干渉
初めての投稿なのであまり読みやすい文章ではないかもしれませんが是非楽しんで下さい!
夜の街は、雨が降るたびに少しだけ静かになる。
この街に来てから二ヶ月。ソラはまだ、この街の“音の距離感”を掴みきれていなかった。駅前のネオンはやけに明るいのに、その明るさが誰かを照らしている気はしない。
コンビニの前で傘を閉じると、滴がアスファルトに小さな円を作る。その円はすぐに消えるのに、消えたことすら誰も気にしない。
「……別に、どこでも同じか」
そう呟いた声は、雨音に溶けた。
そのとき、視界の端に誰かが立った。
傘もささず、濡れているのに気にしていない。
ただまっすぐ、ソラの方を見ていた。
目が合う。
その瞬間だけ、街の音が一段階、遠くなる。
「やっと見つけた」
知らないはずの声だった。
なのに、なぜか“知っている気がした”。
雨は、さっきより少し強くなっていた。
そのせいか、それとも目の前の存在のせいか、ソラは自分の呼吸の音がやけに大きく感じられた。
「……誰だよ」
絞り出すようにそう言うと、相手は少しだけ首をかしげた。
濡れた前髪の隙間から見える瞳は、妙に落ち着いていて、こちらの警戒心だけが空回りしているみたいだった。
「名前は、まだ、意味がない」
「は?」
会話として成立しているのかすら怪しい返答だった。
その瞬間、コンビニの自動ドアが開き、明るい電子音が鳴った。店内の白い光が一瞬だけ二人を照らす。その光の中で、相手の輪郭がはっきりする。
年齢は同じくらいか、それより少し上かもしれない。
ただ、“普通の人間”っぽさがどこか欠けている。
「お前、どこから来たんだよ」
ソラが一歩引くと、相手は逆に一歩近づいた。距離の詰め方が自然すぎて、逆に怖い。
「ここじゃない場所。だけど、ここにいる必要がある」
「意味わかんねぇって」
その言葉に、相手はほんの少しだけ表情を変えた。
怒りでも悲しみでもない。……焦りに近いもの。
「時間がないんだ。すぐに“ずれる”」
「ずれるって何が」
その問いに答えようとした瞬間だった。
街の音が、一瞬だけ止まった。
雨の音も、車の通り過ぎる音も、全部消える。
世界がミュートされたみたいに。
そして次の瞬間、コンビニのガラスに映る自分の姿が――一瞬だけ“遅れて”動いた。
ソラは息を止めた。
「今の……」
「見えたなら話が早い」
相手は静かに言った。
「この街は、もう一度“重なり”始めてる」
雨音が、戻る。
だがさっきまでと同じ雨じゃない気がした。
同じ世界のはずなのに、どこかだけ、ほんの少しズレている。
ソラは初めて気づく。
この街には、最初から“違和感”があったんじゃない。
自分がそれに気づくタイミングだけ、遅らされていただけだ。
「...俺、どうなるんだよ」
その問いに、相手は初めて少しだけ目を伏せた。
「君は、“基準点”に選ばれた」
そして、静かに続ける。
「だから、ここから先は──普通には戻れない」
ソラはその言葉を理解できなかった。
「基準点……?」
繰り返した声は、自分のものなのにどこか遠い。
相手はゆっくりと頷く。
「この世界は“重なっている”。でも全部が同じ速度で存在しているわけじゃない」
「だから“ズレ”が起きる」
コンビニの光が、また一瞬だけちらついた。
蛍光灯が切れかけているわけじゃない。もっと別の“何か”が揺れている感じだった。
ソラは無意識に後ずさる。だが足がアスファルトに吸い付いたように重い。
「俺、ただの人間なんだけど」
「それは今の話だ」
その一言が、妙に引っかかった。
’’今’’の話。
まるで“過去”や“未来”が別に存在しているみたいな言い方だった。
そのとき、コンビニの中から店員の声が聞こえた。
「いらっしゃいませー」
普通の声。普通の世界。
なのに、その声だけがやけに“薄い”。
まるで、紙越しに聞いているみたいだった。
ソラが振り返った瞬間、店の中の景色が一瞬だけ別のものに変わる。
棚の位置が違う。
人のシルエットが一人多い。
そして、レジの奥に“何もない空間”が立っていた。
「……っ」
息が詰まる。
