるダイオウイカは海の底からやってきているらしい。
何で海の底からこっちに来ているんだ。
何かあったのだろうか海の底で。
少年はねんどで作られた魚を床に置いた。そしてじっと見つめる。
海の底にはダイオウイカの居場所がないのだろうか。それはいじめられているから。
だから上に上にと逃げて行った。そうしたら人間に見つかり捕まったというわけか。
しかし魚は何も反応しない。イカの姿をしていないからわからないのだろうか。
少年は魚を元の場所に戻して、部屋を出た。
螺旋階段を下りていく。足音が鳴り響く。
ソファーにはユミちゃんとシュウ君が横になって眠っていた。
足音に気付いたのか、おばばは顔を上げて少年の姿を確認するとニッと笑った。
「スイーツ食べな。今日はみたらし団子だよ」
「いただくよ」
「甘いよー、美味しいよー、喉をつまらせないようにね」
「わかってるよおばば」
少年はソファーへと腰を下ろすその前に、池の真ん中にあるドアを見た。
何も変わったところは無い、そのことを確認するとみたらし団子へと手を伸ばした。
「今回はどうだった?」
「……うん、まあ楽勝だったよ。ちょっとグロかったけど」
「気分は悪くないかい? 無理して食べなくていいんだよ」
「気分は良いよ、いつもありがとう」
少年はみたらし団子を一つ口へと運んだ。蜜がたっぷりついて甘くてモチモチだ。
「これ美味しいね。お腹すいてるから何個でもいける」
「あらそうかい。じゃあもっと食べな、ほらほら」
「ゆっくり食べるから」
「そうだね、急いで食べても誰も取らないからね」
「二人とも眠っているからね」
少年はお茶を飲んだ。
お茶で団子や蜜を流し込んでいるような、ただ喉の渇きを潤しているような。
この団子を月に見せたらどう思うだろうか。まだお月見には早いぜ! そう言われるだろか。
でもおばばが買ってきてくれた物だし、団子は常に一年中売っているし。
とにかく甘いものを食べれば落ち着く。色んなことがこの甘味によって甘くされていくようなそんな感じがする。
苦いものでも酸っぱいものでも辛いものでも、全部ぜんぶ甘くあまく。
少年は一本食べた。もう一本手に取る。
みたらし団子が美味しくて笑顔の少年を、おばばは静かに見ている。
甘い蜜をたっぷり付けて、そして美味しくいただく。
少年は満足そうな顔をおばばに見せて、お茶を飲んだ。
☆五月人形の目が光る おわり☆