次の瞬間には、すべて元に戻っていた。
「今の、見えたか」
相手の声が、少しだけ近くなる。
ソラは答えられなかった。答えたくなかった。
「見えたなら、もう巻き戻しは効かない」
「巻き戻しって何だよ……」
その言葉に、相手はほんの少しだけ苦しそうな顔をした。
「世界は一度、調整されたことがある。ズレを消すために」
「でも完全には消えなかった」
雨が、急に弱くなる。
その代わり、遠くの街灯が一つ、二つと“瞬き”し始めた。
まるで世界そのものが、呼吸を思い出したみたいに。
「君はその“残り”に触れられる存在だ」
「だから基準点なんだよ」
ソラは笑いそうになった。いや、笑えなかった。
意味がわからないのに、拒否だけはできない感覚。
「俺に何をさせたいんだ」
その問いに、相手は少しだけ間を置いた。
そして言った。
「選ぶんだ」
「このズレを“戻す”か、“広げる”か」
風が吹いた。
その風は冷たいのに、どこか“乾いている”。
まるで現実そのものが、一枚剥がれかけているみたいだった。
ソラは初めて、はっきりと思った。
──このまま何も選ばなければ、たぶん“普通の明日”には戻れない。
そして、相手は静かに一歩下がる。
「時間だ」
「もうすぐ、最初の“重なり”が完全に始まる」
空が、ほんの少しだけ歪んだ。
ソラは、すぐには答えられなかった。
「選べって……そんなの、急に言われても無理だろ」
そう言うと、相手はほんの少しだけ視線を逸らした。
雨が止んでいるのに、まだ空気だけが濡れているような感覚が残っていた。
「無理でも、決めないといけない」
その声は、さっきより少しだけ柔らかかった。
最初に会ったときの“異物”みたいな圧は、少しだけ薄れている。
ソラは気づく。
この女は、完全に人間じゃないわけじゃない。
ただ、“どこかが違う人間”なんだ。
「お前さ」
ソラは一歩だけ近づいた。
「名前ないって言ってたけど、それ本当なのか?」
女は一瞬、言葉に詰まる。
その沈黙が、逆に答えだった。
「……名前は、以前の世界で使ってた」
「以前?」
「ここに来る前の私には、別の役割があった」
風が一度だけ吹いて、コンビニの看板が小さく揺れる。
女は続けた。
「でも、その記録は“ズレ”の中で消える」
「だから今の私は、ただの観測者」
ソラは眉をひそめた。
「観測者って何だよ。人間じゃないのか?」
その問いに、女は少しだけ困ったように笑った。
その表情が、妙に普通で。
ソラの中の警戒心が、ほんの少しだけ揺らぐ。
「人間かどうかは、今は重要じゃない」
「重要なのは……あなたと接触できたこと」
その言い方は、どこか距離を置いているようでいて。
逆に、距離を詰めようとしているようでもあった。
ソラは気づく。
この女は、自分を“任務”として見ている。
でもその中に、説明できない揺れがある。
「名前、ないと不便だろ」
ソラはぽつりと言った。
女は少し驚いた顔をした。
「不便?」
「呼びづらいし」
それだけ言うと、ソラは少し視線をそらした。
なんとなく、気恥ずかしかったからだ。
数秒の沈黙。
女は小さく息を吐いた。
「……呼称なら、昔は“ルナ”と呼ばれていた」
その名前を言った瞬間、空気がほんのわずかに変わった。
ソラはその変化に気づく。
「ルナ」
試しに呼んでみる。
ルナは、少しだけ目を細めた。
「それは、今の私には少し重い名前。でも……悪くない」
その言葉に、ソラはなぜか少しだけ安心した。
コンビニの明かりが、安定し始める。
さっきまでの“世界のズレ”が、ほんの少しだけ落ち着いたように見えた。
ルナは空を見上げる。
「最初の重なりは、もうすぐ終わる」
「終わるとどうなるんだよ」
ソラの問いに、ルナは少し間を置いてから答えた。
「あなたの日常が、少しだけ壊れる」
「でも、その代わりに……私が残る」
その言葉は、説明というより“約束”に近かった。
ソラは息を止めた。
「それってさ」
「俺にとっては、どっちがマシなんだ?」
ルナは、初めて少しだけ迷った顔をした。
そして、静かに言う。
「それは、まだ私にもわからない」




